温泉めぐり紀行

丹沢の新緑(2022年5月)

530.歩き遍路旅partⅡ(6)

2015-10-28 | 四国遍路ぶらぶら歩き

  平成27年9月7日(月)  いちにち雨
     
       徳島駅前東横INN→18番恩山寺→19番立江寺→金子屋旅館(泊)

              
                                歩行距離 28.3キロ 


 



朝の5時に目が覚める。窓を開けると雨だ。まぁ仕方がない。
6時30分、ホテルのロビーでパン&コーヒーで朝食。東横INNのいつもの朝食スタイルである。
当初の予定だと、今日は19番立江寺近くの民宿まで15キロを歩き、翌日、山中の難所に建つ20番鶴林寺と21番太龍寺を参拝し、林道を4キロほど下って坂口屋旅館に入るつもりだった。ところが、坂口屋がどうも休業らしいという情報を聞き、計画を変更する必要が生じてしまった。
坂口屋がダメだと、さらに12キロ先の22番平等寺まで行かないと旅館がない。立江寺から平等寺までは30キロほどもある。その間には二つの山と一つの峠が待ち構えている。これではちょっときつい。
ということで今日は、少々の無理をしてでも鶴林寺への登り口にある宿まで行くことにした。宿の名は「金子屋」。ネットではイマイチ評判がよくないが仕方がない。

6時45分ホテル出発。雨の中、思い切って飛び出す。国道55号線に出て道なりに進む。通勤の車やらトラックの交通量が多い。さっきから左足首が痛み始めた。
だましだまし歩く。勝浦川とJR牟岐線の跨線橋をわたって小松島市に入る。去年、ここらで大学生の遍路3人組に追い抜かれた場所だなぁ、と想い出す。

   
 
気がつくと1年前の記憶を辿っていることが多くなっている。頭ではなく足が覚えている。国道のごつごつ、ざらざらした足裏の感触や遍路道に点在する家並みなどがまだらな旧い記憶に輪郭を与え、懐かしい感覚を呼び覚ます。楽しくて嬉しい気分に満たされる。

 

10時10分、18番恩山寺に到着。
11時25分、無料休憩所で一服する。建設会社が提供している小さなプレハブ小屋はエアコンが入っていて涼しい。去年もお世話になった施設だ。高速道路の建設が続いてる間は大丈夫だろう。
12時、19番立江寺に到着。雨がやまない。こんな天気なので参拝客も少ない。大師堂でおにぎり2個を食べる。再び歩き始めると、左の足首は相変わらず痛むし、寒い。


恩山寺


 立江寺 


ふと、田圃のむこうにうどんと書いた旗を発見。黄色い回転灯がチカチカしている。営業中というサインだ。足を休めたいし暖かいものも食べたくなった。「みぽりん」という店。昼を過ぎているので客は私ひとり。やはり温かいうどんを注文。
「よかったらこのチラシ寿司いかがですか、お接待しますが」
とおばちゃんがいってくれた。でも
、さっきおにぎりを食べたばかりだ。申し訳ないけれど食べきる自信がないので・・と云って辞退させてもらうことに。

 

熱いうどんをすすると身体が温まってくる。食べ終わると、おばちゃんがcoffeeを出してくれた。これもお接待だという。ありがたいお接待に感謝、感謝である。店内になんか見覚えのある写真がいくつも飾ってある。よく見ると利尻島だ。桃岩荘も写っている。おかみさんが厨房から出て来たのでお礼をいい、写真のことを訊いてみると、毎年夏に利尻島へ遊びに行ってるとのこと。

身体も温まり休憩したおかげで足が少し軽くなった気がする。県道を歩き続けるが、雨が止まない。むしろ強い雨脚になってきたようだ。車が来るたびに立ち止まってやり過ごす。
雨具を着け傘をさしても足下がどうしても濡れてしまう。足首が再び悲鳴を上げ始めて、なかなかペースが上がらない。ふと、うしろを振り返ると菅笠とポンチョをかぶった二人がすごい勢いで歩いて来た。
こんにちわぁ、とこちらに一声かけると、二人はあっという間に抜き去っていった。あの歩きはたぶん時速6キロくらいだろうな。

   

すげぇなぁ~と感心していたら、軽自動車がすっと停まり、「これ、ひと口羊羹ですがどうぞ」と、助手席から女性が声をかけた。反射的にありがとうございます、とお礼をいいありがたく頂戴した。

