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定年後の伊豆高原 バラと酒と音楽と

伊豆高原に終の棲家を建築し永住。カミサン、愛猫ジローとの伊豆での老後は如何に。薔薇・酒・音楽・日々の徒然。

年金と暮らしの情報誌「ゆたか」の取材

2008年09月22日 | 定年後の徒然日記
ひょんな事から雑誌社の取材を受けた。年金と暮らしの快適情報誌「ゆたか」という季刊誌だ。新天地に挑むというテーマの頁で、定年後の楽しい生活を紹介する頁だという。

60歳になったらゆっくり妻と暮らしたい。一緒にくつろぎ、散歩し、食事する…そんなごくふつうの老後生活のイメージは、次々に妻を襲う病魔によって奪われた。でも、すべての出来事を包み込むように大輪の秋バラが見事に咲き誇る。(ゆたか:2008年秋号・新天地に挑む・老後のイメージを一変させた介護とバラの日々、より)発行所:㈱法研

こんな紹介で始まる伊豆高原定住前夜から今日までの年金暮らしの事例記事である。というと、いかにも悲劇の物語風に聞こえるが、年金暮らしの終の棲家に伊豆高原を選んだのは正解であったというハッピーなお話となっている。


取材を受けるジロー(にやけた顔だなぁ…)




取材趣旨を聞いたときは、なんだか我が家のプライバシーを覗かれているようで嫌だったし、それに、妻の介護を健気に頑張っている夫の姿的に書かれたら家内の立場がないじゃないか、と取材を断った。が、老後は思ったようにはいかないけど、それでも夫婦仲良く年金暮らしを楽しむことは出来るんだと、団塊世代にメッセージを送りたい思いで引き受けた。

取材時に我が家とジローガーデンを撮影したカメラマン氏から、撮影した画像データが送られてきた。なんと100枚を超える写真が収められているCDだ。プロのカメラマンは、数枚の写真を載せるのに大変な数の写真を撮るのだなぁと感心した。

バラ栽培のポーズ(なんだかカッコつけて…)


で、その膨大な画像を見ていると…なんと、ジロー(猫)が何枚も映っているではないか。しかもエッラソウニ…。俺が主役とばかりにしゃしゃりでて。そりゃまあ、ガーデンの主だからしょうがないか。このところジローの登場はなかったから、いただいた画像の一部を紹介しよう。

取材時に強引に膝に乗り、俺が俺がのジロー


ガーデンの主とばかりのポーズ

バラの繁みから覗くジロー

見合い写真用の一枚


家内とのツーショット。二人での写真はあまり多くはないが、とても良い思い出の写真となった。大事にしよう。

投稿ご無沙汰

2008年09月18日 | 定年後の徒然日記
今晩は
どうも最近ブログを更新出来ずにいます。
何を書こうか、思いが及びません。ボキャブラリーも貧しくなったし。それに、結構忙しくって。いえ、忙しいといっても九割リタイアの身故たかが知れていますが。
日々のカミサンの介護、病院、親父の見舞、名残仕事の原稿書き、買い物、炊事、洗濯、夜の自由時間のウィスキー、最近はまっているブルースを聞くこと、忘れた頃の薔薇の手入れ。復活したスポーツクラブでの汗かき。ま、この程度の日常の繰り返しです。

ガーデニングといえば、腰痛にも関わらず、クワガタ・カブトムシ売りのお兄ちゃんの力を借りて東側斜面に通路とバラ花壇を新設中です。10月中旬には完成の予定。これ、自慢の作品になりそうです。おかげで腰痛回復がずいぶんと延びてしまったけど。完成したら写真をお見せしますね。

バラは消毒を二か月サボってしまったので黒点が真っ盛り。丸坊主の株が沢山あります。で、秋バラの見通しは最悪なんですが、なんと東海バスが10月に秋バラ見学のお庭拝見バスを運行するそうです。ジローガーデンもコースに入っているからどうしよう。

えっ?なにこれ…黒点ばっかりで汚いバラねぇ。この程度でオープンガーデンなんて…てなこと言われないように焦っているんですが。

親父、ようやく鼻管栄養食から、自分の口で食べられるようになりました。顔色も良く元気です。なにせ86歳ですからリハビリも遅々としていますが、入院生活も慣れてきたようで。あと二か月のリハビリで、せめて自分の足でトイレに行けるようになれば万々歳なのですが。退院後は東京の実家のすぐ近くのホームに入所の予定。母が最晩年を過ごした同じホームに行くことになるとは。

