温泉めぐり紀行

丹沢の新緑(2022年5月)

148.大晦日

2011-12-31 | 暮らし

大晦日。

今年は、3月に未曾有の東日本大震災が発生。

ここ横浜でも、かつて経験したことのないものすごい揺れだった。

大津波が次々と家を襲うテレビの中継映像に言葉を失ってしまった。

そして福島第一原発の爆発で飛び散った放射性セシウムによる川、海、山の汚染・・・

いざというときに機能不全に陥るこの国のシステムに絶望させられ、

政治家、官僚、科学者たちへの不信がつのった年でもあった。

一方、我が家では、

4月に初孫(女の子)が、その半年後に二人目の孫(男の子)も誕生し、

この赤ちゃん達が皆に希望と喜びを運んできた。

8か月に入った子はハイハイが上手になり、2か月の子は少し笑うようになった。

これからも、いっぱいいっぱい可愛いがってあげようと思っている。

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一昨年の12月に始めたこのブログも3年目を迎えます。

できるだけ定期的にアップしようと思っています。

みなさま、どうぞよいお年を

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147.Winter Vista Illumination

2011-12-19 | 暮らし

12月17日の土曜日。今日は実に忙しい一日だった。

午前中にチェロとキーボードによるボランティア演奏をこなし、

午後は府中市の母校を訪ねそのまま立川の昭和記念公園のイルミネーションを見に行った。

学生時代に在籍した琴、三絃、尺八の邦楽サークルその第40回定期演奏会を聴きに

府中市の母校キャンパスを訪ねた。受付を済ませて会場の講堂に入ると

Y田、Y川それにKさんの懐かしいOBの顔があった。

Dscf1801

後輩の学生達が奏でる「六段の調べ」など古曲を聴いていたら、

群馬県の大学演習林宿舎で夏合宿を想い出した。

自炊しながらY川たちと一日中練習していた40数年前のことが昨日のように甦ってくる。

部長を引き受けた3年の間、女子を誘って琴・三絃の部を創ったり、外部のホールで初めて演奏会をやった。

尺八、琴を買うため部員全員で府中のサントリー工場でアルバイトもした。

そのバイトの帰り、府中本町駅前の中華屋で食べたラーメンが美味かったなぁ。

ところで、

 

当時の私たちのサークルは別名、"奇人変人クラブ"とも呼ばれ、

文字どおり変な(いや、個性的な)奴らのサークルだった。たとえば、

北杜夫を信奉してたA

サンダル、すててこ姿に麦わら帽子姿で虫網を振り回していた植物防疫科のAは、

やせた身体からは既に老境を醸し出していて"じいちゃん"とあだ名されていた。

国の研究所で虫の研究しているはずだ。彼が学生寮にいた頃、暇つぶしに

私と小説を1ページずつ交互に書いて遊んでいた。

獣医科のO越さんは、もう留年を2回繰り返しながらも全く動ずることもなく

飄々と尺八の音色を牛に聴かせていた。部室の前にはよく2,3頭の実習用の牛が草を食べていたなぁ。

O越さんは、6年の寮生活を終えて故郷の徳島県へ帰り、保健所に勤めていると風の便りにきいた。

革マルヘルメットにゲバ棒で暴れていたO村は、卒業と同時にちゃっかりと

某大学の計算センターに潜り込み、都庁職員の女性と結婚して、いっぱしの市民生活を送っている。

みんな自由でずぼらでまっすぐな生活を送っていた1960年代の青春だった。

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そんな奇人変人ぶりの筆頭だったY田は、豪放さと小心が混濁したある種の性格"破綻者"で、

