温泉めぐり紀行

丹沢の新緑(2022年5月)

496.歩き遍路旅(43)国分寺~八栗寺

2015-05-29 | 四国遍路ぶらぶら歩き

■伊予讃岐の歩き遍路旅


 遍路12日目  平成27年4月12日(日)  曇りのち晴れ 
       民宿あずさ→80番国分寺→83番一宮寺
        →84番屋島寺
→85番八栗寺→天然温泉きらら(泊) 
           歩行距離 25.3
キロ 

 


6時に目が覚める。部屋に朝陽が射し込んでいる。こんな時間に朝陽を見るのは久しぶり。国分寺まで往復することにして7時に出発。荷物はそのまま宿に置かせてもらった。
500メートルほど歩いて80番国分寺に到着。広い敷地だ。朝の境内はとても清々しい。団体客が来る前の静寂なひとときを過ごす。


国分寺

宿に戻ってザックを背負い、次の一宮寺を目指して歩き出す。おなじみの国道11号を歩いてJR予讃線の陸橋をこえ、高松自動車道の高架下を通り抜けると83番一宮寺(いちのみやじ)だった。時刻は11時。
境内では枝垂れ桜がまだ花をつけている。遍路をスタートした
松山市の公園で満開の桜を見て以来、どこへ行っても桜が目を楽しませてくれた。まるでお天気の悪さを帳消ししてくれてるかのようだ。

一宮寺の本堂に小指大のお地蔵さんの焼き物がずらりと並んでる。おととい、道隆寺の近くで、おじいさんからお接待でもらったお地蔵さんとそっくりだ。おじいさんは息子さんが作ったものだと云っていたけど、おじいさんの背後に佇んでる息子さん、多分50才前後かな、ぼさぼさ頭で心ここにあらずの表情から察すると、何か障害を持ってるのかもしれないなぁ・・・、それにしても、よく似たお地蔵さんである。その息子さんが一宮寺に奉納してるのか、あるいはお地蔵さんをお接待してもらったお遍路さんが奉納していったのか、よくはわからない。
「いつの間にか増えてきたんですよ、あっちにも同じものがありますよ」。境内を掃き掃除していたおばちゃんに訊いても真相は不明のまま。


一宮寺

お地蔵さんたち 


今夜の宿、「天然温泉きらら」は一宮寺から徒歩10分ほど。12時に到着。
受付を済ませ、宿泊棟に案内してもらう。4階建てのワンルームマンションを活用しているようだ。バス、トイレ、キッチンに10畳ほどの和室だ。
すごくきれいなので新築なのかもしれない。玄関ホール脇には洗濯機、乾燥機が各2台ずつ置いてある。そして嬉しいことに本館の温泉施設には何度入ってもOKだ。

本館のレストランでカレーライスを食べながらこれからの予定を考えてみた。次の84番屋島寺へは約15キロある、そこからさらに5キロ先が85番八栗寺、いずれも山中にある。歩いて行くには少し遠すぎるし納経の締め切り時刻、17時までに間に合わない。悩ましいが琴平電車を使って最寄り駅から歩くことに決めた。


天然温泉きらら

 「天然温泉きらら」の宿泊棟 マンション


瓦町駅で乗り換えて琴電屋島駅から歩き出す。屋島寺は標高290メートルの山頂付近に建っている。新緑に覆われた急な坂道を登っていく。長くてきつい坂道だ。
15時、85番屋島寺(やしまじ)に到着。息を整えて本堂、大師堂を参拝する。
山頂にある寺なので眺めがいい。壇ノ浦浜が真下によく見える。そこは源義経が平氏と戦った「屋島の合戦(1185年)」の舞台となった土地。次の八栗寺へ向かって山道を下っていると、路傍に「佐藤継信」の墓を発見した。


屋島寺


壇ノ浦浜を挟んだあの山腹に八栗寺が建っている

佐藤継信の墓

すこし横道にそれるが佐藤継信は屋島の合戦(1185年)で義経を狙った敵の矢を身代わりに受けて死亡。弟の忠信も翌年、義経を平泉へ逃した後、京都で敵に追い詰められ自刃した。義経の身代わりとなって壮絶な最期を遂げた息子を思い深い悲しみにくれる老母のために嫁達が武将の姿をして慰めたという孝行話しが残っている。
元禄2年、佐藤一族の菩提寺である福島県飯坂市の医王寺を訪ねた松尾芭蕉は、佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」と詠んでいる。
佐藤継信の墓に手を合わせながら何回か訪ねた医王寺を想い出していた。これはそのときのアルバム。


福島県の医王寺


医王寺に建つ佐藤兄弟の墓


デジブック 『鯖子湯・医王寺』



16時40分、85番八栗寺(やくりじ)に到着。
八栗山中腹の参道まで行くケーブルカーがあるので利用した。緑深い静寂なお寺だ。もう5時近かったので団体客もいないのでゆっくりと自分のペースで参拝できた。17時ちょうどのケーブルにのって下まで降りる。
立派な店構えの「山田うどん」店に入る。ぶっかけうどんを注文。これまた出汁が効いて美味しいうどんだった。これでいったい何食喰ったんだろうか
琴電に乗り、18時50分、「天然温泉きらら」に戻る。あとは温泉に入ってビール飲んで寝るだけ。


 

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八栗




デジブック 『歩き遍路旅(12)』

 


 

 


495.歩き遍路旅(42)郷照寺~根香寺

2015-05-27 | 四国遍路ぶらぶら歩き


■伊予讃岐の歩き遍路旅

 

 


 遍路11日目  平成27年4月11日(土)  小雨のち晴れ 
   四国健康村→78郷照寺→79高照院 →81番白峯寺
      
          →82番根香寺→民宿あずさ
     歩行距離 31.2
キロ (今回の遍路での最長距離)



今回の遍路できめていたことがある。

○急がず、ゆっくり歩くこと
○できるだけ電車・バスを使わないこと
○色々な宿に泊まってみる

この景色が生涯一度きりの出会いなんだと思うと、何でもない道がとても新鮮でいとおしく感じられる。急ぎたがる自分を戒め、噛みしめるように歩きたい。


無縁仏の墓



 


さて、11日目の朝を「四国健康村」で迎えた。5時に目が覚めたので、まずひとっ風呂。身支度して食堂でパン&コーヒーの朝食を済ます。昨夜は何度か目が覚めてトイレにいったりもしたが明け方にぐっすり寝たようだ。
7時45分、フロントに預けていた杖を受け取って直ぐに出発。小雨だ。今日は山中にある白峯寺、根香寺を訪ねる。これが最後の山歩きとなるはずだ。多度津・丸亀・宇多津と古くから栄えた港町を歩いてきた。




JR宇多津駅を過ぎ、住宅地の坂道を登りきると78番郷照寺(ごうしょうじ)。ここまで約40分。
眼下に宇多津の町が見える。瀬戸大橋が見えるはずだが・・。午前8時ちょっとなのにもう参拝する人が沢山いる。79番へは約6キロ。大東川を渡ると古い落ち着いた町並みが現れた。
玄関わきに花を活けている家が何軒も続いている。住民のつつましさが感じられ、町を誇りにしていることが伝わってくる。




JR坂出駅の本町商店街で驚くことがあった。
本町アーケードを歩いていると中年女性から「これ、お接待です、受け取ってください」と突然、声を掛けられた。

差し出されたその両手の先には硬貨が鈍く光っている。500円玉だ。意表をつかれて戸惑ったが、ありがとうございます、とお礼を述べると同時にザックに手を突っ込んで納め札を取り出してお渡しした。いや~突然のことなので驚いた。
お金をお接待してもらったのは去年10月、高知県四万十町で、おばあちゃんから100円玉とお菓子を頂いたとき以来だ。(これらのお金は今も大事にとってある) 。



