■伊予讃岐の歩き遍路旅
61番香園寺本堂
遍路3日目 平成27年4月3日(金) 晴れのち雨
栄家旅館→60番横峰寺→61番香園寺 23.9 キロ
6時起床。部屋から見ると東の空が明るい。
今日はしんどい山歩きになるので足裏の内側、小指、膝に念入りにテーピングをする。6時30分、栄家旅館のお母さんに見送られて出発。もうひとりの泊まり客が午前3時半に起き出して出掛けたので、お母さん眠そうだ。
早朝の丹原町は人影まばらで未だ眠っている。静寂な町を通り抜けて中山川を渡るころ朝陽が横から射してきた。麦畑の緑がまばゆい。
7時30分、国道11号線沿いのコンビニでコーヒーを飲む。今はどのコンビニでも淹れ立てコーヒーを安く美味しく飲めるのでありがたい。ここから6キロほど林道を歩く。山ふところに向かって緩やかに登りが続く。人家もまばらになり、時々車が行き交うだけ。こういう林道歩きはほとほと疲れる。四国各地で見かけるのだが、小指ほどの太さで体長20センチはあろうかという巨大ミミズが道路を横切っている。これは四国だけに棲息するやつかもしれない。
9:45やっと横峰寺への登り口に到着。雨がすこしポツポツときた。休憩小屋がある。覗いてみると一冊のノートが置いてあり、ここで野宿した遍路人の感謝のコトバがたくさん綴られている。野宿する人が少なからず存在することに改めて驚く。
山道をしばらく登っていると、下からチリンチリンと鈴の音が次第に近付いてきた。女性の登山者だ。年は五十代かな。
「こうして山歩きしていれば認知症にもならないでしょうし、もう100回は登ったかしらね」
という。すご~い、と感心してたら
「もっとすごい女性(ひと)もいますよ、今日も登ってるはずですが彼女は千回以上登ってますよ、」
おやつのミカンを取り出して奨めてくれるので遠慮無くいただく。
「今はこの不知火っていうミカンが一番おいしいわね、不知火ってどこかしらね」
「たぶん熊本の不知火湾のあたりじゃないですかね」
「そうかもしれませんね。わたし西条に住んでるんですが下の駐車場に車駐めて横峰寺を往復したら町のプールでひと泳ぎして帰るんです、あっ、ほらさっきお話しした人が降りてきましたよ」。
千回以上の女性がビニール傘一本ぶら下げて山道をさっそうと下ってきた。
「横峰寺はシャクナゲが素晴らしいのよ、5月の終わりに是非またいらっしゃい」という。記念に近くの11丁石で記念に一枚撮ってもらった。後ろに写ってる女性が100回登山のミカンを下さった方です。
11時20分、60番横峰寺の山門にようやく到着。生暖かい強い風と大粒の雨が身体に吹き付ける。ミカンをくれた女性は今日は天気悪そうなのでと、途中で引き返したが、それが大正解だったと思う。
雨の中、横峰寺本堂のまえでは団体遍路さんが般若心経を唱えている。この雨と風では線香、ロウソクも火がつきそうもないので納め札と賽銭で済ます。季節が良ければ石鎚山にも行くつもりだったが残雪があって無理とのことだ。
さて、後はひたすら約10キロの山道を下りに下っていくだけだ。風雨はいっこうに止む気配はない。ときどき見かけるヤマツツジや新緑の若い芽葉がホッとした気分してくれる。花の写真を撮っている初老の男性がいた。
先に行ったり抜かれたりしつついつしかバラバラになったが、この方とはその後4日間も同じコース、同じ宿に泊まることになった(後で訊いた話しによると、東京都町田の方で1週間の休暇をとって区切り打ちにきているとのことだった)。
8キロほど下って、香園寺の奥の院にまでくると雷がゴロゴロとなりはじめ、ますます強い風雨の中を歩くことになった。ゴアテックスの雨具もさすがに内外濡れてお手上げ状態だ。したたり落ちる雨でズボンもパンツも濡れる。
もうやけくそで歩いていたらいきなり61番香園寺の裏手に出た。15時30分だった。
香園寺はとてもお寺とは思えない美術館のようなコンクリート製の建物。実にユニークだ。それはさておき境内の桜がみごとに満開だった。ずぶ濡れも忘れて何枚も写真を撮った。
16時、今日の宿、「ビジネス旅館小松」に到着。おかみさんが届いてますよう、といって郵便物とザックを出してくれた。そうだった、昨日泊まった「栄家旅館」がお接待でザックを宿まで届けてくれることになっていた。栄家旅館のお父さんが運転して届けてくれたにちがいない。お世話になりました。自宅から次女に送ってもらった郵便物には頼んだコンパス(磁石)が入っていた。やれやれこれで一安心。
ぐっしょりの雨具を玄関でハンガーに掛け、案内された部屋で早速着替え、洗濯機で濡れたシャツ、パンツなど一式ぜんぶを洗い、乾燥機で乾かした。
18時夕食。一階の広間には歩き遍路している中高年おじさん達ばかり10名くらい。アルコールも入り至極賑やか。名物の鍋物がでた。今日は長い一日だった。
デジブック 『伊予讃岐歩き遍路』