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メタセコイア並木(滋賀県 2025年5月)

646.遍路を終えて京都・近江へ

2017-04-18 | 四国遍路ぶらぶら歩き

17日夜、クルマ旅から帰ってきた。
四国で遍路道を辿り、京都の大原三千院を訪ね、そして近江の長浜で国宝を拝観した。8日間放浪し、2090キロを走った旅だった。

ふりかえってみると最初の遍路は10年前でバスと車遍路だった。2度目は一昨年で歩くことに専念し、3度目の今回は歩きとクルマを交互に活用し、遍路道の周辺寺院や脇道に入り込んだ旅だった。
もう四国をまるごと足と目と舌で十二分に漫喫したといえる。
これで四国はいちおう卒業、終了かな。

四国健康村からの足取りは、午前中に87番長尾寺、88番大窪寺を参拝し、以前入ったことのある「鴨の湯」でくつろぐ。この日は徳島駅前の東横イン泊。

翌日、1番霊山寺参拝。遍路姿の人がいっぱい。
オイル交換のサインが出たのでホンダの店をカーナビから探しだして、オイル交換をする。エンジンが快調に廻る。
鳴門ICから高速に入り、淡路島経由で神戸へ。そのまま高速で垂水、西宮を通過して京都南ICを降りる。
日曜のせいもあり市内はどこも観光客で溢れている。サクラはもう散っていたが北に進路をとり、大原三千院ではちょうど見頃を迎えていた。
この日も米原駅前の東横イン泊。


デジブック 『大原三千院』


旅の最終日。
ここまで来たら観音様を拝んでいこうと思い、石道寺を訪ねたがなんと休館日。がっかり。気を取り直して向源寺へ。国宝十一面観音を独り占めして観賞できた。

14時40分、岐阜羽島ICに入り帰路につく。雨が強く降り始めている。およそ360キロを走って横浜町田ICを午前0時15分に出て自宅へ。
実は10キロ手前の海老名SAに22時10分に着いてたのだが、深夜割引を狙って時間調整。0時過ぎに出れば3割引が適用されるから、いつもこの手を使っている。

走行距離 : 2090キロ
温 泉   : 湯之谷温泉、道後温泉、椿の湯、鴨島温泉
宿 泊   : 松山YH3泊、四国健康村、東横イン徳島
         東横イン米原駅前




 

 


 


645.さくら咲く四国路

2017-04-14 | 四国遍路ぶらぶら歩き

四国にきている。
ここは香川県多度津の四国健康村。
そこのパソコンコーナーを見つけ、これを書いている。
奥さんに見送られて自宅を出たのが5日前。
月曜日の午後だ。

 東名を下り、三重県四日市のSAで仮眠し、朝を迎える。
いわゆる車中泊というやつだ。
高速をさらに乗り続け、
倉敷から瀬戸大橋から松山自動車道に入り西へ西へと走る。
長かった高速道路を伊予西条ICで降りる。料金は7800円。
吉祥寺、前神寺を参拝。石鎚神社に立ち寄ったのち湯之谷温泉で疲れを癒す。
電話で予約した松山ユースに午後7時到着。




翌日3日目、前からプランを暖めていた遍路歩きをする。
以前、日程の都合で歩けなかった遍路道をやっと歩くことができるのだ。
わくわくしている。
いったん松山駅からバスで久万高原まで行く。
久万高原バス停から約6キロ歩いて三坂峠
ここから待望の遍路道を歩き始めた。このとき午後1時。
峠から樹林の坂道を下り始めるとすぐに松山市街地を一望できる場所に出た。
松山城がどこかはわからないが、ともかくあの地を目指すのだ。

むかし、この遍路道は、松山と高知を結ぶ重要な生活道路だった。
汗をかきながら荷を運ぶいにしえ人の姿が目に浮かぶ。この坂道を登ってくるのは大変だっただろう・・。
白衣を身につけ大きなザックを背負い登ってくる外人3人とすれ違う。両親とその息子だろう。息子は二十歳くらいか。
日本の遍路道ファンが多いようだ。

山道くだりを終えて里に着くと桜が満開。
そして46番浄瑠璃寺に着いたのは5時半。まだ明るい。

47番八坂寺も参拝し、あとは適当なところでバスに乗って帰ればいいや、と安易に考えてた。

しかし、バス停がなかなか見当たらない。
さらに暗くなってきて、こりゃあまずいなぁ・・となってきた。
松山YHにおそくなることを電話する。
通りかかったガソリンスタンドに入り、男の従業員さんに
道後温泉方面への道を訊ねると、国道だとまだ10キロ近くあるという。

ふと遍路地図に鉄道が走ってるのを想い出し、訊ねると、
あぁそうだ、それに乗って松山市駅まで行って道後温泉行きの路面電車に乗ったらいい、ここまっすぐに行けば駅にでるから・・
とアドヴァイスをくれた。

15分ほど歩くと、ちいさな駅に着いた。「たかのこ駅」と書いてある。自動販売機で切符を買っていたらちょうど電車が来た。ガラガラだ。このとき午後8時半。
20分ほどで松山市駅に到着。
大きくてきれいなターミナル駅だ。

道後温泉駅前で缶ビールを買って松山YHに午後9時半に到着。
この日はなんと5万歩を超え、距離にして30キロ以上歩いた。
これまでの遍路歩きの最長距離は一昨年4月に記録した5万2千歩。
そのときはやはり四国健康村を7時45分に出発し、78番郷照寺、79番天皇寺、
そして山道が続く81番白峯寺、82番根香寺を参拝し、80番国分寺近くの遍路宿に辿り着くまでの行程だった。
今回は、これを3千歩上回る新記録をつくってしまったわけだ。

さすがに夜ともなると足、とくに膝後ろの腱が痛み、
ドラッグストアで買った湿布液を塗りまくった。
翌日は休養日とし、四国カルスト台地までのドライブときめた。

愛媛県から高知県に入り、山道をぐんぐんと登るとカルスト台地が突然現れた。
もう少し暖かくなれば放牧された牛の姿が見られるそうだが今はいない。
緑の
牧草地にボコボコとたくさんの岩が頭を突き出している。
ふとスイスアルプスの風景を彷彿させた。
風が強い。風力発電の巨大な風車が2基建っているからひごろから風の強い地形なのかも。

ここから天気条件がよければ足摺岬から室戸岬までみえるという。

松山では3日間、松山ユースホステルに滞在した。
朝食付きで約4000円。ふところにやさしい宿なのだ。
さらに歩いて5分ほどで道後温泉本館に行ける距離だ。
きまって6時ごろにホトトギスが鳴いて朝を告げる。

そのユースを今朝出て今治市の仙遊寺へと向かう。
境内はつつじと桜が満開である。
ご詠歌をあげている20人ほどのの一団がいる。
そのおばさんの話だと逆打ちの遍路ツァーで今日は延命寺でおしまい、松山空港から東京へ帰るそうだ。

愛媛から香川へ向かって走ってるとなんだか海が見たくなてきた。
伊予西条のあたり、海岸近くにクルマをとめる。
湯を沸かしコーヒーを淹れる。
昨日、カルスト台地へ向かう途中で汲んだ水である。
軟水として有名な湧水だそうだ。

こんなこともあろうとポリタンクを用意しておいて大正解だった。
たしかにさらりととした味のコーヒーだ。
カップ片手に砂浜に下りる。瀬戸内の春の海は実に穏やか。
天気はいいし暖かいし、寄せては返す波。
心地よい波の声が春の眠気を誘う。



