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定年後の伊豆高原 バラと酒と音楽と

伊豆高原に終の棲家を建築し永住。カミサン、愛猫ジローとの伊豆での老後は如何に。薔薇・酒・音楽・日々の徒然。

親父のこと

2008年07月11日 | 定年後の徒然日記
オフクロが逝ってもう三年近い。昨日のようでもあり、随分と昔のような気もする。

オフクロはいつも実家の芯だった。うっすらと記憶にあるのは黒門の幼稚園時代からであるが、いつも我が家はオフクロを中心に廻っていたような気がする。
親父は腕一本の技能で八十を超えて尚、先生と頭を下げられる邦楽家だ。小遣い欲しさに親父のカバン持ちでついて回った先でも、親父はお仲間や弟子たちに挨拶される。倅ながらちょっぴり誇らしい気持ちを感じたこともある。だが、家ではいつもオフクロが中心だった。家だけではなく、親父の職場でも、親類縁者の集まりでも、ご近所においても、オフクロの存在感のほうが圧倒的に大きかったような気がする。

親父は決してオフクロに声を荒げることはなかった。声を荒げるのはむしろオフクロのほうだったな。襖越しに聞こえる夫婦喧嘩でも声が大きいのはいつもオフクロ。苛められている母親という感覚はまったく無かった。いいかげんにして欲しいとおもう相手は親父ではなくオフクロへ向けての反発だった。

どんな縁で一緒になったかは知る由もないが、竹を割ったような性格で気が強く、親分肌のオフクロ。親父もずいぶんと我慢したのではないだろうか。もっとも夫婦喧嘩は犬も食わぬというし男女の仲は不可解でもある。
しかし、オフクロの作る料理は一流だった。若いころから贅沢をしたようで舌も肥えているのだろうが、和も中華も洋食も、何をつくらせてもめっぽう美味い。親父の膳はいつも旨そうな肴がのっていた。その肴を前にゆっくりと時間をかけて酒を飲む親父。酒はいつも剣菱だ。火鉢にかけてある薬缶で徳利を人肌に温め、酌をするオフクロの姿が子供心にも好きだった。

オフクロの晩年は幸せだった。海外旅行もヨーロッパ・北アメリカ・アジアなどを存分に楽しみ、とりわけ茶道を通じたお茶仲間との食べ歩きや観劇・旅行は数知れない。金遣いは荒かった。お茶道具も着物も旅行も料理も一流じゃないと気が済まない。
一方、親父の楽しみといえば、毎日の晩酌とバカチョンのカメラ、そして格安のツアーパック旅行。地味でおとなしく静かな親父であった。

オフクロが実家の玄関先で倒れ、打ち所が悪くて脳挫傷。以来、脳死状態となったオフクロの病床に毎日通う親父。一年半の脳死状態から奇跡的に意識を取り戻したオフクロを高いお金を払って実家近くの有料介護老人ホームに入れ、亡くなるまでの三年間というもの親父は毎日のようにホームに通ったものだ。倅から見てもオフクロは幸せだった。

オフクロが逝ってからはめっきり年老いた親父。歩く足元もおぼつかない。それでも毎晩一合の酒は欠かさない。実家に近い高円寺で店を持つ妹が親父の面倒を見ているが、家内の介護を口実に実家から足が遠のいてしまった。名残雪のような仕事でも家政婦さんを頼んでまで遠くに出掛けるというのに。この前会ったのは一月の母の三回忌だった。上野池の端の亀屋での法事の酒が最後だったっけ。近いうちに顔を出そう…一合をゆっくりと楽しむ親父の昔話を聞きに。


この文をワードに打ち込んでいたのが8日(火曜日)の夜10時頃だった。
翌9日の夕方、妹から電話が入る。親父が倒れて日大板橋に運ばれたと。昨晩遅くに親父の部屋で頭から血を流して倒れていたそうだ。右半身付随、言語障害で会話は出来ず頭が腫れあがっているそうだ。診断は脳梗塞。倒れたのが昨晩遅く…ということは親父のことを記述していた時間じゃないか。虫の知らせだったのだろうか。

翌日、急遽家政婦さんに来てもらい家内の介護を頼んで東京へ向かう。無事でいてくれ、親父…。気がせかされ東京までの道程が遠く感じる。

集中治療室に親父の姿があった。顔が腫れて別人のようだ。本人はしきりに話そうとするが何を言っているのか分からない。担当医から状況を聞く。かなりの時間を経過した脳梗塞。それも86歳…ここ一週間が山だが安定に至っても右半身付随は免れぬそうだ。この場合、安定とは治ることではなく症状に動きがなくなるということだ。右半身付随はもちろん、嚥下障害もおこるだろうから口から物は食べられないだろうと。オフクロと同じじゃないか…。家内も脳血管障害だというのに。

しばらく病室にいて親父に話しかけるが会話不能。集中治療室では何も出来ないので心残りではあるが病室を出る。
妹に後を託して伊豆へと向かう。週明けにまた来るからね。車窓から夕暮れの海をぼんやりと見つめながらあれこれと考える。もしもの時は…悪いことばかり考えてしまう。

家内に親父のことを報告。
「ワタシトオナジナノネ…カワイソウ…」
目にいっぱい涙を浮かべながらつぶやいた。