JR予讃線の踏切を渡ると、直に霊泉の湧く
八十場(やそば)に着く。名物の「ところてん」をいただく。
ここまで来れば79番高照院(こうしょういん)は目と鼻の先だ。



次の80番、81番そして82番は三角形の頂点に位置している。それぞれ
に通じる遍路道があるためにいろいろな巡り方がある。私は今日中に81番、82番と参拝し80番の国分寺は明日にまわすことにした。
白峯山(339.9m)に向かう車道を歩く。緩やかな上りの坂道。車道を離れ、案内場標識に従って石段を上がる。1キロほど上り詰めると81番白峰寺(しろみねじ)の山門が現れた。午後の2時5分到着。ほっとする瞬間だ。

門をくぐると正面に護摩堂、そして崇徳上皇の御廟所である頓証寺殿がある。崇徳上皇は皇位継承をめぐって弟の後白河天皇と対立し、保元の乱(1156年)を起こすが、敗れて讃岐に流され、恨みを遺して46才で没した。崇徳上皇は非業の死に際し「日本国中を呪う」と宣言したともいわれる。その怨霊を鎮めるため後に白峰神社を建立したといわれる。




白峰寺


本堂、大師堂を参拝し、納経所で根香寺への道を尋ねると、
「昨日の雨で遍路道に水が溢れているので時間は余計にかかるけど車道を行くことをお奨めします」と云われた。
でも私の読みでは、この時間帯なら水はひいてるだろうと推測し、遍路道を敢えて選択した。
確かに道の真ん中を雨水が流れてはいたものの歩けないほどではなかった。むしろ、アップダウンの少ない道は静かな森の中を抜けていく快適なコースだった。山桜が舞い、野鳥がさえずり、野仏がほほえむ遍路道。心弾ませがら歩く。

「あるとき、歌の神が地上に降り立ち、命あるものすべてに歌を教えた。小鳥にはさえずりを、風には口笛を、木にはささやきを、川にはせせらぎを、そして人間には神を称える歌を教えた」(エストニアの言い伝え)。






五台山スカイラインに出てしばらく舗装道路を歩くと、82番根香寺(ねごろじ)の仁王門だ。巨大な草鞋が左右に奉納されている。時刻は午後3時40分。
参道の石段をいったん下がって木々の中を歩いて再び石段をのぼると正面に本堂が現れる。夕暮れにはまだ早いが、すこし冷たくなった空気が境内を満たしている。団体バスが到着しぞろぞろと参拝者がやってきた。




根香寺 あの石段をのぼると本堂

さて、今日の参拝はこれでお終いだ。お腹が空いた。朝、四国健康村でトーストを食べてから何も食べてない。今夜は素泊まりなのでどこかで食べていかなきゃ、と思ってたら「みち草」という土産物屋を兼ねた食堂があった。
おばちゃんがひとりでやっている。カレーライスとおでん、ついでにビールも頼んでしまった。あとは国分の町へ下っていくだけだから、よかんべーと、どこまでも自分に甘い。

 

午後5時、気分よくお店を出発。車道を一本松まで戻り、ここから一気に3キロの山道を下っていく。ここが最後の「遍路ころがし」だ。
眼下に国分の町がよく見える。

今宵の宿「民宿あずさ」に着いたのはすっかり暗くなった午後7時だった。今日は、この遍路で最も長い距離、31.2キロを歩いた。
しかも山道の連続だったのでさすがに疲れた。両足に赤い斑点が出現した。筋肉が疲労した症状だ。昨年の秋遍路のときも似たような症状が出ていたが自然と消えたので特に心配はしていない。

ここまで来るともう高松市内が近い。遍路もいよいよ最終コーナーをまわった。



 

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国分の町が見えた



デジブック 『歩き遍路旅(11)』


 


494.歩き遍路旅(41)善通寺、金倉寺、道隆寺

2015-05-25 | 四国遍路ぶらぶら歩き

 

■伊予讃岐の歩き遍路旅

 

  

 


 

 遍路10日目  平成27年4月10日(金)  いちにち雨 
   善通寺宿坊→76番金倉寺→77番道隆寺 →四国健康村
      
              歩行距離 18.8
キロ


朝6時、善通寺御影堂でお勤めが始まる。
お坊さんが粛々と現れ、それぞれの席に着く。外は強い雨。ときおり冷たい風が堂内を抜けていく。7人のお坊さんの声明が堂内に響きわたる。凛とした空気がすみずみに行き渡る。お説教が終わり、最後に堂の地下にある真っ暗な戒壇めぐりを終えると丁度7時。朝食タイムだ。




7時45分。宿坊を出る。雨が強く降っている。雨にはすっかり慣れっこになった。境内で掃除をしていた女性に金倉寺への道順を確認する。約4キロ先だ。田園地帯を抜けて9時25分、第76番金倉寺(こんぞうじ)に着く。
団体遍路の皆さんと一緒に般若心経を唱えさせてもらう。金倉寺をでるとすぐに見覚えのある釜揚げうどん屋さんがあった。「長田in香の香」。
2008年1月にドライブ遍路で立ち寄った店だ。その頃の記憶に導かれて店内へ。やはり、昔と変わらなぬうまい釜揚げうどんだった。まだ10時だというのによく喰うなぁ。これで通算6杯目だったかな・・。

  

「お遍路さ~ん」と、どこかで声がした。後ろを振り返ると民家の窓からおじいさんが手を振っている。「ちょっと待っててください」。
しばらくすると,おじいさんとぼさぼさ頭の中年男性が傘をさして出てきた。
「これ歩き遍路の方に差し上げてます。もらってください」
人差し指大のお地蔵だ。「息子が作ったものです」ともいう。むこうで佇んでいる男性が息子さんのようだ。雨の降るなかをわざわざ出てきてもらい申し訳ない。お礼をいい、ありがたく頂戴した。



11時45分、第77番道隆寺に到着。雨は相変わらずだ。俳優の筒井道隆はこの道隆寺にちなんで父親が名前をつけたそうだ。親がこの辺りの出身だったのかどうかは忘れたが、NHKの人気番組「鶴瓶の家族に乾杯」にゲストで出演し、道隆寺を歩いてるときにそんなことを云っていたのを想い出した。随分と前のことだ。





丸亀駅前を歩き、獅子友旅館を探す。昔、泊まった旅館だ。駅裏の細い路地をうろうろと探すと、ありました、昔のまんまで。おかみさんが親切な人で、手ぬぐいを貸してくれて私は直ぐ近くの銭湯に入りに行った。その銭湯もそのままあった。懐かしさに浸りながら宇多津駅前を通り、今宵の宿にする「四国健康村」に着いた。時間は午後3時だ。早めの到着。
去年の秋遍路のとき、「お遍路さんサービスプラン」のチラシがどこかの納経所に置いてあった。仮眠室利用だが一泊二食で3千円は魅力的だった。そんなことでここに泊まることにしたのだが、これがけっこう楽しいものとなった。







受付で納経帳を提示し料金を払う。納経帳は遍路の証明書のようなものだ。タオルをもらい館内着に着替え、ロッカーに荷物を入れる。これで明日までノンビリ過ごせる。先ずは風呂だ。冷えた身体を温めよう。いくつもの湯船があって広い。風呂から上がったら広間が何やら賑やかだ。演歌ががんがん聞こえる。
歌謡舞踊ショーの真っ最中だった。派手な衣裳の役者が演歌に合わせて踊り、ミエを切る。観客のおばさん達がいっせいに拍手して応える。
初めはとまどったが次第に面白くなっていつの間にか前の方に陣取って写真を撮っていた。ちなみに写真はOKだけど動画はX。照明係をしている従業員に理由を訊くとスマホにアップされたりすると振り付けがマネされるからだって。
ひいきの役者にレイをかけてあげるのもおばちゃんだ。レイ一本千円だが満足感で一杯だろうね。こういう娯楽というか楽しみの世界があったんだねぇ。
大衆演劇恐るべしだ。








