温泉めぐり紀行

丹沢の新緑(2022年5月)

485.GWは温泉&ボラ

2015-05-09 | 東北ボランティア

 

今年のGWはどう過ごしましたか

今年はいい天気が続きましたね。暑いくらいの日が多かったです。いつもどおり、GWは奥さんの母がひとり住まいしている高崎へ車で行くことにしているんですが、今年はいつもと違い、長女と3歳の孫(男の子)が加わって賑やかになりました。長女の夫君は仕事で休みがとれないので孫達が同行することになった、というわけ。

いつもの花咲温泉へ

5月2日の夜に関越で高崎に入り、翌3日は、おばあちゃん含め総勢5人が車に乗り込み、関越道沼田ICで降りました。目指すのは道の駅「川場田園プラザ」と「花咲温泉」。しかし、どこでも車は混んでて渋滞で、駐車場待ちの長い行列ができてました。道の駅で孫のカズ君と遊ぶつもりだったんですがあまりの混雑に見切りをつけて「花咲温泉」へ。比較的空いてて正解でした。食事をして温泉に浸かり、昼寝などしてゆったり過ごしました。


花咲温泉

敷島温泉から迦葉山へ

5月4日は、おばあちゃんの要望で迦葉山(かしょうざん)弥勒寺へ。そこへ行く前に敷島温泉に立ち寄りました。ここは毎年、従兄弟会をやるヘルーパル赤城に隣接する施設で温泉プールもあります。ぬるっとした感触の温泉でした。
迦葉山弥勒寺では奥殿の厨子が10年ぶりに開かれ、普段は立ち入ることのできない本殿に入り、「お天狗様」を間近に拝むことができる。このため多くの人が集まl駐車場待ちの長い列の最後尾につきました。


迦葉山弥勒寺



会津西街道から土湯温泉へ


5月5日、朝、自宅に帰る奥さんと長女に孫の3人を高崎駅まで送り、私は一路福島へ。いつもの「花見山を守る会」のボランティアです。今日は
福島市の少し手前、二本松の岳温泉の旅館までの予定。
高崎から桐生、足尾、日光と抜けて会津西街道に入り、鬼怒川、湯西川、会津若松に喜多方。そして、五色沼から山を越えて土湯温泉に立ち寄って岳温泉へ。およそ390キロのドライブです。

途中の足尾では旧精錬所跡を見ました。就職した年ですが、職業柄、公害の原点とも云われる現場を見ておこうと思い立ちGWを利用して足尾を訪ねました。
もう40数年も前のことです。
精錬所の大気汚染によって樹木が枯れ、岩肌が露出していた山は、それはそれは実に痛々しいものでした。でも、その後の植樹活動で確実に緑に覆われてきていますね。人と自然の力はすごいです。



足尾銅山跡

今は渡良瀬渓谷鉄道とオシャレな名前ですが昔は足尾線と呼んでました。桐生から渡良瀬川に沿って走る足尾線。草木駅という無人駅がありました。
そのあたり一体の国有林を母校が演習林として管理していて、農学部の学生・教官が泊まる木造の宿舎がありました。毎年、夏休みにサークル合宿をここでやりました。
サークルですか?、琴、三弦、尺八の邦楽のサークルです。山中の一軒家ですから朝から晩まで思い切り音だしをしたなぁ。食事は部員10人が交代交代で作ったんですが、普段、料理したことがないもんだからベタベタのスパゲティだったり柿の葉の天ぷらをたべたり、笑いながら過ごした1週間でしたね。
その駅、今は湖に沈んでしまった。草木ダムができたためです。そんな青春グラフティーが頭の中を駆け巡ります。


草木ダム あの向こうに宿舎があった


それにしても会津西街道というネーミングとその響きが好きだなぁ。歴史ロマンを感じさせる語感です。集落と山間をぬう道のドライブは楽しい。
安達太良山と吾妻山の間を突っ切る土湯トンネルを越え、坂を下ると土湯温泉郷だ。その入り口にある「サンスカイ土湯」。
入浴料250円という安さに惹かれて入ったけど、6人も入れば一杯の湯船の小ささ。湯船も洗い場も満杯状態。やはりGWだけあって混み合っている。ほんの5分ほど浸かってからあがりました。

混んでると云えば喜多方市役所隣の「坂下食堂」で喜多方ラーメンを食べようと思っていたのに、ここも観光客で長蛇の列なので即あきらめてUターンしてきた。
この時季はどこもかしこも大変な混み具合なのが見にしみてわかりました。


土湯温泉


熱い湯の岳(だけ)温泉


あれ、クルマかえたのかい?、今宵の宿「和楽荘」に到着するなり宿のおかみさんに云われた。福島へボランティアに来る度もう4回くらいお世話になっているのですっかりなじみになった。荷物を下ろして、すぐ近くの「岳温泉」の外湯に行く。熱い湯だ。44~45度はあるんじゃないかな。いつもより観光客が多いのはやはりGWのためでしょう。いっときでも賑やかさが取り戻せたら、うれしい。



