温泉めぐり紀行

丹沢の新緑(2022年5月)

354.桜満開&高額療養費

2014-03-31 | 暮らし

今日は暖かい一日でした。この陽気で一気にサクラの蕾が膨らんできた。午前中、友人のSさんに誘われ、サクラ見物散歩に連れだしてもらった。
隣駅まで電車に乗り、和泉川沿いに歩いて帰ることに。遊歩道沿いにはレンギョウ、ユキヤナギ、ツバキ、ミツマタ、スイセンも満開。

写真を撮ったり禅寺に参拝したり、のんびりゆったりぶらぶら。区役所を過ぎて遊水池のベンチでひと休み。暖かい。目の前の土手には七分咲きのサクラと菜の花。月曜日とは思えないほどゆるいひとときです。寅さんじゃないけど"労働者諸君、今日もお勤めご苦労様です"
と軽口をたたきながらSさん持参の清見オレンジをいただく。甘くて酸味のある果汁が口いっぱいに広がります。

それにしてもほんとうに暖かい。これでずいぶんと花開いたんではないかな。創の痛みもほとんど感じなかった、というより忘れていた約8千歩の散歩でした。
「お友達とだとやはり違うわね、私と一緒だとつい甘えちゃってね・・・」と奥さん。そりゃぁ、やっぱりねぇ、そうでしょうよ、ねぇ・・・。

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明日4月1日から消費税が8%に増税。買いだめに走る人が多いらしい。それでどれだけ得するのかよく分からないが、そもそもそうしたマメさが我が家には備わっていないので実感が湧かない。

それよりも「
高額療養費控除」(医療費控除ではありません)です。
ぜひ手続きしたほうがいいとアドヴァイスしてくださった方のいう「高額療養費控除」。初めて聞くコトバです。制度を調べるため、区役所の保険年金課を訪ねました。

担当職員さんの試算によると国民健康保険に加入している私の場合、病院に支払った手術入院費(30万円超)の約7割が戻ってくることが分かりました。高額療養費控除の対象者には申請通知(ハガキ)が送付されるので手続きすれば翌月には振り込まれるとのこと。
じゃぁ旅行費用に充てられるわね、とニッコリの奥さんでした。


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咲いてきた桜(2014.3.31)


353.今日も野道を散歩

2014-03-29 | 暮らし

Dsc_3397 横浜では、おとといサクラの開花宣言がありました。
きのうの雨と打って変わって今日はいい天気。暖かいです。
まさに春の陽気。
これでサクラの蕾も一気に膨らむことでしょう。
そのポカポカ陽気に誘われて奥さんと散歩にでかけました。
いつものように和泉川に沿ってノンビリWalk。
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ヒメオドリコソウ      土筆     オオイヌフグリ

「まさに春の小川だねぇ」

温んだ川のせせらぎを耳にしながら野道を歩きます。道端にはホトケノザ、ヒメオドリコソウが相変わらず勢いよく群生してます。
またオオイヌフグリの愛らしい花も満開です。奥さんの話しでは、朝の散歩の際には全く開いてないとのことなので光刺激で開花する花のようです。

それにしても、このオオイヌフグリという名前、何とかならないでしょうかね、実の形が犬のフグリ、つまりキンタマに似ていることからきているとのことですが(^^;)・・・可憐な姿と名前のギャップがあり過ぎです。

花の形とか色のイメージでネーミングすればいいのにわざわざ実の形状を取りあげ、しかもオス犬のタマにそっくり・・なんて無茶苦茶ですよね。ハキダメギク、ヘクソカズラも似たような"
風評被害"にあってる植物でしょう。

まさか、あの牧野富太郎博士ではないでしょうが、命名した植物学者の感性はいったいどうなってるんでしょうね。
この1月に訪ねた高知県の31番札所、竹林寺の真向かいに「
牧野富太郎記念植物園」があります。高知生まれの牧野博士の業績を顕彰して昭和33年に開園したとのことです。

春の野花たちを愛でながら、そんなこんなの
嘆きを以前書いたことを思いだしていました。

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せわしなく動き回るテントウムシ
(2014.3.28)


352.昔のブログを整理

2014-03-28 | 暮らし

Dsc_3367 昔ブログに書いた地名や時期など、確かめたり調べたいと思うことがこれまでも度々ありました。
しかし、あいまいな記憶のままブログを探そうとしても、これが意外と面倒なのです。バックナンバーは「年月別」フォルダーに入ってるので、そもそも記憶がおぼろげな状況では、目的のブログ記事まで辿り着くのが
容易ではありません。

そこで、5年前のNo1から直近までの全351編をまとめてみることにしました。それが昨日アップしたものです。Noが重複したり飛んでたりしていることが初めて分かりました。けっこういい加減だったなぁ、とは思うものの修正するのも大変なのでそのままに。

いずれにしてもこれでだいぶスッキリです。日記代わりでもあるので懐かしみながら拾い読みしています。
このブログの趣旨はあくまでも"温泉探訪"が目的ですので、この原点を忘れずに・・・
とはいうものの体力、体調を回復しないと温泉にも行けません。

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ユキヤナギも咲いてきた
(2014.3.24)


351.お散歩

2014-03-23 | 前立腺がんリポート

昨日、今日と暖かな日が続いたのでリハビリを兼ねて奥さんと散歩に出かけました。Dsc_3280
道端にはオオイヌフグリ、ホトケノザなど早春を彩る野花が咲いています。
朝のラジオ体操のあと、散策コース途中にある梅をぜひ見せてあげたい、という奥さんの後についていきます。