さて今日はどうしても食べたいものがある。
高知県の大豊町のさくら食堂のカツ丼である。けっこう有名な食堂である。
かつてNHKで放送のあったグレートトラバースの田中陽希も立ち寄った店でもある。
高速道路の大豊ICを降りたらすぐだ。大豊町役場のまん前。

結論からいおう。全部は食べ切れなかった。
カツ丼並みを頼んだらなんとカツ2枚分がのっていてびっくり。
うまいのだが食べても食べても減っていかない!!
超満腹状態で800円を払って食堂を出た。

途中、名刹の箸蔵寺に立ち寄る。
ロープウェイで上がり、帰りは1.8キロの参道を下ってきた。
ここも桜が見ごろで、やはり写真を取りに来ていたお父さんが、
ちょうど満開でさ、ずいぶんと撮ったよ・・と満足げにいう。

というわけで今晩の飯はなし。
いまこれを書いている「四国健康村」は宿泊可能な温泉施設で大衆演劇もやっている。
遍路している人には特別サービス価格がある。朝食だけつけてもらって2300円。ただし寝るのは畳の大部屋。毛布や枕もある。
さっきまで女形の舞踊ショーを見て風呂に入り、久しぶりに新聞を読んだ。

さてあすからどうしよう。
走行距離が1000キロを超えた。
四国はどこいっても桜満開のいい季節だ。
気の向くままいい加減な旅だからどこへ飛んでいってしまうかわからない。
あと3~4日くらいは放浪してみるか。
京都、滋賀あたりもいいかもなぁ・・・・
まっ、とりあえず今日のところはこれくらいで。


















542.歩き遍路旅partⅡ(13・終)

2015-12-12 | 四国遍路ぶらぶら歩き

 


 平成27年9月14日(月)   
     
    
ホテル→徳島あわおどり空港→羽田空港→自宅                                                                                           


 
徳島駅前


よう見えますなぁ、メガネいらないんですか。遍路やってはるんですか、やはりねぇ。一人で?、ひとり旅は面白くてたのしいからなぁ。ことし定年になったんで岩手県まで軽(自動車)で往復してきまして、そう、高速使わないでずっと下を走ってね、21泊でしたわ、全部車中泊。それよりわしなぁ、お遍路さん用のゲストハウス作ろうと考えるところなんですわ

 
徳島駅前のドトールコーヒー店、その窓際の椅子に座って日記をメモしていたら、隣に座ったお父さんがメモをのぞき込むようにして話しかけてきた。


 アパートの大家から家賃4万円で借りて素泊まり2500円でやろうと思ってる、別にこれで儲けようなんてかんがえてないし、年金暮らしの足しになればなぁ、いうくらいのことや、改修して来年の春にはオープンするつもりやけど、徳島にくることがあったらぜひ立ち寄ってなぁ

そう云ってお父さんは名前と携帯の番号を教えてくれた。さらに徳島では多少名の知れた「徳島クラブTTC21卓球クラブのメンバーなのでネットで見れば、HPにお父さんの写真も出てるとか。そしてマムシについてこんなことを云って脅かすのだった。

マムシに咬まれたらものすごく腫れるし激痛らしいな、血清を打って毒を出すのに3週間は入院するし、2回咬まれたら命は危ないっていうしなぁ、杖でガサガサして追い出す?あかん、あかん、飛びかかってくるだけや、だから遍路歩きするなら必ず二人以上で歩かないかんと、なにかあったら知らせることができるからなぁ

なんだか、からかわれてるような気もするが、ともかくマムシには出逢わないように用心するしかない。話に夢中になってすっかり冷たくなったコーヒーを飲み込み、お父さんにお別れの挨拶をした。


   


11時45分、空港行きのバスに乗車。14時45分発の羽田行きのフライトを待つのみだ。
今回の遍路ではできるだけ多くの人と接しようと心がけてきた。
遍路で新婚旅行中の若い夫婦、すごく早足の中年夫婦、1番札所で出逢った名古屋のおばちゃん、茨城県の若者や世田谷の和食料理人など・・・ほとんどが通し打ちを実践中だった。
今頃どこをあるいているのかなぁと、ついつい想像してしまう。彼らが無事八十八カ所を巡り終えられることを祈ろう。
今回の遍路旅の歩行距離は240キロ、参拝したお寺は29カ所であった。そして2ヶ月後の11月。再開した
遍路旅はクルマによる意外な展開となった。

   

 

 四国ともお別れ 羽田に向かう


 


541.歩き遍路旅partⅡ(12)

2015-12-12 | 四国遍路ぶらぶら歩き

 


 平成27年9月13日(日)   
     
    
ホテル→31番竹林寺→日曜市→高速バス→徳島東横INN(泊)                                                                                            歩行距離 9 キロ



竹林寺


竹林寺山門


竹林寺庭園


8時朝食。ホテルに荷物を預けて出発。
高知駅前の観光案内所で周遊バス券(千円)を購入。高知駅のここまで来たら、やっぱり行きたくなる場所がある。竹林寺である。32番札所の名刹を訪ねないわけにはいかない。
去年は2度も参拝しているお気に入りの寺である。1度目は手術前の1月、奥さんと一緒に訪ね、そして2回目は歩き遍路で8月30日に来ている。

10時40分、竹林寺に到着。団体遍路などで賑わっている。本堂、大師堂を参拝して、庭園を訪ねる。すごく美しい庭というわけではないが座って眺めているだけで心落ち着く場所である。
ちょうど結婚式を終えた二人が庭園をバックに記念撮影している。おめでとう。宝物館で平安時代の仏像を拝見し、竹林寺を後にした。これで今回の遍路旅は実質的に終えたことになる。

12時30分はりまや橋でバスをおりると商店街のほうで何やら太鼓のような鳴り物がひびいている。近づいてみると、それは安保法制反対の市民デモだった。
わたしも飛び入り参加し、30分ほどデモ行進の最終地点まで歩いてしまった。

今日?,うちらの団体だけでも240人は参加したでしょう、これでも仮に法案が通ってしまったら市役所前でハンストやりますよ

旗を持った主催団体らしき男性(ひと)は、そう語っていました。




高知市内のデモ行進

 徳島でも各地で反対集会があった



「ひろめ市場」に再び行ってみたが相変わらずすごい人で大混雑。かろうじて一軒の店に入り牛スジカレーでランチ。日曜市をぷらぷらとみながら高知駅方面へ歩く。日曜市のテントでは果物、野菜(特に名産の生姜)、漬物、刃物、花木などなんでも売っている。


15時、
ホテルで荷物を受け取り、駅前の高速バス乗り場へ移動。16時、徳島行きの高速バスに乗車。
高速道路を一気に走り、18時45分、徳島駅前に到着。懐かしい駅前風景。9月2日以来、徳島、高知をぐるっと廻ってきたなぁという感慨に浸りながら今日の宿、東横INNに向かった。


徳島駅前に到着


 


540.歩き遍路旅partⅡ(11)

2015-12-11 | 四国遍路ぶらぶら歩き

 平成27年9月12日(土)   
     
    
ホテル奈半利→バス・東谷入り口→27番神峯寺→ ホテル奈半利
     →奈半利駅→のいち駅→28番大日時→高知駅→スーパーホテル(泊)
                                                                    歩行距離 22.3 キロ


