今日で、JRウォーキングの初夏編が終わりました
今回も沢山の思い出が出来て出会いがありました
沢山の方に、感謝・感謝ですね
そして、最後の締めはやっぱり「ビール」でした
いつも飲んでるだろう と言う声が聞こえそうだけど(笑
)
そうです。いつも美味しいよ
今日で、JRウォーキングの初夏編が終わりました
今回も沢山の思い出が出来て出会いがありました
沢山の方に、感謝・感謝ですね
そして、最後の締めはやっぱり「ビール」でした
いつも飲んでるだろう と言う声が聞こえそうだけど(笑
)
そうです。いつも美味しいよ
宮地嶽神社で、菖蒲を楽しみました
JR九州ウォーキング の福間駅コースは「江戸菖蒲まつり」に合わせて行われるので、去年に引き続き、今年も見に行きました
<宮地嶽神社のご由緒・・・・HPから引用>
ご創建は、約1600年前。当社のご祭神「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」別名「神功皇后(じんぐうこうごう)」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。
古事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇(てんしんちぎ)を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と祈願され船出したとあります。その後、神功皇后のご功績をたたえ主祭神として奉斎し、随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。
以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。
当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。
デジブック 『江戸菖蒲が咲き乱れ』
菖蒲も綺麗ですが、この時期は紫陽花も見ごろになりますね
来週は、紫陽花を楽しむウォーキングです
今日は、戸畑をウォーキング。メインは、夜宮公園の「とばた菖蒲まつり」でしたが、この日は、旧松本家住宅のお庭を見ることが出来ました。結婚式などが有ると、お庭も見ることが出来ないのですよ。門の外から中をのぞくだけです。ラッキーでした
旧松本邸
旧松本家住宅は九州実業界の元老「松本健次郎」(1872~1963年)の旧邸です。 大規模な洋館と日本館、数棟の付属室からなる明治後期の典型的な貴紳住宅です。
この洋館の設計は赤レンガの東京駅などを設計した辰野金吾の主宰する辰野・片岡事務所が当たり、 日本館の設計は洋館の建築監督をした久保田小三郎が行いました。洋館は明治43年(1910)に日本館は明治42年(1909)に 造られたものです。 洋館の外観は、絵画的な建築様式をとり、ハーフティンバースタイルとアールヌーヴォー風の細部意匠に 特徴があります。建物の内部にはステンドグラスや名画、昭和天皇の泊られた部屋などが あり国の重要文化財となっています。
屋根の曲線がアールヌーヴォー風だそうです
《アールヌーヴォー風とは》
アール・ヌーヴォーとは、フランス語で"新しい芸術"という意味で、1890年~1910年頃にかけて一世を風靡した様式です。 植物の形態からヒントを得た曲線構成を造形理念とした新しい表現の造形運動であり、曲線的なフィルムを特徴とする装飾的な様式 です。このアール・ヌーヴォーに大きく影響を与えたのは日本からの絵画(浮世絵)や陶磁器だったと言われています。
その後1910年代からアール・ヌーヴォーの反作用として直線的で、幾何学的で、かつ感情に訴える要素を排して、 知的な構成や表現をモットーにした造形運動であるアールデコが主流となっていきます。
映画やドラマのロケでも良く使われているようですね。
つつじや紅葉の季節が良いそうですが、緑の庭も綺麗でしたよ
通常、屋敷内への立入りはできませんが、春と秋の年2回一般公開されます。 見に行ったことは無いけれども、機会が有れば見に行きたいと思います
とばた菖蒲まつり テーマ 「しっとり、艶やか、とばたの菖蒲」
市制25周年を記念して始められたおまつりで、50種2万本の色とりどりの花菖蒲が美しく咲き誇る夜宮公園周辺で、花菖蒲が見ごろを迎える時期にあわせ開催されます。
「 碧雲」 愛好家の方の秘蔵の菖蒲が沢山展示されていましたが、一番私はこれが気に入りました
