ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

自主トレ☆ついうっかり勘違いから始まりの下関ウォーク☆

2016-10-03 23:37:27 | ウォーキング

 

10月2日(日)

この日のウォーキングの始まりは  なぜか???  幡生駅(山口県下関市)

本当は、下のウォーキングに参加予定でした。  張り切ってJRに乗り、下関駅で乗り換え/山陽本線 「幡生駅」で下車

そして、受付を待ちます  でも、受付時間近くになっても誰も来ない????  なんで?????

よく見ると 「埴生駅」ではないですか!!! (@_@;)

列車の中でのアナウンス 「ハタブ」と「ハブ」をすっかり勘違いで、間違った駅で二人で待っていたのです

気づいた時から電車に乗って「埴生駅」に到着するのは、10時少し前

幹事の方に電話をしてみましたが、やはり後からのスケジュールが有るので私たち二人を待つわけにはいかないと  そりゃそうだよね~

ということで、当初予定をしていた、 旧山陽道・脇街道めぐりはあきらめて  さてさてどうしたものか。

下関まで戻り、そこを歩いてみようか・・・・ということになりました

そこからは、急遽「ぼくちゃん&相棒の下関ウォーク」の始まりです

ここの駅舎の中でじ~~~っと皆さんが来るのを二人で待っていました (笑)

間違いに気づいた後、下関に移動  幡生の次が下関 です

下関駅へ到着

下関の街では、「ふくちょうちんまつり」が開催中で、駅構内に沢山のふくちょうちんが下がっていました

  

 

今日は、維新の史跡を見て回る事にしました(駅前のこの見て歩きコースの看板を見て、決定しました まったく行き当たりばったりの決定でした 笑)

下関も色々なウォーキングで歩いたことはありますが、マップを見ると、今まで通ったことのないと所も結構歩く様です  観光協会で、地図を貰わなくても、大体わかるので、スマホで写真を撮って歩き始めます

 

釜山ではありません   下関には、関釜フェリーがつくからからでしょうか、「グリーンモール」というコリアタウンが有ります

そこへの入り口です

 

 

◇白石正一郎宅跡◇

豪商であった白石正一郎の屋敷は、幕末の志士たちの活動の拠点となりました。高杉の奇兵隊結成もここで行われているそうです

 

◇ひょうたん井戸◇

刺客から追われた高杉晋作が、丸一日身を隠した井戸として伝えられているそうです。


 

今も使われているようで、新しいポンプが手動ポンプがついてました

 

 

 

◇高杉東行終焉の地◇

妻のマサが下関へ来ることになったために、高杉晋作は桜山からここ上新地の林算九郎宅に移りました。しかし1867年(慶応3)4月14日、27歳で息を引き取りました。


一応・・・・いやいやしっかりとお参りしてきましたよ

 

長門の国 厳島神社に到着

ここはは幕末明治維新の大きな原動力となった高杉晋作を始め奇兵隊諸士が活躍した明治維新発祥の地でだそうです

 

10月の秋季例大祭で「女尻ずもう」が行われるそうです   参加してみようかな~ 自信あり なんて (*^_^*)vvvv

 本殿にお参りしました

◇厳島神社大太鼓◇

1866年(慶応2)の四境戦争小倉口の戦で、幕府軍に勝利した高杉晋作は、小倉城のやぐらにつるされていた大太鼓を戦利品としてもち帰り厳島神社に奉納しました。

普通だったら、鐘が下がっているのでしょうが、太鼓が下がっているのは初めて見ました

  

◇萩藩新地会所跡◇

新地会所とは下関の港湾業務の管理や警備を中心とする、萩本藩の下関における拠点です。功山寺で挙兵した高杉晋作は、ただちにここを襲って占拠しました

 

 

 

 

◇高杉東行療養之地◇

1866年(慶応2)7月、幕府軍との戦いの最中に肺結核で倒れた高杉晋作は、医師の薦めで白石家から空気のよい桜山の高台で療養することになりました。

 

 

 ここで一旦折り返します      山陽本線の高架の下を潜りました

 

 

桜山神社へ到着

HPです   http://sakurayamajinja.com/

文久3年(1863年)10月、東行高杉晋作の発議により、殉国の志士の神霊を祀る招魂場を築くことになり、12月騎兵隊が下関に転陣したため、候補地を下関に求めました。
文久4年、元治元年(1864年)正月23日、長州藩政府と協議し、新地岡の原、通称桜山を斎場に選び、同年3月29日、来関中の、三条実美卿等五卿方、視察され社殿の必要性をときました。
慶応元年(1865年)8月3日、招魂場を落成したそうです

階段を登ります

 

階段を登る途中に 「七卿史跡」の碑がありました

この事蹟を顕彰するため、昭和56年(1981年)5月、社殿登り口石段右手、保存樹シイノキの下に史跡碑が建立されたそうです

七卿の名前

 

 

本堂の中には、 吉田松陰先生像が安置されているそうでしたが、中ではお参りをされている方々がいらっしゃり入ることはできなかったです

 

