JRウォーキングで長崎を歩きました
楽しいウォーキングでしたが、原爆の事は忘れてはいけないかなぁと・・・
コースの中にも、その 被爆の状況が判る遺構が含まれていました
1945年8月9日11時02分
昭和20年8月9日午前11時02分、9600メートル上空から投下された原爆は、長崎市の北部にあたる松山町の上空役500メートルで炸裂した。大きな火球が発生し、0.2秒後に火球の半径は200メートル、表面温度は7,000~9,000度に達した。強烈な熱線と放射能が四散した。
火球の周辺の空気は熱で急速に膨張し、すさまじい爆風となって町に吹き下ろした。
山王神社(さんのうじんじゃ) 内 被爆くすのき
原爆被災の貴重な遺構として、長崎市指定天然記念物に指定されています。
山王神社の境内入口にそびえる2本のクスノキは、樹齢約5~600年、胸高幹囲がそれぞれ8メートルと6メートルで、長崎市内にあるクスノキの巨樹の一つです。共に昭和20年の原爆で主幹の3分の1以上を失ったため、 樹高は10メートル内外ですが、四方に張った枝は交錯して一体となり、東西40メートル、 南北25メートルの大樹冠を形成しています。原爆被災により一時落葉し枯れ木同然になったにも係わらず、2年程度の後、奇跡的に再び新芽を芽吹き、今日に至っています。
一本柱鳥居
山王神社の参道には、一の鳥居から四の鳥居までありましたが、1945年8月9日の原爆投下により、 爆風に対して並行に建っていた一の鳥居と二の鳥居を残し、あとは倒壊しました。一の鳥居はほぼ原型のまま、二の鳥居は爆風で笠石がねじまげられ、爆心側の左半分が吹き飛ばされたものの、奇跡的に右半分だけの一本柱の状態で残りました。しかし、昭和37年、一の鳥居は交通事故により倒壊したため、現在も当時のままの姿で立っているのは、二の鳥居だけとなったそうです
二の鳥居の吹き飛ばされた半分も保存されていました
浦上天主堂
原爆は平和公園の南にある爆心地公園上空約500mで炸裂しました。この浦上天主堂から500~600m離れた地点の上空だそうです
教会は廃墟となり、教会に来ていた信徒約30数人が全員死亡し、 12,000人の信徒のうち8,500人が被爆死したといわれています。現在の天主堂は昭和34年、往時と同じロマネスク式で再建され、昭和55年に改築され、現在に至っています。
天主堂に上る道の両側には原爆で焼かれた天使像が並んでいます。
被爆当時の地層
原爆落下中心地にあたるこの地層には、原爆によって壊された家の瓦やレンガ、熱によって焼けた土や溶けたガラスなどが現在でも大量に埋没しており、被爆当時の悲惨な様子が残されていました。
平和公園には、沢山の人が・・・・・
平和祈念像
長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製の平和祈念像。制作者の長崎出身の彫刻家北村西望氏はこの像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込められているのだそうです。
毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典が とり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされます。
私達が見たのはその一部だったのですが、見ると今の穏やかな日々を
感謝せずにはいられませんでした。
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