夜の公演をたっぷり楽しませてもらった後で食事を出してもらった。お遍路接待プランの夕食だ。これがなかなか一手間かかったおいしいお膳だった。
仮眠室に行ってみる。すごく広い畳の部屋で皆さん思い思いに寝っ転がっている。毛布、マクラはある。女性専用の仮眠室は別にあるしシアタールームで映画を観ながら寝て過ごすこともできる。温泉入って演劇も歌謡舞踊ショーを観て、食べて飲んでまた温泉入って眠くなったら寝るし、泊まっていってもいい。よくできてるなぁと感心する。



朝は粛々とした仏の勤行世界、そして夜は浮き世の大衆演劇世界。
今日は両極端を体験した日だった。


 

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デジブック 『歩き遍路旅(10)』

 


 











 


493.源流から河口へ~歴史散歩の会~

2015-05-25 | Walkingの会

 






5月24日の第109回の歴史散歩の会は、「鶴見川流域を歩く」の第2回目。予報がみごとに外れて朝から好天気。暑い陽射しがそそぐ一日となった。
小田急線・鶴川駅に会員13名が集合。
先生の案内で鶴見川の右岸にそって15キロほど歩く。川崎側の左岸から真光寺川、麻生川、真福寺川、早野川、鴨志田川、黒須田川が次々と合流してくる。
とにかく陽射しが強い。ときどき涼しい川風が吹いてくるのでありがたい。河口部は工場地帯。どこまで行けるか分からないけど、ぎりぎり辿りつける所まで行ってみたい。
あと2回を予定している。中山駅前のファミレスで皆さんとBeerで乾杯。これがあるから続けられるのかも・・・。



492.餃子研究会

2015-05-22 | 暮らし

先日、我が家で料理教室を開いた。「餃子を作って食べる会」と勝手に命名し、私をいれておじさん4人が我が家に集結。みなさん定年を迎えた団塊世代で、「歴史散歩の会」のWalking仲間でもある。奥さん同士も長い付き合いだ。

さて、皆さんに持参してもらったのは、エプロンと会費千円。材料は昨日のうちに用意してある。食べる分とオミヤゲの分も含めておよそ100個作る。
材料はこんなところ。

ブタ挽肉、白菜、キャベツ、ニラ

塩、砂糖、醤油、味噌、酒、オイスターソース、干しエビ、餃子皮

ニンニク、ショウガ、タマネギ

居間のテーブルで二班に分かれて作業開始。
野菜を切って挽肉に混ぜて調味料を入れる。干しエビは酒に浸してから細かく切る。
味噌も酒で溶かしていれる。あまみを出すためみじん切りにしたタマネギをフライパンで炒める。
これらをボールに入れて粘りけがでるまでひたすらこねる。
皆さん、なかなかサマになっている。あとは好きなように、皮に包む。

100個はあっという間にできあがり、焼き餃子にとりかかる。フライパンに少し油をひき、フライパン全体に丸く渦巻き状にびっしりと敷いていく。
お湯を注ぎ蓋をして6分ほど蒸し焼き。6分経ったら余分な湯を流し、胡麻油を流し入れる。
蓋をせず、弱火にして焦げ目を見ながらさらに2~3分。フライパンを揺すって餃子が動けば焦げ目のついた証拠。
皿をフライパンに逆さまに入れてひっくり返すと焦げが上になった餃子のできあがり。

昼前から申し訳ないけどビールで乾杯。自分たちで作った餃子はひと味もふた味もちがうなぁ、などとあっという間に平らげてしまう。
さらに2回、フライパンで焼いたから全部で60個くらいは食べちゃったかも・・・しれない。
モヤシとニラを入れて作った塩焼きそばも美味かった。付け合わせのポテトサラダが絶品だ。これはうちの奥さんの手料理で、自慢じゃないけどホントにうまいのだ。これわたし大好きなんだよね。

10時に集まってお開きになったのは午後の2時。楽しい企画でした。餃子の写真を撮っておけばよかったなぁ
、と後でおもったのでした。昔、つくった餃子のデジブツクです。

 


 

デジブック 『餃子つくろう!』


 


491.歩き遍路旅(40)今日は休養日

2015-05-22 | 四国遍路ぶらぶら歩き


■伊予讃岐の歩き遍路旅


JR土讃線 善通寺駅


遍路9日目 平成27年4月9日(木)晴れ 
           ホテル→善通寺宿坊→箸蔵寺
             →金刀比羅宮→善通寺宿坊

            歩行距離 15.6
キロ



「はい、いいですよ。気おつけていってらっしゃい。夕方の5時までにお入り下さいね

4月9日の朝、きょう泊まる予定の善通寺宿坊に荷物を置かせてもらった。宿坊事務室の女性に見送られてJR土讃線の駅に向かう。今日は遍路を離れて休養の一日にした。
駅近くのウドン屋さんで「朝のタイムサービス、かけうどん120円」の看板に目がいった。安~い!!。
ウドンのモーニングなんてさすが讃岐うどん県だ。昨日3杯もたべてしまったので、ウドンの文字を見ると食べたいモードにスイッチが入る "パブロフ犬" 状態。
朝、ホテルであまり美味しくないモーニングを食べたせいもあって不満げな胃が店の暖簾を押した。シンプルだけど暖かく美味い食べ物は身体に活力を与えてくれる。





昨夜、金比羅さんへ行くルートを考えていたら、ちょっと待てよ、箸蔵寺(はしくらじ)にも電車で行けるんじゃないか・・・と思いついた。
フロントでダイヤを調べてもらったらJR土讃線で「箸蔵駅」で下車すればいいことが分かった。途中に駅琴平駅も通るので金比羅さんには帰りに寄ればいいし、なんとか宿坊に5時には帰って来られるだろう。地図で確認すると箸蔵寺は3日前に泊まった民宿白地荘とそんなに遠くはないことが分かる。

善通寺駅から阿波池田行きの電車で40分、無人の箸蔵駅に到着。ローカルな駅だ。ところで今日は朝からすごくいい天気。
休養日ということもあって気持ちがついつい浮かれてしまう。海抜600メートルの箸蔵寺へはロープウェイに乗ると、わずか5分で到着。吉野川が見えるぞ。これを下っていけば徳島へと辿り着く。去年の7月7日、徳島の一番札所霊山寺をスタートしてからずいぶんと歩いてきたもんだ。

箸蔵寺は金比羅さんの奥の院にあたる。本尊の金比羅大権現は秘仏とされ、歴代の住職でさえもみたことがないとか。神社の奥の院がお寺というのも不思議だ。が、41番龍光寺も境内に神社が建っていたし、昔は神仏混合が当たり前だったせいもあろう。


箸蔵寺本堂


箸蔵寺

人影も少なく静かな境内。長い石段をあがると正面に本殿が現れる。荘厳な建物は国の重要文化財だ。杉、檜がうっそうと茂るなかに本殿、薬師堂、護摩堂などが点在している。境内では春の大祭に向けて準備中のようだ。
天気がいいので帰りはロープウェイを使わず歩いて下ることにした。
1時間ほどかかって麓まで下りると昼の12時半過ぎ。目前のウドン屋さんに直行し、釜あげうどんを注文。昼時なのでけっこう混み合っている。昨日から数えるとこれで5食目のウドンだ。熱々、
しこしこで美味かった。


 

再び土讃線に乗り、琴平駅で途中下車。韓国、中国の観光客が多いのに驚く。金比羅さん名物の長い石段、785段
を駆け上がって本宮に参拝し、金色のお守りをいただいて帰った。