16時 道の駅「ひなの里かつうら」に到着。果物が食べたくて入ってみたが見当たらない。店番のお姉さんに訊くとここにはないけど、この先の果物店で売ってる。でも味はどうかな、という。
ついでに宿のことも訊くと奥からいろいろとパンフレット取り出してきて詳しく説明してくれた。坂口屋は7月の大雨で裏山が崩れて休業中とのことだ(その後に知ったのだが廃業となった)。遍路する者にとっては丁度いい場所にある宿だったのに残念。

今日は「金子屋」に予約していると話すと、最近リニューアルしたらしいですけど・・と言ってお姉さんは微妙な表情を浮かべた。評判はどうも今ひとつの様子である。
むしろ、その先の「ふれあいの里さかもと」がいいですよ、という。
金子屋の評判の悪さはネットで調べて分かってはいたが、駄目を押されたようで少々がっかり。そしてそのことをまもなく実感することになる。

 

16時45分 金子屋到着
きのう電話に出て来たらしい男主人(といっても40前後)が現れ、料金は前払いだと云う。でも財布がザックの奥に入ってるのでちょっと部屋に荷物を置いてから届けに来るから、というと、ではすぐに持ってきてくれ、と実に横柄な態度。
案内された部屋も粗末(夜中に電気をつけたらごきぶりがいた)。これまでいろんな宿に泊まってきたがここは間違いなくWorst1といってよい。

まぁ、こういう宿にぶち当たるのも修行だと思ってあきらめるしかない。
あとで地元の人に訊いた話によると、先代の女主人は、雪の寒い日に遍路人が宿に早く着いても玄関を開けずに午後3時まで待たせ続けたからねぇ、そんな傲慢な殿様商売ぶりを見て育ったから、と今の主人のことをいう。

要は旅館業の基本的な接客態度とか迎え方、ホスピタリティーが感じられない、そんな宿も遍路宿の中にはあるというお話しである。

夕方、近くのコンビニで夕食の焼きそば、野菜ジュース、金麦を購入。ついでに氷も買ってふくらはぎ、足首を冷やす。結局、今日は雨の中を28キロ歩いてしまった。これは今回の遍路旅で最長の歩きだった。


 デジブック アルバム『遍路旅partⅡ-5』

 


 

 


529.歩き遍路旅partⅡ(5)

2015-10-24 | 四国遍路ぶらぶら歩き

  平成27年9月6日(日)  雨↔曇り
     
       鱗楼→17番井戸寺→徳島駅前東横INN
              
                                歩行距離 15.3キロ 


7時に朝食7時50分に宿を出発。かなりゆっくり目のスタート。きょう参拝するのは17番井戸寺のみ。あとは徳島駅前のホテルまで歩いていくだけだ。徳島駅前を2日に出発して今日6日に戻るわけだ。



宿を出てからまもなくポツポツと雨が降り出した。地図で確認しながら17番井戸寺に着いたのは8時40分。参拝を終えて山門を出たところでB君がやってきた。
お互いに記念写真を撮りあう。彼も徳島駅前のビジネスホテルに泊まる予定とのこと。




井戸寺山門前でB君に撮ってもらう


交通量の多い県道を歩き、鮎喰川に架かる橋をわたるとスーパーやらコンビニ、大学病院など賑やかな市街地に入ってきた。トイレに行きたくなりスーパーに飛び込む。店内のドラッグストアで筋肉痛用・インドメタシン液入りの塗り薬を購入。

    

11時50分
、ラーメン屋さんに入る。けっこう混み合っている。次々と客が入り立って順番待ちするひとが多くなってきた。小ぶりの丼で出て来たラーメンはさっぱりした出汁でおいしい。ひとくち、また一口とあっという間に食べきってしまいつゆも飲み干してしまった。後で聞くと、徳島では1番美味しいラーメン屋とのこと。店の名は「いのたに」。

  


12時50分
、今宵の宿、東横INNに到着。荷物をフロントに預けて向かった先は・・「あらたえの湯」。去年の遍路の際にも入ったスーパー銭湯だ。駅前からバスに乗る。帰りのバス時刻を確認して銭湯へ。風呂も大きいし、露天風呂もいろいろある。二階の休憩スペースで昼寝して過ごす。疲れがとれていく気がする。

   

 


528.歩き遍路旅partⅡ(4)

2015-10-20 | 四国遍路ぶらぶら歩き

  平成27年9月5日(土)  晴
     
       なべいわ荘→町営バス→寄井中駅で乗り換え→広野バス停下車
     →13番大日寺→14番常楽寺→15番国分寺
     →16番観音寺→鱗楼(泊まり)
              
                                歩行距離 18.0キロ 





 

