以前、従軍慰安婦関係の調べ物をしたときに、ある週刊誌の性売買関係の記事(→リンク)を訳したことがあるのでご紹介します。
[深層取材] 私娼街の女たち-日陰の生活と夢
週刊朝鮮2001年11月
生半可な同情はお断り,でも家族はとても恋しい…
同じ女性から「ごみ」扱いされるとき,胸がしめつけられる。
去る10月19日,ドイツで売春が合法化された。約40万人にのぼるドイツの売春女性は,来年1月1日から社会保険を受ける法的権利を保障されることになった。韓国で売買春は不法だ。したがって,売春に携わる職業女性たちは常に「淪落行為防止法違反嫌疑」で拘束される危険の中で,一日一日を生き延びている。
鍾岩警察署長を務めた金康子ソウル市警防犯指導課長は,売春の合法化,すなわち公娼制の導入を主張したことがある。今,公娼制の議論は静かになっているが,ドイツのケースを見ると,韓国社会が社会的必要悪である私娼街をいつまで不法空間と規定し,陰湿で忌まわしい所として放置すべきかという疑問が浮かぶ。2001年秋,ソウルの空の下,私娼街で働く職業女性たちはどんなことを考え,どんな夢をもっているのか。
俗に「清涼里(チョンニャンニ)588」と呼ばれるソウル東大門区チョンノン2洞一帯の私娼街は,店の名前の代わりに番号表示板がある。先日,夕闇がせまる頃,ここを訪ねた。記者は,化粧をしていない青ざめたような女性と向き合った。座った小さな丸テーブルのガラスの下には,般若心経の書かれた紙がはさまれていた。
ここに呼ばれた女性の名前は「キョンジン」。普通の体格で,二重まぶた手術をした童顔だった。職業女性をうかがわせるものは何もなかった。今年二十三歳(数え年),江原道の高校を出てソウルに来た。たいへん貧しかった彼女の親は,子どもの教育を早々にあきらめ,「社会に出て金を稼げ」と言った。初めは工場に通っていたが,喫茶店,飲み屋を経て,三年前,二十歳のとき,ここにやって来た。
私娼街の職業女性の勤務時間は,普通午後6~7時から翌朝6時まで。夜通しの勤務が職業女性たちの生活だそうだ。キョンジンさんはほとんど新聞を読んだことがなく,夜明けに仕事終えた後や,夕方,化粧を直しながらしばらくテレビを見るのが,世間のニュースに接するすべてだそうだ。彼女は,来年の大統領選挙に出馬が予想される政治家の名前を一人も挙げられなかった。しかし,最近,映画「極道の妻」と「ラッシュアワー2」を見たし,小説「棘魚」を読んだと言う。
-ドイツで売春が合法化されたというニュースは知っていますか?
「聞きました。女の子どうしで集まって「あの国ではできるのに,わが国は何してるのよ」と言い合いました。わが国も,一定区域の中で合法化するほうがずっとましだと思います。そうすれば取り締まりもないでしょう。淪落(=売春)に入れば戸籍に赤線を引かれるし…。警察署に行くのは本当にいや」
体を売る職業女性にも人格と自尊心がある。
「酔客たちがすれちがいざまに体を触っていくのは,他の場所なら明らかなわいせつ行為だけれど,ここにいるという理由だけで私たちはそれをだまって我慢しなければなりません。警察に届けることもできませんしね。せいぜい悪態をつくぐらいです。また若者たちが私たちのほうを見ながら「あの道は歩きたくないね」と言うとき,自尊心が傷つきます」
お客さんから「サービスが悪かった」から金を返せと言われるときも,侮蔑を感じるとキョンジンさんは言った。
気分がいいのは,お客さんがお金をたくさんくれるときではなく,自分に人間的に接してくれるときだそうだ。
「ほかのところで意地汚く遊ぶ女たちも多いので,職業としてやっているこっちの女性のほうが,かえってもっときれいだと考えてくれる人もたまにいます」
客を分類すると,未婚男性のほうが既婚男性よりやや多いそうだ。キョンジンさんは 「既婚男性のほうが女性に対する配慮があり,相対的にマナーが良い」と言った。外国人では日本人がいちばん多く,たまに朝鮮族もいる。
私娼街の女性たちが客引きをするには,たいへんな技術が要る。
「お客さんたちは,女の子たちの容貌や話術で女の子を選びます。昔には乱暴な言葉づかいもずいぶんしましたが,最近はひとこと言葉をかけるのにも,かわいくしなければなりません。さもなければ,面白いこと,気の利いたことを言うとか」
キョンジンさんの固定客は5~6人ほど。週一回来る人もいれば,何カ月かに一回来る人もいる。お客さんが一人もいなくて丸一日棒にふることもある。
「清涼里」には二種類の職業女性がいる。飾り窓で派手なドレス姿で客引きをする女の子と,店の中で「ピキ(ポン引き)」や経営者が連れてくる客を待つ女性だ。店の飾り窓で客引きをする女の子たちは,花代を経営者と50対50で分ける一方,店で待つ女性たちはポン引きに一定の金額を渡し,残りを経営者と分ける。このようなケースは,容姿が劣ったり,年齢が高めの女性だそうだ。
世界のどこでも,売春女性は「キス」をさせない。それは一つの不文律だ。
「いくら職業としてこの仕事をしているといっても,唇だけは守ろうという意味でしょう。何か一つでも守ろうという素朴な気持ちでそうするんです」
世間では,女性たちが金を儲けようとして私娼街にやってきても,結局,体をこわし,借金ばかりがふくれあがり,廃人になるというふうに話す。しかしキョンジンさんは,ここでも心がけ次第でお金を儲けられると言った。