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ここ横浜市泉区の自宅周辺は、
ほんとにのどかな土地。
駅まで5分、特急に乗れば20分弱で横浜駅に行ける便利さ。その一方で10分も歩けば田園地帯の里山風景が待っている。


農家が点在し牛舎からはのどかな鳴き声。
小さな流れをつくる和泉川には小魚が群れ、それをねらうサギ、カワセミが棲息する。
こういう自然環境が気に入って30年以上も住み続けている。

奥さんが案内した紅梅は残念ながら盛りを過ぎてましたが、隣の農家のコブシが咲き始めていました。
ぶらぶらと
和泉川に沿って畦道を歩き八幡神社へ。
奥さんは私の手術成功を祈念して、ラジオ体操のあと、毎朝、この神社に通ってくれたんですね。

振り返ってみると、
川崎大師と四国の札所、竹林寺と浄瑠璃寺で弘法大師に、築地本願寺で阿弥陀如来、浅草寺で聖観音菩薩、巣鴨のとげぬき地蔵尊では延命地蔵菩薩、そしてさらに羽田七福神と瀨谷八福神・・・と参拝・祈願してまいりました。

改めて拝見しますと、
弘法大師に阿弥陀如来さま、観音菩薩に地蔵菩薩、そして賑やかに恵比寿さん、毘沙門天、大黒天、弁財天、福禄寿、寿老人に布袋さま
・・・・と実に豪華キャストだったんですね。
メジャーなメンバーとローカルな八幡神社の神様との連合軍に取り囲まれたら、さすがの"疫病神"だって身を縮めて退散しますよねぇ。

八幡神社のお賽銭箱、手術前1ケ月間は毎回50円、手術当日前後100円、そして今は10円とのことです。
そりゃそうだよねぇ毎回毎回100円てわけにはいかないよねぇ(^^;)
こちらにも家計・予算がありますからね・・と笑ってる奥さんは、神様となかなかの付き合い上手です。
あっ、それから術後の病理検査結果を聞きにいく日(3月14日)も100円だったとか。
ここぞいうときの心意気に感謝してます。

体調が回復いたしましたら、あちこちの寺社にお礼参りです。


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フキノトウでひと休み~和泉川沿いで~
(2014.3.23)


350.お彼岸

2014-03-21 | 前立腺がんリポート

今日は春分の日。
墓参りにいきたいところですが未だちょっと無理な体です。風邪が少し冷たいもののいい天気なので奥さんと駅前のスーパーまで散歩してきました。ゆるり、ゆるり・・とですが。

Dsc_3231 奥さんのお友達から沈丁花をいただきました。室内に飾ると春の強い芳香が部屋いっぱいに広がります。お昼は前夜のカレー。二日目のカレーはやっぱり美味い。
今日開幕した選抜高校野球をみていたら、ご近所のMさんからおはぎのお届け物。
お彼岸のとき、いつも自家製のおはぎを届けて下さる。餡、きな粉、胡麻の3種類、三時のおやつに頂きましょう 。




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この前紹介した「がんの闘病サイト」で前立腺がん患者のブログをいくつか拝見しました。
摘出手術あとのおしっこの問題、失禁に悩む方が多いのに驚きました。
たとえば朝、起きたら布団におしっこが漏れてて寝小便状態だったとか、いろいろご苦労がおありです。私の場合、幸いなことに上手くコントロールできるまで回復し、今日から普通のパンツに履きかえました。



ふと思いだしたのですが子供の頃、悩みごとのひとつが寝小便問題でした。川崎市立上丸子小6年の林間学校は箱根の強羅に一泊。
そのとき、子供なりに必死で対策を考えたものです。お袋にたのんで、おねしょに効くお灸をしてもらったり、担任の古川先生に夜中起こしてもらうよう内緒でお願いしたり、事なきを得たのでした。



その頃、校庭で暗くなるまで野球で遊んだ玉井君、中館くん、歌の上手かった戸田君、そしてロボットや宇宙船の絵を描くのが好きだった加藤君。彼とは将来ノーベル賞をとろうな、と女の子らの前で約束したなぁ
美少女だった三枝さん、そして結城さん、高木さん、白井さん・・・みんな達者で暮らしているんだろうか

遠い記憶をたどってみると・・・、少なからぬ好意を抱いていた三枝さんとは近い席だった。
ある日、教室内には午前の陽の光が一杯に射し込んでいて、ふと、三枝さんの方をみると、まぶしい陽光が身体を包み、透過した光が彼女の耳の毛細血管をくっきりと浮かび上がらせていた。幾筋にも分岐している赤い、細い、そして小さな血管。ドキドキした。少年の心には、なぜか分からないが見てはいけないものを見てしまったような秘密めいた感情が不意に湧いてきたのだった。


ノーベル賞ものの大発見かと思われたSTAP細胞。肝心な部分の画像の
切り貼りや論文の無断流用などで重大な疑惑に発展してしまいました。
持ち上げるだけ持ち上げて、今度は手のひらを返したようにたたいて、ほんとうにマスコミって嫌ね。
研究リーダー・小保方晴子さんの中学生時代の作文*にとても感動していた奥さんの怒りの矛先はマスコミに向かってます。

「ちいさな王様が教えてくれた 大人になるということ」)


349.PSAの推移

2014-03-19 | 前立腺がんリポート

 