きのうの夜、ふくらはぎから太ももにかけて赤い斑点状の湿疹が出てきた。足を酷使したときの身体から出るサインでいつものことだ。それにしても、ふくらはぎが痛む。きのうの厳しい山越えのダメージがやはり大きい。
さて今日のコースをどうしようか迷っている。去年(7月)は、台風で強い雨だったのでバスで大日寺まで行ったが、今回は歩いてみたい。

・・
と頭では思っている。しかし途中の玉ケ峠がきつい上り坂であると聞くと、やっぱりバスでいくかぁ、と二の足を踏んでしまう。いつものことだが旅先で疲れてくると決断力が著しく低下してくる。グズグズといつまでも結論が出せずに堂々巡り、優柔不断の脳みそになってしまう。
という訳で、疲れの残った足の云うことを聞いて、途中までバスで行くことに決めた。

7時30分、町営バスに乗る。客は4人。
昨夜、なべいわ荘に泊まったおじさん遍路とおばさん遍路二人組の皆さんだ。寄井中駅で徳島行きのバスに乗り換える。いい天気だ。バスは国道を離れ、いくつかの集落に寄りながら山間を進む。



8時15分
、遍路の皆さんに会釈して広野駅で下車。鮎喰(あぐい)川が目の前だ。きれいな川だ。清流というのはこういう川のことを云うのだろう。
右岸の県道をしばらく歩き、行者野橋を渡って左岸に移動。こっちの道は車もほとんど来ない。朝の陽をたっぷりと浴びながらのんびりと歩く。川面がまぶしい。ぽつんぽつんと民家が現れるが、ここに住んでる人たちはどうやって暮らしてるんだろうかなと、つい想像してしまう。

もう一度橋を渡って右岸に戻ると遍路小屋が見えてきた。
おやすみなし亭」と書いてある。無人の小屋だ。中にはテーブルと椅子、冷蔵庫にはお茶とミカンが入っていて、自由に利用してよい、と張り紙がしてある。ミカンとお茶をいただき30分ほどくつろがせてもらう。清潔で綺麗に保たれているのは地元のボランティアのおかげだ。四国・・というか徳島の人たちの遍路を迎える優しさか感じられる。ありがたいと思う。





ここから13番大日寺は近かった。11時45分に到着。参拝の途中で団体遍路がどっとやってきた。9月初めのこの季節なら静かな遍路になるかなと想っていたが、個人も団体も結構遍路に繰り出している。田園地帯を2キロ余歩いて14番常楽寺12時55分に到着。
境内は岩肌が露出している特異な景観である。15番国分寺は800メートルの距離。聖武天皇の勅令で建てられた阿波の国の国分寺である。本堂の背が高い特徴ある建物である。逆に大師堂は建て替えたばかりらしく真新しい姿を見せている。
16時20分、今日最後のお寺、16番観音寺に到着。

   

今宵の宿は、ここから5分の距離にある「鱗楼(うろころう)」。
2階の部屋に案内してもらったとき隣の部屋のドアが開いた。「おぉ~」とお互いに声を上げてしまった。おととい鴨島温泉で善根宿にいた彼だ。きのうは鍋岩の「すだち館」にA君と泊まったはずだ。一緒に出て来たA君は、だいぶバテたため大日寺近くの旅館に泊まることにしたという。
茨城なまりのある彼のことを以後、B君といおう。

 

洗濯機に放り込み風呂に入る。食堂には私ひとりだけ。B君は素泊まりらしい。ちょっと寂しい夕食風景となった。

厳しい山越えを終えたあとの遍路道をのんびり楽しんだ一日だった。


デジブックアルバム 『遍路旅partⅡ-4』


 

 



527.歩き遍路旅partⅡ(3)

2015-10-19 | 四国遍路ぶらぶら歩き

  平成27年9月4日(金)  快晴
     
       吉野旅館→11番藤井寺→長戸庵→柳水庵
     →浄蓮庵→12番焼山寺→杖杉庵→なべいわ荘(泊)
              
                                歩行距離 16.1キロ 


 



いやぁ、きついっすねぇ、この道。オレ90キロ超えてるんで・・、きのう宅配便でかなり送り返したんすけど、やっぱきついわぁ。この腹回りの肉もパックで遅れたらいいんすけど(笑)

藤井寺から急登がはじまり、30分ほど行くと吉野川が見渡せる場所に出た。
さっきから抜きつ抜かれつしていた若者がそう話しかけてきた。






「オレ世田谷から来たんすけど和食の料理人やってます。鴨島温泉の善根宿に泊まったんですけど、きのう風呂に入ってませんでしたか、(私を)見たような気がするんだけど、そうでしょうやっぱり。一緒に泊まった奴のイビキでよく寝られなかったけどまぁしょうがないよね。」