岳温泉の外湯



ボランティア活動に


 5月6日、あさ7時、おかみさんに見送られて宿を出発。

「お元気で・・」
「ありがとう、おかみさんも元気でね、ここ(宿)まだまだやるよねぇ?」
「うん、ほかにやる人いねぇからね」。

去年10月、高齢のお母さんを見送ってからすっかり気落ちし、なんもかもやる気がおきなかったとか。ここにきてやっと元気が出てきたらしい。

高速で二本松ICに入り15分ほど走って福島西ICで降り、「
NPO花見山を守る会」のある福島市渡利に行く。
去年、ここに来たときNPO主催のホタル鑑賞会のPRのために福島民友新聞社に一緒に行った若いXさんが
ボランティア手続きの応対をしてくれた。覚えていてくれてひと安心。

今日の行動予定を訊くと農作業の手伝いのようだ。おととしトマトの収穫作業をした畑に行くらしい。朝の打ち合わせ後、7人がそれぞれ軽自動車に分乗し、20分ほどでて現地へ。やはり、そうだ一昨年と同じ畑だ。今日も暑くなりそう。予報では27度になるらしい。陽射しが強く眩しい。
耕耘機を初めて体験した。ブルブルと振動が手首に伝わり、10分も扱ってると痛くなってくる。伸びすぎた菜の花を刈ったりサヤエンドウを摘んだりして一日が過ぎた。

今晩は福島駅前の東横INN。何度も来てるので福島駅周辺の店や地理にもすっかり詳しくなった。新幹線ホーム下の商業施設の一画にある「極楽湯」で汗を流し、隣のスーパーで夕方6時半から半額になる弁当を買う。あっという間に人垣ができてレジの前に人が並ぶ。いつもの風景だ。缶ビールがうまい。



吾妻連峰が目の前


初めて耕耘機を運転した


気になっていた猫啼(ねこなき)温泉


 福島県の地図を眺めてるとき少し変わった名の温泉だなとは前から思っていた。5月7日、立ち寄ってみることにした。国道118号で須賀川を過ぎると「猫啼温泉郷」の大きな看板が見えた。
午前10時半、井筒屋旅館で日帰り入浴をお願いした。透明でスッキリした湯に満たされた湯船を一人占め。適温の露天風呂が気持ち良い。心地よい湯に包まれて眠気が襲ってくる。とろとろといつまでも入っていたい気分。


気持ち良かった露天風呂



ところで、
この猫啼の由来を旅館の案内パンフでみると・・・まさか猫と和泉式部が結びついてるとは驚きだった。

今を去る千年の昔、平安中期の女流歌人「和泉式部」は、 当地石川の在に生れ、少女の頃こんこんとして沸く清水のほとりに来ては、水鏡で顔を洗い、髪を梳ることを楽しみとし美しい乙女となった。
その時、式部が櫛を置くことをつねとした石を「櫛上げの石」と称し、今なお、当温泉地内に残っている。式部の美しさは遠近に聞こえ、一条天皇の御代に都へ上り、情熱の歌人として、その名を後世に遺した。

幼少時、和泉式部は「玉世姫(たまよりひめ)」と呼ばれ、京都に上りし折り、愛猫を置いていったところ、故郷に取り残された愛猫は病み衰えていたが付近より湧き出でる泉に浸ったところ次第と元気が回復した。見た里人はこの泉が霊泉であることを知り、泉を汲んで入浴したところ諸病に効果大であることが分かり、この里を猫啼と名付け、湯治場を設けた。

・・・・ということなのだが和泉式部が東北生まれとは知らなかったなぁ、もっとも、これには諸説あり、和泉式部の正確な没年なども良く分かっていないようだ。
ただ彼女はとても情熱的な女性だったらしく恋愛関係は豊富だった。同時代に生きた紫式部は眉をひそめてこう批評している。

「和泉式部という人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ(恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない)」
                                   (『紫式部日記』)

優等生の紫式部にとって
自由奔放に生きる和泉式部が目障りで仕方がなく、嫉妬心を抱いていたかもしれない。だとしたら、そのエネルギーが源氏物語の創作意欲に転化したともいえるだろう。

さてさて、
猫啼温泉に浸っていてすっかり時間がすぎてしまった。ここから自宅まで300キロはあるだろう。高速を使わず4号線をのぼって行こう。信号が少ないので一定速で走れる。そんなときオートクルーズ機能を使い、たとえば60Km/hに設定すれば、アクセルから足を離しても、ずっと
この速度で走ってくれる。便利な機能だ。なので、リッター当たり20キロを表示している。こんな燃費の良さは初めてだ。
茨城県の大湖町に入ると「袋田の滝」の看板があった。あの有名な滝だな。ひと目見てから帰ろう。



袋田の滝は想像よりずっとスケールの大きい滝だった


387.福島紀行~南相馬

2014-06-22 | 東北ボランティア

■南相馬市へ

福島県は、浜通り、中通り、会津の3つの地域に分けられ、それぞれの風土、気質も異なるらしい。

我が家の近所にYさんという同年配の男性(ひと)がいる。彼は震災以後、陸前高田市などの被災地でずっとボランティア活動を続け、最近は、南相馬市に入り、仮設住宅で暮らす皆さんに足湯サービスのボランティアをしている。
そんな彼の活動経験談を地域の集会で聞く機会があったこともあり、浜通りの南相馬市に行ってみたいと前から思ってました。
Dsc_7544_2 はい、大丈夫です、「森のふるさと」さんです、住所は南相馬市鹿島区南柚木宮前50で、電話番号は、0244-46-3613 です。迎えは要りますか?、車ですね、では連絡を取って下さいね。午前中は寄り合いがあるそうですので午後のほうがいいと思います