なんてこった

2008年08月28日 | 定年後の徒然日記
全くついてない。
朝起きがけは要注意なんだけど、家内のシャワーで中腰のまま石鹸を取ろうとしてギクゥ~~~~
またやってしまった。
日がな動けず、夕方、家内と共に整形外科へ。レントゲンの結果、前回と同じく老化による変形性腰椎症と診断。痛み除去の対症療法しかなく。痛み止めの薬を処方された。
家内の手を引き医者に行くが、こちらも腰が曲がって痛くて歩けない。夫婦でこの有様、笑ってしまうよね。もう泣くぅぅ…


新築時に購入したリビングソファー、イタリア製の革張りで結構なお値段だったけど、柔らかすぎて腰に悪いんです。ブログ友達で欲しい方がいらっしゃったら差し上げます。移送費は負担していただくけど。三人掛けと二人掛けのセットだけど、広めのリビングルームでないと収まらないかも。

明日は家内のデーサービス、送って行けるだろうか。中伊豆リハの親父の見舞いはパスだろうな。
二か月続いているスポーツクラブもお休みしなくちゃ。クソォ~~折角体脂肪率が減ってきたというのに。

動けないから、寝ながらMDでBBキングとアルバートキングのブルースに痺れているだけ。
こうして寝ながらキーボード打つのも疲れるねえ。

親父のこと(3)

2008年08月25日 | 定年後の徒然日記
親父が中伊豆リハに入院してから早一週間が過ぎた。東京からはるばる中伊豆に来てくれたのだから、せめて親孝行の真似ごとでもしなくてはと毎日のように見舞いに行く。昨年入院していた家内は看護師や療法士に顔見知りが多いから時々一緒に連れていく。あちこちから声が掛かるので家内も嬉しそうだ。
緑内障で片方の目は見えず、もう片方は白内障。しかも耳がすっかり遠くなり言葉も呂律が回らない。それに右半身麻痺で自分では用もたせず、嚥下障害でいまだに鼻からの管栄養ときているから、一段と老いが深まった感がする。

俺だよ、判るか?
「○×▽□?♭♯?…」
どこか痛いところあるかい?
「○×▽□?♭♯?…」
夜は眠れるか?
「○×▽□?♭♯?…」
何を言ってるか分からないけどさ、元気だしてくれよな
「○×▽□?♭♯?…」

初日はこんな調子だったが、だんだんと動きが良くなってきた。右半身麻痺は相変わらずだし、呂律の回らない言葉もなんとか理解出来るようになってきた。

リハビリ辛いか?
「ツラクハナイヨ…ヒマデショウガナイ」
夜眠れるか?
「ネムレナイ…」
そうだろうな…運動しないでベッドの上だからな。
「マダクチカラモノヲタベラレナイノカ?」
口から飲み込むテストをやって、上手くいけばゼリーくらいから初めて少しづつ固形のものに切り替えていくのさ。ま、普通の食事が食べられるまでは時間がかかるけど我慢するしかないよ。
「ビールデモノミテーナ…」
酒なんてとんでもないよ。毎日のリハビリをしっかりやって努力を重ねていけば、いずれビールも飲めるだろうよ…そうなりゃ剣菱だっていけるぜ
「ケンビシカ…イイネエ。イツニナッタラカエレルンダ?」
口から物が食べられるようになって、自分でトイレに行けるようになったらさ…三か月はかかるかもな。だけど、それだって、治そうって強い気持ちがなけりゃ駄目だぜ。
「ワカッテルヨ…。ダケドナサケナイコトニナッタナア…」
しょうがないじゃねーか。誰だって脳梗塞になればそうなるんだよ。長嶋だってそうだろ、国民的英雄の大選手だって脳梗塞になっちゃぁ右半身麻痺で言葉もしゃべれない。だけど必死の努力でなんとか自力で歩けるようになったし、話もできるようになったじゃないか。そうなるまで長嶋だって一年以上はかかったんだから。○○子だって、このリハビリセンターで三か月頑張ったんだぜ。
「ソウダヨナ・・」
だから泣き事なんか言うなよ。治すしかねえんだからさ…。東京からは遠いいから妹はあまり来れないけど、俺は車で20分だから一日おきには来るからさ。
「ソウカイ…タノムヨ」