7時朝食
当初の予定では27番神峯寺で終わりにし、徳島空港へバス・電車で引き返すつもりだった。しかし、次回のことをよくよく考えてみると、高知空港から室戸方面へだいぶ戻ることになって実に中途半端な場所で終えることになってしまう。
ということで予定変更し、神峯寺を参拝したら電車で移動し、28番大日寺まで行くことにした。






荷物をホテルに預け、身軽な格好で出発。神峯寺への登り口である東谷入り口でバスを降り、遍路道を登り始める。急坂を1時間半ほど登り切って27番神峯寺の山門に到着。境内に入り、さらに急な石段を登り本堂へ。
うしろを振り返ると土佐湾が光って見える。石段の途中から見上げると本堂の佇まい、姿、景色がなんともいえずに美しい。納経所の前の湧き水で顔を洗い、ノドを潤して下山。


この先から登りが始まる

神峯寺

高知湾が見える

    

12時、ホテルに戻りランチ。
土佐くろしお鉄道・奈半利駅まで10分ほど歩く。
14時01分、出発。電車は安芸、和食など海沿いの町を走り抜けて14時53分、のいち駅に到着。
地図をみると昨年の夏に泊まった丸米旅館がちかくにあることが分かった。
Nさん夫妻と最初に知り合ったのがこの旅館だった。お二人は車で遍路をしていて今日、自宅に帰るとのことだった。
43番明石寺近くの卯之町に住んでるので近くに来たら是非立ち寄ってください、連絡先をメモしてくれた。そして、その2ヶ月後の遍路の際、Nさん宅に泊まらせていただいた。そんなご縁を得た場所がこの旅館だった。

15時半、28番大日寺に到着。静かな佇まいをみせる本堂で般若心経を唱える。家族、身内、友人、知り合いの一人一人の顔を浮かべながら皆、健康で過ごせますようにと祈る。


大日寺
   

再び、のいち駅へ戻り、16時56分の高知行き電車に乗る。
のいち駅にもどる道で刃物屋さんをみかけた。土佐特産高級打刃物卸小売 山慎商会とかいてある。「見せていただいてよろしいですか」「どうぞ、どうぞ」。
日用品の包丁から芸術品のレベルの和包丁まで陳列されている。普段、台所で使うものがほしくなり、店の女性と相談して1本購入した。
17時26分、高知駅到着。
予約したスーパーホテルへ直行し、部屋に荷物を置いて「ひろめ市場」へ向かう。
ところが土曜日のせいもあり、市場内はすでにどこも超満員で入れなかった。


   








539.歩き遍路旅partⅡ(10)

2015-12-11 | 四国遍路ぶらぶら歩き

 平成27年9月11日(金)  快晴 気温30度
     
      
道の駅宍喰→甲浦→室戸岬→24番最御崎寺→25番津照寺
    →26番金剛頂寺→キララメッセ→ホテル奈半利(泊)       
                                                            歩行距離 18.3 キロ


東日本大震災から今日で4年目。節目の日を四国で迎えた。
5時50分、昨日に続いて海からあがる日の出を待つ。波が荒い。







7時、ホテルで朝食。久しぶりにぜいたくなcoffeeとパンの食事。
快晴の気持ちいい朝を迎えた。甲浦駅へバスで移動し、さらに安芸行きのバスに乗り換えて室戸岬を目指す。
8時40分、バスを降りて歩き始める。きらきら光る海を眺めながらしばらく歩くと右手に巨大な大師像がみえてきた。ここまで来れば御蔵洞(みくろど)は間近だ。かつて空海が修行したと伝わる洞穴。ここに入って振り返ると、空と海だけが見える。空海伝説の聖地のひとつとなっている。
ここから急な遍路道を登り9時50分24番最御崎寺(ほつみさきじ)到着。高知県最初のお寺だ。

    


最御崎寺


参拝後、坂を一気に下って国道55号線へ。あとは左手に紺碧の海を見ながらひたすら歩く。この道は、けっこうしんどい道といえる。遮る木立がないので容赦ない日射しが全身を包む。あの突き出た岬の上に金剛頂寺があるのだが、歩けど歩けどなかなか近づいてこない。
12時20分、25番津照寺に到着。門前の食堂で生姜焼き定食で腹ごしらえ。
14時30分、やっとのことで26番金剛頂寺に到着。去年はここの宿坊に泊まったのだが今回は先を急ぐ。


どこまでも続く道


室戸の町と行当岬がみえる


津照寺


金剛頂寺


宿坊の裏手から続く遍路道をぐいぐいと下り、再び55号線に出て「道の駅キラメッセ室戸」で一息つく。孫たちに小さなマスコットを3個買う。16時40分、奈半利行きバスに乗って法恩寺前で下車。ホテルに行く前にスーパーに寄ってビールを購入。17時40分、今宵の宿、「ホテルなはり」に到着。夕食はホテルのレストランで海鮮丼。
ちいさな部屋だったが窓を開けて夜空を見上げるとオリオンの四つ星が見えた。明日もいい天気になりそうだ。


 


538.歩き遍路旅partⅡ(9)

2015-12-09 | 四国遍路ぶらぶら歩き

 平成27年9月10日(木)  晴れ
     
       うみがめ荘→
 小松大師→牟岐駅-宍喰駅→道の駅宍喰(泊)                                                                   歩行距離 21.6 キロ 






朝6時前の大浜海岸。荘厳な陽の出を見つめる。
もう散歩にでている人がいる。角刈りのがっしりした体格のお父さんが話しかけてきた。

横浜から?それは遠いところからご苦労さんです。定年になって釣り三昧の日を送ってたらこんな身体になっちゃったけど(と、お腹をさすってる)、むかし消防士だったんですよ。厳しい職場だったねぇ。
事故現場に行ったら救助するのが役目だから、とんでもない危険な場所でも行かないとダメ。けど、警察は楽よ、指示だけしてればいいんだからね。阪神淡路の大震災の現場にも行ったね。
そのときだったけど、身なりがぱりっとした紳士が我々の現場に来てご苦労様です、って声かけていったんだ。後で聞いたら横浜市消防局のお偉いさんだった。私人で
視察にきてたらしい。ヨコハマって聞いてそんな昔のことをおもいだしたよ。じゃ、きおつけて・・・

7時40分、遅い出発。
浜から帰ってきて食堂でパンとコーヒーの朝食。ことし浜に上がって産卵したウミガメは15匹。1990年代は毎年100匹以上いたのに
年々少なくなってきているようだ。その原因のひとつが浜の明るさ。電灯などの白色光を嫌うカメは上陸しないらしい。そこで上陸回数の回復を願って地元企業がオレンジ色のLEDを開発したとのこと。そんな新聞記事を読んでいるうちに時間がすぎてしまった。

外へでると日射しが強い。暑い。気温28度。薬王寺の前から国道55号線を歩く。JR牟岐線とほぼ平行して走っている国道をひたすら歩く。
左足の親指がズキズキと痛い。どこかでぶつけたわけでもないのに痛みはじめた。
  (*その後ツメは真っ黒になり、家に帰ってから2週間後、ついにとれてしまった)。



