温泉めぐり紀行

丹沢の新緑(2022年5月)

835.信州・青木村のいで湯

2019-11-14 | 温泉探訪

前々から気になっていた長野県青木村の田沢温泉沓掛温泉。旅の目的地のひとつである「無言館」へ向かう途中に立ち寄ることにした。

2019年10月4日、中央高速の諏訪南ICを下り、大門街道(国道152号線)から白樺湖、大門峠を経て松本街道(国道143号線)に入り青木村に到着。

■大宝寺の三重塔

先ずは国宝の三重の塔がある大宝寺へ。創建は奈良時代・大宝年間(701~704)というから古いお寺である。パンフレットを読むと国宝三重塔は全国に13か所あり、長野県内には安楽寺(別所温泉)と大宝寺の2か所。あまりに美しいので思わず振り返るため大宝寺の三重塔は見返りの塔とも呼ばれている。

駐車場から緩やかな坂を登っていく。塩田平を見下ろす丘の中腹に建つ大宝寺はなかなかに落ち着いた風情のお寺だ。紅葉に囲まれた三重塔を正面から、横から、そして上からと見て廻る。秋空の下、のんびりと境内で過ごさせてもらった。

 

 

■温泉はしご

沓掛温泉と田沢温泉近い距離にある。大宝寺を後にして、まずは沓掛温泉「小倉乃湯」を訪ねる。入浴料金200円は安い。
湯船はふたつあり、いずれも小さい。どちらにも4~5人の先客がいる。窮屈な感じだが、ここはともかく失礼しま~すと湯船に入れさせてもらう。プンとかすかな硫黄臭がする。無色、透明の単純泉だ。平安時代から湧いていたというありがたい古湯を頂戴する。

 

 小倉乃湯   新聞から引用

 

汗引く間もなく次の田沢温泉へと向かう。8キロほど走って共同湯の有乳湯(うちゆ)に到着。緩やかに続く石畳みの坂道を歩く。旅館は3軒。有乳湯の傍に建つ旅館の玄関をみると立派な松がそびえ老舗らしい雰囲気が漂っている。開湯は飛鳥時代の後半というからここも歴史ある温泉である。入浴料200円。小さな湯船には地元のお父さんたちがいて話に花が咲いている。

  なに、酒やめたんかい
  うんきっぱり止めただよ、したら誰も付き合ってくれるやつ誰もおらなんでな。だもんで
  イヌに走っただよ、犬は服従するでな

酒をやめ、犬と散歩して温泉にはいるほうが健康的だよね・・と勝手におもう。ぬるめの湯は源泉かけ流し。贅沢な湯である。じっとしていると小さな泡が肌にまとわりついている。炭酸泉なのだろう。

田沢温泉、沓掛温泉ともにひなびた農村のいで湯である。そして源泉かけ流しの気持ち良い共同湯だ。毎日、この湯の恵みをいただける村人たちがうらやましい。国民保養温泉地らしい風情ある土地であった。

この日は松本市内のホテル泊の予定。夕闇が迫った有乳湯を16時30分に出発。すっかり暗くなった山道を峠越えしてホテルに着いたのは18時30分だった。

 

 

新聞から引用

ひなびた温泉郷らしい雰囲気 


 

 

 


 

 

 


834.無言館

2019-11-13 | 旅の空

先週、長野県上田市の「無言館」に行ってきた。

戦没画学生を慰霊する美術館である。

これまで多分3回は訪れている。

重い木の扉を開けると館内は薄暗い照明の世界。

両側にデッサンなどの小品や油画・日本画が展示されている。

出征前にしっかりと目に焼き付けるためだろうか、新妻や家族を描いたものが多い。

思えばどの作品も遺作なのだ。

それらの画の前に立つと、

愛する人を想いながら戦地で命を落とした無念さがつのる。

なかでもとても気になる、というか、無言館へ来ると自然と足が向いてしまう一枚がある。

当時17歳だった浴衣姿の妹を描いた日本画である。

作者は太田彰(満州で戦病死/享年23歳)。

その作品を前にすると、いつもじっと佇んでしまう。

清楚で静かな画面からは兄妹愛が自然と伝わってくるのだ。

兄は本当に優しい人でした、と語る妹さんは既に80歳を超えた。

その画とともに戦後を過ごしてきた遺族の悲しみも伝わってくる。

 

あえて云うなら

「無言館」は広島の原爆資料館とともに戦争を省みる貴重な美術館だろう。

パンフレットに載っている館主の窪島誠一郎氏(作家:水上勉の実子)の挨拶文を引用してみよう。

 

 

ごあいさつ

 戦争中、数多くの若い生命が戦地に駆り出され、戦場のツユと消えました。

そうした中には、画家になることを一心に夢み、生きて帰って絵を描きたいと

叫びながら死んでいった一群の画学生たちがおりました。当時の東京美術学校

(現・東京芸術大学)、現在の武蔵野美術大学、多摩美術大学にわかれる前の帝

国美術学校に在籍していた学生、あるいは独学によって絵を学んでいた前途あ

る絵描きの卵たちです。これらの学生たちは、厳しい飢餓と死の恐怖にさいな

まれながらも、最後まで絵への情熱と、生きることへの希望をうしなわず、そ

の思いを一冊のスケッチ帖、一枚の画布にきざんで死んでゆきました。そこに

は、絵筆を銃に替えて生きねばならなかったかれらの無念と、同時に、人間に

とって絵を描くということがどれだけ至純な歓びにみちた行為であるかを物語

る、ひたむきな生の軌跡があったと思います。

 この戦没画学生慰霊美術館「無言館」は、そうした画学生たちがのこした作

品と、生前のかれらの青春の息吹きをつたえる数々の遺品を末永く保存、展示

し、今を生きる私たちの精神の糧にしてゆきたいという希いをもとに、

1997(平成9)年5月1日「信濃デッサン館」の分館として開設されたものです。

どうか、このささやかなる施設において、少しでも多くのかたがたの眼に、か

れらの初々しい熱情にあふれた作品がふれることをねがってやみません。

「無言館」 館主 窪島誠一郎

 

 

 

無言館  (休館日:火曜日 )