やれやれ、これで一安心というもの。
今いるここは、信夫山麓にある古関裕而記念館の駐車場。生涯で5千曲も作曲した彼は福島市名誉市民第一号とか。そういえば福島駅前に銅像がありました。2階の資料展示コーナーでは古関メロディーが流れ、オリンピックマーチの楽譜等が展示されてます。入場無料です。


■農家民宿

風呂、先にはいりますか?薪で沸かしてるから、そろそろいいと思うんだけど

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農家民宿 森のふるさとの全景
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奥の建物が離れ

風呂上がりにその辺を散歩してきます、というと、ビールでも飲みますか?とおかみさん。居間で缶ビールを頂きました、冷たくて美味い!。(これサービスだったみたい、精算時にビール代の請求がありませんでした)


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キバナコスモス咲く田舎道

翌朝、6時。快晴。すでに外は明るい。カメラ片手に散歩に出る。
きのうは気がつかなかったけど、よくみると畑のように見えた土地は見渡すかぎり田圃だ。本来なら田植えも終わり、朝の見回りにでている時間だろう。が、広々した田には雑草が生い茂っているばかり。
農道脇の小さな空地に花を植えているおばあちゃんに話しを聞いた。

コメ?もう作らないわねぇ。前みたいに売れりゃいいけど、放射能のせいで誰も買ってくれないからね。やる気がなくなってきちゃってね、希望もないし、ここらの人はみんな体調おかしくしているよ、がんばれってたって、これ以上がんばりようがないもんね、あの山の向こう側まで津波がきたんだよ、みてきて見なさい。

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Dsc_7527ここも田圃だった




■小高町へ


おいしい朝ご飯をいただき、おかみさんに精算をお願いしました。


センターからは6500円っていわれてたかもしれないけど、うち独自の判断で5500円に値下げしてます。
昔は一年に50人くらいの宿泊者だつたのに震災後はボランティアさんや工事関係のひとで900人くらいになってね、
そのうち、料金がちょっと高いんじゃないかって声があって、いちど5000円に下げたんだけど少しだけ値上げさせてもらって今の値段にね、しています。
あっ、そのキーホルダー買ってくれたんですね、それ仮設のお母さん達が貝殻を利用して作ってるのよね、ありがとうございます。


ここへ来たら、やっぱり小高地区を見ておかなくちゃね。6号線を走って行けば車の数がだんだん減っていくから・・。
その先は通行止めだから、いったん原町まで戻ってから飯舘、川俣をぬけていくしかないわね。途中、恐ろしいくらい放射能の高いとこがあるらしいけどね。


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誰も歩いていない
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小高駅
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見る人いない駅前の看板


たしかに国道6号線を走っていると小高町に近づくにつれ車の数が少なくなってきた。信号は作動しているものの町全体がは静まりかえっている。
何か強い違和感がある。どこにでもある普通の街並みなのに人影がない。セットでも見てるようだ。ときどき通りかかる工事車両の作業員がマスクをしている。そうか、ここは放射能が高い地区なのだと思い知る。正直いうと、ここ小高地区が原発20キロ圏内とは知らなかった。

パトカーとすれ違う。防犯のためだろう。今日は陽射しが熱く、風も強い。この風が汚染されているのかと思うと・・・。朝夕、通勤通学の人たちで賑わってたにちがいない小高駅。その駅前には、もはや誰も観てくれないであろう観光案内マップが立っている。
でも行ってきました、このマップにあった阿弥陀堂石仏を見に

Dsc_7618 廃屋同然です

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杉の巨木があります


6号線に戻り、北上すると、原町に入る。割と大きな町で賑わいを見せている。生活感のある光景にホットする。思わずスーパーに入り、おばちゃん達に混じって別に欲しくも無いペットボトル2本とオニギリを買ってしまった。こうして何事も無く生活している町もあるというのに・・・。

明日は定例の「歴史散歩の会」があるので、とにかく今日中に家に帰らないといけない。
西に進路をとり山中の飯舘村をいく。ときおり「除染中」の看板や残土置き場が目に入ってくる。矢木沢峠を超え川俣町に入る。
小さな町にしては立派な風情の老舗料理屋をみかけた。
往時にはきっと栄えた町だったんでしょう。その店に入り、川俣シャモの親子丼が名物ということなので注文。
たしかに噛みごたえのある鶏肉でしたね。

Dsc_7627 除染残土

Dsc_7632 川俣シャモの親子丼


386.福島紀行~ボラ

2014-06-20 | 東北ボランティア

■ボランティアへ

朝の8時、岳温泉の民宿を出発。雨が強く降っている。これじゃ、外の農作業はダメだろうなと思いながら東北自動車道・二本松ICに入ります。次の福島西ICで降り、途中コンビニで昼食用のオニギリと飲み物を購入。