途中、警察官が回廊付近でなにやら実況検分をしている。それを心配そうに神官たちが遠くから見守っている。何だか変だなと思ったがあとでテレビや新聞で知った。重要文化財に油をまき散らす事件が頻発し、
金比羅さんもその被害にあったということだった。


金刀比羅宮本宮



明日の天気は再び雨が降りそうなので今日中に善通寺の納経を済ましておくことにした。善通寺は弘法大師空海の生まれた聖地なので遍路客たちで一杯だ。広大な敷地に五重塔、本堂、大師堂が点在している。



善通寺本堂

さて、善通寺の宿坊は、団体客も受け入れられる大きな宿坊だ。
ちょっとしたホテル、旅館並である。10畳ほどの清潔感のある部屋で着替えて、早速にたまっていた洗濯をする。洗剤も洗濯機も乾燥機もすべて無料という太っ腹ぶり。
そういえば、ここの宿坊は善通寺温泉というれっきとした温泉。


風呂から上がり食堂で夕食。30人くらいの団体遍路の一行と私たち歩き遍路が3人。精進料理をつまみながら"泡般若"(ヒ゛ールのこと、酒は般若湯という)を飲む。73才の男性は4回目の歩き遍路で、もうひとりの中年女性は初めての通し遍路中とのこと。遍路宿の話題でひとしきり盛り上がった。

「6番
安楽寺ちかくの「民宿寿食堂」はとてもひどかったです。設備は古いし食事が粗末・・。これで7千円だなんてカルチャーショックでした」と女性が口火をきると
「80番札所国分寺近くの「
せと国民旅館」なんてコンビニ弁当を夕食にだしてるって話しだよ」と73才氏。話しが止まらない。
「その国分寺近くの「えびすや旅館だ」けどね、前日に予約してたのに当日、夕方5時には少し遅れるって電話したら、それじゃ他へ行ってくれっていわれましたよ、たしかに5時までに来られるかって訊かれたけど、それにしてもねぇ・・」

とわたし。
「あそこは朝食だしたら6時にはもう客を追い出すらしいですね」
「うちは一泊二食でやってるので素泊まりでしたら他の旅館にどうぞ、だもんね。体長の善し悪しもあるし、食欲がないときもあるからさぁ、人の都合なんて考えてくれない宿だよ」

とにかく「えびすや旅館」はそうとう評判を落とした。
「62番宝寿寺近くの同行民宿鈴は、高齢のおばあちゃんが一人でやってるのですがすごく元気、先達の資格も持ってるので「同行民宿」というそうですよ。」

デザートのイチゴを食べながら遍路宿の評判話しは尽きない。





デジブック 『歩き遍路旅(9)』








490.歩き遍路旅(39)本山寺~甲山寺

2015-05-20 | 四国遍路ぶらぶら歩き

■伊予讃岐の歩き遍路旅

  


 遍路8日目  平成27年4月8日(水) 曇のち晴れ 
     晩翠旅館→70番本山寺→71番弥谷寺
         →72番曼荼羅寺→73番出釈迦寺→74番甲山寺
      
       歩行距離 26.9
キロ


晩翠旅館を7時20分に出発
M
さんはもう出発したようだ。小雨がぱらついている。通学路のせいか小学生の子ども達とよくすれ違う。財田川に沿った県道を1時間半ほど歩いて70番本山寺(もとやまじ)に到着。
五重塔のある立派なお寺だ。八十八寺で五重塔のある寺は善通寺、志度寺、竹林寺など数えるほど。国宝の本堂との調和した美しさにこころが洗われる。昔の寺社がますます好きになっていく。



国道11号線に入る10時ころ、青空が広がる。やはり青空の下で歩くのは気持ちいい。国道からそれて田舎道に入り弥谷寺への緩い登り坂がはじまる。
山の中腹に「天然いやだに温泉」がある。残念ながら月一回の設備点検で入れずじまいだった。
13時20分、71番弥谷寺(いやだにじ)。仁王門から境内までは石段が続く。あたりは緑に囲まれ山寺らしい雰囲気。さらに108段の石段を上ると大師堂だ。靴を脱いであがると「獅子の岩屋」という岩窟がある。そこは幼少の空海が修行に励んだ場所といわれている。岩窟に大師堂があるのは弥谷寺ぐらいだろう。そして境内の左右の岩壁には磨崖仏が彫られている。ここは死者の霊が集う伝説の山でもある。
異界を結ぶ不思議な空間だ。

  

香川県に入るとやたら池が多いことに気付く。それともうひとつ、讃岐富士に代表されるようにお椀型の山がおおい。
川が無いので満濃池のような溜め池をつくるのは良く分かるのだが、あの山がどのようにして形成されたのか知りたいものだ。

72番曼荼羅寺(まんだらじ)
を参拝し、続いて500メートルほど緩い坂道を上って73番出釈迦寺(しゅっしゃかじ)へ。

曼荼羅寺には弘法大師が植えたとされる不老の松が枝を張っていたが平成14年に枯れ死。その幹で刻んだ弘法大師像が安置されている。
平安時代末の歌人、西行もしばしばこの寺に足を運んだ。
出釈迦寺は幼少の弘法大師が仏道に入ることを決意した寺である。
麦畑の続く田園風景の遍路道を歩く。

 
 

曼荼羅寺

16時40分、74番甲山寺(こうやまじ)。今日、最後のお寺だ。善通寺はもう目と鼻の先。参拝を終えたら、今宵の宿、「善通寺グランドホテル」にいくだけだ。


遍路初日から8日間で延べ180キロ歩いて来た。ここらでひと息いれようと思う。
荷物を置いてカメラだけ持って出掛けよう。姉の健康回復を願って金比羅さんにいってみようか・・・。


  


宿さがし ・・・・・・・・・

昨夜、食事を終えて部屋に戻り、善通寺の宿坊に電話をした。ところが8日は満杯でダメ、翌9日は空いたので即予約する。
もともと連泊するつもりだったのでこれでよし。とりあえず今日(8日)の宿を確保しないと・・・。というわけで善通寺周辺の旅館に電話しまくった。

ところが・・・、廃業したとか病気のため休業中とかで次々と断られた。これまで夏2回、秋1回の遍路を通じて予約できなかったことは一度もないのに・・。
今回ばかりは少々勝手が違うので戸惑ってしまう。やはり、この時季は春遍路のシーズンなのだ、ということをしみじみと味わってしまった。
やっと確保できたのが善通寺グランドホテル。シングルが一杯でツインしか空いてないけど仕方が無い。

遍路に出てから毎夜8時、家へ電話を入れることにしている。ベッドに腰掛けながら今日の様子をひと通り報告した。

ところで今晩さぁ、ツインベッドなんで、ひとつ空いてるんだけど来ないかい?
ごめんなさい、これからいろいろとやることがあるのでムリ、ムリ(笑)


 ■今日はウドンday・・・・・・・・

 
 
今日は何だかしらないがウドンを食べまくってしまった。

昼には早い午前11時、「こがね製麺所」で最初の一杯を食す。素ウドンを注文。やや細めだがしっかりした歯ごたえがある。といっても最初の歯触りはやわらかく、最後のひと噛みで感じるしっかり感を残している。




 
12時半、弥谷寺にいよいよ差し掛かる場所に「喝うどん」を発見。ここは目星をつけていた店なのだがいきなり出現したので面食らった。
地図に書き込んでおいたのだがどうも私の勘違いで別の場所をマークしていたようだ。昼時なのでそれなりに混んでいる。
うまそうなので、鍋に横たわる「おでん」もひと串。注文したうどんが想像以上に太い。そしてボリュームがある。こりゃぁ食べきれるかなぁと思ったが、やや甘めの出汁に麺がよくからんで、ひとくちがふたくち・・・といつの間にか完食してしまった。店主の個性がでた一品だった。

