■伊予讃岐の歩き遍路旅
遍路12日目 平成27年4月12日(日) 曇りのち晴れ
民宿あずさ→80番国分寺→83番一宮寺
→84番屋島寺→85番八栗寺→天然温泉きらら(泊)
歩行距離 25.3キロ
6時に目が覚める。部屋に朝陽が射し込んでいる。こんな時間に朝陽を見るのは久しぶり。国分寺まで往復することにして7時に出発。荷物はそのまま宿に置かせてもらった。
500メートルほど歩いて80番国分寺に到着。広い敷地だ。朝の境内はとても清々しい。団体客が来る前の静寂なひとときを過ごす。
国分寺
宿に戻ってザックを背負い、次の一宮寺を目指して歩き出す。おなじみの国道11号を歩いてJR予讃線の陸橋をこえ、高松自動車道の高架下を通り抜けると83番一宮寺(いちのみやじ)だった。時刻は11時。
境内では枝垂れ桜がまだ花をつけている。遍路をスタートした松山市の公園で満開の桜を見て以来、どこへ行っても桜が目を楽しませてくれた。まるでお天気の悪さを帳消ししてくれてるかのようだ。
一宮寺の本堂に小指大のお地蔵さんの焼き物がずらりと並んでる。おととい、道隆寺の近くで、おじいさんからお接待でもらったお地蔵さんとそっくりだ。おじいさんは息子さんが作ったものだと云っていたけど、おじいさんの背後に佇んでる息子さん、多分50才前後かな、ぼさぼさ頭で心ここにあらずの表情から察すると、何か障害を持ってるのかもしれないなぁ・・・、それにしても、よく似たお地蔵さんである。その息子さんが一宮寺に奉納してるのか、あるいはお地蔵さんをお接待してもらったお遍路さんが奉納していったのか、よくはわからない。
「いつの間にか増えてきたんですよ、あっちにも同じものがありますよ」。境内を掃き掃除していたおばちゃんに訊いても真相は不明のまま。
一宮寺
お地蔵さんたち
今夜の宿、「天然温泉きらら」は一宮寺から徒歩10分ほど。12時に到着。
受付を済ませ、宿泊棟に案内してもらう。4階建てのワンルームマンションを活用しているようだ。バス、トイレ、キッチンに10畳ほどの和室だ。
すごくきれいなので新築なのかもしれない。玄関ホール脇には洗濯機、乾燥機が各2台ずつ置いてある。そして嬉しいことに本館の温泉施設には何度入ってもOKだ。
本館のレストランでカレーライスを食べながらこれからの予定を考えてみた。次の84番屋島寺へは約15キロある、そこからさらに5キロ先が85番八栗寺、いずれも山中にある。歩いて行くには少し遠すぎるし納経の締め切り時刻、17時までに間に合わない。悩ましいが琴平電車を使って最寄り駅から歩くことに決めた。
天然温泉きらら
「天然温泉きらら」の宿泊棟 マンション
瓦町駅で乗り換えて琴電屋島駅から歩き出す。屋島寺は標高290メートルの山頂付近に建っている。新緑に覆われた急な坂道を登っていく。長くてきつい坂道だ。15時、85番屋島寺(やしまじ)に到着。息を整えて本堂、大師堂を参拝する。
山頂にある寺なので眺めがいい。壇ノ浦浜が真下によく見える。そこは源義経が平氏と戦った「屋島の合戦(1185年)」の舞台となった土地。次の八栗寺へ向かって山道を下っていると、路傍に「佐藤継信」の墓を発見した。
屋島寺
壇ノ浦浜を挟んだあの山腹に八栗寺が建っている
佐藤継信の墓
すこし横道にそれるが佐藤継信は屋島の合戦(1185年)で義経を狙った敵の矢を身代わりに受けて死亡。弟の忠信も翌年、義経を平泉へ逃した後、京都で敵に追い詰められ自刃した。義経の身代わりとなって壮絶な最期を遂げた息子を思い深い悲しみにくれる老母のために嫁達が武将の姿をして慰めたという孝行話しが残っている。
元禄2年、佐藤一族の菩提寺である福島県飯坂市の医王寺を訪ねた松尾芭蕉は、佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」と詠んでいる。
佐藤継信の墓に手を合わせながら何回か訪ねた医王寺を想い出していた。これはそのときのアルバム。
福島県の医王寺
医王寺に建つ佐藤兄弟の墓
デジブック 『鯖子湯・医王寺』
16時40分、85番八栗寺(やくりじ)に到着。
八栗山中腹の参道まで行くケーブルカーがあるので利用した。緑深い静寂なお寺だ。もう5時近かったので団体客もいないのでゆっくりと自分のペースで参拝できた。17時ちょうどのケーブルにのって下まで降りる。
立派な店構えの「山田うどん」店に入る。ぶっかけうどんを注文。これまた出汁が効いて美味しいうどんだった。これでいったい何食喰ったんだろうか
琴電に乗り、18時50分、「天然温泉きらら」に戻る。あとは温泉に入ってビール飲んで寝るだけ。
>>>>> 「歩き遍路旅(総集編)」はこちらから
八栗寺
デジブック 『歩き遍路旅(12)』