渡利地区の「NPO花見山を守る会」に約束の9時に到着。一昨年から通い始めてもう5回目くらいかも。昨年はトマトの収穫作業を手伝ったが今日はどうなるやら・・・。

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花見山を守会


あっ、おはようございます。事務スタッフのMです。今日は、よろしくお願いします。こんな天気なんで今日は外が無理なので、屋内作業になりますが、よろしいでしょうか。
週末に記念植樹を西会津町で行うんですが、一本一本につけるプレートを作ってもらえますか、ここにサンプルがありますので皆さんと一緒にやって下さい。


Dscf4158a1テキパキと指示してくれたのは若いMさん。多分20代の若者でしょう。
いつも陽気に皆を笑わせているWさん、今日は大工仕事のようだ。居間でお茶をいれてくれた女性スタッフのAさんは、昨年一緒にトマト収穫の農作業をやったのでわたしのことを覚えてくれていた。
さて、仕事にとりかかろう。

縦横10x5㎝ほどのプレートをアクリル板から切り出し、針金を通すための穴を電動ドリルであける作業です。これを100枚作るのが今日の仕事。どうやらボランティアは私だけらしい、ウィークデイだし、雨だし、当然かな。
守る会のスタッフのおじさん達と、あ-だ、こーだといいながら和気あいあいと仕事を始めました。

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■えっ、新聞社へ?

30分ほど作業をしたとき、女性スタッフのAさんから思いがけない提案が・・。

さっき代表と話したんですけど、もしよろしければ、いま企画しているホタル鑑賞会のPRに新聞社へ行く予定なんですけど、一緒に行ってもらえませんか

というわけで、AさんとMさんのあとについて出掛けることになりました。
行く先は「福島民友新聞社」(福島市柳町)そしてもう一社は「福島民報社」(福島市太田町)です。二社とも立派な社屋です。

どっちの社屋だったか忘れましたが結婚披露宴会場があるそうです。

わたし、昔、ここ申し込んだのに振られちゃったのよねぇ(予約で一杯だったらしい)、とウラミ節のAさんですが、ホタル鑑賞会のポスターを持ち、記者さんのカメラに向かってニッコリ。

記者さんを前にホタル鑑賞会の趣旨をMさんが訥々と説明し、Aさんが時折フォローを入れます。
近くを流れる小さな川に沿って遊歩道があります。
そこにLED照明付きの灯籠を並べホタルを楽しむという企画。7月10日
まで毎夕開催します。
灯籠は仙台市民の手作りでこの催しのためにおくってくれたもの。とても素人がつくったとは思えないほど素晴らしさです。

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趣旨説明は10分くらいで終わり写真を撮り、
どちらの記者さんも真摯に対応してくれました。そして掲載を約束してくれました。
帰り際、いずれの記者さんもエレベーターホールまで見送りに来てくれました。
丁寧な応接が徹底してるんですね。感心しました。

その2日後、帰路途中の川俣町の食堂で見つけた福島民報。注文の親子丼を食べながら記事を発見し、約束が果たされたことを知りました。

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新聞社まわりから帰ってきたら、再び植樹プレート作りです。外はますます雨足が強くなってきました。
お昼を皆さんと一緒に食べたり、作業の合間にお茶飲んだりしてのんびり時間が過ぎていきます。仮設住宅に避難している方がバザーに出品している野菜、洗剤などの生活用品を買って行かれます。
そして目標の100セットを完成したのは3時過ぎ。さらに灯籠の破けたり、はがれたりしてる箇所を糊で補修し、午後5時、作業終了。
皆さんに挨拶し、今日の宿、東横INNへ。

ボランティアでいつも心がけてるのは、分をわきまえ、さらっとした付き合いをすること、です。
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完成したプレート



■岩谷観音

おはようございます。えぇ、毎日ここをひとまわりして、この観音様を拝んでます。この下が我が家なんで近いんですよ。そうですね、ここは岩がもろいんで、この観音様のお顔のところもはがれ落ちちゃってねぇ。上から湧き水がしみ出てくるし防ぎようがないんじゃないかしらねぇ。


福島駅前のホテルから間近に見える信夫(しのぶ)山。その中腹に岩谷観音の磨崖仏群がある。朝の8時、写真を撮ってると毎日、ここを散歩しているという女性と出あった。

ここは放射能が高くてね、この山の上の方の土を入れ替えたりしたけどダメでしょうね、だって(福島)原発をただ箱で覆っただけでしょ、風でこっちに来るわよね、この下の側溝とかずいぶんさらったりしたけどたいして効果がないのよ、除染たって、ただアリバイ作りしてるとしか思えないもんね、誰も(国・政府を)信用してないわよ。

住民の皆さんはとっくに見抜いて知悉しているのです。
それにしても岩谷観音の磨崖仏の一体一体の傷みがひどい。といっても野外なので有効な修復策は無いのでしょうね。西国三十三観音が彫られのは17世紀初めという。数百年による雨風や自然災害による風化に加え人工的な放射能汚染に曝された磨崖仏たち。涼やかで穏和なその表情が曇って見えます。