「あぁ、あれはぜんぜん讃岐うどんとは違う、食べたら誰でも分かる」
「あの会社(丸亀製麺)の社長は香川県とは縁がない人や」
横浜でもよく見かける、うどんチェーン店を客同士でこき下ろしている。





 
甲山寺の参拝を終えて、善通寺市内を歩いてると「宮川製麺所」の駐車場の看板が目に入った。地元では有名な製麺所だ。宮川製麺所から食べ終えて出てきた青年に「まだ、やってる?」と訊くと「大丈夫ですよ」。どうも
客は私ひとりのようだ。

店の奥でおかみさんがでんと陣取って座っている。こういう所はセルフが当たり前なのだが、要領が分からないので教えてくださいとおかみさんにおねがいした。
お金は後でいいから先ずこっち来て、丼に麺いれたらあの湯釜で5秒ゆがいて・・・・と次々、おかみさんが指示してくれる。

まず、出汁だけ飲んでみなさい、と云われ一口飲むとこれが美味い、これまでの店の中で多分一番ダシがきいている。
大きな寸胴の中でふつふつと沸いている出汁をお玉ですくってうどんにかける。椅子に座り一気に平らげた。麺が柔らかめだったのは作ってから時間が経ったせいかもしれない、たぶん昼時の大勢の食客に合わせて作ってるのでしょうから。

あのな、毎年来る大阪の人がな、歩き遍路の人に接待してほしいいうてなお金、1万五千円おいていったんやわ、だからこれはお接待、大阪のほう向いてお礼しといてな・・・」。

おかみさんはお遍路さんの食事代をぜんぶメモしていて、いくら使ったか、あといくら残金があるのか帳面に書き記している。私の食べた分を含めると、ちょうど4000円くらいになるらしい。大阪の篤志家さん、おおきに、ごちそうさんでした。





あぁ、喰った喰った!!腹いっぱい喰ってしまった。
うどんのお接待には、ほんと面(麺)食らったなぁ。
腹を抱えながらスーパー「マルナカ」でビールと酒を買った。



デジブック 『歩き遍路旅(8)』








 

 

 


 


489.歩き遍路旅(38)雲辺寺~観音寺

2015-05-19 | 四国遍路ぶらぶら歩き

■伊予讃岐の歩き遍路旅

 

 

 


 遍路7日目  平成27年4月7日(火) 雨のち曇り 寒い 
     民宿白地荘→66番雲辺寺→67番太興寺
     →68番神恵院69番観音寺
晩翠旅館      
       歩行距離 29.5
キロ


「奥さん、はたらきものだねぇ」

朝食時、横浜のおじいさんがおかみさんに声を掛けている。
確かにそうだ。夜、トイレに起きたら台所でおかみさんがもう食事の用意をしていた。時計をみると午前3時だ。
朝は5時から朝食の用意できてますから、6時にクルマでここを出ます、起こしませんのでよろしく・・・と昨晩、食器を片付けながらおかみさんが云ってたっけ。

置いてかれると大変なので携帯にアラームを設定して寝た。



さっさと朝食を済ませ、トイレで用を足しあわただしく玄関を出てマイクロバスに乗り込む。4人の客を乗せ娘さんの運転で出発。
雨が止まない。6時半、雲辺寺登山口で全員下ろしてもらう。みなさん雨具をつけて三々五々に出発だ。

いきなり急な山道が続く。ながいながい急登に息があがる。ひたすら登ること1時間でやっと平坦な林道に出た。

 

8時50分、66番雲辺寺(うんぺんじ)に到着。雨が冷たく降り続けている。寒い。雲辺寺は四国八十八ケ所中、最も高いところにあり標高は927メートル。寒いわけだ。
晴れていれば瀬戸内海や瀬戸大橋が見えるはず。
納経所のストーブで暖をとり、9キロ先の67番太興寺へ下る道を教えてもらって9時に出発。
五百羅漢像が杉並木の傍らで迎えてくれる。一体一体の表情が違うので飽きない。(この2日後、善通寺宿坊に泊まった、朝の勤行時、7人のお坊さんのひとりが五百羅漢さんにそっくりだったのでびっくりした。)


 

雲辺寺からは、しんどい急勾配の4キロの下りが待っていた。横峰寺の長い下りを想い出す。この山道を登ってくるのはそうとうしんどいはずだ。
膝が笑う。がくがくする。みずみずしい若葉や色鮮やかなピンクのツツジが疲れを忘れさせてくれる。

13時30分、67番太興寺に到着。道を間違えて2キロほど余分に歩いてしまった。昨夜、宿で皆さんが、あそこは道迷いやすいんだよねぇ、と云ってたけどそのとおりになってしまった。
  


山門を入るとカヤの巨木が迎えてくれる。樹齢1200年のご神木である。雨はあがった。団体遍路の皆さんと般若心経を一緒に唱える。境内のベンチに座り、今朝、宿で作ってもらったオニギリを食べる。お腹が空いてたので美味しい。タクアンがうまい。

道、迷いましたかぁ
軽自動車が止まり中年女性が声をかけてくれた。私が地図とコンパスでうろうろしてた姿をみかけたようだ。
観音寺方面の道を教えてもらって再び歩き出す。今日で1週間、疲れが出てきたせいだろうか、注意力が散漫になってきたようだ。曲がるべきところを間違えたり、たぶんこっちだろうと甘い判断をしたりしている。

旅に出るとだいたい3日目くらいから判断力が鈍ってくる。あれにしようか、これにしようか、右するか左にするか・・・決断がしにくくなってくる。

今日だって宿をどこにするかさんざん迷ってしまっている。結局のところ昨夜宿が一緒だった男性Mさん(横峰寺の山中で会った人)と同じ宿にやっと決めた。理由は、Mさんがこれまで泊まった宿が割と良かったよ、云っていたので験をかついで決めただけのきわめて薄弱な理由だった。(
でもこれが大正解だった。晩翠旅館は割烹旅館で実に美味しい夕食が待っていた。)

予讃線の踏切を越え小さな橋をわたったら元首相「大平正芳」の記念館があった。どこかで聞いたか見たのかよく覚えてないが、四国で総理大臣が出てないのは愛媛県だけだ、とか。こういう類の話しは郷土愛に火がつくよね。

時間に余裕があったので旅館に行く前、68番神恵院69番観音寺を参拝。
この二つの寺院は同じ敷地内にあるので効率的。琴弾八幡宮を参拝し、さらに高台から有名な寛永通宝の「銭形砂絵」を見て晩翠旅館

  


お待ちしてましたよ

板さんが料理を次々と出すカウンター席につくと昨晩、宿で一緒だったMさんが声を掛けてくれた。日本酒をたのみ刺身を肴に呑む。
考えてみるとMさんとは、3日から今日までの5日間のうち3回が同じホテル、宿だった。抜いたり抜かれたりとほぼ同じ遍路コースを歩いて来たわけだ。
痩身で70歳のMさんは東京都町田のお住まい。週5日働いているので季節毎に区切り打ちに来ている。
今回は松山市の第50番繁多寺から歩き始め、明日の75番善通寺を打ってお終いとのこと。
写真撮ったりゆったり過ごされてますねぇ、わたしは明日、善通寺まで行って高松から夜行バスで新宿に出る予定です」とMさん。

今日は雲辺寺の山登りやら国道歩きで30キロ近く歩いた。私としては相当がんばった一日だ。地酒を呑み、酔いがまわるに連れ今日の疲れが遠のいていく。

 


 

デジブック 『歩き遍路旅(7)』




 



 

 

 

 


 


488.歩き遍路旅(37)三角寺

2015-05-18 | 四国遍路ぶらぶら歩き

■伊予讃岐の歩き遍路旅

 

 