       前立腺の腫瘍マーカー4031PSA(前立腺特異抗原)の基本的なことを記します。
そもそも、PSAとは、Prostate Specific Antigenの略

。前立腺がんになるとPSAという糖タンパク質がたくさん作られ、血液中に増えます。その値を測定することでがんの可能性をチェックするのがPSA検査です。
一般の定期健康診断では検査項目に入ってないのでオプションとして追加することになります(1000円程度)。
さて、私が一番最初にPSA検査を受けたのは2006年(平成18年)、59才のときです。
きっかけは、90才を超えて前立腺がんになり、月1回のホルモン注射治療をしていた実父の影響なのかもしれません。そのときの値は1.8ng/ml(基準値は4ng/ml以下)で、なんの心配もしませんでした。
これまでの検査結果をいったん整理してみます。(2007年~2009年は受診してないようです)

2006年8月  1.8          
2010年9月  2.94
2011年9月  2.85
2012年9月  3.78
2013年9月  4.28
2014年1月  0.505 (ホルモン剤服用中)
           3月  0.019 (前立腺全摘手術後)
           (単位:ng/ml)


こうしてみると年々増加傾向にあったことが一目瞭然です。
2013年11月、針生検で前立腺ガンが判明し、12月下旬に手術治療を選択。それから今年2月の手術までの約2ケ月間、ホルモン剤を毎日服用。これでPSA値は10分の1程度に下がり、さらに摘出手術後は、ご覧のように激減しています。数値のうえからも治療の効果がはっきりと分かります。

ただし、注意しなくてはならないのはPSA検査はあくまで目安であるということ。
PSA値が低いからといっても油断は禁物です。 4以下ならOKかなと単純に思ってましたが、図のように年齢によって評価は異なるようです(
がんサポートVol 119より)。
去年9月の検査で4.28でしたから、少なくとも2年前には針生検を受けておく必要があったのかもしれません。0010

PSAの絶対値もさることながら、その増加傾向に着目し、あやしいと思ったら精密検査を受けた方がいいでしょう。
最近は触診をしない病院もあるそうですがPSA値を鵜呑みにせず是非とも触診をうけられることをお奨めします。
私の場合、何といっても触診での判断が前立腺がん発見の決め手となりましたから・・。


Tea1031 ところで、昨日は久しぶりに鍼治療を受けました。もう7年もお世話になっています。月一回の治療なのですが腰痛のため特別にお願いしました。
自宅にきてもらえるのでありがたいです。やはり腰がだいぶ固く凝っているので、先ずここを中心に鍼治療。
鍼のあとのマッサージが"痛気持ちよい"。全身固まっていた筋肉がゆるんできて眠くなります。
そしてお灸のことでいいことを聞きました。
術後にずっと続く盲腸手術痕の疼痛。三里のツボにお灸すると内臓系によい働きをするので盲腸手術痕痛に効くかもとのこと。
また、左足くるぶしの下(かかとの内側)は泌尿器のツボなんだそうです。もちろん、これらのツボにお灸(温灸)してもらいました。次回は来週の月曜日。


348.ちようど1ケ月

2014-03-18 | 前立腺がんリポート

今日は3月18日。ちょうど術後1ケ月目です。
朝の7時30分、電話が鳴りました。昔、勤めていた職場のAさんからです。
最近、前立腺がんが見つかり、今日、病院に行って治療方針を決定する予定なのだが、
知人から私の手術のことを聞き、電話を下さったとのこと。

治療法をめぐって迷っておられる様子です
。治療法のバリエーションが多いので迷って当然ですよね。こうしてほしい、こうあってほしいという治療イメージと医学的に見てリスクが小さくてメリットの多い治療法をめぐるマッチングといいましょうか、一種の最適化を探索する医療プロセスですから迷いも生じます。

Dsc_3178_2 前立腺がんの"先輩"として、ここまでのいきさつ、術後の経過などをすべてお話しさせていただきました。幸いにも浸潤もなく転移がないそうなので、ほぼ私と同程度です。彼が云うには、前立腺がん患者の世界では、同病仲間のことを"腺友"と親しみを込めていうのだそうです。

私の体験が役に立ったのなら幸いですが、術後1ケ月のこの日、Aさんから連絡があったのも何かのご縁でしょう。Aさんの治療法が功を奏することを祈るとともに"腺
"として共に病と戦って参りましょう。
健康なときには読み過ごすようなことでも今では次のようながん患者のひとことひと言が胸に届きます。絶対直す、直るんだという前向き思考が自己免疫力を高め、延命につながるようですね。

「がんは気持ちが沈んでしまうとなかなか手ごわい病気です。共生していくためには前向きに、そして無理をせずに自然に生きることです」

前衆議院議員与謝野馨 ~37年間で四つのがん、そのつど多くのことを教わった~
          2014.3.16 毎日新聞日曜版わたしと健康 から )

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<参考文献図書>

わたしが前立腺がんについて勉強したのは、次のがん専門誌のみです。私の病を聞いて、出版社を経営する知人が送ってくれました。


「がんサポート
~前立腺がん最新特集~

 (2013.Vol.119 定価1200円)

  発行 株式会社エビデンス社 
        東京都千代田区神田淡路町1-11-8
        電話 03-3526-5022

   発売 三省堂書店/創英社

内容的に信頼出来る専門誌であるなぁ、との印象を受けました。その目次など、いち部を紹介します。また同誌には
闘病体験を綴ったブログの検索サイト「TOBYO」(
http://www.tobyo.jp/も紹介されています。がんの闘病記録だけでも9875件が収録、検索できるようになっています。前立線がん闘病記のサイトも、もちろんあります 。実体験に基づく記録なだけにとても参考になります。