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384.福島へ

2014-06-17 | 東北ボランティア

先週の11日から14日まで、
3泊4日のクルマ旅(1030Km
)をしてきました。「花見山を守る会」(福島)でのボランティア活動と南相馬を初めて訪ねます。もちろん奥さんから軍資金の提供が・・。ありがたいです(^_^;)
ボランティア活動をし、温泉にも入り、松尾芭蕉ゆかりの地を訪ねる、そんな欲張った旅なのです。

ボランティアは雨のため期待していた農作業の手伝いが出来ませんでした。代わりに急遽、守る会が企画したホタル鑑賞会のPRのため、スタッフと一緒に地元の新聞社2社を訪ねます。

「不動の湯(塩原温泉)」、会津西街道で見つけた「郷の湯(弥五島温泉)」そして二本松市の岳温泉。熱い飯坂温泉はパスして、ここからさらに奥地へと分け入った山地に湧く「もにわの湯」。個性豊かな温泉を味わいます。

遊行柳、白河の関、信夫文字摺石、医王寺、飯坂温泉。いずれも松尾芭蕉が訪ねた名勝地です。江戸時代の風景、風情を想像しながら足跡をたどります。

南相馬では農家民宿に泊まり、田舎気分を味わったものの福島原発から20キロ圏内の小高地区を訪ねると、スーパーや商店街のシャッターは閉まり、人の気配がしないゴーストタウン。線量が高いため、日中は自宅に滞在できるものの夜は泊まれない空白の町です。五感では感じ得ない放射線の不気味さを想います。




というわけで福島の旅紀行を何回かに分けて紹介いたします。

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箒川沿いにある砂湯(那須塩原温泉郷)


*除染で出た汚染土の中間貯蔵施設を巡る被災との交渉について「最後は金目でしょ」と17日の記者会見で発言した石原環境大臣。ほんとにおバカとしかいいようがない、情けない。現場をよくみてこい、といいたいよね。

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340.岩手・大槌へのおもい

2014-03-05 | 東北ボランティア

東日本大震災からまもなく3年。
新聞も様々な特集を組み始めています。そんな中、3日の毎日新聞夕刊に岩手県大槌町の佐々木さんが設置した「風の電話
の紹介記事がありました。

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2012年8月のことです。
奥さんと一緒に岩手・大槌町を訪ねました。大槌北小学校に寝泊まりし、数日間のボランティア活動を終え、この地を離れるとき、ふと立ち寄ったのが佐々木さんのガーデン「ベルガーディア鯨山(Bell Gardia)」でした。
突然の来訪にもかかわらず、庭に招きいれて下さり、庭全体の設計やこども向けに作った石造りの図書館の苦労話や「風の電話」のこともきかせて頂きました。
吉里吉里海岸を見下ろせる高台にあるガーデン。すてきなご主人と奥様に出会えたひとときでした。
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多くの避難者が亡くなり「釜石の悲劇」となった釜石市・防災センター、気仙沼の打ち上げられた大型船も、そしてボランティアの活動拠点だった大槌北小学校も解体・撤去されました。
こうした震災遺構がなくなるにつれ震災記憶が遠のいていくような気がします。
大槌町、元気になったら、また訪ねてみたいと思ってます。


262.大槌町イベント続く

2013-03-14 | 東北ボランティア

3月13日、
横浜で開催されている岩手県大槌町の復興支援イベントに行ってきました。

ひとつは
大槌町民が撮影した”わたしの宝物”というテーマの写真展「大槌の宝箱」(13日~20日、関内さくらWORKS)。

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この写真でおばさん二人と話している後ろ姿の彼が中村さん。会場に行ったら直ぐに気がついてくれた。昨年の8月、
大槌町のキラリベースでボランティア活動を仕切っていた彼だが、キラリベースが閉鎖された今は、「社団法人おらが大槌夢広場」に活躍の場を移してるとのこと。吉田さんは山田町に居を移し、ボランティア活動拠点づくりを準備しているようだ。

そして、
もうひとつは
東日本大震災から学ぶ」講演会(保土ヶ谷公会堂、13日、6:30~8:30pm)。
講師は
NPO法人三陸産業復興支援ASSIST SANRIKU理事長の高橋辰昇 さん。昨年、大槌町の仮設住宅で一緒にボランティアをさせてもらった人で、本業は釜石市で鮮魚店を経営し、そのかたわら復興支援事業を多彩に展開しています。彼の店からイカの塩辛を通信販売で購入しましたが本当にうまい一品です。
やはり、というか当然というか、いずれの会場でも大槌のボランティアを通じて知り合った人との出会いがあった。

講演会の会場では南さんに会った。高橋さんが企画した仮設住宅でのバーベキュー大会の手伝いを一緒にやった女性(ひと)です。保土ヶ谷公会堂 約100人くらいが集まった。


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昨年の8月、大槌町仮設住宅でリクルートの社員たちと記念撮影。前列の右から三人目のオレンジ色シャツ姿が今日の講師の高橋さんです。そして前列左端が南さん。