朝の国道55号線

ひと息つく

歩き遍路に足の痛みはつきもの。痛む箇所はさまざまで日によって変わる。たとえば、かかとや指先、足首だったり、足裏全体だったり
、マメがつぶれて・・とか。だから少しでも緩和するための足のテーピングは欠かせない。毎朝のルーチン作業となっている。
いっぽう筋肉痛はアイシングや湿布でなんとかなるようだ。湿布も最初のころは貼るタイプの湿布薬をペタペタ貼っていたが、歩いてるうちにすれたり汗でベタベタになってしまう欠点があった。というわけで、その後はインドメタシン入りのスプレータイプのものに変更している。
しかし何日も歩いていればいずれ足は痛むし肩は凝る、おまけに腰も重くなる。
こういうときは無理せずに電車バスを利用することにしている。

   

出発してから5時間。12時40分、JR牟岐線の牟岐駅に到着。駅前のスーパーで買い物。店内は涼しくて気持ちいい。ミカン、ぶどう、野菜ジュースを買う。
13時25分海部行きの電車に乗る。乗客は地元のおじさんと外人さんと私の3人だけ。
海岸線を25分ほど走って海部駅到着。接続している私鉄の阿佐東線に乗り換えて宍喰駅で下車。午後2時を過ぎ、
強い日射しが容赦なく照りつけてくる。人気の無い街を海岸に向かってふらふらと歩く。
10分ほどで「道の駅・宍喰温泉」に到着。隣の「ホテルリビエラ」で宿泊の続きをする。道の駅に戻って2階の部屋に行くとけっこう広い部屋だ。海に面していて明るい。気に入った。



   


一息ついて、まずは温泉でも入ってこようかと、ホテルの2階に入浴施設に向かう。タオルを持って道の駅を出たところ、遍路姿の二人がやってきた。
おぉ、なんと一昨日山茶花旅館で一緒だった世田谷在住の、琴古流尺八宗家で遍路宿泊情報に詳しい、あの中年夫婦遍路だった。

「あれぇ~、早いですねぇ、誰にも抜かれてないと思ったんだけど」
 とびっくりポン顔のご主人。

いやいや、僕は電車使ってここへ来ちゃったもんで・・」

「まだお昼ご飯食べてないんですよ」
と奥さん。

「今日泊まる"遊々NASA"には予定より早く着いたのでもう少し歩こうということで、ここまで来ちゃったんだけど食事できるところがなかなか無くて・・・」


「じゃぁ、ここでやっと
お昼ですか」

「何かおいしいものでもたべようっと」

暑さと疲れで顔が紅潮した奥さんにほっとした表情が浮かんだ。

山茶花旅館で談笑したとき日和佐駅近くのホテルに泊まるって行ってたけど、日和佐からここまでおよそ34キロもある、何時に出発したのか分からないけど、この時間(およそ午後3時)に着くには相当な早さで歩いて来たにちがいない。

きのうの朝、山茶花旅館の食堂で向かいに座ったおじさんがこう云ってた。

「あの奥さん気の毒やなぁ、ご主人の早足に必死についていってるもんなぁ。もっとゆっくり歩いてあげりゃぁええのに、寄り道してあれ見たり、こっち寄ったりしてゆっくりしたらええのに・・」

と奥さんに相当に同情してた。
二人は食事したらタクシーでホテルに戻り、明日、ここまでタクシーできてスタートするとのこと。そして、この夫婦遍路さんとはこれが最後であった。


道の駅・宍喰温泉 2階右側に見える部屋に泊まった


537.歩き遍路旅partⅡ(8)

2015-12-08 | 四国遍路ぶらぶら歩き


平成27年9月9日(水)  曇りのち晴れ
     
山茶花旅館→22番平等寺→月夜御水庵→国道55号線→大浜海岸
    23番薬王寺→国民宿舎うみがめ荘(泊)
               歩行距離 27.6 キロ 



7時40分宿を出発。
同宿だった皆さんはすでに出発し、たぶん私が最後。平等寺へは6時30分の朝食後、参拝を済ませてきた。本堂は修復工事中である。
一時間ほどで月夜御水庵に到着。
ここは去年8月の遍路でタコ焼きを食べた思い出の場所だ。

平等寺の自動販売機の前にいたら、女性がさっと近づいてきて二人分もらったのでこれ食べてください、と熱々のたこ焼きと凍らせたペットボトルをお接待してくれた。
今思うと、くださったのは山茶花旅館の奥さんだったかもしれないなぁ、などど想いを巡らせながら歩いてるうちに国道55号に出た。

  

トラックの交通量が多くてやかましい歩きになった。すぐにトンネルが現れた。歩道があったのでほっとする。

トンネル内を歩くくらい恐ろしいものはない。軽自動車でもトンネルに入ってくるとトラック並の轟音が耳を襲ってくる。

トンネル内では歩道があれば本当に安心して歩けるが何も無いとこれはもう命がけ。
なので今回は赤色灯が点滅するヘッドランプを用意してきた。ドライバーが気づくように点滅灯を後方に向けて歩いた。

世界遺産登録を目指すのなら、まずこうしたハード整備が必要だろう。外人のお遍路さんもたくさんいるので国交省はじめ関係機関でぜひ進めてもらいたいものだ。

  
トンネルを抜けると由岐坂峠へ行くルートと国道55号の旧道を行く分かれ道に出た。

どちらも日和佐町へ通じる道である。昨夏は由岐坂峠ルートを歩いたので今回は旧国道をあるくことに決めた。

日和佐へのバイパスがあるのでほとんどの車はそっちへ流れるようだ。山間を抜ける旧国道には車がほとんど通らない。

静かでのんびりした歩きとなった。
そして次第と雲が切れて強い日射しになった。

  


14時30分、大浜海岸に到着。暑い。

ウミガメの産卵地で有名な浜だ。アイスクリームで一休み。今宵の宿、国民宿舎うめがめ荘に荷物を預けて薬王寺へと向かう。

16時、薬王寺に参拝。ここで昨晩、山茶花旅館で一緒だった新婚旅行で遍路している若夫婦と再会した。 

 
えぇ!?、横浜からですかぁ、オレ、保土ヶ谷が実家です、最寄りの駅は相鉄線の天王町ですよ。高校に入ったんだけど、まわりがガリ勉の頭のよさそうな奴らばっかりで何かなじめなくてオレ、3か月で退学しちゃったんですよ、

それからですか?、
それで焼き肉の牛角で働き始めてたんです、お父さん(私のこと)の住んでる近くの緑園都市の店で店長10年やってました。

でも、さすがに、このままやってても先が見えないっていうかちょっと違うような気がして・・。

なんかもっと自然なライフスタイルというか違う生き方をしたくなったんですよね、そんなときこの女性(ひと)と遭って今の仕事をするようになったんです。
仕事ですかぁ?、ちょっと変わってるんですけど下着づくりです、
自然素材を使ってフンドシを作ってます、藍とか自然のものを使いながら染色してネットで販売してるんです。お腹を締め付けないので身体にもいいようです、女性用のものも作っています。
結婚を機になんでも聞くから、やりたいこといってみて、と彼女にいったら遍路に行きたいっていうんですよ、それで店を休業して遍路に来たったってわけです。なので彼女の発案なんですよ、この遍路は・・。

ここで横浜の身近な話題が飛び出てくるとは思いもよらなかったなぁ。

いろいろと語ってくれた彼の柔軟な頭脳に感心してしまった。そんな彼をにこやかに見あげる若奥さん。

さわやかな若夫婦は見ているだけでこちらも幸せな気分になる。今夜は薬王寺の宿坊に泊まり、明日は宍喰(ししくい)の「道の駅・宍喰温泉」にある宿泊施設にしようかなと考えてるらしい。