家内が入院した時は、中伊豆への見舞いが毎日の日課であった。ほぼ一日中つききりであったが、それでも家内の体と心が心配でたまらなかった。あれこれと考え、涙を流してばかりいた頃だ。
しかし、親父への心配は家内の入院時とは全く違う感情だ。親父に接する態度や言葉使いも全く違う。もちろん親父を心配する気持ちに変わりはないが、強い調子で本音をビシビシ言う。どうしてこうも違うのだろう。もっと優しい言葉をかければ良かったかなとは思うが、言うほうも聞くほうも照れが先に出てしまう。男が男にかける言葉はどうしてもストレートな言い草になってしまい優しさが足りない。だが、親を心配する気持ちは皆一緒だし、第一、親父もその辺のところは十分に判ってくれているだろう。
昨日今日の天城路は深い霧に包まれていた。

訳もなく苛立つ日々

2008年08月21日 | 定年後の徒然日記
一昨日、親父は妹夫婦の運転する車で東京板橋にある日大板橋病院から中伊豆リハビリセンターにやってきた。途中交通事故渋滞で5時間の長旅となった。親父の鼾は半端じゃないので、同室の患者の迷惑になってはと個室への入居だ。三か月の入院となった。差額料金は鼾以上に半端ではないがやむを得ない。

手続きやら担当者(医師・担当看護師・理学療法士・作業療法士・言語嚥下障害療法士・地域カウンセラー)が入れ替わり立ち替わりやってくる。そして同じような質問の繰り返し。ようやく解されたのが午後四時。親父一人を残して妹夫婦を連れて拙宅へ。

遠路ご苦労様と「たつの」に頼んで大漁盛の接待。ところが、たつのの女将が変形性膝関節症で出前不能となり料理を取りに行く。たつの、昨日は臨時休業となった。夫婦が元気を前提の商売、片方が具合悪くなると商売も出来なくなる。近くに立ち寄ったら見舞いの声でも掛けてあげて欲しい。

一昨日、昨日と、なんやかやで中伊豆へ。そして今日は家内を連れて中伊豆リハへ。中伊豆リハ三か月の入院経験をもつ家内は、親父にいろいろアドバイスしたいようだが、なにせ言葉が不自由だ。親父も言葉は不自由だから、互いに手を握って見つめあうばかりだ。
幸い、親父は男だし、人間関係や団体生活は全く問題ない性格だし、リハビリも前向きだから、こちらもその分気が楽だ。とはいうもの、「情けない…こんな体になるとは思いもしなかった」とたどたどしい声で言われた時は泣けてきた。

天城高原料金所~中伊豆リハの通行料は往復で420円。
しかし、天城高原料金所→中伊豆リハ→冷川料金所は210円。冷川~中伊豆リハ往復も210円。冷川料金所→中伊豆リハ→天城高原料金所も210円。
同じ距離なのに何でだ?
家内の入院時は毎日通っていたから、天城高原料金所~中伊豆リハ往復420円×通った日数80日=33600円。昨今ガソリン代も馬鹿高だから、こういう経費も半端じゃない。道路運営公社に電話で「何故だ!」と文句を言ったら、中伊豆リハを通じて言ってくれとタライ回し。

料金所の改札に文句言い、不良少年となって夜遊びするジロー(猫)に文句を言い、名残仕事の担当者に文句を言い、手入れ不能で黒点万延のバラと伸び放題の芝生に腹を立て、星野ジャパンにいらつき、ナデシコジャパンにいらつき、スーパーのレジの無愛想に腹を立て、ガソリンの馬鹿値に怒り狂い、シングルモルトの空に頭にきて、…いったい何に向かって腹を立てているのか、そういう自分に腹を立てる始末だ。ウジウジと男らしくないねぇ、しっかりしろってんだ馬鹿たれが。

家内の前では決してそのような態度をしてはいけないと、もちろん、十分判っていても、そこは四十年も連れ添った女房、ジローの顔色の動きで敏感に察してしまう。「ゴメンネ、アリガトウ」なんて小さな声で言われると、もう自分が情けなくて。

この苛立ち…消えてくれないか…。
しょうがないねぇ、ま、なんとかなるさね…いつもの自分の好い加減さが出てこない。
まだ、始まったばかり。これからもっともっと悪くなるかも知れないのに。