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261.東日本大震災2年

2013-03-11 | 東北ボランティア

東日本大震災から2年目を迎えた「3.11」。
日本新聞博物館(横浜市中区)では、「再生への道~地元紙が伝える東日本大震災~」の企画展示展が開催中です。

東北の地元紙(岩手日報、河北新報、福島民報、福島民友新聞)の紙面や号外など約180点が展示されています。
被災当時の岩手日報には大槌町や鵜住居町の安否情報や生活情報が紙面をうめつくしています。今日は岩手日報の号外が有楽町、新橋駅などで配られたほか、ここ日本新聞博物館でも配布されてました。
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 岩手日報の号外

    ちょうど地元のテレビ局(TVKテレビ神奈川)が取材にきていて「今日、この展示をご覧になった感想をひと言お願いします」
と、私と奥さん二人とも、インタビューされてしまいました。
みなとみらい線でみなとみらい駅まで戻り、
桜木町駅前のブルグ13で西田敏行主演の映画「遺体~明日への10日間~」を観ました。
遺体安置所での10日間を描いた映画です。原作を既に読んでましたが釜石市民の本当に辛い現実が描かれています。


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       クイーンズスクウェア

そして
横浜高島屋で2時46分を迎え、館内放送に従って黙とう。
そういえば、今夜8時、NHK「鶴瓶の家族に乾杯」で大槌町の「きらり商店街」のシフォンケーキ屋さんを鶴瓶が訪ねます。
思えば去年の8月、
このお店でシフォンケーキをミヤゲに買い、奥さんから自然庭園のベルガーディア
鯨山への道を教えてもらったのでした。
・・・・・・・

今日一日、テレビでは3.11特集が満載。
震災一ヶ月後に産まれた孫もじきに二才。このまま、すくすくと元気に育って欲しい。


260.リメンバー大槌展へ

2013-03-01 | 東北ボランティア

昨日(2/28)、有楽町・交通会館で開催されてる「リメンバー大槌展」をみてきた。
(残念ながら奥さんは留守番)
ちょうど昼時だったのでサラリーマン姿も多く、賑わっていた。
衝撃的な2枚の写真がありました。
医師の上田さんが自宅の4階から撮ったショット。時刻は3時22分。真下の街角には一人の男性がいる。そして、およそ50㍍くらい先に津波が土煙をあげ家屋を破壊しながら突進してくる。日常と非日常の瞬間が1枚に写っています。
その1分後のショツト。
すべての家々を呑み込んで荒れ狂う津波の黒い濁流。自然の怖さを写し取った2枚でした。


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◎大槌北小学校の解体始まる

大槌キラリベースの元マネージャー、吉田さんのfacebook投稿(下記のとおり)によると、今月から大槌北小学校の解体がはじまるとのこと。
去年の5月と8月に宿泊した思いで深い大槌北小学校。写真には工事用のフェンスがすでに設置されている。あの2階の教室に泊まったのだった。
昨日の遠野の金太郎ハウスの閉所といい、ボランティア活動拠点の閉鎖が相次いでいる。

 

岩手県大槌町の福幸きらり商店街。 コミュニティのきら<wbr></wbr>り駅は去年12月に閉まりましたが、その裏にあってボラ<wbr></wbr>ンティアさんの
宿泊所として活用させていただいた大槌北小学校が今月か<wbr></wbr>ら解体されます。
五ヶ月間で約2000人(述べ)のご利用をいただきまし<wbr></wbr>た。
宿泊された方の商店街での経済効果はもちろん、ボランテ<wbr></wbr>ィアさんの活動時間においても有効的でした。
しかしそれにも増してボランティアさん同士の親睦があり<wbr></wbr>、そして交流が深まり 皆さんと暖かい時間を共有できた<wbr></wbr>ことは

... 素晴らしいことでした。
お泊まり頂いた皆様に、この場を借りてお礼を申し上げ <wbr></wbr>至らぬ点があったこともお詫びいたします。
この大槌に再度皆様がお出で頂けるよう 環境作りに勤め<wbr></wbr>て参ります。
・・・でも・・・なんだかさみしい・・・

 

                                                                             (2013.3.1)
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244.「きらり駅」の閉鎖

2012-12-18 | 東北ボランティア

 

Facebookをみていたら、遠野まごころネットの方が、岩手県大槌町・仮設商店街にある「きらり駅」が今月末までに町へ返還される・・
という記事を投稿していた。
ここが無くなるということは、「駅長」の吉田さんや毎日通ってきているおばちゃんたちの居場所がなくなるということ・・・か。

 
【Ryoichi Usuzawa】

 

お休み処「きらり駅」が12月末をもって大槌町に返還されることになりました。

商店街や町内のNPO団体と連携しての実証事業として遠野まごころネットが管理を任されたきらり駅は、昨年12月のオープン以来、大槌北小仮設商店街「復幸きらり」の一角で、被災地の貴重なコミュニティスペース、各種イベントの会場、被災者の生活相談窓口、雇用創出や商店街の振興の拠点、ボランティアと地元住民の交流の場などなどに活用されて参りました。


 
この1年、地元住民はもとより、きらり駅を訪れた全国の皆さん、ボランティア活動された皆さんにも様々な想い出のあるスペースだと思われます。
 

先般、商店街施設管理者である大槌町から返還の依頼をいただいたのは、お店を再開しようという地元事業者からの要望もあり、今、きらり駅のあるスペースに新たに入居者を公募するためと伺っております。