 
都会っ子らしい人なつっこさで彼の話しはどんどんと広がる。


「横浜からですかぁ、オレ、ヒルトンホテルとか、野毛の開洋亭でも働いてたんですよ開洋亭は伊勢山皇大神宮がやって(経営して)たけど、先輩の料理人たちに云ってることが支離滅裂でさぁ、オレでもこりゃだめだなと思いましたよ。開洋亭は経営破綻して今はもうない
オレのオヤジも和食料理人で北鎌倉の鉢ノ木で10年間、料理長やってました。料理人の世界って狭いし人間関係が濃いから店がつぶれても先輩たちが引っ張ってくれるんですよね。この間まで給食サービスの会社でメニューの開発とか監督してたんだけど辞めて四国へ来ちゃった。
とにかく歩いていっぺんに88カ所廻るつもりだけど、遍路するなら本を4~5冊読んでから行けって先輩から云われて持ってきたけど重いっす。」



あぁ、じつによくしゃべる青年だ。
12番・焼山寺は標高700メートル。札所中3番目の高度に建つ寺である。標高140メートルの藤井寺から登り始める12キロの山道は八十八カ所随一の難所である。
三度のきつい登りと二度の下りが待っている。
 前回は娘遍路と一緒に登り、8時間以上かかった山道である。今回はこの青年(仮にAくんとしよう)と歩くことになった。


 きのう渡った吉野川が見える

 

明け方にキレイな金星、明けの明星を見た。昨夜、月が見えたのできっと明日は天気はいいだろうな、と思った。
そして期待どおり、今日いち日、快晴であった。

6時に朝食6時30分には出発。
凜とした朝の空気を吸いながら藤井寺6時45分着、山道に入り、長戸庵9時、柳水庵10時30分に到着。やっと中間地点だ。
庵の近くに山から引いた湧き水がある。のどを潤し、呼吸を整えて、登りの遍路道に分け入る。先に行ったA君が休んでいる。私も休む。
少し登っては休む、その繰り返し。ジグサグの道をやっとの思いで登り切ると杉の巨木と大師像が見えた。
一本杉庵に到着した。時刻は12時。ここで宿で作ってもらったおにぎり二個をほおばる。

    


杉の巨木と大師像


ここからは急坂を一気に左右内(そうち)の集落へと下っていく。いまが収穫の季節なのだろう、集落に近づくとスダチがたくさんなっている。
どうぞ採って食べてください、と農家のおばさんが勧めてくれた。皮ごとかじると、柑橘系のさわやかな香りが鼻の奥を刺激し、クエン酸の果汁が口の中いっぱいに広がった。だるい疲れが吹き飛んだ。

左右内川に架かる橋を渡り最後の登りだ。A君は足に豆ができたらしく、ここで少し休んでいくというので先に行くことに。
14時30分、焼山寺に到着。やはり8時間かかってしまった。境内では見事な杉の巨木が迎えてくれる。ほっとする瞬間である。

   



「えぇ、歩いて来たのう? それはすごいわぁ、
私おばちゃんだから、きのうは徳島に戻って今朝、バスで麓に来て登ってきたの」


そう話しかけてきたのは、きのう熊谷寺や切幡寺で会ったおばちゃん遍路。ぐんぐんと歩いて私を追い抜いていったおばちゃんだ。こうしてお寺や遍路道で何回か逢って会釈しているうちにフレンドリーになってくるのも自然の成り行き。
そしてA君もやってきた。
今夜は鍋岩の集落にある遍路宿「すだち館」に泊まるという。一泊2食3500円と超格安なのでここに決めたらしい。(後でき聞くと、部屋は狭く、相部屋だったそうだ)。


焼山寺


15時15分、
焼山寺を出発。くねくねした車道を歩く。下りの坂道がずっと続く。途中、無人の販売所があった。
よく見ると野菜に混じって小瓶の「梅肉エキス」が置いてある。1500円の支出だが、ときどきお腹がゆるむときがあるので、ちょうどいい買い物だった。ひと舐めすれば、ひと晩で元のお腹に戻る。私にはよく効く薬のひとつである。

16時30分、なべいわ荘に到着。ちょっと変わった管理人のオヤジさんも健在だ。二階の部屋に案内され、荷物を置くと、どっと疲れが押し寄せて来た。
疲れた、とにかく疲れた。足がへたって、左足親指の爪が真っ黒になった。何はともあれ、まずは汗ですっかり汚れた下着、シャツを洗濯機に放り込んで風呂に入る。
両足を温めず、水シャワーでどんどん冷やす。