昨日、山茶花旅館で中年夫婦遍路のご主人から聞いた話しだ。

私もそこに泊まろうかなと思ってるので、じゃあ、明日そこでまた会うかもね、と会話し、記念の写真を撮った。





しかし翌日、宍喰温泉に二人が現れることはなかった。
なんたってここ薬王寺から宍喰までは34キロもあるからね、そして彼らとはこれが最後だった。

思い返すとこの若夫婦を見かけたのは8番熊谷寺へ向かう遍路道だった。

雨のなか傘もささずに歩く小柄の女性と背の高い彼。チッチとサリーみたいな後ろ姿を見て絵になるなぁと、ついそのシャッターを切っていた。
それが6日前のことだ。


後で聞くと彼らも私と同じく9月1日から遍路を始めたので、ほぼ同じ日程、コースになっていたわけだ。

<追 記>:後日この二人が営むショップのWebページを見つけた。元気な様子である。(2020年5月)




記念写真を撮って二人に別れを告げ、石段を下りて納経所を見ると、あの見慣れた顔の彼がいた。

鴨島温泉の無料宿泊所にいた茨城の若者だ。徳島の観音寺近くの旅館で同宿したとき以来だから5日ぶりくらいか。

彼の茨城弁が妙に懐かしい。ずっと一緒に歩いてた料理人のお兄ちゃん遍路はだいぶ遅れて歩いてるらしい。

写真撮ろうよ、と誘って一緒に記念の一枚を撮った。彼はこれから宿をさがすらしい。

さて、と夕食の買い物だ。日和佐駅前の「道の駅」でミカン、ぶどう、お稲荷さん、金麦を購入。

大浜海岸で金麦を飲む。今日もよく歩いた。


夕暮れの大浜海岸で風に吹かれながら
・・・


536.クルマ遍路・みちくさ旅

2015-12-02 | 四国遍路ぶらぶら歩き

 
四国へ行ってきたんだって


そう、11月9日の夕方に発って21日夜に帰ってきました。
奥さんのアドヴァイスもあってクルマで廻ってきました。おかげであちこちと、いろいろ寄り道できました。奥さんには感謝、感謝です。
ときどき自由に遊ばせてくれるのでありがたいですわ。

首輪を外されて喜んで走り回ってるワンちゃんの心境かな  

そのとおりだね、ありがたいですよ、ほんとに。おかげで生来の放浪癖を十二分に満足させることができました、はい。

ところで、どこら辺まで行ってきたの

前半はまじめに遍路旅をし、後半は九州・山陽の寄り道旅となりました。

参拝した寺は高知県の
最御崎寺、国分寺、善楽寺、種間寺、清瀧寺、青龍寺、
岩本寺、金剛福寺、延光寺と廻り、
愛媛県に入ってからは観自在寺、龍光寺、仏木寺、明石寺を参拝いたしました。

途中で番外の「星の岩屋」とか北川村の「モネの庭」などに立ち寄りましたが実にいい所でした。
そして後半は完全に寄り道旅へ突入です。

  


愛媛県宇和町の明石寺を参拝したあと、一気に佐田岬まで走って夜10時半、フェリー乗り場の三崎港に到着。
そのまま車中泊し、翌朝一番、7時30分のフェリーで大分県・佐賀関港に上陸。
70分の船旅です。別府、湯布院で温泉を堪能したあと国東半島の付け根にある杵築市へ。



大分県杵築市の武家屋敷で 


あこがれの城下町・杵築を二日間も散策し、写真を激写しました。
その後、熊野磨崖仏を拝顔し、白蓮が住んだこともある福岡県飯塚市の炭鉱王・伊藤伝衛門の旧邸宅と嘉穂劇場を見学。
関門海峡を渡って山口県・長門市の金子みすゞ記念館
日本海に面した小さな街から瀬戸内海へと戻り、
広島原爆資料館、倉敷の大原美術館そして白鷺城を見学、西宮ICで高速に入り彦根近くの多賀SAで車中泊。

伊那ICで下りて高遠、杖突峠を越えて甲州街道(国道20号線)を走り勝沼ICで再び高速に入って
帰宅・・・・
と、まぁそんな感じ。
"爆走"した12泊13日、3000キロの旅でした。







旅館とかホテルには泊まったの

きちんと泊まったのは大分県杵築市の旅館と香川県・四国健康村の2回だけです。
あとは全部クルマで寝ました。これがけっこう快適なんですよ。
座席を倒してフラットにして寝袋と毛布にくるまって寝てました。わりと温暖な気候だったのも良かったかもしれない。

どんなところに泊まったかって? 
そりゃ、どこでもってわけにはいきませんよね。防犯面とかいろいろと考えながら安全そうな場所に駐めました。
 たとえば、道の駅。端っこの暗いところは避けて照明が明るい所にわざと駐めてました。
あとは24時間営業のスーパーやコンビニの駐車場なんかもときどき利用させてもらいましたね。


なんか美味いもんは食べたかな

杵築で泊まった宿は焼き肉店も兼ねていて夕食は、豊後牛の焼き肉を食べました。
店主自らが牛を飼育してるだけあってさすがに肉の旨さが口中に広がりました。ビールに焼酎割も呑んでしまいました。
美味かったです。

翌日、解禁になったばかりの牡蛎をいただきました。
牡蛎専門の店に入り、まずカキフライ定食をたいらげ、次いで大粒の牡蛎8個を焼いて食べました。
これまたぷりぷりの身が美味くてビールがほしくなりました。

ところで高知県では特大カツ丼で有名なひばり食堂(高知県大豊町)に立ち寄りました。普通盛りで五合のご飯が盛られるのでカツ丼ミニを注文。
これまで結構カツ丼を食べてきたけど一番のうまさでした。日本橋人形町の玉ひでの親子丼に似た半熟、トロトロの卵が豚カツのうまさをいっそう引き立てて、ほんまにおいしかったです。感動ものの一品でした。わざわざ高知の山奥まで行く価値ありです。

  


印象に残った町は

3つあります。最初は徳島県の引田(ひけた)町。播磨灘に面したわずか1キロ四方の小さな港町です。
江戸時代、風待ちの良港として栄え、穀物、綿、紙などの扱う商家が軒を並べ活気に溢れてたとか。
その名残を今にとどめる商家、「井筒屋」を訪ねました。
ボランティアガイドさんに贅を尽くした部屋を案内してもらいました。
赤壁の蔵が特徴のかめびし醤油は昔ながらの醤油づくりにこだわる老舗です。

二つ目は大分県杵築です。日本一着物の似合う町、をキャッチフレーズにしてるだけあって着物姿の観光客の姿を見かけました。
武家屋敷で着物姿の韓国女性に遭い写真を撮らせてもらったのはラッキーでした。

      


デジブック アルバム 『着物が似合う城下町』


そして三つ目は広島県竹原市の街並み保存地区です。
高速はできるだけ使わずに一般道路を走って町の雰囲気、生活、人の様子を感じるようにしてましたが、
たまたま道の駅で見かけたパンフに街並み保存地区が出ていたので、行って見ると驚きました、
NHK朝ドラの「まっさん」こと竹鶴政孝の生家がありました。100メートルほどの街並みですが暮らしに余裕のある落ち着いた雰囲気が残る街でした。