以前にも増して太りに太って相撲取りのような巨躯になっていた。

研究室が一緒だったKさんとは卒業以来だ。

黒々としていた髪が今はすっきりとした禿頭にと化してしまった。

Y川氏には3.11大震災のとき親戚への連絡に尽力してもらった。彼は今月下旬、

沖縄旅行するので老舗菓子店を営むサークルの後輩、J花くんに会ってくる予定とのことだ。

J花には沖縄出帳の際や家族で旅行した際にもずいぶんと世話になった。

沖縄が米国から返還される前だったので、J花は琉球政府の国費留学生として入学した正にエリート。

卒業後、沖縄県庁に勤めていたが後に退職し、

家業の沖縄銘菓 橘餅(きっぱん)冬瓜漬店を引き継ぐことになった。琉球王朝の伝統菓子である。

謝花きっぱん店 - 料理写真:小さく切り分けて…

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OBの尺八四重奏のあと全部員による最後の曲を聴き、

感想などアンケートを書いた。

「えぇ~!、もう50年もピアノを弾いてるんだぁ」

とアンケート用紙の楽器歴欄に書き込んだ数字を眺めながら妻は

改めてピアノとの長いつきあいを感じてるようだった。

再会を期してOB達と別れ、暗くなったキャンパスを駐車場へと向かった。

立川の国営昭和記念公園で開催されているWinter Vista Illumination。

この冬一番の寒さにもかかわらず会場は多くの人で賑わい、

イルミネーションは想像以上に美しくファンタジックなものだった。

  Winter Vista Illumination は

 12月25日まで(17:00~21:00、入園料300円、駐車料200円)

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146.中原街道Walk

2011-12-06 | Walkingの会

「歴史散歩の会」で中原街道を歩いてます。

第1回目は5月。新橋を出発して五反田まで約12キロを歩き、 以後、

暑い7,8月はお休みで9月に再開した。

   ① 新橋→五反田   (   5月)

   ②五反田→新丸子  (   6月)

   ③ 新丸子→仲町台 (   9月)

   ④仲町台→三ツ境   (10月)

   ⑤三ツ境→用田    (11月)

 

                      

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先月の「三ツ境→用田」は18名の参加。

車ではよく通るのに中原街道のことを実は何にも知らないことに気付かされる。

 そもそも中原街道の「中原」が平塚市中原からきているとは知らなかった。

 子供の頃、川崎市の中原区新丸子に住んでいて中原街道は身近な道だったし、中学は「中原中学」だった。

 「武蔵中原」なんて駅もあったので、このあたりの地名から「中原街道」というんだろうと

 勝手に思い込んでいた。とんでもない誤解だった。

 街道歩きでのおかげで半世紀ぶりに間違いが訂正されたというわけだ。

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            三ツ境・宗川寺

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13年目に入った「歴史散歩の会」は、やはりリーダーのO先生の人柄が魅力で長く続いている。

