■今年のGWはどう過ごしましたか
今年はいい天気が続きましたね。暑いくらいの日が多かったです。いつもどおり、GWは奥さんの母がひとり住まいしている高崎へ車で行くことにしているんですが、今年はいつもと違い、長女と3歳の孫(男の子)が加わって賑やかになりました。長女の夫君は仕事で休みがとれないので孫達が同行することになった、というわけ。
■いつもの花咲温泉へ
5月2日の夜に関越で高崎に入り、翌3日は、おばあちゃん含め総勢5人が車に乗り込み、関越道沼田ICで降りました。目指すのは道の駅「川場田園プラザ」と「花咲温泉」。しかし、どこでも車は混んでて渋滞で、駐車場待ちの長い行列ができてました。道の駅で孫のカズ君と遊ぶつもりだったんですがあまりの混雑に見切りをつけて「花咲温泉」へ。比較的空いてて正解でした。食事をして温泉に浸かり、昼寝などしてゆったり過ごしました。
花咲温泉
■敷島温泉から迦葉山へ
5月4日は、おばあちゃんの要望で迦葉山(かしょうざん)弥勒寺へ。そこへ行く前に敷島温泉に立ち寄りました。ここは毎年、従兄弟会をやるヘルーパル赤城に隣接する施設で温泉プールもあります。ぬるっとした感触の温泉でした。
迦葉山弥勒寺では奥殿の厨子が10年ぶりに開かれ、普段は立ち入ることのできない本殿に入り、「お天狗様」を間近に拝むことができる。このため多くの人が集まl駐車場待ちの長い列の最後尾につきました。
迦葉山弥勒寺
■会津西街道から土湯温泉へ
5月5日、朝、自宅に帰る奥さんと長女に孫の3人を高崎駅まで送り、私は一路福島へ。いつもの「花見山を守る会」のボランティアです。今日は福島市の少し手前、二本松の岳温泉の旅館までの予定。
高崎から桐生、足尾、日光と抜けて会津西街道に入り、鬼怒川、湯西川、会津若松に喜多方。そして、五色沼から山を越えて土湯温泉に立ち寄って岳温泉へ。およそ390キロのドライブです。
途中の足尾では旧精錬所跡を見ました。就職した年ですが、職業柄、公害の原点とも云われる現場を見ておこうと思い立ちGWを利用して足尾を訪ねました。
もう40数年も前のことです。
精錬所の大気汚染によって樹木が枯れ、岩肌が露出していた山は、それはそれは実に痛々しいものでした。でも、その後の植樹活動で確実に緑に覆われてきていますね。人と自然の力はすごいです。
足尾銅山跡
今は渡良瀬渓谷鉄道とオシャレな名前ですが昔は足尾線と呼んでました。桐生から渡良瀬川に沿って走る足尾線。草木駅という無人駅がありました。
そのあたり一体の国有林を母校が演習林として管理していて、農学部の学生・教官が泊まる木造の宿舎がありました。毎年、夏休みにサークル合宿をここでやりました。
サークルですか?、琴、三弦、尺八の邦楽のサークルです。山中の一軒家ですから朝から晩まで思い切り音だしをしたなぁ。食事は部員10人が交代交代で作ったんですが、普段、料理したことがないもんだからベタベタのスパゲティだったり柿の葉の天ぷらをたべたり、笑いながら過ごした1週間でしたね。
その駅、今は湖に沈んでしまった。草木ダムができたためです。そんな青春グラフティーが頭の中を駆け巡ります。
草木ダム あの向こうに宿舎があった
それにしても会津西街道というネーミングとその響きが好きだなぁ。歴史ロマンを感じさせる語感です。集落と山間をぬう道のドライブは楽しい。
安達太良山と吾妻山の間を突っ切る土湯トンネルを越え、坂を下ると土湯温泉郷だ。その入り口にある「サンスカイ土湯」。
入浴料250円という安さに惹かれて入ったけど、6人も入れば一杯の湯船の小ささ。湯船も洗い場も満杯状態。やはりGWだけあって混み合っている。ほんの5分ほど浸かってからあがりました。
混んでると云えば喜多方市役所隣の「坂下食堂」で喜多方ラーメンを食べようと思っていたのに、ここも観光客で長蛇の列なので即あきらめてUターンしてきた。
この時季はどこもかしこも大変な混み具合なのが見にしみてわかりました。
土湯温泉
■熱い湯の岳(だけ)温泉
あれ、クルマかえたのかい?、今宵の宿「和楽荘」に到着するなり宿のおかみさんに云われた。福島へボランティアに来る度もう4回くらいお世話になっているのですっかりなじみになった。荷物を下ろして、すぐ近くの「岳温泉」の外湯に行く。熱い湯だ。44~45度はあるんじゃないかな。いつもより観光客が多いのはやはりGWのためでしょう。いっときでも賑やかさが取り戻せたら、うれしい。
岳温泉の外湯
■ボランティア活動に