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347.術後の検査結果良好です

2014-03-15 | 前立腺がんリポート


この図は下からみた前立腺ですね。手術前の検査では、右側の病巣部が皮膜を浸潤している可能性がありましたが、病理検査結果をみると前立腺内部に留まっています。
レベルはT2bですね、リンパ節への転移もありません。今日のPSA値は0.019(ng/ml)ですのでとても順調です。
今後はPSA検査を定期的に行って、その数値動向を見ながら経過をみて行きましょう。
お風呂もいいし、温泉も入っていいですよ。次回ですが、連休明けの週は混むので2か月後の5月12日にしましょう。


             *ng(ナノグラム)は10億分の1グラム

診察室で院長先生の説明を奥さんと一緒に聞きながら全身の力がすっと抜けてくのが分かりました。
放射線治療や抗がん剤も要らないし特に薬もなしです。
診察室を出ると
だから云ったでしょう、ぜったい大丈夫だって
と自信ありげにニコニコする奥さんとハイタッチ。もう床上げね、とも奥さん。そうだね、退院してから2週間も外出てなかったから、いいタイミングかも、公園を少しずつ歩くようにしよう・・。


さきほど記したT2bとは下の図表のとおり前立腺がんの病期分類に基づく進行度合いのこと。触診でもわからないレベルから骨などへの転移してしまっているレベルまでいろいろです。
私の場合は中間レベルだったといえます。
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Photo

(「がんサポート」 2013 Vol 119から引用)


つまるところ、私の場合
早期発見、早期の摘出手術で命拾いしたということですね。
ひとことで早期発見とはいうものの、そこにはいくつかの偶然が重なったとでもいいましょうか、ラッキーな連鎖がありました。

①定期健康診断を毎年受診しているかかりつけの医師がPSAの検査結果(4.2ng/ml 基準値0~4)をみて、年々値が少しずつ上昇しているので念のためクロスチェックしたほうがいいねと、家の近くの国際親善病院を紹介してくれた。


②国際親善病院で検査したPSA
値は3.9ng/ml。問題となる数値ではなかったものの担当の野口医師は前立腺の触診を行い、。右にやや固いしこりを発見細胞組織を採る針生検を決定。検査入院し、ガンであることが判明。MRI、CT、RIの検査結果によれば転移は無い。放射線治療、ホルモン治療、摘出手術のうち最終的に摘出手術を選択。


③泌尿器科トップの部長(兼院長)は森元総理の前立腺がん手術を執刀したベテランの先生。その先生のもとで優秀な医療スタッフがそろっていたこと。前立腺がん手術数は県立ガンセンターより実施例が多く経験豊富。なのでセカンドオピニオンを考えるまでもなく手術を委ねることができた。

 


ともあれ、
最初のきっかけを作ってくれたかかりつけの医師が仮に、
まぁ、基準値の4を少し超えてる程度だからもうすこし様子を見ましょう・・・と先送りの判断をしたなら、早期発見のチャンスを逃し、最悪の事態を迎えたことでしょう。
後に先生に聞いた話では、PSA値を再確認するための血液検査を想定してただけで触診までは考えていなかったそうです


そして、がん発見の最大の決め手となったのが触診です。
野口先生、よくぞここで尻の穴に指を突っ込んでくれました(ちょっと痛くて苦しかったけど・・)。
だって、この日の血液中のPSA値は基準値の4
を下回る3.9だし、問題ない値です。
大丈夫です経過を見ましょう、と判断が下されてたら・・・。ここも重大な岐路のひとつでしたね
デジタルな検査値とアナログな触診。
データだけに頼らない的確な見立てと判断が命を救ってくれたと云ってもいいでしょう。
こうして幾つかの僥倖が命をつないでくれたのですね。
生かされ
ている、・・・そのことを実感してます。


346.入院日誌

2014-03-13 | 前立腺がんリポート
医師と病院スタッフ



術後1日目  (2014年2月19日)


昨夜、入れてもらった座薬のお蔭で痛みが軽減し、眠りにつけた。今日は一切の食事はなし。
声がかすれている。これは人口呼吸器の管をノドから挿入した後遺症。以後、直るまで10日ほどを要した。
検査用の採血、ベッドサイドに移動型のレントゲン装置をもちこみ腹部のX線撮影。5分で終了。
ナースに励まされ、点滴スタンド(移動キャスター付き)を左手でつかみ腰を支えてもらって部屋の入り口まで歩く。10歩程度。もうすこし廊下を歩きたいと思ったのに、麻酔の余波だろうか頭がフラフラするし、軽いめまいもするので今日はここまで。



術後2日目

朝は五分粥が出て昼が全粥、そして夕食は普通食に切り替わった。止血剤、抗生剤など主な点滴が終了。
その代わり1日あたり1.5㍑の水を飲んで下さいとのこと。膀胱内に尿が溜まって感染症をおこさないようにするためとのことだ。
今日は廊下を2往復した(30mx4)。夕方、38.2度。体の中でいろいろ戦っているから・・・らしい。氷枕をしてもらう。翌朝には平熱に下がった。
ふと、腕が乳首にあたると痛いことに気付いた。多分これは手術当日までの間、ガン細胞の進行を抑制するため、2ヶ月間もホルモン剤を飲んだせいだろうと思う。廊下2往復。