 
温泉は入りましたか

温泉名を順にあげてみましょうか。

鴨島温泉(徳島県)、わじき温泉(徳島県)、天然温泉ぽかぽかの湯(高知県)
ユートピア宇和(愛媛県)、湯布院・下湯(大分県)、竹瓦温泉(大分県別府)
山香温泉・風の郷(大分県杵築市)、俵山温泉(山口県長門市)、
三丘(みつお)温泉やすらぎの里(山口県周南市)、
天然温泉さがの海(広島県北広島)、天然温泉四国健康村(香川県宇多津)、咲の湯(長野県高遠)

数えてみると12カ所ですね。ほぼ毎日温泉に入ってたかもしれません。以前に入ったことがある温泉や地図、カーナビ、看板、パンフレットなどで見かけて立ち寄った温泉などさまざまでした。どこも気持ちのいい温泉でしたよ。

   

 ■今後の予定は

この旅もこれから書きますが、まずは9月の歩き遍路旅を書き終えてからですね。 
クルマ旅もすごく楽しいのですが次回は歩いてみようかとおもってます。
今回最後に参拝した愛媛県宇和町の明石寺の次は44番大寶寺です。ですがなんと70キロも離れています。大洲、内子のまちを過ぎると山越えの道が待っています。前回はパスしているので難所ですが歩きにチャレンジしてみたいとおもってます。

 

運転に飽きたらcoffeeタイム

 


535.歩き遍路旅partⅡ(7)

2015-11-29 | 四国遍路ぶらぶら歩き

  平成27年9月8日(火)  曇りのち雨 台風18号接近中
     
       金子屋旅館→20番鶴林寺→21番太龍寺→大根峠→山茶花旅館(泊)

              
                                歩行距離 22.9 キロ 



今日歩いた遍路コース

6時、宿を出発。
昨晩、靴に新聞紙を突っ込んでおいたのでよく乾いていた。近くのコンビニでサンドイッチとcoffeeで朝食。昨夜はこの店で購入した氷で両足のふくらはぎをアイシングした。その成果もあって足が軽い。道の駅をのぞいてみると野菜などを運び入れるおじさん、おばさんたちが忙しそうだ。

今年はなんでだか寒い日がおおいね、水温が低いせいか鮎も下流に行ってしまって全然釣れないんだよねぇ

バンダナを巻いて作務衣姿のおじさんが話しかけてきた。
定年を機に家を改造して一日二組だけの宿(鶴風亭という)をやっていて、大病して人生観が変わり、今までの自分を捨てて残りの人生を大切に生きてみようと思っている、そして趣味で尺八(琴古流)を作っている・・・と次々と話される。じゃぁ、せっかくなので尺八づくりの所を見せてもらおうと、歩いて5分ほどのお家に伺う。昨夜泊まった金子屋のすぐ近くだった。

    

7時40分 鶴林寺への登り口に到着。
登り始めて10分ほどで二人組に追い抜かれる。あっ、きのうの方ですねぇ、と声をかけられた。雨の国道をすごいスピードで追い抜いていったあの二人だとすぐに分かった。中年のご夫婦だ。
水呑大師の水場でノドを潤し、林間の急な道をしばらく行くと左側が開けた場所に出た。眼下には蛇行する那賀川が見える。
眼を上に向けると太龍寺のある山峰がそびえる。あの川まで下ってからまた登りかぁ、と思うと気がやや重くなる。
時10分、鶴林寺山門に到着。この山門の雰囲気がとても好きでいつも心ときめく風景である。


蛇行する那賀川 あそこに見える水井橋を渡って太龍寺へと向かう


鶴林寺山門 
鶴林寺


9時50分鶴林寺を出発し、急坂を下る。1時間かかって下り終え、那賀川にかかる水井橋を渡る。最初の30分ほどは
渓流に沿った緩やかな道が続く。
12時35分、太龍寺山門に到着。しかし、ここからがしんどい。ダメを押すように急な坂道が待っている。

    

12時45分、21番太龍寺到着。さきほどの夫婦は既に参拝を終えてベンチでくつろいでいる。私も腰をおろし、お接待でもらった「ひと口羊羹」をほほばる。
疲れたときは甘いものが美味しいですよねぇ」と奥さんが声をかけてくれる。
今日泊まる宿は私と同じ23番平等寺の隣の「旅館山茶花」とのこと。
ご主人が宿の評判やら情報をいろいろと教えてくれる。詳しい話はまた旅館で・・・ということで二人は出発していった。


太龍寺山門 ここからがきつい


太龍寺大師堂

もう一組の二人組がいる。若い夫婦かな。この二人とはほぼ同じペースで歩いてるせいか、あちこちのお寺ですれちがっている。さっきの奥さんの話によるとこの若い二人は新婚旅行中らしい。女性の情報収集は能力はすごい。(この二組の夫婦とは今宵の宿で大いに盛り上がることになる)。

13時45分、出発。ここから12キロの道のりだ。山門を下っていくと何やら見たこのある体型が登ってきた。
眼があうと、どちらからともなく「おぉ~」と声が出た。世田谷から来た若いお兄さんだ。和食料理人の彼とは4
日ぶりの再会だ。「オレ、今日絶好調すよ」と元気がいい。きのうは「旅館鮒の里」に泊まり荷物を置いてやってきたという。あともう少しだよ、と励ますと巨体を揺すりながら、がんばります!と言って登っていった。これが彼と出会った最後の場面となった。

長い長い林道歩きの末にやっと「旅館坂口屋」の前に到着。玄関に「休業中」の張り紙がしてある。先月の台風で裏山が崩れてしまった。建物の損傷はないように見えるが危険性が続くとみたのだろう。去年の遍路では、遅い着きの私を心配しておかみさんが2度も携帯に電話をくれた宿である。いまは人気もない寂れた印象を漂わせている。難儀な二つの山を越えて来た遍路には丁度いい場所にある遍路宿だっただけに残念だ(その後、廃業ということになった)。

    
坂口屋


今日の
宿はここからさらに8キロ先。途中に超えなくちゃならない峠もある。
17時30分、旅館山茶花に到着。雨が降ってきた。今日は満杯のようで私は別棟の真新しい部屋を使うことができた。

まずは洗濯。
食堂に行くともう皆さんビールやらおさけでご機嫌だ。太龍寺での二組の夫婦以外にも5人の男性遍路で賑やか。
早速、遍路宿の情報を中年ご夫婦のご主人から聞く。東京在住のご主人はネットでものすごく情報集めるしたらしく宿の善し悪し、評判に詳しい。

そうなんですよ、この人は事前に調べるのが好きらしくて、わたしがラスベガスいきたいなぁ、なんてひとこと云うと航空便からホテルまでぜ~んぶ調べ上げてコース作ってくれるんですよ
と水割り片手に奥さんが言います。

わたしが「金子屋はちょっとひどかったです」という「私らはその先のふれあいの里さかもとにとまりましたよ、鶴林寺の登山口まで送迎してくれますし、料理も良かったし」とご主人。
琴古流尺八を趣味で作っている鶴風邸のお父さんのことを話すと、奥さんが
「実は、この人IT関係の仕事してますけど〇〇琴古流尺八の宗家なんですよ」。「じゃぁ、こんど機会があったら鶴風邸によってみたらいいですよ、オヤジさんきっとよろこびますよう」。

もう一組の若い方の夫婦。歩き遍路を新婚旅行に選んだのは奥さんからのようだ。奥さんは高知県出身で二人は今、京都に住み、自営業なので時間の融通はきく。明日は23番薬王寺の宿坊に泊まる予定とのこと。私は「国民宿舎うみがめ荘」を予約した。この若夫婦とは薬王寺の境内で再会することになる。