市制50周年の「50」を描いた花壇
水面に映る美しい花菖蒲の姿も楽しめる「夜宮池」
コースには、若戸大橋からニッスイパイオニア館も
1960年代の写真がニッスイパイオニア館にありました。
その頃は、洞海湾は工場排水で「死の海」と言われ、工場からの「七色の煙」で公害問題がクローズアップされていた頃です。街は賑やかだったのですが・・・・
今は、海も甦り、空も綺麗になりました。
ニッスイパイオニア館へ・・・・
ニッスイは、創業者・田村市郎が、トロール漁船を建造するため 国司浩助(くにしこうすけ) をイギリスへ派遣したところから始まります。1911(明治44)年、下関に田村汽船漁業部を設立。1929(昭和4)年には戸畑に移転し、水産物供給のための機能を結集しました。
ニッスイ戸畑ビルは1936年(昭和11年)に建造され76年が経過した建物で、そこに創業100年を機に、こうした企業姿勢とその基盤となる創業の理念を未来に伝えていくために、ニッスイパイオニア館は誕生しました。
色々な展示物を見ましたが、一番楽しかったのは 船の航行のシュミレーションでした。関門海峡を航行中です
孫次凧(まごじだこ)
ユーモラスで鮮やかな色彩、手作りならではの素朴な味わいで親しまれています。明治末期、戸畑の竹内孫次氏が自分の遊び道具として作ったのが始まりで、空高くよく揚がるので評判となり、孫次凧と呼ばれるようになりました。孫次凧の代表といえばセミ凧で、戸畑のセミ凧と呼ばれます。ほかにも10数種類の凧があります。骨組みには自然乾燥させた竹を削って使い、紙は八女手漉和紙で、食紅で絵を描きます。知事指定特産民芸品です
来週は、若松のウォーキングです
< おまけその1
>
約10倍に膨らんだ米に煮詰めた砂糖をからめたポン菓子、実は北九州から広がりました。実演風景をパチリ
何も見えなくなるくらい煙が出ました
音を聞いて貰えないのが、残念です
< おまけ その2
>
戸畑区役所前のよいとさ広場の椰子の木に登るゴリラの親子。 噂 によると彼ら親子は戸畑区の住民登録をして、住民票もあるそうです。本当かなぁ
今日はぼくちゃんは、以前のJRウォーキングで歩いた「滝の観音寺」と「戸上神社」に行って来ました
JRウォーキングに参加された方は良くご存じだと思いますが、
観音寺に行くには急な階段があります
結構、大変だったよなぁ・・・・
ゆっくり、休憩しながら登ったんだって
無事に、登れて、証拠写真 を パチリ
帰りは、戸上神社にも寄ったそうです
カメも甲羅干し
訪れる時期が違えば見る風景も随分違うなぁ
瀧の観音寺の登り坂から、関門海峡を望む
今の時期は、木が茂っていて視界の広がりは秋の方が良いかもって言ってたよ
お疲れ様でした
これで来年も赤間の城山にはバッチリ登れると思うよ
(相棒より
)
JR九州ウォーキングで、この日は熊本県玉名を歩きました
目的は、花しょうぶまつりでしたが、初めて歩く街だったので、とても楽しかった
デジブックも作ったので、見てね
デジブック 『花しょうぶ祭り』
しょうぶまつりのあった、周辺は、西南戦争の関ヶ原の戦いともいわれる「高瀬大会戦」が有ったところだそうです。先日、GWには、田原坂を歩きましたが、ここの事は知りませんでした。次に行く時には、申し少し、歴史を知って歩きたいなぁ
玉名市の中心街・高瀬。菊池川下流の交通の要衝である。西南戦争では薩軍・政府軍両軍主力が最初に激突した。1877年(明治10年)3月27日の戦いが最大の激戦となり、薩軍は政府軍を三面から激しく攻めたが、一歩及ばず政府軍が撃退した。
この戦いで両軍合わせて約7000人の兵が動員され、高瀬の街も約3分の1の家屋が戦火で焼かれたと云われている。
菊池川支流・繁根木(はねぎ)川が菊池川に合流する近くの堤防。ここの戦いで西郷隆盛の末弟・西郷小兵衛は敵の弾を胸に受け戦死した
小兵衛は薩軍総大将の弟でありながら小隊長として最前線で軍を指揮。ここでも旗を振り指揮したという。
小兵衛は寡黙で思慮深く兄の隆盛を慕い、隆盛も歳の離れた弟を愛し、いつも自分の近に置いていたという。享年31歳。訃報を聞いた隆盛は暫く呆然として悲嘆にくれたという。一説によると隆盛自ら遺体を引き取りに赴いたともいわれている。
西郷小兵衛戦死の地は今はのどかな川の畔で、そこに碑が立っていました。
<かわいいおまけ>
前の日は、長洲に泊まりました。朝、窓を開けるとつばめ達が目の前のフェンスに並んでました