 遍路6日目  平成27年4月6日(月) 小雨のち霧 
     ホテル→65番三角寺→民宿白地荘(徳島県池田町)
                  歩行距離 23.7キロ


朝の愛媛県伊予三島の町。月曜日のせいだろうか、交通量が多いなぁ。乗用車やトラツクが仕事に向かっていっせいに走り出している。1週間の始まり、世の中が動き始めた感じだ。
    

通勤、通学の人たちとすれ違うと、こんな遍路Walkなどしていていいのだろうか、と自省し、申し訳ないような気分でもあるが、でも内心、楽しくて嬉しくて仕方ないのだ。その証拠に足がどんどんと早くなっている。体は正直だ。
世間の時間と活動から外れたOutな生活が実に心地よいので困る。
サラリーマン時代、ごった返す満員のホームから向かい側の電車で逆の方向へ行ってしまいたい誘惑にかられることが誰にでもあるだろう。
あの渇望がようやく現実のものとして手に入ったわけだ。リタイヤして8年。ノンビリゆったりのスローライフに飽きることが全然ないのだから実に幸せ者だ。


   

ホテルを出発して2時間半、午前10時に第65番三角寺(さんかくじ)に到着。
ここも桜が満開で見ごろ。霧がかかって幻想的な光景に目をうばわれる。その静かな雰囲気を写真に納めているとガヤガヤと団体遍路が現れ、大師堂、本堂で般若心経をあげてさっと帰って行った。

緩やかな山道を下り、13時、常福寺(椿堂)に到着。ここで朝、コンビニで買った弁当をひろげる。

   


そういえば昨夜、66番雲辺寺の麓にある評判のいい「民宿岡田」に電話したところ満員とのことで断られた。そこで紹介されたのが「民宿白地荘」。
早速電話したら民宿岡田の前に着いたら連絡くれればクルマで迎えに行くとのこと、翌日も雲辺寺登山口まで送ってくれる。


ところで、この「民宿岡田」、雲辺寺へ行くには丁度いい場所に建っているので歩き遍路には重宝している宿のひとつになっている。
2日目の小松旅館に泊まった遍路おじさんの話では、2か月前に予約しようとしたけどもう一杯だったと嘆いていていた。
ご主人の人柄がよいらしい。この手の宿の評判話しは遍路人のあいだで盛り上がる話しのひとつだ。気持ち良く泊まれる宿にこしたことはないけど、実際に行ってみなけりゃどんな宿なのか分かんないもんねぇ。まぁ、雨露がしのげりゃ良しとする、くらいの気持ちでいたほうがいい。



椿堂で40分ほどノンビリした。金余川に沿って国道192号線を歩く。
途中にバスを改造した遍路用の宿泊施設があった。中を見ると布団もがあるが湿っぽそうだ、料金一泊2千円はどうなんだろうか・・・。

   

   


長さ850メートルの境目トンネルを避けるため峠道に回り込む。道端に錆びてぼろぼろになった国道192号線の標識があった。
トンネルができる前、ここが旧道だったんだ。この峠の周りは愛媛、徳島、香川の三県にまたがっている。今日の宿は徳島だし、明日登る雲辺寺を越えたら香川県に入る。いよいよ愛媛県ともお別れだ。

16時40分、迎えの車に乗って15分ほどで今宵の宿、白地荘に到着。

  

客は4人。横浜から来たおじいさんと千葉県成田のお父さんの二人は、一番札所からの通し打ち、ほぼひと月歩いている。
「毎日洗濯してるんだけど何か汗臭いんだよね、よく考えたら原因はザックだったんだ、背中の汗をたっぷり吸っちゃってるからね、洗えないし、しょうがないよね」
と成田のお父さんがぼやく。
成田空港の傍に住んでるので四国にはLCCを使って来るという。LCCはあたしのためにあるようなもんだね・・とうそぶいている。

部屋のコタツに入って記録をメモしてると雨音がし始めた。地理的な感じがよく分からないが、箸蔵寺へはここから15キロほどの距離らしい。宿坊もあるし、行ってみたい寺だが・・・。


デジブック 『歩き遍路旅(6)』


 


487.歩き遍路旅(36)伊予三島

2015-05-13 | 四国遍路ぶらぶら歩き

■伊予讃岐の歩き遍路旅

 

  


 遍路5日目  平成27年4月5日(日) 雨のち曇り 
     ホテルMISORA→11号線→伊予三島(
ホテルリブマックス)                  歩行距離 28.3キロ


5時45分目に目が覚めた。
すぐに窓を開けてみた。雨が降っている。今日も雨かぁ、湿っぽい冷たい空気が顔をなでていく。
この雨と寒さは、一体どうなっちゃってるんだろうか。ポカポカ陽気の下を歩くはずだったのに・・・。テレビをつけて地元の愛媛テレビを見ると午前中一杯はアメ、午後が曇りの予報。
出発前に足のテーピングをする。これまでの歩きで左右の小指にマメができた。さわると痛い。慎重にテーピングする。

  

6時40分、ホテルを出発。
支配人に玄関ホール
で写真を撮ってもらう。先ず国道11号線歩きだ。雨足が強くなってくる。
トラツクが水溜まりをはね飛ばしてくるので注意して歩く。
昨日、コンビニでポンチョだと思って買ったのに取り出してみたら普通の袖付きビニール合羽だった。
ゴアテックス雨具の上に重ね着して歩いていたら案の定、汗で濡れてきた。合羽を脱ぎ、菅傘とゴアテックス上着だけで歩く。




今日のコースには八十八霊場はひとつもない。ないけれども延命寺、三福寺という番外霊場がコース上に点在している。
とくに三福寺は庭がとてもきれいらしい。そいつを楽しみにして単調な国道歩きをやりすごそう。
国道沿いにスポーツ用品店が目に入った。ポンチョ、ポンチョですよ、とにかく欲しい雨具です。喜びいさんで店に入ると開店セール中だった。

    

若い女性店員さんの話だとひと月前にオープンしたばかりだとか。ポ、ポンチョありますかね?とどもりながら訊くと店内の奥に連れていかれた。昨日も遍路のおじさんがポンチョを買いに来たらしい。
これ一品だけです、という。見たら袖付きで赤いポンチョだ。これでは昨日買ったビニール製の雨合羽と変わらない。2千円の値札が付いてて安いけど袖なしのやつが欲しいので残念だ。

あっ、ちょっと待ってて下さい、といって女性店員が店の奥に消えてスポドリとマドレーヌを持ってきてくれた。お接待です。
ありがたく頂戴する。
店長らしき方と客が、ポンチョなら、この先のホームセンターにあるかもと教えてくれる。お礼を言って店を出てスポドリをさっそく飲んだ。
うまい!!です。教えてもらった店に入り、雨具のコーナーでポンチョらしきものを購入。

 **しかし、これも袖付きの雨具でいわゆるポンチョではなかった。結局のところ傘が一番良いという結論にいたった。以後、コンビニで買った直径75センチの大きいビニール傘が最後まで役に立った。

    


国道を離れ脇道に入る。小学校の桜がみごとに咲いている。このあたりで雨が止む。番外霊場の延命寺はちいさなお寺だった。
弘法大師が植えたという松は既に枯れ果てていた。三福寺の庭園は期待どおりきれいに手入れされた庭だった。
雨粒を十二分に含んだ苔はみごたえがあった。
再び国道歩き。雨は降ったり止んだりの繰り返し、梅雨みたいな天候。選挙カーがひっきりなしに通る。
選挙カーから「もりたかやすゆき、もりたかやすゆきをよろしくお願いいたします」と懸命に手を振られてもねぇ・・・。






JR予讃線・伊予三島駅ちかくまで来ると青空が広がってきた。今宵のホテル、「リブマックス伊予三島」に到着したのは午後5時10分。
意外と大きいホテルだ。
28キロ歩いてさすがに疲れてしまった。何十万歩と歩くにつれて足の裏がジンジンする。マメはできるところにできて固くなり、痛むところは痛みつくして次第に遍路用の脚ができあがっていく。
 