風呂上がりに食堂へ行き、夕食準備に忙しいお母さんに瓶ビールを出してもらって一気飲み。美味いのなんのって。
今夜の客は私をいれて全部で4人。おじさんひとりにおばちゃん二人組。ここの食事は本当に美味しい。料理上手なお母さんなのだ。おじさんは兵庫県からの方で、天気の良さそうなときを見計らって歩いてるとのことだ。
部屋で遍路ノートを見た。いろいろな人がいろいろな感想を記している。

 

<60才男性>

出産以外に入院したことのなかった妻が昨年ガンで急に亡くなりました。ガンと宣告されてから3か月で逝ってしまったのです。いまだに信じられなくて呆然とした日々を送っていますが、その妻の供養のために写真を持って巡礼しています。

<72
才男性>

昨年、32才の息子を亡くした。息子は重い機能障害をもって生まれてきた。手足も身体も不自由でしゃべれないが唯一笑顔だけがコミュニケーションだった。周りの理解と応援もあって普通学級に通うことができました。しかし、重大な病気が見つかり不治の病であることがわかり、悲嘆に暮れました。苦痛なはずなのに笑顔をつくる息子が本当に不憫でした。この遍路は、その息子の供養です。



たくさんの思いを背負いながら遍路をしている人の存在を改めて知った夜だった。

 

 


 デジブックアルバム 『遍路旅partⅡ-3』







 



 

 

 

 

 


526.白山温泉、日テレ「スッキリ」で放映

2015-10-12 | 温泉探訪

昨日、山梨県韮崎市・白山温泉の露天風呂に入ってたら突然、日本テレビの取材がありました。この温泉はノーベル賞を受賞した大村博士が私財を投じて建てたもので、受賞をきっかけに一気に有名になった温泉です。テレビは明日、放送するのことでした。

そして今日12日の朝。
朝刊のテレビ欄をみると、
▼連休中どうなった?①満員大混雑ノーベル賞教授の温泉 とありした。
うまいタイトルをつけるもんだなと感心します。
番組の初めは、ラグビー米国戦の結果を放送し、やっと8時半過ぎに昨日撮っていた露天風呂の温泉シーンがでてきました。どきどきしましたが、私も思いのほか写ってましたねぇ。奥さんと笑いこけながら見てました。

娘や息子に知らせていたので、皆で見たよう、孫が指さしてジ~ジだって笑ってたよう、とか続々、携帯にメールがきました。
奥さんのお友達からも「ご主人が写ってましたねぇ」とメールが来てました。面白い体験でした。


テレビ画面から









 


525.大村美術館&白山温泉

2015-10-09 | 温泉探訪

 


やはりというか、もう大勢の人が開館を待っている。時刻は午前9時。ポツポツと雨交じりの天気。実は奥さんと韮崎大村美術館にやってきた。ノーベル賞受賞の大村博士が私財を投じてつくり韮崎市に寄贈したというあの美術館である。

たぶん行列だろうなと予想して今朝は6時に横浜を出て圏央道、中央高速でやってきた。ノーベル賞受賞記念事業として6日から13日まで無料開放のせいもあるかもしれないが雨の中で開館を待つ人が多い。30分切り上げて9時半にオープンしてくれた。
小さくて瀟洒な美術館だ。梅原龍三郎、堀文子、片岡球子、小倉遊亀など錚錚たる作品が展示されている。女性画家を中心に大村博士がコレクションしたものが多いのが特徴である。二階には濱田庄司作の皿、壺などがショーケースに展示。丘の斜面に建っているので、二階の展望カフェからの眺めがいい。
今日は残念なことに雨なので見られなかったけれど、晴れてれば富士山、八ヶ岳、奥秩父連峰、茅ケ岳を望むことができる。

 


それまでは一日あたり数十人の来館者でしたが大村先生のノーベル賞受賞のニュースが報じられた翌日(6日)は800人、次の日は1800人が来られたんですよ。もうびっくりです。

と美術館の女性館員さんが語ってました。


   

そしてこのノーベル賞効果は隣の温泉施設「白山温泉」でも同じ。これも大村博士が設計し私財で建てた温泉施設である。それまでは地元のひとがのんびり利用してたのにニュースが流れてからというもの、大勢の観光客で混雑してきたと、露天風呂でおじさんが半分嘆いている。
露天風呂には東京、埼玉など来たおじんたち7~8人。ぬるめの気持ちいい温泉だ。皆でノーベル賞受賞談義で盛り上がる。

「あの薬の特許料がすごいらしいよ」

「どんくらいかね」
「年に10億らしいね」
「へぇ~すごいね、それはまた」
「隣の美術館の絵画は全部で5億だって話だよ」
・・・・

 