孫遠方より来たり、亦楽しからずや

2008年08月13日 | 定年後の徒然日記
大学二年になる孫が遊びにきた。上の娘の子である。
故あって孫は寂しい少年時代を過ごしたが、愚れもせず素直に育ってくれた。私たち夫婦にとっては唯一人の孫であるから可愛いが、縁遠くなってしまったのでお互い少々ぎこちない感がある。折角の来豆なので、どこに遊びに行こうか、何を食べさせようか、寝具はどうしよう、と、あれこれ楽しい計画をたてる。
大宮発スーパービュー踊り子で10時半の伊豆高原着となった孫を迎える。身長180㎝に伸びた孫は今風のイケメンだ。上手く話せない家内も孫を見る眼差しがうれしそうだ。

家内、次女、孫、を連れて、一日目はシャボテン公園に遊びに行く。



孫が小学二年生の頃に連れてきたところだが、孫は思い出せないようだ。入口から園内は車椅子で観光可能であり、珍しい動物を見ながら楽しい時間が過ぎていく。

孔雀と対話の孫


ペリカンにコケにされるジロー


夜は「たつ野」に頼んで刺身の特別盛りを出前してもらう。伊勢海老・鮑・サザエ・鮪トロ・イサキと豪華な膳が並んだ。孫は缶チュウハイだが、家内もコップ半分のビールでカンパ~イ!照れもあるのか口数は少ない孫だが、二泊三日の滞在中は良い思い出をたくさん作って欲しいものだ。

薄野での邂逅

2008年08月08日 | 定年後の徒然日記
名残雪の仕事で札幌出張となった。蒸し暑さで辟易していたから涼しい夏の北海道なら嬉しいね。
札幌は二年ぶりかなぁ。先輩のT兄と久し振りにススキノで会う事にした。宿泊先のホテルロビーに現れたT兄の姿を見て唖然!あの「北海道の高倉健」と言われてさんざ女を泣かせた?ダンディーが、見る影もなく太ってしまって…。177㎝の長身が太ったから迫力はあるが…。

せ、先輩!久し振り~!会えて良かったぁ~
「おぉ~来たか~!久し振りだなあ」
誰かと思ったですよ、その…あんまり肥えちゃって
「そうなんだよ、リタイアしてからは何せ動かないだろ、で、酒の量は変わらないから…・」
ゴルフは?
「ぜんぜ~ん…親父がさぁ、脳溢血で倒れちゃって…介護でそれどこじゃないんだわさ」
えっ?じゃ、うちとオンナジじゃないの。うちの親父も先月脳梗塞で倒れて…
「この年代になると、親は逝くかボケるか車イス…いろんなことがおこるよなぁ…」
久しぶりの邂逅だから、今夜は旨い肴で飲み明かそうよ 
「じゃ、行こうか…」

まずは北海道生ビールでカンパ~イ!札幌で飲むビールって、なんでこんなに旨いのよ。
「肴、何にする?」
当然、蟹っしょ!それからプリプリのボタンエビね。ウニも…
「高いのばっかしだな」
なんの…先輩と札幌で飲むなんて、もうひょっとして無いかもしれないからさぁ、北海道の旨いものと美味い酒で思い切り楽しもうよ。
後タレの特選子羊の串焼きと…バタジャガも…あ、それから…
「よく食うねぇ…」

ビールの次は…焼酎にしよっか。銘柄は…「中々」これ旨い麦だよね。一本持ってきて!

北海の魚を次々に平らげ、ぐびぐびと酒を交わし、現業第一線の頃の武勇伝に話が弾む。


「じつはさぁ…昨日、半年に一回の検診だったんだ」
うん…
「まだ小さいんだけど…見つかったんだ」
そう…。で、どこに?
「食道…まだ小さいから、もう少し経過を見るんだそうだけど。」
食道なら手術じゃなくて、内視鏡でとれちゃうんじゃないの?
「そうなんだよ、まぁ、じたばたしても始まらないからなぁ、あれから五年も生きてるんだからお釣りみたいな人生だしな」

あの時…辛かったよ。雪の降る夜でさぁ、札幌中央病院のロビーで点滴引きずりながら俺を見送ってくれたよね。
曲がり角で振り向いたらさぁ、先輩、涙浮かべてずっと立ったままいつまでも俺を見送ってくれた…。あの時、正直、もう二度と会えないかと思ってたんだ。帰りの飛行機の中ではずっと酒飲みながら涙が止まらなかったっけ。