▼病院の生活はとても規則正しい

 6:00 起床 6人部屋に灯りがつく
       検温、血圧測定
 8:00 朝食、ベッド・部屋の清掃
       担当医師の回診
       検温、血圧測定
       売店が新聞などを売りに来る
       看護師さんによる下半身の清拭(傷の回復具合をみて徐々に
        シャワー、私は術後8日目でシャワーが使えた)
12:00 昼食    

       検温、血圧測定
18:00 夕食
     担当医師の回診
21:00 消灯

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



術後3日目
普通食になったため便も普通に・・・、気張ると傷口に影響がでるのでほどほどの踏ん張り(糞張り?)。ノロウィルス対策のため便座のウオッシュレットが当分、使用禁止の状態。これはしんどい。
夕方、医師4人で回診。「順調ですね(尿の色をみて)」とM先生。声だけ聞くと20代の青年のようだが、50代の方でしょうね。
M
先生は、あの失言癖のある森元総理の前立腺癌を手術した人。森元総理はM先生を命の恩人ですと言ってるとのこと。
国際親善総合病院は横浜パブリック・ホスピタルが1863年(文久3年)に開設。1990
年に現在地に移転。
創立150周年を記念して森元総理の講演会が1月に開催されてました(もちろん聴きには行きませんでしたが・・・)
廊下3往復。

 

 病院のHPから引用

術式 件数
腎尿管悪性腫瘍手術
17件
膀胱悪性腫瘍手術
104件
前立腺悪性腫瘍手術
38件
 
   
前立腺肥大症に対する手術
 31件
尿失禁に対する手術
 10件
尿路結石に対する
 体外衝撃波結石破砕術 299件
 



術後4日目
同じ日に入院した隣のAさん。前立腺肥大の術後経過がいいため今日退院した。その空いた窓際へとベッドを移動してもらう。これまでは両サイドがカーテンだったのでうっとうしい閉塞感があったけど、今度は窓から入る光で明るくて、何より外の風景が眺められるのがいい。気分も開放的になる。

午前中、担当の医師がきてお腹のドレーンパイプを抜く処置。腹のなかからパイプがズルズルと鈍痛を伴って抜けていく。一瞬だが緊張。ガーゼをあてて終了。
背中の硬膜外麻酔注射も外れたし点滴も今晩ですべて終了。これで尿管以外のものがすべて外れた。昨晩まで座薬をお願いしていたが、今晩はなくても大丈夫そうだ。

ベッドから起き上がるとき、どうしても腹筋に力がはいるため少々痛いのはしょうがない。
それにしても、どうしてこんなに痛みに敏感なんだろう。体が本能的に身構えちゃってる。
術後直後の痛みをたとえるなら、重層的とでもいうか、お腹の上層から下層までさまざまな部位できっと痛みが発生しているんでしょう。
日が経つにつれタマネギの皮が一枚一枚はがれるように痛みが上から消えていく一方で下側に隠れてた痛みが顔を出してくる。体内に痛みの記憶回路ができあがってしまっている。ちょっとした痛みでも怖がって無駄なところに力がはいる。なので腰や腹まわりの筋肉がコチコチだ。
多分、陣痛とかはこんなもんでは済まないのだろうなと思う。女性のすごさがよく理解できる。

トイレから部屋にもどるとき、ちょうど鈴木さん夫婦がお見舞いに来られた。彼も大きな手術を経験しているので”同病相憐れむ”の会話でひとしきり盛り上がりました。
廊下を午前中2回、午後3回往復。


術後5日目
あれっ、赤くなってますねぇ、採血の際、ナースがアルコールで腕を消毒したときのこと。えぇ、ほんとだぁ、こんなこと初めてなんだけど。
手術をきっかけに体質が変わることもあるんですよ、とナース。そういえば、さっきアルコール綿で拭かれたときにピリピリした感じがあったなぁ。地下一階の売店まで新聞と週間文春を買いに行く。TVも新聞もソチの冬期オリンピックのオンパレード。
午後、娘二人が見舞い、3人の孫は奥さんがみているとのこと。スマホで二才の一義くんの動画を見せてもらう。歌に合わせて嬉しそうに体を一生懸命動かしてるのが可笑しい。
廊下往復5回。



術後6日目
午前中、抜糸。
医師がパチンと糸を切ってピンセットですっと引き抜いていく。そのつどチクっとした痛みが走る、がたいしたことはない。
抜糸後は不思議とお腹周りの緊張も一緒にほどけていく。
しかし、この後思わぬ伏兵が・・登場。50年以上も前の盲腸手術の傷跡がどういうわけかピリピリと痛み始める。
お腹周りの筋肉が複雑に交錯しているためなのか、よくわからない。その後ずっとこの痛みが尾を引いていくとは・・・。

午後、ベッドで本を読んでいたら、ひょっこりとOさんが見舞いに。今日は休みで車で来たとのこと。
ひとまわり若い彼とこの前会ったのは横浜駅近くの居酒屋飲んだとき以来。実に2年ぶりくらいかな。そのとき、大手電気メーカーを早期退職するつもりと云っていたが、現在はプライバシー認証の審査を行う職場に勤め始めてるとのことだ。たくましい人です。私が40代の頃、仕事上でお付き合いが始まり、フィーリングが合ったんでしょうか、以後、公私ともども20年以上の付き合いになる。今年の正月に巣鴨のとげ抜き地蔵商店街で名物の赤パンツを買ったぜ、といったら今の職場がまさにその近くとのこと。縁がありますねぇ。
今日は廊下往復6回。

 