コミュニティスペースが無くなることは寂しいですが、リニューアル後も益々の地域活性化が図られるよう、大槌町内で活動しているNPO団体と協力して行きたいと考えております。


復興が少しずつ進み、現場のニーズが多様化していくのだからボランティアの活動も変化していかざるを得ません。
それにしても、ここが無くなってしまうのは、すこし寂しい気も・・・

 
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きらり駅で吉田駅長&スタッフの皆さんと
(2012年5月)
 
 
 

 


236.大槌町のキラリベースが閉鎖

2012-10-31 | 東北ボランティア

先月(9月)末で
岩手県大槌町のボランティア宿泊施設「大槌きらりベース」が閉鎖されました。
5月に初めて大槌町を訪ねたとき、町の壊滅した惨状を前にして呆然としてしまいました。夏の8月にもお世話になった施設でもあり、なごり惜しいものがあります。
無料宿泊施設としては役目を終えたけれど吉田(マネージャー)さんらは何らかの活動施設として考えているようです。

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振りかえると、
3月、4月に福島県「花見山を守る会」で支援物資の仕分け作業を始めたのをきっかけに
5月には大槌町へと遠路、足を運びました。

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さらに、
お盆の8月には奥さんと一緒に大槌町の仮設住宅で汗をかいてきました。
現場に立たなければ伝わってこない町の空気や体温が感じられた日々でした。

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ところで、私はまだ参加したことはありませんが、たとえば
かながわボランティアステーション 」 は神奈川県民だけでなく誰でも参加でき、現在でもボランティアバスを出し続けています。

私の今年のボランティアはいったんこれで終わりです。
東北へ行かれてない方は
ぜひ現地で汗をかくことをお奨めいたします。


229.大槌北小学校が新聞記事に

2012-09-13 | 東北ボランティア

今日、9月13日(木)の毎日新聞

その社会面に岩手県・大槌北小学校の関連記事がでていて、懐かしく紙面を読みました。

大槌北小学校を活動拠点にして元新聞記者と学生ボランティアが地紙を創刊するというという記事でした。

月1回の発行を目指し、町内全戸に配布する計画とのこと。

継続的に発行するため、町民自らが記者になってもらう町民リポーターを募集し、

9月1日に町民8人が参加して初の写真教室が開かれた。

その様子が写真記事なっている。その教室は、今夏、私達が泊まった隣の教室です。

そういえば新聞発行に向けて女子学生たちが自転車でよく取材にでかけてましたね。

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旧大槌北小学校

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話はかわりますが、

津波に耐えながらも枯死した陸前高田の「奇跡の一本松」。

きのう12日伐採されましたね。

愛知県内の製材工場で9分割され、芯をくりぬかれた後、防腐処理されて来年2月末、「希望の象徴」として現地に復元されるとのことです。

今年の8月13日に訪れたときの一本松です。帰省客や全国から来た観光客で賑わっていました。

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高田松原の奇跡の一本松(2012年8月13日)

 

 

 

 


224.大槌町デジブック(5)

2012-08-22 | 東北ボランティア

この夏、大槌町で過ごした思い出のデジブックです。今回も多くの人との出会いがありました。

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ボランティアへ行くための情報

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今回、私達は個人でボランティア活動をしてきましたが、大槌町へ入るボランティアには様々な団体、NPOがあります。

参考までに断片的ではありますが情報の入手ルートなどを整理してみました。

大槌町社会福祉協議会VC

   大槌町のボランティアの募集状況が毎週アップされます。   ほかに岩手県、宮城、福島の社会福祉協議会VCも紹介されている。

ボランティアインフォ

  さまざまなボランティア情報を一元化したサイトです。きらりベースでも活躍する北村さんが代表を務めるNPOです。

一般社団法人おらが大槌夢広場

   Facebookを利用したサイト。町民を主体として復興まちづくりを推進するために設立された。生の様子が伝わってきます。

 かながわ東日本大震災ボランティアステーション

    神奈川県民でボランティアに行ってみたい人は参考になるかも。無料の宿泊施設「かながわ金太郎ハウス」がある。

 きらりベース

   大槌町でボランティア活動するための無料宿泊所。旧大槌小学校の教室を利用。きらりベースを紹介したブログもあります。

◎「花見山を守る会復興支援便り

また、今年の3月と4月に支援物資の仕分けなどの活動をしてきました。その福島県福島市の「NPO花見山を守る会 」を参考までに紹介します。上記の復興支援便りで現在のボランティア活動の様子が分かります。

以上、思いつくまま紹介しました。

ぜひ大震災の現場に立ってみることをお奨めいたします。


223.大槌町へ(4)