「すみませんが、これから取材させていただきまかので、よろしくお願いします」と、
テレビの取材クルーがやってきたた。日テレの朝番組「スッキリ」とか
レポーター(後で訊くと大竹真さんという人)が風呂に入り、どちらからですかぁ、とか入浴客のおじさんたちに取材。15分くらいあれこれカメラに撮っていった。



明日の8時から9時の間に放送するとか。

    



さらに、隣のそばや。おいしいからぜひ食べていってください、と美術館の女性が勧めていた。しかし、11時の開店時にもう19番目。予約名簿に記入し、いったん施設の休憩室に戻って30分後、店内の様子を見に行ったらまだ誰も食べてる様子がない。一人で蕎麦をうってるとのこと。これではとても無理なのでキャンセル。

韮崎市民俗資料館にあるNHKドラマ「花子とアン」のロケセットを見て、「みたまの湯」へと向かった。

 



大村美術館パンフレットから










NHKドラマ「花子とアン」のセット


524.ノーベル賞

2015-10-08 | 暮らし

昨日、一昨日と連日、日本人のノーベル賞受賞決定のニュースで沸いている。
画期的な抗生物質(イベルメクチン)を発見し、開発途上国で多くの人を救った功績で医学生理学賞に決まった大村智さん(80才)と、
素粒子の一種のニュートリノに質量があることを実証して素粒子物理学の常識を塗り替え、物理学賞に梶田隆章さん(56才)。日本人の優秀さが認められたようで嬉しい毎日である。
科学好きの少年なら誰でもあこがれるのがノーベル賞。わたしの小学生時代も未来のロボットを想像したり描いたりしていた。夢のなかに住む少年だった
ふと、科学研究の世界によくある「セレンディピティー」というコトバを久しぶりに想い出した。科学と短歌のコラボレーションの世界も面白い。


 

デジブック 『現代短歌と科学』


 





 


523.歩き遍路旅 PartⅡ (2)

2015-10-05 | 四国遍路ぶらぶら歩き

 


  平成27年9月3日(木)  雨
     6番安楽寺→7番十楽寺→8番熊谷寺→9番法輪寺
              →10番切幡寺→吉野旅館(泊)
              
                                歩行距離 25.1キロ 


 


 

 


 
■安楽寺は駅路寺

安楽寺宿坊に泊まったのは結局のところ私一人だけだった。今回のように
一人しか泊まらないケースでは、宿坊に予約の電話をした時点でやんわりと断られるのが普通。団体が入っていて部屋が空いてれば泊まれます、とか、遍路の少なくなる真冬・真夏のオフシーズンは休業というところがほとんどである。たった一人の客のために食事やら風呂を用意してたら経営的には赤字だろうと思う。
 安楽寺宿坊

ところが安楽寺は駅路寺として遍路の宿泊の役を担ってきた歴史がある。駅路寺とは豊臣政権の阿波大名が遍路救済のために宿泊と食事提供を指定したもので、札所のなかでは安楽寺だけである。
そんなこともあって泊めてくださったのだろうと思うが、安楽寺は温泉山という山号がついてるように温泉の湧く宿坊でもある。でも残念なことにボイラーが故障ということで湯に入れなかった。少し残念なことであった。

昨晩、夕食後に尼さんが寺の中を隅々まで詳しく案内してくれた。仏に仕える毎日がとても楽しくて仕方が無いという表情を浮かべ
「わたし60すぎたら皆さん得度して仏門に入られたらよろしいのに
、とほんとうに思います。」
と自身の還暦超えをにおわせながら、にこやかにお話しされた。
そうだなぁ、還暦仏門というのもいいかもなぁ・・・。

■雨のいち日

6:00起床。窓を開けてみるとやはり雨。予報どおりだ。
7:00 安楽寺を出発。山門をのぞいてみると誰もいない。ひげおじさんと名古屋のおばちゃんは二人はもう出立したようだった。
雨具をつけ傘をさして歩く。ここらあたりは去年の7月に歩いた道だ。田舎のなんでもない普通の道が懐かしい。一度歩いた道はわりと記憶しているほうなので土地勘というか地理感覚がよみがえってくる。なので迷いが無く安心して歩いてる。

 

雨のなか7番十楽寺を参拝し、次に向かう。雨が強いので線香、灯明(ろうそく)はパス。けっこういい加減。今回は納経帳の捺印もしないので納経
時間(7時~17時)に縛られないので気分的にすごく楽である。
しばらく高速道路に沿って歩てると野良犬が三匹、雨にうたれながらチラッとこちらを見ながらトボトボと歩き去っていった。