術後7日目
今日からシャワー使いましょう、とナースから告げられ、約束の午前10時、廊下の端にあるシャワー室へ歩いて行く。
ただし、尿管がつながっているので尿袋を入れたバッグを点滴スタンドにつり下げての移動だ。
パジャマと下着を脱いでシャワー室に入る。とても狭い。尿袋をドアの外に置く。
股の間から3ミリほどのゴム管が尿袋に向かってぶら下がっている、面白い光景だなぁ、どうして抜け落ちないんだろう・・と思いながら頭と体に熱いシャワーをかける。
感染予防のため特にチンチン周りを念入りに石けんで洗う。
これまではナースに毎日洗ってもらっていた。
チンチン周辺を石けんで洗ってお湯をかけてもらうと実にさっぱりとする。紙パンツ&パッドをあてているので、そのまま洗い湯を吸収してくれる。なのでベッドに横になった状態で清拭が可能。ナースの皆さん、仕事とはいえホントにご苦労さまです。廊下往復7回。

 

術後8日目
午後、シャワー、頭も洗う。
ここの部屋は6人部屋。窓に向かって左右に3人ずつの配置。
前立腺肥大手術の人が2人、
糖尿病と腎臓の合併症の人、
腎臓から尿を排出するための導管を装着する手術(腎ろう というらしい)の人、そして
足首骨折で外科手術し車椅子の人・・・
皆60才以上の方達ばかり。
糖尿のおじいさんは毎晩、咳とうなり声を発している。
前立腺肥大の二人は1週間もかからずに退院していった。腎ろう手術のおじいさんの奥さん、退院が近いせいか毎日見舞いにきている。
お腹につけた腎ろう管まわりを退院後も毎日消毒が必要らしい。ナースに励まされながら、おかあさんが消毒の練習を始めた。


"わたし80になるんですけど、このひとにずっと頼ってきたから何にも出来ないんですよ、銀行でお金おろしたこともないのよ、だから私の方が先に逝くことにしているのよね、ねっ、おとうさん!
2階からベッドおろして六畳間に置きましょうね、この日曜日、子ども達が下ろしてくれるって・・あっ、看護婦さん、この絆創膏はこうしてはがしてもいいんですか、消毒はこれでいいかしらねぇ、わたし不器用なもんだから、
(アイタタタ・・・そんなに引っ張ったら痛いよ)、あぁ、ゴメンナサイ、わたしレーシック手術したんだけど細かいところが良く見えなくって・・お父さん、そんなに怒らないの!"

可愛い箱入りおばあちゃんですねぇ。おじいちゃんがトイレに立ったときおばあちゃんと目が合うと、あの人ガンコなんですよ、と小さい声で笑ってました。

そういえば糖尿病のお爺さんには全くといっていいほどに見舞客が来ない。奥さんは海外旅行中で娘も遠いところに住んでるらしい。常識ではあり得ない感覚だけど、考えようによっては家に置いておくより入院してもらったほうが奥さんとしては安心して旅に出かけられるわけだ。いろんな夫婦の姿があって面白い。
今日も廊下往復6回。


術後9日目
午前中、ナースにレントゲン室に行くよう指示される。
女医さんが待っていて早速に膀胱造影検査の開始。膀胱と尿道はきれいに縫合されてるとのこと。
ということで尿管を抜去。スッキリとした。病棟に戻ってきたら顔見知りとなったナースに、管とれましたよう、と声をかけたら、あっ本当だ、独り立ちしてますねぇ、と元気な声が帰ってきた。
尿管がとれたらとれたで排尿日誌をつける作業がひとつ増えた。
トイレに行くたび目盛り付きコップで尿量を測り、自分専用の袋に投入し、さらに尿パッドにもれてる場合は秤にのせてパッドの重さを計量し、元の重さ45グラムを差し引いて尿量を計算して日誌に書き込む。面倒なこと!。
ところで意外だったのは
尿管を抜去したら四六時中、おしっこが漏れちゃう状態なのかなとおもったら、そんなことはなかった。
夕方から翌日・午前中の記録によれば、100~200cc程度は膀胱内に溜めていられることが分かった。


術後10日目
おう、管を抜いた翌日にこれならなかなかいいね
  朝の回診にきた医師が感心したように排尿日誌を見て云った。
じゃぁ先生、今日退院してもいいでしょうか
えっ、だいたい1~2日様子をみてからという患者さんが多いんですが・・・そうですか、分かりました、では退院の手はずを整えましょう

これで決まり。やっと退院の運びとなった。
ナースから退院オリエンテーション、日常生活の留意点などについて説明があった。骨盤底筋運動が必要とのこと。あいさつをし午前中に退院。奥さん運転の車で我が家へ。忙しいなか毎日、洗濯物やら果物を届けてくれた奥さんに感謝!。
やっぱり娑婆の空気はうまいよ。長かったような短かったような入院生活でした。
次回の外来予約は3月14日午後3時。


345.東日本大震災3年目

2014-03-11 | 暮らし

今年もやってきた3.11。
朝から夜までTVはもちろん新聞も震災特集に多く紙面をさいてます。

死 者   1万5844人 (警察庁調べ 10日現在)
行方不明    2633人 (警察庁調べ 10日現在)
関連死     3048人 (毎日新聞まとめ10日現在)
避難者       26万7419人 (復興庁調べ2月現在)
仮設住宅
入居者数 9万8124人 (内閣府調べ2月現在) 毎日新聞朝刊から



震災2年目の昨年3月11日、
何をしてたかとブログを調べてみると、私と奥さんは横浜の新聞博物館の「震災報道展」を訪ねたあと、岩手県釜石市の遺体安置所のルポルタージュを映画化した「遺体~明日への十日間」を観にいってました。