2012-08-22 | 東北ボランティア

大槌を離れる前にオミヤゲに買って帰ることにした。きのう食べたシフォンケーキが気に入ったのでこれにしようということに。

仮設商店街のなかの小さなケーキ屋さん。店内にナチュラルガーデンの写真が飾られていたので女性店主に尋ねると、

この近くの「ベルガーディア鯨山(Bell Gardia)」とのこと。詳しい地図を書いて下さったので訪ねることにした。

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これがとってもすてきなナチュラルガーデンだった。

園主の佐々木格さん(67才)が迎えてくれた。広々とした斜面に様々な植物やビオトープが点在する。

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 森の図書館 石造りです        

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  子ども達向けの本がたくさん

2年かけて完成した石造りの「森の図書館」。一つの石が40㌔もあって大変苦労されたそうです。

「大槌の子ども達が、がれきを見て育つよりも少しでもここの自然の中でゆったりと本を読んで過ごす時間を持って欲しい」

感性豊かな心を育み、その感性を生かした創造力、創造空間を創り出すことが主目的のベルガーディア。

ご主人の思いがこもっています。次は、ツリーハウスにチャレンジされるとのこと。

お客さんが来られたときだけ開ける、わがままなやり方なんですよ、とコーヒーを入れながら奥さん。

久しぶりに飲んだ珈琲はもちろんのことだが、一緒に頼んだチーズケーキがとてもおいしかった。

奥さんとご主人も加わって一緒におしゃべりとくつろぎのひとときです。

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なんと美しいのでしょうか             奥さまのセンスが光る涼しさの演出

カミさんの湿布したした手をみて、ご主人が

「だいぶ頑張られたのではないですか?」と気遣ってくれた。

事情を話すと、打ち身なら熟したイチヂクが効きますよ」と奥さんが

お酒に漬けたイチヂクを奥から持ってきてくださり親身に手当をしてくださった。

ありがたいことです。

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ところで、ご主人は12年前に大槌町の水産会社を早期退職し、ここに土地を求め

開墾しながら海を望むガーデンを作ってきた。

そして3.11。

「ここは高台にあるので被害は全くなかったので被災した人たちにここでくつろいでもらうためにお茶やケーキをおもてなしするボランティアを去年始めました。」

と奥さん。

「シフォンケーキの奥さんも津波で店を流されてほんとにしょんぼりしてたので、

ここでボランティアしませんかと声をかけて、一緒にやってきたんですよ。すこしずつ元気をとりもどされてほんとに良かったです・・」

すっかりくつろぎ、最後にご夫妻と記念の写真を撮らせて頂いた。

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佐々木ご夫妻と

敷地内に「風の電話」があると先ほどご主人から聞いた。

震災前に構想していたアイデアで、もういち度会いたい故人(ひと)にかける電話とのこと。

カミさんと行ってみた。

白いペンキに塗られた電話ボックスには黒い電話器が一台。

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 あなたは誰と話しますか

 それは言葉ですか、文字ですか、それとも目ですか

 風の電話は心で話します

 静かに目を閉じ、耳を澄ましてください

 そして風の音が、また浪の音が、或は小鳥のさえずりが聞こえたなら

 あなたの想いを伝えて下さい

 想いはきっとその人に届くでしょう

 

                   (Bell Gardia 鯨山のホームページから)

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カミさんは風の電話をかけに電話ボックスへ。私は周囲の花を撮り続ける。

電話ボックスからは時折、ぐすんぐすんと鼻をすする声が聞こえてきたような気がする。

きっと大切な故人(ひと)と話しをしてたのかもしれない。

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  風の電話

思いがけず素敵なご夫婦と素晴らしいガーデンに出会い、心の安らぎをいただいてBell Gardiaを後にしたのでした。

このあと車は釜石、気仙沼、陸前高田、南三陸を訪ね、高速を走って午後8時、

仙台市内のホテルに到着。

仙台駅構内の牛タン通りで牛タン定食をもちろん食べたのでした。


222.大槌町へ(3)

2012-08-22 | 東北ボランティア

3日目の今朝もいい天気。今日はいよいよボランティア最終日。

午前中にひと仕事して昼には出発の予定。泊まりは仙台のホテル。

天気はいいものの霧がすこしでている。

吉里吉里海岸へ車で移動し、朝霧に霞む砂浜を散歩する。

この海岸の清掃のため多くのボランティアが今も汗を流している。

2㍍掘ってふるいに掛けてガラス片などを取り除いていく。

重労働で息の長い取組の一つとなっている。

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  朝の吉里吉里(きりきり)海岸

出かけていたため会えなかったが、

リクルートの社員は昨日3時頃に帰ったとのこと。

中村マネージャーから仮設商店街と周辺のゴミ清掃を依頼され、早速に開始。

アルミ缶、吸い殻などを拾い、校庭裏のゴミ集積所に集めた。

一息いれたあと、校舎一階に雑然と置かれている椅子、テーブル、一輪車、手袋などの備品リストの作成を行う。

「軍手20組みが6束、アルコール消毒液10本・・・」

私が読み上げてカミさんが書き記していく。

二階の備品倉庫もついでに整理し、昼前に終了。

ちょっと早いが仮設商店街の焼き鳥屋さんでランチ(500円)。

カミさんは焼き鳥定食、私は唐揚げ定食それと肉じゃがを追加。

店の外のテーブルで気持ちのいい風が吹かれながら美味しく食べた。

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前日に食べた唐揚げ定食と肉じゃが定食           一階のやきとりと書いてある店で食べた

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きらりベースでは吉田さんがラジオ局の取材・インタビューをうけていたが、ちょっと、中断してくれてお別れの挨拶。

「今生の別れではありませんから、また会いましょう・・」と吉田さん。

今回もいろいろと貴重な体験をありがとうございました。