 高校で教鞭をとっていたO先生は、毎回下見をされ、

 寺社仏閣、石碑などの歴史的な背景や由緒来歴を丁寧に話して下さる。

 ついこの間、50回記念誌を作ったと思ったら次回でもう第72回。

 事務局として開催通知を出したり、お世話役を引き受けてかれこれ5年くらいだろうか。

 O先生先生はじめ、気の置けない仲間達とのWalking。

こういう会は周りを見渡してもまず見あたらない。珍しくも有り難い会といえる。

次回は、今月23日。

相模一宮の寒川神社を参拝する予定。

あと2回でゴールでしょう。

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          大和市・引地川公園

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145.Long Sleeper

2011-12-05 | 定年もの

NHKの「ラジオ深夜便」。

夜眠れない人、朝はやく目覚めてしまう人のための深夜番組らしい。

けっこうファンがいて、好きなコーナーを毎回テープに録音している方もいる。

ふ~ん、とひたすら感心してしまうのだが、眠りはわりと良いほうだし、

朝方に深く寝入る私のようなタイプには残念ながら無縁の世界だ。

とくに今日のような暖かい日に干した布団にくるまると、ほかほかと

太陽のぬくもりに包まれて幸せ気分で寝られてしまう。

今は夜10時から11時頃に床に入り、朝はだいたい8時ころにゆっくりと起きる。

7時過ぎには出勤していたサラリーマン時代には考えられないほど贅沢な毎日だ。

むかしは職場から帰って遅い食事をとって、入浴し、床に入った思ったら、もう朝で

眠い中をいやいや起きなくてはならない。

朝の通勤はほんとうに苦痛だった、1日が26時間があったらなぁ、といつも夢想してたものだ。

体内時計のリズムと社会時計のズレが解消できたのは定年で家にいるようになってから。

怠け者のようだが朝の7時過ぎの時間帯が一番深く寝入っているのだから仕方ない。

そして午後の2時半ころにもう一度睡魔が襲ってきて、1時間ほど昼寝もしている。

というわけで、定年後は

一日のうち10時間くらいは寝ているLongSleeperになってしまいました。

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さて、そろそろ朝食の時間なので失礼いたします。

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144.冬の風景

2011-12-04 | 温泉探訪

二日間続いた雨があがり、今日は朝から青空が広がった。

丹沢の山並みと雪を抱いた富士山がくっきり。360度見渡すかぎり雲ひとつない。

お正月のように空気が明るく澄んで、ほんとに気持ちいい。

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                         馬車道で

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   一昨日、おばあちゃんの白内障の手術が無事おわった。

視力が0.9に改善し、はっきりと見えるようになったようだ。

手術の様子を撮影したDVDをみたところ、実にデリケートな手術だった。

二カ所に切り込みを入れて濁りを吸い取ったあと

レンズを挿入し、あとは傷口が自然とふさがるのを待つ。

手際のよい15分くらいの手術だった。

白内障という病気は60才代半ばから罹る人が多いらしい。

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おばあちゃんは膝の調子もいまひとつで、 

療養のため群馬県の「川古温泉」へ湯治に行くのが恒例になっている。

 川古温泉は猿ヶ京から山奥へと分け入った一軒宿。

 川沿いに造られた露天風呂の泉質は無色透明でややぬるい。

 なので、皆さん長時間ゆっくりと浸かって湯治している。

 7、8年前だと思うが雪降る季節にこの宿で数日を過ごした

 源泉がそのまま湯船に湧き上がる贅沢な温泉であった。

 

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143.大往生のハナシ

2011-12-01 | 暮らし

朝から冷たい雨。コタツに入って新聞を広げると、スーパーの広告に混じって

介護施設のチラシが入っていた。

ふんふん、と何気に見ていたら、その昔に聞いた老人ホームでの面白いエピソードを想い出した。

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6年前、ホームヘルパー養成講座に通っていたときの話しです。

その女性ベテラン講師が勤務する老人ホームでは、

利用者の要望にできるだけ応えるサービスを提供するのがモットーとなっている。

ニーズを知るため、今一番行ってみたい所はどこか、というアンケートをとった。

その結果、おじいちゃん達から一番要望が多かった場所はどこだったと思いますか?。

なんと、それは「ヌード劇場」なのでした。

うーん、そりゃそうだ、そうだろうなぁ、なるほどねぇ、とえらく感心したのですが、

その願いを実現させてあげようと奮闘する施設側の意欲もすごい。

それからというもの、

職員があちこちの劇場に足を運び、やっとOKの返事をもらった劇場が見つかった。

しかし、ここで大きな難題が持ち上がる。

客席の通路が狭く、車椅子が入らないことが判明したのだ。

これでは一番前のいい席(俗に"かぶりつき"という)には行けないではないか。

普通ならここで、しょうがない、駄目ですね、とあきらめてしまうところだ。

しかし、職員達は違った。

車椅子が駄目なら、歩けばいいじゃん、歩いて舞台まで行けるようにリハビリをしよう、

と発想を切り替えた。

さぁ、それからがすごい。事情を知ったおじいちゃん達は、

なんとリハビリに一生懸命励み始めたというではありませんか。

猛烈なリハビリを重ねた結果、

ついに車椅子から立ち上がって歩けるまでに回復したというのです。

むろん念願の劇場行きがかなったわけで、じいさん達の嬉々とした顔が思い浮かびます。

満願成就したあと、そのまま歩行維持できたのか、

あるいは再び車椅子生活に戻ってしまったのか、聞きそびれてしまったけれど、

それにつけても、じいさま達は、観音様に見守られながら、

きっと極楽往生されたことでしょうね。

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