5月6日、あさ7時、おかみさんに見送られて宿を出発。
「お元気で・・」
「ありがとう、おかみさんも元気でね、ここ(宿)まだまだやるよねぇ?」
「うん、ほかにやる人いねぇからね」。
去年10月、高齢のお母さんを見送ってからすっかり気落ちし、なんもかもやる気がおきなかったとか。ここにきてやっと元気が出てきたらしい。
高速で二本松ICに入り15分ほど走って福島西ICで降り、「NPO花見山を守る会」のある福島市渡利に行く。
去年、ここに来たときNPO主催のホタル鑑賞会のPRのために福島民友新聞社に一緒に行った若いXさんがボランティア手続きの応対をしてくれた。覚えていてくれてひと安心。
今日の行動予定を訊くと農作業の手伝いのようだ。おととしトマトの収穫作業をした畑に行くらしい。朝の打ち合わせ後、7人がそれぞれ軽自動車に分乗し、20分ほどでて現地へ。やはり、そうだ一昨年と同じ畑だ。今日も暑くなりそう。予報では27度になるらしい。陽射しが強く眩しい。
耕耘機を初めて体験した。ブルブルと振動が手首に伝わり、10分も扱ってると痛くなってくる。伸びすぎた菜の花を刈ったりサヤエンドウを摘んだりして一日が過ぎた。
今晩は福島駅前の東横INN。何度も来てるので福島駅周辺の店や地理にもすっかり詳しくなった。新幹線ホーム下の商業施設の一画にある「極楽湯」で汗を流し、隣のスーパーで夕方6時半から半額になる弁当を買う。あっという間に人垣ができてレジの前に人が並ぶ。いつもの風景だ。缶ビールがうまい。
吾妻連峰が目の前
初めて耕耘機を運転した
■気になっていた猫啼(ねこなき)温泉
福島県の地図を眺めてるとき少し変わった名の温泉だなとは前から思っていた。5月7日、立ち寄ってみることにした。国道118号で須賀川を過ぎると「猫啼温泉郷」の大きな看板が見えた。
午前10時半、井筒屋旅館で日帰り入浴をお願いした。透明でスッキリした湯に満たされた湯船を一人占め。適温の露天風呂が気持ち良い。心地よい湯に包まれて眠気が襲ってくる。とろとろといつまでも入っていたい気分。
気持ち良かった露天風呂
ところで、
この猫啼の由来を旅館の案内パンフでみると・・・まさか猫と和泉式部が結びついてるとは驚きだった。
今を去る千年の昔、平安中期の女流歌人「和泉式部」は、 当地石川の在に生れ、少女の頃こんこんとして沸く清水のほとりに来ては、水鏡で顔を洗い、髪を梳ることを楽しみとし美しい乙女となった。
その時、式部が櫛を置くことをつねとした石を「櫛上げの石」と称し、今なお、当温泉地内に残っている。式部の美しさは遠近に聞こえ、一条天皇の御代に都へ上り、情熱の歌人として、その名を後世に遺した。
幼少時、和泉式部は「玉世姫(たまよりひめ)」と呼ばれ、京都に上りし折り、愛猫を置いていったところ、故郷に取り残された愛猫は病み衰えていたが付近より湧き出でる泉に浸ったところ次第と元気が回復した。見た里人はこの泉が霊泉であることを知り、泉を汲んで入浴したところ諸病に効果大であることが分かり、この里を猫啼と名付け、湯治場を設けた。
・・・・ということなのだが和泉式部が東北生まれとは知らなかったなぁ、もっとも、これには諸説あり、和泉式部の正確な没年なども良く分かっていないようだ。
ただ彼女はとても情熱的な女性だったらしく恋愛関係は豊富だった。同時代に生きた紫式部は眉をひそめてこう批評している。
「和泉式部という人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ(恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない)」
(『紫式部日記』)。
優等生の紫式部にとって自由奔放に生きる和泉式部が目障りで仕方がなく、嫉妬心を抱いていたかもしれない。だとしたら、そのエネルギーが源氏物語の創作意欲に転化したともいえるだろう。
さてさて、
猫啼温泉に浸っていてすっかり時間がすぎてしまった。ここから自宅まで300キロはあるだろう。高速を使わず4号線をのぼって行こう。信号が少ないので一定速で走れる。そんなときオートクルーズ機能を使い、たとえば60Km/hに設定すれば、アクセルから足を離しても、ずっとこの速度で走ってくれる。便利な機能だ。なので、リッター当たり20キロを表示している。こんな燃費の良さは初めてだ。
茨城県の大湖町に入ると「袋田の滝」の看板があった。あの有名な滝だな。ひと目見てから帰ろう。
袋田の滝は想像よりずっとスケールの大きい滝だった