どこから来てどこへ行くんだか。保健所で積極的に捕獲しないのかどうか分からないけど四国は野良犬天国である。
首輪をつけいる犬でも独り歩きしている姿をよく見かける。去年の秋遍路の際、山中で野犬に取り囲まれ殺されるかと思ったと話してくれたおじさん遍路がいた。その恐怖の体験以来、彼は熊撃退用スプレーを持参しているといってたなぁ。

 熊谷寺


8:40 8番・熊谷寺に到着。ここで名古屋のおばちゃんとひげおじさんと再会した。元気そうだ。今晩は、うどん店を兼ねた旅館八幡に泊まるつもりだという。私はそこからさらに8キロ先の吉野旅館まで行く。11番藤井寺の近くだ。
ヒゲおじさんは腰痛に悩んでたが、二人は明日も藤井寺近くまでとし、体力温存を決めたようだ。昼に八幡のうどん店で会うことを約束して別れる。

9番法輪寺、10番切幡寺
を参拝し、約束のうどん店に入ると彼らは既に食事を済ませ、宿に荷物を置き、これから切幡寺へ向かうという。おばちゃんも一緒に歩いてもらえるパートナーができて安心したようだ。お互いに記念写真を撮りあってお別れだ。たぶんこの先で会うことはもうないだろうな。まさに一期一会。元気に88番まで巡りきれるようにと願い思う。

 お元気で


去年の7月、今日と全く同じコースを歩いている。吉野川が作った広大な中州の道を歩いたときは午後の日射しが強く照りつける暑い日だった。たまたま出逢った娘遍路と同行し、励まし合いながら藤井寺をめざした場所だ
あまりの酷暑に電柱の作るわずかばかりの日陰に入り、彼女の差し出したレモン味の飴をなめて一息ついた。(そのときの様子は396.娘遍路と歩くのとおり)
しかし、今日は雨。その場所はこの辺りだったかなぁ、などと思いを巡らしているうちに吉野川本流に架かる川島橋に着いた。
沈下橋として有名な場所である。すごい勢いで流れている。さっさと渡らないと対向車がきたら行き場がなくなる。

 川島橋  マムシはこわい

■鴨島温泉

今晩の宿の吉野旅館に行く前に立ち寄りたいところがある。地図を見ていたら吉野旅館の近くに鴨島温泉があることが分かった。やはりここは入っておかねばなるまい、と寄り道をした。

あっ、お遍路さんはこっちのボタンですよ、と入浴料の自動販売機の前で従業員さんが教えてくれた。歩き遍路はなんと100円安い360円となっている。
ありがたい接待だ。醤油樽のような円形の内湯と露天風呂がある。時刻は3時半だが地元客でいっぱいだ。
疲労した両足は本来、アイシングしなくていけない。ちょっと行儀わるいけど湯に浸からないように両足を縁にかけて肩まで入る。足を暖めてしまっては逆効果になるので痛し痒しだ。

    鴨島温泉

この温泉には無料宿泊所がある。のぞいてみると3畳ほどの広さ。青年がひとりいたので感想をきいてみた。「無料でとまれるんだから、ほんとありがたいですよ」と茨城県方面のイントネーションで答えてくれた。

今、風呂に入ってるけどもう一人とまる若者がいるらしい。自転車を借りてコンビニで晩飯も用意してきたという。隣に女性用の宿泊施設もあり、風呂もあるし、若ければ是非とも泊まってみたい場所だ。
*この青年たちとはその後、たびたび出逢うことになる。)


  
無料宿泊所は3畳ほどの部屋

   
16時35分、吉野旅館到着。早速に洗濯をする。偶然だが去年7月に泊まったときと同じ部屋だった。窓から茜色の夕陽が射し込んできた。明日は天候が回復するだろう。ヒグラシの声が夕暮れどきの叙情をいっそうかきたてる。

18時夕食。やはり豚カツがメニュー。食堂は満員の12名。オヤジさんの話では昨日は3人だったのに今日と明日も満室とのこと。

さて明日はいよいよ四国最大の難所が待っている焼山寺だ。

   吉野旅館


デジブック アルバム『遍路旅partⅡ-2』


 







 

 


522.歩き遍路旅 PartⅡ (1)

2015-10-04 | 四国遍路ぶらぶら歩き

  平成27年9月2日(水) 晴れ一時雨
     徳島駅→坂東駅→1番霊山寺~6番安楽寺(泊)
              
                                歩行距離 21.3キロ 






 