「肺癌だったからな…手術出来ないから放射線と薬だけの治療だし、俺もダメかと思ったよ。頭なんかつるっぱげになっちゃってさぁ」
それが、こうやってススキノで飲めるんだから…今夜は嬉しいなぁ。

笑ったり、涙を浮かべたり、呑み、食べ、肩を組み、ススキノの夜は更けていった。
深夜、ススキノの大通で固い握手をして別れる。
「じゃあな…元気でな」
先輩こそ…また飲めるよね!
「たぶん…な」

こちらのほうもいろいろと事情ありだし、こうやってススキノで飲むのも最後となるかと思うと別れが惜しい。


次の日は、名残雪の仕事を適当に片付け、18時42分のANAに乗るべく千歳空港へと急ぐ。この便に乗らないと伊豆高原には帰れない。滑り込みセーフで待合室に…。

あっ!お土産買ってない!のに気がついた。
いつぞや、ブログでの出張報告にチーママさんからコメントをいただいた。
「で、お土産は買ってきたんでしょうね」と、きつい一発。

不安と寂しい思いで待っている家内にお土産を買ってないじゃないか。蟹?さばくのも大変だし…ホタテ?どうもねェ。白い恋人のチョコ?ワンパターンだ…。

空港の売店にひと際大きな張り紙が。
「北海道限定!大人気!生キャラメル」
生キャラメル?生ビールなら判るけど、生キャラメルって?
ご夫人方が先を争って買っているじゃないか。なんか、おいしそうな…

で、お土産となったのが、この生キャラメルと特製プリンだ。これ、小さいのにお値段は結構張るんです。



千歳空港~羽田空港~バス~新横浜~熱海~伊豆高原
家に着いたのは11時を回っていた。もうとっくに眠っているはずだけど。

ただいまぁ!
家内、うっすらと目を開けている。起きていてくれたんだ!
「オカエリナサイ…」
あのさ、お土産あるんだけどさ、知ってる?生キャラメルって…すっごく美味しいんだって。ね、一粒食べてみない?
「ハヲミガイチャッタシ…ソレニ…オソイカラ」
たまにはいいじゃないか、ね、食べてみようよ。

包装をほどいてキャラメルを取り出し、家内の口に一粒を入れる
どう?おいしい?
「…オイシイ…トッテモ…オイシイ…コンナ…オイシイキャラメル…ハジメテ」

じゃ、僕も一粒
う~ん…うぅぅぅ…うまい
このキャラメル、ほんと、美味いよ~!

本当においしそうに生キャラメルを味わう家内の顔は幸せだった。


親父のこと(2)

2008年07月27日 | 定年後の徒然日記
どうやら安定状態に入ったが、右半身麻痺と言語障害は残ったまま。それに嚥下障害があり、鼻からチューブを胃に通して栄養を注いでいる。こちらの言っていることは理解できているようだが、言葉は何を言っているのか判らない。まぁ、なんとかコミュニケーションが出来る程度か。

入院先の日大板橋病院担当医からは、そろそろ他のリハビリ専門施設に転院させてほしいとの要請がきている。早速、亡母が世話になった杉並区和田の救世軍ブース記念病院に受け入れを打診する。ここなら高円寺の妹の店から近いし何かと便利だから。ところが、現在満床で入院出来るのは早くて三カ月先だとの由。

それならいっそ、中伊豆リハビリセンターへ入院させないか?家内が世話になった中伊豆リハビリセンターなら安心して任せられるし、リハビリのレベルは日本で七番目だそうだからトップクラスだよ。それに、ここなら車で20分の距離だからしょっちゅう見舞いに行けるしね。

妹から中伊豆リハに入院申込書を送ったと連絡が来た。

家内の介護と遠距離を理由に、ずっと妹に母の面倒も父の面倒もかけっぱなしだったけど、中伊豆リハへの入院ならしょっちゅう見舞いに行って様子を見られるだろう。親父には、若い頃さんざ迷惑をかけたが、叩かれたことはおろか叱られた記憶もない。いつか「ありがとう」と感謝の言葉を言いたかったが照れが邪魔して何も言えなかった。中伊豆リハに入院が決まれば、少しは感謝の真似ごとでもしなければ。