 

 デジブック 『歩き遍路旅(5)』


 


486.歩き遍路旅(35)宝寿寺・吉祥寺・前神寺

2015-05-11 | 四国遍路ぶらぶら歩き

■伊予讃岐の歩き遍路旅

 

 64番前神寺

 


 遍路4日目  平成27年4月4日(土) 曇りときどき雨 
       ビジネス旅館小松→62番宝寿寺→63番吉祥寺
       →64番前神寺
→新居浜市(ビジネスホテルMISORA)
        
 26.1キロ




7時20分 旅館を出発。
下駄箱には私の靴だけ。みなさん、早く出発したようだ。歩き遍路の連中はほんとうに朝が早い。

62番宝寿寺(ほうじゅじ)は10分足らずで到着。
このお寺は一風かわっている。ふつう納経時間はあさ7時~夕方5時までなのに、この寺は1時間遅いあさ8時からが納経受付。

そしてもうひとつ、
各寺は納経時に開創1200年記念事業として赤い御影札を配っている。しかし、宝寿寺はどういう訳かこれを拒否してるらしい。窮余の策として61番香園寺が肩代わりして宝寿寺の分も配っている。八十八箇所の寺同士の内輪もめというか、考え方の相違というのか、マイペースの寺の応対に困ってる様子だ。

どこの世界でも異端児はいるものだが、周りからの同調圧力に屈しない姿勢を評価するのか、それとも「変わり者」として切って捨ててしまうのか。見方は別れるだろうな。
30分も待ってられないので納経帳の捺印はパスしてさきを急ぐ。







■63番吉祥寺から石鎚神社

63番吉祥寺(きっしょうじ)も桜が満開だ。小雨もあがりヒンヤリした空気が当たりを支配している。グループで参拝する人たちが多い。家族、友人なのかも。
国道11号線は交通量が多い。

 

脇道に入り「石鎚神社」へ向かう。これが大きい神社だった。石鎚山には残念ながら登れなかったので、その分も参拝。石段に大きな鎖がつながっている。たぶん石鎚山の鎖場はこんな感じなんだろうな。

神社から15分歩いて64番前神寺(まえがみじ)に到着。ここも桜が彩りを添えている。落ち着いた雰囲気のお寺だ。
さてここから次の札所、65番三角寺(さんかくじ)までは、約45キロも離れている。2日掛かりの距離だ。



吉祥寺

石鎚神社



■湯之谷温泉、武丈温泉

山裾をぬう田舎道を歩いていると「湯之谷温泉」の看板を発見。建物をみると雰囲気良さげ。午前11時だが、まあいいだろう、入っていこう。
露天風呂はなく、小さな湯船があるだけ。でも気持ちいい湯が溢れている。ここは宿泊もできるとのことだ。

加茂川の左岸に広がる田園地帯。そこに佇む「伊曾乃神社」。二千年前の創建といわれる古い神社だ。
樹齢800年を越えるクスノキなどの巨木が生い茂り、しっとりした空気が境内に満ちている。

加茂川をわたって国道11号線に出ると、あった、あった「武丈(ぶじょう)温泉)
」。さっき、湯之谷温泉で着替えていたらおじさんが声をかけてきた。
「歩いて遍路してるのかい?そうかい、ここの温泉もいいけど、この先の武丈温泉は広くて食事もできるし、いいよ、割引券あるんだけど持ってきてあげりゃよかったなぁ」
いわゆるスーパー銭湯だ。今日は新居浜のホテルに行くだけだから、ゆっくり湯に浸かっていこう。これで温泉2軒目だ、まぁいいだろう。



湯之谷温泉


伊曾乃神社



■国道歩き

国道歩きはクルマの排ガスやら音が襲いかかってホントにしんどい。歩道のアスファルトも風化して小石が突起になっている。
ながいこと歩いてるとこの小石のゴツゴツが足裏にボディーブローのように効いてくる。だから毎日、毎朝の足裏のテーピングが欠かせない。持参したテープが残り少なくなり、ドラッグストアで買い足すことになった。

田園地帯を歩いてるとウグイスやヒバリの声にいやされるけれど町中では県会議員選挙の選挙カーがうるさい(12日投票)。

19時、予約した「ビジネスホテルMISORA」に到着。今日はいろいろと寄り道が多かった。広くていい部屋を用意してくれていた。辺りはもう暗い。
今夜は皆既月食だ。そういえば去年の10月8日も皆既月食だった。
その晩、私は高知県土佐市の国民宿舎にいたなぁ秋遍路の2日目だった。

 


 

デジブック 『歩き遍路旅(4)』

 



 


485.GWは温泉&ボラ

2015-05-09 | 東北ボランティア

 

今年のGWはどう過ごしましたか

今年はいい天気が続きましたね。暑いくらいの日が多かったです。いつもどおり、GWは奥さんの母がひとり住まいしている高崎へ車で行くことにしているんですが、今年はいつもと違い、長女と3歳の孫(男の子)が加わって賑やかになりました。長女の夫君は仕事で休みがとれないので孫達が同行することになった、というわけ。

いつもの花咲温泉へ

5月2日の夜に関越で高崎に入り、翌3日は、おばあちゃん含め総勢5人が車に乗り込み、関越道沼田ICで降りました。目指すのは道の駅「川場田園プラザ」と「花咲温泉」。しかし、どこでも車は混んでて渋滞で、駐車場待ちの長い行列ができてました。道の駅で孫のカズ君と遊ぶつもりだったんですがあまりの混雑に見切りをつけて「花咲温泉」へ。比較的空いてて正解でした。食事をして温泉に浸かり、昼寝などしてゆったり過ごしました。


花咲温泉

敷島温泉から迦葉山へ

5月4日は、おばあちゃんの要望で迦葉山(かしょうざん)弥勒寺へ。そこへ行く前に敷島温泉に立ち寄りました。ここは毎年、従兄弟会をやるヘルーパル赤城に隣接する施設で温泉プールもあります。ぬるっとした感触の温泉でした。
迦葉山弥勒寺では奥殿の厨子が10年ぶりに開かれ、普段は立ち入ることのできない本殿に入り、「お天狗様」を間近に拝むことができる。このため多くの人が集まl駐車場待ちの長い列の最後尾につきました。


迦葉山弥勒寺



会津西街道から土湯温泉へ


5月5日、朝、自宅に帰る奥さんと長女に孫の3人を高崎駅まで送り、私は一路福島へ。いつもの「花見山を守る会」のボランティアです。今日は
福島市の少し手前、二本松の岳温泉の旅館までの予定。
高崎から桐生、足尾、日光と抜けて会津西街道に入り、鬼怒川、湯西川、会津若松に喜多方。そして、五色沼から山を越えて土湯温泉に立ち寄って岳温泉へ。およそ390キロのドライブです。

途中の足尾では旧精錬所跡を見ました。就職した年ですが、職業柄、公害の原点とも云われる現場を見ておこうと思い立ちGWを利用して足尾を訪ねました。
もう40数年も前のことです。
精錬所の大気汚染によって樹木が枯れ、岩肌が露出していた山は、それはそれは実に痛々しいものでした。でも、その後の植樹活動で確実に緑に覆われてきていますね。人と自然の力はすごいです。