「まず第一に,家族のように温かく接してくれる経営者に出会うことが重要で,第二に,どれくらい贅沢をがまんできるかにかかっています。うまくすれば,年間5000~6000万ウォン貯めることができます。女の子たちが,ブランド品や外車を買ったり,ストレス発散のためにホパ(ホストバー) みたいな所へ行って男にお金を貢いだりしなければ可能です」
去年の9月,全羅北道群山市デミョン洞の私娼街で火事が発生し,鉄格子の中に監禁されていた5人の女性が,脱出できずに死んだ事件があった。今も私娼街といえば鉄格子での監禁,花代のピンハネなどを思い浮かべる人が多い。そのくらい,以前には反人道的な虐待と搾取が頻発したということだ。キョンジンさんは「清涼里588の場合は,女の子も家から通う人が多く,女の子たちに借金があっても,経営者がそれを返してくれる場合さえあるほど,事情は変わった」と言った。むしろ淪落女性(=売春婦)たちがもっとも恐れるのは経営者ではなく警察だそうだ。現行法上,淪落が不法だからだ。
■「心がけ次第でお金も儲けられる」
私娼街の女性たちの夢は私娼街から脱出することだ。
「私の常連客の知り合いが,ここで働いているある女の子の所に通い,付き合うようになって,結婚までしました。男は30代半ばだそうです。今は,息子と娘を生んで,仲睦まじく暮しています」
しかし「外の生活」に適応できず,お客さんとカップルになって出ていっても,2~3カ月で舞い戻ってくるのが普通だそうだ。二十三歳のキョンジンさんも,素朴な夢を胸にひめている。
「お金を儲けなければなりません。自分の住む家を買わなければなりませんから。そして結婚もしたい。実家は私のために何もできません。再来年までに,この生活でお金を儲けて,足を洗うつもりです。まだ具体的な計画はありませんが,私は手先が器用なので美容かなんかを学んで仕事をしたいです。そして高校も途中までしか通っていないので,高校を卒業したいです」
職業女性たちは,さまざまな理由で淪落生活から足を洗えないでいるが,その理由の一つは麻薬にさらされているという点だ。去る10月25日正午頃。ソウル清涼里警察で重犯罪一課の部屋の片隅に,ストレートの髪を長く垂らした女性がうつむいたままじっと座っていた。前夜,重犯罪一課に検挙された588出身麻薬服用容疑者だった。十九歳の李某嬢だった。二重まぶたで目鼻立ちが整っていた。清涼里警察の辛容寛重犯罪一課長は,世の中にこんな不幸な縁があるだろうかと,舌打ちをした。
「一年前,あの子の父親を詐欺罪でつかまえたのだが,一年後,この広いソウル空の下でその娘にまた会うなんてことが」
李嬢は清涼里588と永登浦の私娼街を経て,ある男とモテルを転々としながら麻薬を打って警察につかまった。彼女は自分の売春の事実をかたくなに認めないまま,泣くばかりだった。警察署の構内食堂で簡単な昼食をとって,やっと心を少しずつ開き始めた。
李嬢はきわめて不幸な家庭の子どもだった。父(1958年生まれ)と母(1959年生まれ)は彼女が中学校2年生のとき離婚した。李嬢は弟といっしょに父親について行ったが定職のない父は,外をほっつき歩いてばかりいたそうだ。李嬢はいきなり世帯主の役割をするはめになった。学校を中退し,お金を稼ごうとライブカフェのような所で働き始めたことで,彼女の人生は狂い始めた。
「ライブカフェやナイトクラブで給仕をしてお金を稼ごうとしましたが,うまくいきませんでした。そして弟が中学に入った一昨年からこの仕事を始めました。お金はたくさんかかるのに,お金がないから仕方なくこちらへ来たんです」
時に,李嬢の年齢は17歳。彼女は実際の年齢を隠し,一年ほど売春をしたがお金はたまらず借金だけが残った。小さいときはインテリアデザイナーになりたかったが,今は思い出の中のはかない夢になってしまった。
李嬢に「今までの人生で,いつがいちばん幸せだったか」と尋ねてみた。
「私が小学生のとき,父が交通事故にあって保険金がたくさん出ました。父はそのお金で家も買い,私と弟に机も買ってくれました。あの時がいちばん幸せだったようです」
そして売春街で働いていたときがいちばんつらい日々だったと彼女は言った。彼女は父を何度も恨んだ。そのたびに,父は泣くばかりだったそうだ。
彼女が売春婦生活を清算することに決めた理由は,やや意外だった。
「働くのが嫌だったんす。飾り窓に立つこと自体が嫌だったんです。この生活って,私が立っていて,通り過ぎるお客さんが私を気に入れば,入ってくるわけでしょう。立っているのが本当に嫌だったんです」
若くして癒しがたく傷ついた李嬢は,男たちに対する嫌悪を隠さなかった。
「結婚もしませんし,子供も生まないつもりです。男たちはみな同じですから」
-いちばんの望みは何ですか?
「親といっしょに暮らすことです」
さらりとこのように言った彼女は,涙を流した。正直言って,この質問に対しこんな答えが返ってくるとは夢にも思わなかった。親といっしょに暮すということは,ほとんどの人があまりにも当然のことと考えていることではないか。ところが,これが十九歳までに売春と麻薬を経験した李嬢にとっては,いちばんの望みだったのだ。
つづく
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