去年は9月から11月までの三ヶ月間、毎日のように中伊豆リハに通ったものだ。不安そうな家内と別れて、真っ暗な伊豆スカイラインを家路に向かう度に、鹿やタヌキが見送ってくれた。拓郎のCDをガンガンかけながら毎晩涙を流していたっけ。
あの時のせつない思いが又繰り返されるのだろうか。

心が重い夏

2008年07月20日 | 定年後の徒然日記
親父が倒れてから二週間経った。どうやら命は取り留めたが、右半身付随と言語障害、嚥下障害は残ったままだ。脳梗塞で入院出来るのは一か月、その後はリハビリ施設などへの転院を強いられる。リハビリ施設の後は…家での介護は事実上不可能だから介護付き有料老人ホームへの入所しか選択の余地は無いだろう。父も母とまったく同じ人生の終末を送ることとなりそうだ。

久しぶりに海をみたくなった。好きな海は新婚旅行の思い出のある今井浜と下田の外浦海岸だ。


今井浜は車椅子での散歩は無理だから外浦海岸の遊歩道に行くことにした。今井浜にさしかかると海岸は海水浴客でいっぱいだ。次の白浜は勿論ビーチパラソルと人の山。もうすぐ外浦というところで気が変わる。混み合う外浦海岸を車椅子で歩いても汗をかくだけだね。そうだ、ここまで来たんだから下田の海中水族館に行ってみようよ。イルカやアシカのショーも楽しいし巨大水槽で泳ぐサメを見るのも涼しいかもね。(二回行ったとこだけど)
下田海中水族館、夏休みだからか入場料は二人で3800円!た、高い!しかも入場してみるとここも人で一杯。人ごみの中を車椅子で見物するのは大変だ。それに三度目だから感動もないし、三度目の水族館はずいぶんと狭く小さかった。ショーのレベルもダイナミックさに欠けるなぁ・・・。人ごみの脇のベンチに座り、二人でソフトクリーム一つを舐める。帰ろうか…「ウン…」

伊豆半島は夏休みモードでどこも人と車でいっぱいだ。帰りの車内、会話が進まない。ぼんやりと拓郎を聞きながら車を走らす。

家内の腰に出来た床ずれになりかけの痣、一向に良くならない右手右足の硬直、不随運動の口のモグモグで舌を噛んでしまう怖さから食も進まず会話も途絶えがち、薬への疑問、症状悪化への不安…僕よりも家内のほうが何倍も不安でいっぱいな事だろう。眠れない夜が続く。

どんな事になろうとも、ずっとこの家で二人で暮して行こうね。僕はいつでも君の傍にいるし、月に1~2回の出張時は娘が泊ってくれるだろ。何も心配することはないからね。ずっと二人でこの家で暮して行くんだよ。何度も何度も同じセリフをささやく。家内、ようやく安心したようにニッコリしてうなづく。

僕たちの人生の終末はどうなるんだろうな。最後はどちらかが一人になるのだが、それまではずっと二人で暮らしていきたい。でも、その後は…?もちろん一人になってもこの家で暮して行きたいけど、もしかして自分が脳梗塞とかになったら?自分が先に逝ったら?

夏休みの伊豆は賑やかだ。
だが、私の心は重い。ちっとも気が晴れない。梅雨時のどんよりした気分がずっと続いている。腰のほうはだいぶ良いが庭の手入れも遅れがち。もう一か月も消毒をしていないからバラの葉は黒点のオンパレード。黒く染みた葉が次々と黄変している。

家内が眠りにつく八時からは、面白くもないTVをぼんやりと見ながらウィスキーをちびちび飲る。ボトルが空になるのが早い。
心が重い三度目の夏だ。

親父のこと

2008年07月11日 | 定年後の徒然日記
オフクロが逝ってもう三年近い。昨日のようでもあり、随分と昔のような気もする。

オフクロはいつも実家の芯だった。うっすらと記憶にあるのは黒門の幼稚園時代からであるが、いつも我が家はオフクロを中心に廻っていたような気がする。
親父は腕一本の技能で八十を超えて尚、先生と頭を下げられる邦楽家だ。小遣い欲しさに親父のカバン持ちでついて回った先でも、親父はお仲間や弟子たちに挨拶される。倅ながらちょっぴり誇らしい気持ちを感じたこともある。だが、家ではいつもオフクロが中心だった。家だけではなく、親父の職場でも、親類縁者の集まりでも、ご近所においても、オフクロの存在感のほうが圧倒的に大きかったような気がする。