足尾銅山跡

今は渡良瀬渓谷鉄道とオシャレな名前ですが昔は足尾線と呼んでました。桐生から渡良瀬川に沿って走る足尾線。草木駅という無人駅がありました。
そのあたり一体の国有林を母校が演習林として管理していて、農学部の学生・教官が泊まる木造の宿舎がありました。毎年、夏休みにサークル合宿をここでやりました。
サークルですか?、琴、三弦、尺八の邦楽のサークルです。山中の一軒家ですから朝から晩まで思い切り音だしをしたなぁ。食事は部員10人が交代交代で作ったんですが、普段、料理したことがないもんだからベタベタのスパゲティだったり柿の葉の天ぷらをたべたり、笑いながら過ごした1週間でしたね。
その駅、今は湖に沈んでしまった。草木ダムができたためです。そんな青春グラフティーが頭の中を駆け巡ります。


草木ダム あの向こうに宿舎があった


それにしても会津西街道というネーミングとその響きが好きだなぁ。歴史ロマンを感じさせる語感です。集落と山間をぬう道のドライブは楽しい。
安達太良山と吾妻山の間を突っ切る土湯トンネルを越え、坂を下ると土湯温泉郷だ。その入り口にある「サンスカイ土湯」。
入浴料250円という安さに惹かれて入ったけど、6人も入れば一杯の湯船の小ささ。湯船も洗い場も満杯状態。やはりGWだけあって混み合っている。ほんの5分ほど浸かってからあがりました。

混んでると云えば喜多方市役所隣の「坂下食堂」で喜多方ラーメンを食べようと思っていたのに、ここも観光客で長蛇の列なので即あきらめてUターンしてきた。
この時季はどこもかしこも大変な混み具合なのが見にしみてわかりました。


土湯温泉


熱い湯の岳(だけ)温泉


あれ、クルマかえたのかい?、今宵の宿「和楽荘」に到着するなり宿のおかみさんに云われた。福島へボランティアに来る度もう4回くらいお世話になっているのですっかりなじみになった。荷物を下ろして、すぐ近くの「岳温泉」の外湯に行く。熱い湯だ。44~45度はあるんじゃないかな。いつもより観光客が多いのはやはりGWのためでしょう。いっときでも賑やかさが取り戻せたら、うれしい。



岳温泉の外湯



ボランティア活動に


 5月6日、あさ7時、おかみさんに見送られて宿を出発。

「お元気で・・」
「ありがとう、おかみさんも元気でね、ここ(宿)まだまだやるよねぇ?」
「うん、ほかにやる人いねぇからね」。

去年10月、高齢のお母さんを見送ってからすっかり気落ちし、なんもかもやる気がおきなかったとか。ここにきてやっと元気が出てきたらしい。

高速で二本松ICに入り15分ほど走って福島西ICで降り、「
NPO花見山を守る会」のある福島市渡利に行く。
去年、ここに来たときNPO主催のホタル鑑賞会のPRのために福島民友新聞社に一緒に行った若いXさんが
ボランティア手続きの応対をしてくれた。覚えていてくれてひと安心。

今日の行動予定を訊くと農作業の手伝いのようだ。おととしトマトの収穫作業をした畑に行くらしい。朝の打ち合わせ後、7人がそれぞれ軽自動車に分乗し、20分ほどでて現地へ。やはり、そうだ一昨年と同じ畑だ。今日も暑くなりそう。予報では27度になるらしい。陽射しが強く眩しい。
耕耘機を初めて体験した。ブルブルと振動が手首に伝わり、10分も扱ってると痛くなってくる。伸びすぎた菜の花を刈ったりサヤエンドウを摘んだりして一日が過ぎた。

今晩は福島駅前の東横INN。何度も来てるので福島駅周辺の店や地理にもすっかり詳しくなった。新幹線ホーム下の商業施設の一画にある「極楽湯」で汗を流し、隣のスーパーで夕方6時半から半額になる弁当を買う。あっという間に人垣ができてレジの前に人が並ぶ。いつもの風景だ。缶ビールがうまい。



吾妻連峰が目の前


初めて耕耘機を運転した


気になっていた猫啼(ねこなき)温泉


 福島県の地図を眺めてるとき少し変わった名の温泉だなとは前から思っていた。5月7日、立ち寄ってみることにした。国道118号で須賀川を過ぎると「猫啼温泉郷」の大きな看板が見えた。
午前10時半、井筒屋旅館で日帰り入浴をお願いした。透明でスッキリした湯に満たされた湯船を一人占め。適温の露天風呂が気持ち良い。心地よい湯に包まれて眠気が襲ってくる。とろとろといつまでも入っていたい気分。


気持ち良かった露天風呂



ところで、
この猫啼の由来を旅館の案内パンフでみると・・・まさか猫と和泉式部が結びついてるとは驚きだった。

今を去る千年の昔、平安中期の女流歌人「和泉式部」は、 当地石川の在に生れ、少女の頃こんこんとして沸く清水のほとりに来ては、水鏡で顔を洗い、髪を梳ることを楽しみとし美しい乙女となった。
その時、式部が櫛を置くことをつねとした石を「櫛上げの石」と称し、今なお、当温泉地内に残っている。式部の美しさは遠近に聞こえ、一条天皇の御代に都へ上り、情熱の歌人として、その名を後世に遺した。

幼少時、和泉式部は「玉世姫(たまよりひめ)」と呼ばれ、京都に上りし折り、愛猫を置いていったところ、故郷に取り残された愛猫は病み衰えていたが付近より湧き出でる泉に浸ったところ次第と元気が回復した。見た里人はこの泉が霊泉であることを知り、泉を汲んで入浴したところ諸病に効果大であることが分かり、この里を猫啼と名付け、湯治場を設けた。

・・・・ということなのだが和泉式部が東北生まれとは知らなかったなぁ、もっとも、これには諸説あり、和泉式部の正確な没年なども良く分かっていないようだ。
ただ彼女はとても情熱的な女性だったらしく恋愛関係は豊富だった。同時代に生きた紫式部は眉をひそめてこう批評している。

「和泉式部という人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ(恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない)」
                                   (『紫式部日記』)

優等生の紫式部にとって
自由奔放に生きる和泉式部が目障りで仕方がなく、嫉妬心を抱いていたかもしれない。だとしたら、そのエネルギーが源氏物語の創作意欲に転化したともいえるだろう。

さてさて、
猫啼温泉に浸っていてすっかり時間がすぎてしまった。ここから自宅まで300キロはあるだろう。高速を使わず4号線をのぼって行こう。信号が少ないので一定速で走れる。そんなときオートクルーズ機能を使い、たとえば60Km/hに設定すれば、アクセルから足を離しても、ずっと
この速度で走ってくれる。便利な機能だ。なので、リッター当たり20キロを表示している。こんな燃費の良さは初めてだ。
茨城県の大湖町に入ると「袋田の滝」の看板があった。あの有名な滝だな。ひと目見てから帰ろう。



袋田の滝は想像よりずっとスケールの大きい滝だった


484.腺友よ

2015-05-09 | 前立腺がんリポート
 
367.腺友の手術
以前、前立腺がんの治療法について相談のあったAさん。手術することに決めましたと、メールがあったのが3日前。その手術が今日8日。ここに至るまできっといろいろ悩んだことでしょう。彼の手...
 

 

これを書いたのが一年前。
その腺友にガンが再発したときいた。放射線治療をしているとのことだ。私が毎月通っている医者の話しでは、ガンというのはある程度の大きさにならないとCT検査でも見つけるのは困難だとか。CTは1センチきざみで輪切りに撮影していくので、米粒大でも発見は無理らしい。早すぎても分からないし、かといって遅すぎたら手遅れになる。
だから発見のタイミングが大事なポイントだといえる。
そうはいっても、何も自覚症状がなければ気付きようがないしなぁ。ことによると運次第なのかもしれない。それがガンの怖いところだし、くやしいところでもある。
二人に一人がガンで亡くなる時代だ。60歳すぎたら身体に何が起きても不思議はない、と思っていたほうがよい。
彼の闘病成功を祈りたい。



ベランダのサクランボ 今年は5粒ほどなっている