今日(2015年9月2日)から「歩き遍路partⅡ」を開始。
ふた月まえに88番大窪寺で結願したばかりだというのに、また四国へ来てしまった。周りは信じられない!って反応だ。でもなぜか吸い寄せられてしまうのだから仕方がない。これぞ四国病という病(やまい)なんだそうだ。


実は昨日のうちに徳島に着いている。14時のANA便を利用し、16時前には徳島駅前の阿波観光ホテルに到着、ゆっくり寝て今朝を迎えた。徳島駅前はすっかりなじみの光景となった。いったい何度ここに立ったことだろう。
2ヶ月前の7月4日にも奥さんと徳島駅前の東横インに泊まり、翌日フェリーで高野山に向かったばかりである。たぶん7~8回くらいは来ているんじゃないかと思う。


 徳島駅前

さて、遍路初日は前回と同様、通学の高校生で賑わう7時7分発JR高徳線に乗車し坂東駅をめざす。いよいよ歩き遍路旅partⅡの始まりだ。
車窓から見える吉野川は本当に川幅の広い雄大な川だ。10番切幡寺までは吉野川の左岸をさかのぼっていくほぼ平坦な道である。
そして上流部の川島橋を渡って11番藤井寺にたどり着くと、一転して険しい山岳道が待っている。

この後は吉野川の右岸に沿った遍路道となる。つまり上流に向かって歩いた後、Uターンして徳島駅周辺へと帰ってくる。平野部と厳しい山中の遍路道が続く、まさに山あり谷ありの遍路道が徳島の特徴だ。
線路に近いレンコン畑では収穫の真っ最中だ。
見覚えのある坂東駅を下りる。
靴紐を縛り直して出発。いい天気だ。歩く気分が高揚している。

  坂東駅

突き当たりの道を右に曲がったとき
いきなり後ろから「お茶でも飲んでいかないかぁ」と自転車に乗ったお父さんに声をかけられた。
駅を出発して5分も経っていない。

 お節介やきの面白いお父さん


出発したばかりで休憩もどうかなと思ったが、お父さんがあまりにも熱心なので寄ることにした。昔は喫茶店か食堂だったらしい家に招き入れられる。と、じきにもうひとりお遍路さんも招き入れられた。50才前後のおばちゃん遍路だ。大きなザックを背負っている。

あとで訊いたのだが名古屋で30年も水泳のインストラクターをしてきた女性で、遍路は初めて。年内に88カ所を巡り切れればいいなと思っているとのことだ。しかも野宿覚悟で簡易テント&寝袋もザックに入ってる。重そうなわけだ。女性なのに度胸のある遍路旅を覚悟している。

 ザックが重そう

彼女が遍路初心者だと分かると、お父さんは俄然はりきりだした。野宿できる場所やら無料宿泊所のリストを取り出して解説し始めた。女性は熱心にメモをとっている。遍路道のガイド本を取り出して、ルートの詳しい説明もしている。手垢で汚れ古びたその本を見ると、お父さんはこの場所で長年にわたって通りかかったお遍路さんにに話しかけてきたんだろうな、と想った。
結局、お父さんは我々と一番札所まで歩き、名古屋の女性はおじさんのアドヴァイスで菅笠、金剛杖、白衣、納経帳、選考、ろうそく、納め札など遍路用品一式を取りそろえることになった。

3番の金倉寺。
暑くてかなわんなぁ・・・」あごにひげを蓄えた痩躯のおじさんが人なつっこそうに声をかけてきた。通し打ちの野宿派。
関西系のイントネーションだ。話しぶりからすると何回目かの遍路のようだ。今夜は6番安楽寺の山門の上の通夜堂に泊まるという。
寺に電話したらここは寺の管轄外とのこと。つまり黙認してるということだ。
そんな雑談をしていると、先ほどの名古屋の女性が現れた。すっかりとお遍路さんのスタイルになっている。

 名古屋の女性と関西系のヒゲおじさん

この後、この3人で6番安楽寺まで一緒に歩くことになる。3番から順調に参拝し、16時30分、安楽寺に到着。山門の上は鐘突堂になっていて3人寝るのがやっとのスペースである。
少々気が引けるけれど私は宿坊を予約しているのだが一緒に寝床作りを手伝う。無料(ただ)なんやからこれくらいはどうと云うことはあらへん、とひげおじさんは割り切って、ほこりまみれの座布団を隅に寄せ、簡易テント(ツェルト)を張る。名古屋のおばちゃんも急ぎテントを張る用意をし始めた。あとからもう一人来るので少しスペースをあけている。

後で訊くと、おばちゃんと後から来たおじさんのイビキの合唱でひげおじさんはほとんど寝られなかったようだ。


 デジブック アルバム『遍路旅PartⅡ-1』