今宵の宿「山茶花」

 


534.ぶじ帰宅しました

2015-11-22 | 四国遍路ぶらぶら歩き

昨夜(21日)、「クルマ遍路みち草旅」から無事に帰宅いたしました。
11月9日~21日

〇走行距離  3164 キロ
〇参拝した寺    12ケ寺
〇入湯数      12湯


 走行コース  は宿泊地


533.急ですがお遍路に出発です

2015-11-08 | 四国遍路ぶらぶら歩き

9月の歩き遍路記が書き終えてないというのに今晩から(11月9日)遍路に出かけてきます。しかも車です。四国を往復します。
歩き遍路中に寄り道したかった所が少なからずありました。別格二十番札所もそうです。同じ道を2回ただ歩くだけじゃなくていろんな所を見てきたらいいんじゃない、という奥さんのアドヴァイスもあり、自由度と活動度をアップするため愛車(N-BOX)に活躍して
もらうことにしました。

9月の遍路では高知県の31番・竹林寺まで行ってますので、この続きからですが、要所要所に車を駐め、札所を歩きたいと思ってます。洗濯の必要もあるので時々は旅館には泊まりますが、原則として車中泊の予定。
寝袋、ガスコンロバーナーなどアウトドア品を持って行きます。座席を倒し、多少の凸凹にはタオルケットなどで平らに修正すれば難なく快適に寝られます。このことは先日の上高地の車旅行で確認しています。わくわく感いっぱいで楽しいんですよね、これが。

東名高速、名神、山陽道から淡路島を経由して徳島に入る予定。四国では夜間に駐められそうな駐車場がどこにあるか、だいたい目星がついています。
あとは21日(土)に帰宅するまで出たとこ勝負、行き当たりばったりの旅にするつもりです。

愛媛県に入ったら伊方原発のある佐田岬半島からフェリーで九州大分県に渡るかもしれません。大分市、別府と北上したら国東半島の杵築市を是非訪ねてみたい。ここの旧い街並みを以前から
訪ねてみたいと思っていたのでいいチャンスかもしれません。そして、このまま北上して北九州市から本州の下関に入り、広島に移動したら、再びフェリーで愛媛県・松山港へ戻る・・・そんなプランも検討中です。
いずれにせよ、フリーの遍路プランです。

という訳でしばらくブログはお休みです。では行って参ります。



旅の友です


530.歩き遍路旅partⅡ(6)

2015-10-28 | 四国遍路ぶらぶら歩き

  平成27年9月7日(月)  いちにち雨
     
       徳島駅前東横INN→18番恩山寺→19番立江寺→金子屋旅館(泊)

              
                                歩行距離 28.3キロ 


 



朝の5時に目が覚める。窓を開けると雨だ。まぁ仕方がない。
6時30分、ホテルのロビーでパン&コーヒーで朝食。東横INNのいつもの朝食スタイルである。
当初の予定だと、今日は19番立江寺近くの民宿まで15キロを歩き、翌日、山中の難所に建つ20番鶴林寺と21番太龍寺を参拝し、林道を4キロほど下って坂口屋旅館に入るつもりだった。ところが、坂口屋がどうも休業らしいという情報を聞き、計画を変更する必要が生じてしまった。
坂口屋がダメだと、さらに12キロ先の22番平等寺まで行かないと旅館がない。立江寺から平等寺までは30キロほどもある。その間には二つの山と一つの峠が待ち構えている。これではちょっときつい。
ということで今日は、少々の無理をしてでも鶴林寺への登り口にある宿まで行くことにした。宿の名は「金子屋」。ネットではイマイチ評判がよくないが仕方がない。

6時45分ホテル出発。雨の中、思い切って飛び出す。国道55号線に出て道なりに進む。通勤の車やらトラックの交通量が多い。さっきから左足首が痛み始めた。
だましだまし歩く。勝浦川とJR牟岐線の跨線橋をわたって小松島市に入る。去年、ここらで大学生の遍路3人組に追い抜かれた場所だなぁ、と想い出す。

   
 
気がつくと1年前の記憶を辿っていることが多くなっている。頭ではなく足が覚えている。国道のごつごつ、ざらざらした足裏の感触や遍路道に点在する家並みなどがまだらな旧い記憶に輪郭を与え、懐かしい感覚を呼び覚ます。楽しくて嬉しい気分に満たされる。

 

10時10分、18番恩山寺に到着。
11時25分、無料休憩所で一服する。建設会社が提供している小さなプレハブ小屋はエアコンが入っていて涼しい。去年もお世話になった施設だ。高速道路の建設が続いてる間は大丈夫だろう。
12時、19番立江寺に到着。雨がやまない。こんな天気なので参拝客も少ない。大師堂でおにぎり2個を食べる。再び歩き始めると、左の足首は相変わらず痛むし、寒い。


恩山寺


 立江寺 


ふと、田圃のむこうにうどんと書いた旗を発見。黄色い回転灯がチカチカしている。営業中というサインだ。足を休めたいし暖かいものも食べたくなった。「みぽりん」という店。昼を過ぎているので客は私ひとり。やはり温かいうどんを注文。
「よかったらこのチラシ寿司いかがですか、お接待しますが」
とおばちゃんがいってくれた。でも
、さっきおにぎりを食べたばかりだ。申し訳ないけれど食べきる自信がないので・・と云って辞退させてもらうことに。

 

熱いうどんをすすると身体が温まってくる。食べ終わると、おばちゃんがcoffeeを出してくれた。これもお接待だという。ありがたいお接待に感謝、感謝である。店内になんか見覚えのある写真がいくつも飾ってある。よく見ると利尻島だ。桃岩荘も写っている。おかみさんが厨房から出て来たのでお礼をいい、写真のことを訊いてみると、毎年夏に利尻島へ遊びに行ってるとのこと。

身体も温まり休憩したおかげで足が少し軽くなった気がする。県道を歩き続けるが、雨が止まない。むしろ強い雨脚になってきたようだ。車が来るたびに立ち止まってやり過ごす。
雨具を着け傘をさしても足下がどうしても濡れてしまう。足首が再び悲鳴を上げ始めて、なかなかペースが上がらない。ふと、うしろを振り返ると菅笠とポンチョをかぶった二人がすごい勢いで歩いて来た。
こんにちわぁ、とこちらに一声かけると、二人はあっという間に抜き去っていった。あの歩きはたぶん時速6キロくらいだろうな。

   

すげぇなぁ~と感心していたら、軽自動車がすっと停まり、「これ、ひと口羊羹ですがどうぞ」と、助手席から女性が声をかけた。反射的にありがとうございます、とお礼をいいありがたく頂戴した。

16時 道の駅「ひなの里かつうら」に到着。果物が食べたくて入ってみたが見当たらない。店番のお姉さんに訊くとここにはないけど、この先の果物店で売ってる。でも味はどうかな、という。
ついでに宿のことも訊くと奥からいろいろとパンフレット取り出してきて詳しく説明してくれた。坂口屋は7月の大雨で裏山が崩れて休業中とのことだ(その後に知ったのだが廃業となった)。遍路する者にとっては丁度いい場所にある宿だったのに残念。

今日は「金子屋」に予約していると話すと、最近リニューアルしたらしいですけど・・と言ってお姉さんは微妙な表情を浮かべた。評判はどうも今ひとつの様子である。
むしろ、その先の「ふれあいの里さかもと」がいいですよ、という。
金子屋の評判の悪さはネットで調べて分かってはいたが、駄目を押されたようで少々がっかり。そしてそのことをまもなく実感することになる。