それから1年。この間にいろんなことが・・・、
昨年の初夏、3人目の孫が生まれ、喜んだのもつかの間、翌7月に長くガンと戦ってきた友人を見送ることになった、そして秋、PSA検査で思いもよらぬガンが前立腺に見つかりCT、MRI、RIの検査結果から12月20日、摘出手術に踏み切ることに決め、年明け2月に手術・・・そんなこんなのいち年でしたね。
思えば、去年の12月下旬から今年2月の手術当日までの約2カ月間、人生の締め切り日をrealにおもうこと、しばしばでしたね


きくところによると、この世とあの世の分かれ目には"三途の川"ちゅうもんが
あるらしい
現世と黄泉(よみ)の国、その国境がこの川だという。しかし、この地図にも載ってない知ってるようで誰も知らない"
三途River(リバー)"。源流が一体どこらあたりで、下流で海に流れ込んでるかどうかも分からへん。
何となく浮かぶイメージでは、白く霧が掛かっている浅い川のようだ。
でも、もし万が一渡ってるとき足滑らしておぼれたらどうするの?、
オレ、もともとカナヅチで泳げないし、
必死こいて川岸に戻ってきたら"♪RiverSideHotel"(井上陽水)にでも泊まれるんやろか・・・

Dsc_3149 関西弁も混じるグダグダ脳みそ状態のそんなとき、
奥さんや子供たち、そして孫達の笑顔でどれだけ励まされたことか・・・。
そして退院し、
家で過ごすようになってから今日で12日目。日々、回復していることを実感しています。

大丈夫よ、うん、ぜったい大丈夫、悪いところ全部取ったんだし、
それに(朝のラジオ体操のあと)わたし毎日、神社に行ってお願いしてるから・・・


そう、きっぱりと奥さんが云います。
がんばりますよ、皆のためにもね、少なくとも孫のランドセル姿やピアノを連弾する晴れ姿をみたいからね。

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344.ナース

2014-03-09 | 前立腺がんリポート

 
体温、何度でしたかぁ、はい、ありがとうございます。では、血圧はかりますねぇ、135の85です。
ではねぇ、血液採りますよう、ちょっとチクッとしますねぇ、はい、ありがとうございま
した、お腹の痛みはどうですか、痛かったら遠慮しないでナースコールしてくださいねぇ、尿もきれいですね、窓のカーテン開けておきますね
    
■若きナースたち
国際親善総合病院(横浜市泉区)。この3階の病棟で働くナース・看護師さんは多分20~30才代がほとんどでしょうか、実にてきぱきと良く働きます。
午前・午後の2回ずつ、部屋を巡回し、患者の手首に巻いたバーコードをリーダーで確認し、ワゴンにのせたパソコンに患者ひとり一人のバイタルデータや様態を入力していきます。
   
そしてなによりも言葉遣いが職業的に訓練されています。患者本位のホスピタリティーとでもいいますか、快適に入院生活が送れるよう患者目線での対応が徹底していて、気持ちのいい毎日でした。こちらも自然と、ありがとう、が口をついて出てきます。看護術と接遇の素晴らしい病院です。

■バー婆現る
手術を迎えるとき、多分誰もが気になることのひとつに下半身の毛を剃るんだろうか・・ということがありますねぇ
カミソリで剃るのかなぁ、あのナースさんたちがやるのかな、そんときムスコが妙な行動を起こしたりしなきゃいいけど・・・やたら妄想と想像が広がります。
そんなこんなの手術の前日、剃毛に業者さんがきますのでお願いします、と突然、ナースに告げられました。
ということはナースが剃るんじゃないんだぁ・・と云うことだけは分かった(^^;)

失礼しますねぇ、L_011
とカーテンから現れたのは年の頃70過ぎの婆さん。
理髪店(Barber)のOB(じゃなくてOGか)なんでしょうね、道具一式を入れた包みから出したのは電動バリカンです。
ふぇ~、カミソリでジョリジョリ剃るんじゃないんだぁ、腰の下にシートを敷きパンツを半脱ぎしたら作業開始、
いっきにジャングル地帯を伐採し、大木(いや小木か)の幹(茎かな?)の下草周辺も丁寧にバリカンをあてていきますが、
そこまで丁寧にやらなくてもいいのでは・・・と思うんだけど、ブーンという電動音をまきあげながらずんずん進んで、ついにタマタマ地帯に徹底侵攻。
そうしてジャングル掃討作戦は約10分で完了したのでした。
大変だけどさ、きっとよくなるよ、と慰めのコトバを残してバーバー(婆)は去って行きました。
そっとそのあたりをのぞいてみると、縮こまった細いキノコがいっぽん、恥ずかしげに、心細げにたたずんでおりました。
・・・・
その日から20日後、
のっぺらだったゾーンにもチラホラと春らしい芽生えが・・・・
ちなみに入院費用の内訳に剃毛代1000円とありました。

 

信州・飯山の菜の花公園

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信州・飯山の菜の花公園


343.自宅で養生

2014-03-08 | 前立腺がんリポート

Dsc_3102昨日、ピアノの生徒さんの親御さんから新鮮野菜を頂きました。
畑から採れたての蕪(かぶ)、チンゲンサイ、菜の花たちです。
折にふれて季節の野菜を届けて下さいます。寝てばっかりの日々だったせいか、活き活きとしたこれらの野菜をみてたら、急に創作意欲が湧いてきました。
大きな鍋にたっぷりの湯を沸かし塩を少々入れます。こうすると野菜の色が本当に美しく映えます。野菜のうまみをできるだけ生かすためにサッと茹でて皿に盛りつけました。

