『帝国の弁護人』の中に掲載されている、映画評論家ファン・ジンミの「『帝国の慰安婦』論議を無意味にした映画「鬼郷」」の一部です。
慰安婦被害者の数は正確にはわからないが、だいたい20万人と推算される。その相当数の被害者が、行く途中や慰安所に配置されたばかりのときに死亡した。汽車や船に貨物同様に積まれていく途中で病気になった者もおり、逃げようとして殺された者もいた。慰安所に配置され、性暴力を受けて内臓が破裂したり、ひどく殴られて死んだり、自殺したケースも多かった。慰安所でかろうじて生き残った人も、敗戦した日本軍が証拠を残さないように虐殺したり、退却時にそのまま戦場に置き去りにして逃げたこともあった。その結果、連行された人々の中で生き残った人の数は、4分1に過ぎなかったそうだ。これは当時、実際に戦闘に参加した軍人たちや、奴隷貿易船に乗せられた黒人たちの生存率より低い数値だ。こうして生き残った人々の中で、韓半島へ帰って来た人は一部だ。運良く米軍などによって輸送されるケースもあったが、大部分は東南アジアや中国などの見知らぬ土地に置き去りにされ、物乞いしながら故郷へ向けて歩いたそうだ。やみくもに歩いて行き着いた土地のどこかに愛着が生じ住み着いた人たちもいたが、苦労の末に韓半島までたどりついた人たちもいた。その一部は北朝鮮に行き、一部は韓国に行った。その後朝鮮戦争を経て韓国に流入した人の数が少し増えたが、いずれにしても休戦後韓国で暮らすことになった慰安婦被害者の数は、全体のごく一部に過ぎない。このうち90年代まで生き残り、自ら慰安婦被害者だったことを名乗りでたハルモニの数は238人だ。したがって、238人のという数の裏には、死んだり韓国にたどりつけなかったり、自ら名乗り出ることのできなかった数多くの被害者が存在しているわけだ。(p.179-180)
要約すれば、
「朝鮮半島から強制連行された20万人は、汽車や船に貨物のように積まれて、途中で病気になって死んだり、逃げようとして殺され、慰安所に着いてからは強姦されて内臓が破裂して死んだり、殴り殺されたり、自殺したりした者が多かった。敗戦後は証拠隠しのために虐殺されたり、戦場に置き去りにされたりして、結局15万人が死んだ。残った5万人の中でも韓国に帰ってきた人はごく少数だ」
90年代前半に流布され、韓国で定説になったこのような「嘘」が、2016年になってなお、何の裏付けもないまま再生産され、映画にされたり、本として出版されているわけです。
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陛下は絶対にお許しにならない事です。
そもそも、慰安婦は日本人の方が圧倒的に多かったわけですし、同僚の境遇がそんな有様で、誰も声を上げない、何の証言も記録も無いと言う事はあり得ないでしょうね。
婦女子を売春婦にし、第5種補給品と呼んでドラム缶詰めにし、補給物資として扱ってたのは韓国軍だと思います。
それに、現実に若い婦女子が20万人も死んでたら、人口分布ぐらいに必ず痕が残るはずです。
しかし、それを調査したフランス人は日本人に比べて何も無かったかのように極めて綺麗じゃないかと言ってましたね。
慰安婦がたくさんいたら、供給過剰になって、慰安婦は暇をもてあましたはず。
そうなると、一日に何十人というもう一つの嘘と矛盾します。
日本兵に虐殺された(のを見た)という証言はほとんどなく、亡くなったのは敵の兵攻撃にあったり、日本兵とともに玉砕したりという例が多い。
10数万人が虐殺された、だからナチスのホロコーストと同罪だ、というのも韓国でよく聞く論理です。