 

16時45分 金子屋到着
きのう電話に出て来たらしい男主人(といっても40前後)が現れ、料金は前払いだと云う。でも財布がザックの奥に入ってるのでちょっと部屋に荷物を置いてから届けに来るから、というと、ではすぐに持ってきてくれ、と実に横柄な態度。
案内された部屋も粗末(夜中に電気をつけたらごきぶりがいた)。これまでいろんな宿に泊まってきたがここは間違いなくWorst1といってよい。

まぁ、こういう宿にぶち当たるのも修行だと思ってあきらめるしかない。
あとで地元の人に訊いた話によると、先代の女主人は、雪の寒い日に遍路人が宿に早く着いても玄関を開けずに午後3時まで待たせ続けたからねぇ、そんな傲慢な殿様商売ぶりを見て育ったから、と今の主人のことをいう。

要は旅館業の基本的な接客態度とか迎え方、ホスピタリティーが感じられない、そんな宿も遍路宿の中にはあるというお話しである。

夕方、近くのコンビニで夕食の焼きそば、野菜ジュース、金麦を購入。ついでに氷も買ってふくらはぎ、足首を冷やす。結局、今日は雨の中を28キロ歩いてしまった。これは今回の遍路旅で最長の歩きだった。


 デジブック アルバム『遍路旅partⅡ-5』

 


 

 


529.歩き遍路旅partⅡ(5)

2015-10-24 | 四国遍路ぶらぶら歩き

  平成27年9月6日(日)  雨↔曇り
     
       鱗楼→17番井戸寺→徳島駅前東横INN
              
                                歩行距離 15.3キロ 


7時に朝食7時50分に宿を出発。かなりゆっくり目のスタート。きょう参拝するのは17番井戸寺のみ。あとは徳島駅前のホテルまで歩いていくだけだ。徳島駅前を2日に出発して今日6日に戻るわけだ。



宿を出てからまもなくポツポツと雨が降り出した。地図で確認しながら17番井戸寺に着いたのは8時40分。参拝を終えて山門を出たところでB君がやってきた。
お互いに記念写真を撮りあう。彼も徳島駅前のビジネスホテルに泊まる予定とのこと。




井戸寺山門前でB君に撮ってもらう


交通量の多い県道を歩き、鮎喰川に架かる橋をわたるとスーパーやらコンビニ、大学病院など賑やかな市街地に入ってきた。トイレに行きたくなりスーパーに飛び込む。店内のドラッグストアで筋肉痛用・インドメタシン液入りの塗り薬を購入。

    

11時50分
、ラーメン屋さんに入る。けっこう混み合っている。次々と客が入り立って順番待ちするひとが多くなってきた。小ぶりの丼で出て来たラーメンはさっぱりした出汁でおいしい。ひとくち、また一口とあっという間に食べきってしまいつゆも飲み干してしまった。後で聞くと、徳島では1番美味しいラーメン屋とのこと。店の名は「いのたに」。

  


12時50分
、今宵の宿、東横INNに到着。荷物をフロントに預けて向かった先は・・「あらたえの湯」。去年の遍路の際にも入ったスーパー銭湯だ。駅前からバスに乗る。帰りのバス時刻を確認して銭湯へ。風呂も大きいし、露天風呂もいろいろある。二階の休憩スペースで昼寝して過ごす。疲れがとれていく気がする。

   

 


528.歩き遍路旅partⅡ(4)

2015-10-20 | 四国遍路ぶらぶら歩き

  平成27年9月5日(土)  晴
     
       なべいわ荘→町営バス→寄井中駅で乗り換え→広野バス停下車
     →13番大日寺→14番常楽寺→15番国分寺
     →16番観音寺→鱗楼(泊まり)
              
                                歩行距離 18.0キロ 





 

きのうの夜、ふくらはぎから太ももにかけて赤い斑点状の湿疹が出てきた。足を酷使したときの身体から出るサインでいつものことだ。それにしても、ふくらはぎが痛む。きのうの厳しい山越えのダメージがやはり大きい。
さて今日のコースをどうしようか迷っている。去年(7月)は、台風で強い雨だったのでバスで大日寺まで行ったが、今回は歩いてみたい。

・・
と頭では思っている。しかし途中の玉ケ峠がきつい上り坂であると聞くと、やっぱりバスでいくかぁ、と二の足を踏んでしまう。いつものことだが旅先で疲れてくると決断力が著しく低下してくる。グズグズといつまでも結論が出せずに堂々巡り、優柔不断の脳みそになってしまう。
という訳で、疲れの残った足の云うことを聞いて、途中までバスで行くことに決めた。

7時30分、町営バスに乗る。客は4人。
昨夜、なべいわ荘に泊まったおじさん遍路とおばさん遍路二人組の皆さんだ。寄井中駅で徳島行きのバスに乗り換える。いい天気だ。バスは国道を離れ、いくつかの集落に寄りながら山間を進む。



8時15分
、遍路の皆さんに会釈して広野駅で下車。鮎喰(あぐい)川が目の前だ。きれいな川だ。清流というのはこういう川のことを云うのだろう。
右岸の県道をしばらく歩き、行者野橋を渡って左岸に移動。こっちの道は車もほとんど来ない。朝の陽をたっぷりと浴びながらのんびりと歩く。川面がまぶしい。ぽつんぽつんと民家が現れるが、ここに住んでる人たちはどうやって暮らしてるんだろうかなと、つい想像してしまう。

もう一度橋を渡って右岸に戻ると遍路小屋が見えてきた。
おやすみなし亭」と書いてある。無人の小屋だ。中にはテーブルと椅子、冷蔵庫にはお茶とミカンが入っていて、自由に利用してよい、と張り紙がしてある。ミカンとお茶をいただき30分ほどくつろがせてもらう。清潔で綺麗に保たれているのは地元のボランティアのおかげだ。四国・・というか徳島の人たちの遍路を迎える優しさか感じられる。ありがたいと思う。





ここから13番大日寺は近かった。11時45分に到着。参拝の途中で団体遍路がどっとやってきた。9月初めのこの季節なら静かな遍路になるかなと想っていたが、個人も団体も結構遍路に繰り出している。田園地帯を2キロ余歩いて14番常楽寺12時55分に到着。
境内は岩肌が露出している特異な景観である。15番国分寺は800メートルの距離。聖武天皇の勅令で建てられた阿波の国の国分寺である。本堂の背が高い特徴ある建物である。逆に大師堂は建て替えたばかりらしく真新しい姿を見せている。
16時20分、今日最後のお寺、16番観音寺に到着。

   

今宵の宿は、ここから5分の距離にある「鱗楼(うろころう)」。
2階の部屋に案内してもらったとき隣の部屋のドアが開いた。「おぉ~」とお互いに声を上げてしまった。おととい鴨島温泉で善根宿にいた彼だ。きのうは鍋岩の「すだち館」にA君と泊まったはずだ。一緒に出て来たA君は、だいぶバテたため大日寺近くの旅館に泊まることにしたという。
茨城なまりのある彼のことを以後、B君といおう。

 

洗濯機に放り込み風呂に入る。食堂には私ひとりだけ。B君は素泊まりらしい。ちょっと寂しい夕食風景となった。

厳しい山越えを終えたあとの遍路道をのんびり楽しんだ一日だった。


デジブックアルバム 『遍路旅partⅡ-4』