真ん中に丸ごとのを置き、柚子をのせました。取り囲むようにブロッコリー、長ネギ、菜の花、小松菜。彩りにスライスしたニンジンを添えました。春野菜の競演ですね。
味噌にみりん、酒、砂糖、レモン汁を加えてソースとしました。元気な野菜たちから生命力をいただきます。

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そして今朝。
食卓にはいつも奥さん手作り野菜スープが並びます。これだけはいつも欠かさない一品です。水彩画のような美しさを感じ、ついカメラに手が伸びます。野菜の持つ甘みがやさしく口内に広がります。
こういう食事をしてればお腹の傷だって早く直るだろうし体力も回復してくれるでしょう。
coffeeを淹れて牛乳を暖め、生活クラブのイチゴジャム&マーマレードもならびます。
夫婦二人で囲む食卓。こうして今日も一日が始まる。早く外を歩きたいけど、もう少し時間がかかるかも・・・

とりあえずは、今日はいい天気。なので布団を干します!

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342.オペレーション

2014-03-07 | 前立腺がんリポート

 



病院 イラスト 手術

2014年2月18日。手術室に入る。
胸がドキドキする。緊張する。
手術台に横になる。
麻酔医が背骨を指でなぞって確認しながら硬膜外注射を施し始めた。
これは術後の痛みを抑える措置。1箇所だけかと思ったら何カ所も注射する。
最初の一本は痛かったが直ぐに麻酔が効いてきたせいか2本目以降の痛みはもう感じない。
仰向けになり、「ではこれから麻酔の点滴をしますね」という声を聞くと、
いきなりグラグラと目がまわり・・・ストンと眠りに落ちた。

では、行きましょうと看護師に言われ、奥さんと部屋を出たのが12時45分頃。
そしてすべての処置が終わって部屋に戻ってきたのが17時頃とのことだから手術は3時間半くらい要したのかも・・・

    手術シーン

その夜、いつまで経っても痛みが続く。点滴で痛み止めをしたけれど効かない。
そして座薬の措置、これがやっと効いてきて眠りについた。
事前の麻酔医の話では術後に痛みはないはずなのに・・・ちょっと話が違うよなぁ。


顔に酸素マスク、背には硬膜外注射の点滴、左手首に止血剤、抗生剤などの点滴、腹からは体液のドレンパイプそして尿道に管が入って袋に尿をためている。
さらに両足のふくらはぎには血栓予防の靴下を穿き、その上から一定周期で圧迫する空気バンドが巻かれている。
もうガチガチです。
夜中に何度も看護師さんが点滴を代えたりして様子を見に・・・
そうして最初の夜が過ぎていきました。


点滴しているこどもと看護師


 


341.グ・パッ・ポン

2014-03-06 | 前立腺がんリポート

抜けた瞬間、ポーン!と鳴った

       ・・・ような気がしたのは確かです。
チンチンの先から尿管を抜いたときのことです。なんせ術後10日間ずっと管が入りっぱなしだったわけですから何ともいえない開放感に満ち溢れました。一緒にこわばっていた筋肉の緊張もに抜けていってくれたようでした。

その10分ほどまえ・・・
傷の修復状況を確認するため膀胱造影検査用ベッドに横になりました。造影剤を注入しながら横を向いたり足を立てたりして何枚も撮影します。

「はい、ここ一枚ください(撮ってください)」
   と担当の若い女医さんが撮影技師に指示しながら、
「(傷は)きれいですね、では管を抜きますね」

女医さんは、チンチンの首根っこをつかんでグっと引っ張り上げたかとおもうと、パっと管を引き抜き去りました。
そのときです、先っぽでポーンと鳴った・・気がしたのは・・・。

グ・パッ・ポン・・・のみごとな手さばき、痛みが走るかとビクビクしてたのに全く痛くはありません。京人形のように端正な面立ちの女医さんに感謝です。これで第一関門突破。
そして翌日退院の運びとなりました。

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ベランダでさわやかな芳香を放つアップルミント 新芽がたくさん出た


340.岩手・大槌へのおもい

2014-03-05 | 東北ボランティア

東日本大震災からまもなく3年。
新聞も様々な特集を組み始めています。そんな中、3日の毎日新聞夕刊に岩手県大槌町の佐々木さんが設置した「風の電話
の紹介記事がありました。

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2012年8月のことです。
奥さんと一緒に岩手・大槌町を訪ねました。大槌北小学校に寝泊まりし、数日間のボランティア活動を終え、この地を離れるとき、ふと立ち寄ったのが佐々木さんのガーデン「ベルガーディア鯨山(Bell Gardia)」でした。
突然の来訪にもかかわらず、庭に招きいれて下さり、庭全体の設計やこども向けに作った石造りの図書館の苦労話や「風の電話」のこともきかせて頂きました。
吉里吉里海岸を見下ろせる高台にあるガーデン。すてきなご主人と奥様に出会えたひとときでした。
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多くの避難者が亡くなり「釜石の悲劇」となった釜石市・防災センター、気仙沼の打ち上げられた大型船も、そしてボランティアの活動拠点だった大槌北小学校も解体・撤去されました。
こうした震災遺構がなくなるにつれ震災記憶が遠のいていくような気がします。
大槌町、元気になったら、また訪ねてみたいと思ってます。