親父は決してオフクロに声を荒げることはなかった。声を荒げるのはむしろオフクロのほうだったな。襖越しに聞こえる夫婦喧嘩でも声が大きいのはいつもオフクロ。苛められている母親という感覚はまったく無かった。いいかげんにして欲しいとおもう相手は親父ではなくオフクロへ向けての反発だった。

どんな縁で一緒になったかは知る由もないが、竹を割ったような性格で気が強く、親分肌のオフクロ。親父もずいぶんと我慢したのではないだろうか。もっとも夫婦喧嘩は犬も食わぬというし男女の仲は不可解でもある。
しかし、オフクロの作る料理は一流だった。若いころから贅沢をしたようで舌も肥えているのだろうが、和も中華も洋食も、何をつくらせてもめっぽう美味い。親父の膳はいつも旨そうな肴がのっていた。その肴を前にゆっくりと時間をかけて酒を飲む親父。酒はいつも剣菱だ。火鉢にかけてある薬缶で徳利を人肌に温め、酌をするオフクロの姿が子供心にも好きだった。

オフクロの晩年は幸せだった。海外旅行もヨーロッパ・北アメリカ・アジアなどを存分に楽しみ、とりわけ茶道を通じたお茶仲間との食べ歩きや観劇・旅行は数知れない。金遣いは荒かった。お茶道具も着物も旅行も料理も一流じゃないと気が済まない。
一方、親父の楽しみといえば、毎日の晩酌とバカチョンのカメラ、そして格安のツアーパック旅行。地味でおとなしく静かな親父であった。

オフクロが実家の玄関先で倒れ、打ち所が悪くて脳挫傷。以来、脳死状態となったオフクロの病床に毎日通う親父。一年半の脳死状態から奇跡的に意識を取り戻したオフクロを高いお金を払って実家近くの有料介護老人ホームに入れ、亡くなるまでの三年間というもの親父は毎日のようにホームに通ったものだ。倅から見てもオフクロは幸せだった。

オフクロが逝ってからはめっきり年老いた親父。歩く足元もおぼつかない。それでも毎晩一合の酒は欠かさない。実家に近い高円寺で店を持つ妹が親父の面倒を見ているが、家内の介護を口実に実家から足が遠のいてしまった。名残雪のような仕事でも家政婦さんを頼んでまで遠くに出掛けるというのに。この前会ったのは一月の母の三回忌だった。上野池の端の亀屋での法事の酒が最後だったっけ。近いうちに顔を出そう…一合をゆっくりと楽しむ親父の昔話を聞きに。


この文をワードに打ち込んでいたのが8日(火曜日)の夜10時頃だった。
翌9日の夕方、妹から電話が入る。親父が倒れて日大板橋に運ばれたと。昨晩遅くに親父の部屋で頭から血を流して倒れていたそうだ。右半身付随、言語障害で会話は出来ず頭が腫れあがっているそうだ。診断は脳梗塞。倒れたのが昨晩遅く…ということは親父のことを記述していた時間じゃないか。虫の知らせだったのだろうか。

翌日、急遽家政婦さんに来てもらい家内の介護を頼んで東京へ向かう。無事でいてくれ、親父…。気がせかされ東京までの道程が遠く感じる。

集中治療室に親父の姿があった。顔が腫れて別人のようだ。本人はしきりに話そうとするが何を言っているのか分からない。担当医から状況を聞く。かなりの時間を経過した脳梗塞。それも86歳…ここ一週間が山だが安定に至っても右半身付随は免れぬそうだ。この場合、安定とは治ることではなく症状に動きがなくなるということだ。右半身付随はもちろん、嚥下障害もおこるだろうから口から物は食べられないだろうと。オフクロと同じじゃないか…。家内も脳血管障害だというのに。

しばらく病室にいて親父に話しかけるが会話不能。集中治療室では何も出来ないので心残りではあるが病室を出る。
妹に後を託して伊豆へと向かう。週明けにまた来るからね。車窓から夕暮れの海をぼんやりと見つめながらあれこれと考える。もしもの時は…悪いことばかり考えてしまう。

家内に親父のことを報告。
「ワタシトオナジナノネ…カワイソウ…」
目にいっぱい涙を浮かべながらつぶやいた。