◇桜山神社招魂場◇

高杉晋作らの提案で招魂場設置が計画され、1865年(慶応元)8月3日に完成しました。最前列中央の吉田松陰神霊碑を一段高くし、両脇に高杉晋作、久坂玄端、そしてそのまた両脇に、入江九一、吉田稔麿と松下村塾四天王が並んでいます

 

◇高杉東行狂生書の碑◇

慶応元年八月九日。招魂社新築落成祭典の日に感慨を詠んだ歌の自筆が、刻されたものです。動揺から転がった筆の滲みまで、再現されています

 

龍馬の死後、下関に滞在していたおり、お龍は一時期、櫻山招魂社の運営のために設けられた「あけぼの」という茶屋で、橙の実を短銃で撃ったり、一晩中飲み明かしたりして過ごしていたといいます

お龍さんも所縁があるところだったようです

次に進みます  階段を下る 

この日も暑く、この辺りでは、汗びっしょりに (>_<)  10月だというのに、この暑さはなんだっと思いながら歩いていました  本当に暑い・暑い

 

◇了圓寺◇

元治元年(1864)12月15日、高杉晋作らは新地会所を襲撃したあと、了円寺に 立てこもりました。 本堂内の柱には、挙兵軍の兵士たちがつけた刀疵(かたなきず)が 残っているそうです

 

 

静かで、誰もいませんでした(隣接の幼稚園もお休み)ので、本堂の中まで入りませんでした

 

 

ここから、下関市外へ戻ります

唐戸を通り、関門トンネルの人道を通って門司港まで歩く予定で進みました

 

 少し休憩  ふぐのベンチ

 

 

◇大歳神社の大鳥居◇

大歳神社の大鳥居は、1862年(文久2)に白石正一郎が寄進したもので、柱の裏側に「文久二年歳次壬戌春正月吉日 白石正一郎越智資興建」と彫ってあります。かつては有明山の山上にありましたが、関門国道トンネルの工事のためここに移築されました。現在、下関市内に白石正一郎の顕彰碑はありませんが、この柱の裏側と中国電力前の白石正一郎宅跡に唯一彼の名前が残っています。

 

 

 

◇大歳神社◇

寿永4年(1185年)、平家追討の任を受けた源義経は、壇乃浦の合戦に望んで、己が武運の守護と頼む富士浅間の大神の神助を請い、敵の陣小戸を隔て、呎尺の間にある有明山の山麓に小松(富士川の合戦以来担いできた「富士の小松」)を植え、篝火を焚き、七日七夜の斎戒を修め、戦捷祈願をした。その後、神前に捧げた桑の弓を以て、開戦矢文を対岸の平家の布陣に射込んだ。平家統帥の知盛はこれに驚き壇乃浦に軍船を進めた。壇乃浦には範頼の部隊が待機しており、義経軍との挟み撃ちに合い、敢えなく平家は滅亡したと伝えられる。
翌文治2年(1186年)に、付近の漁民が神を祀ったのが大歳神社の起源と云われる。
      ~(略)~
昭和15年(1940年)、関門鉄道トンネル工事の際、社地は鉄道線路敷地に接収され現在の小山に遷座された。

123段の階段がありました  この日の歩きで一番大変でした 汗;;;;

でも、確かに、見晴らしは良かったです ^^♪

 

 

 

 

 


「平家追討のため西下した義経は、平家の本陣彦島と対峙する有明山(竹崎町)に大歳神を祭り、桑の木で弓矢を作り、神前に供えたのちその矢を彦島に向けて射込み、戦勝を祈願したことから、のち地元の人たちがその地に大歳神社を創建したという。」

 

厳流島が見えました 看板の写真と同じように撮影

巌流島
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われた島(無人島)として有名ですが、お竜の回顧談「千里の駒後日譚拾遣」に、1867年(慶応3)の春ごろ、竜馬と共にひそかに花火をあげにいった、というエピソードが残されているそうです

 

さてさて、ここから、テクテク歩きます

ボリボチおなかも空いて来たのですが、予定としては、唐戸市場で何か食べる予定で進みます

 海峡タワー

 

 

 

 

ここも、山陽道の起終点と言われているそうです

近くの「亀山八幡宮」も出発点だと言われているようですが???

いざ、出発===333333 のポーズ!

 

 

◇山口銀行旧本店(やまぎん史料館)◇

大正9年(1920)に三井銀行下関支店として、建築設計家長野宇平治の設計監督により建築され、昭和8年(1933)に山口銀行の前身である百十銀行(明治11年に第百十国立銀行として創設、同31年に株式会社百十銀行として改組)の本店となり、昭和19年には、県下の6つの本店銀行(百十銀行、華浦(かほ)銀行、船城(せんじょう)銀行、大島銀行、宇部銀行、長周銀行)を統合して山口銀行が創立され、本店となりました

中に入って見学してみました

広くて、重厚感がありました

でも、冬は底冷えがしそう・・・・

 金庫の中に入ってみる

 

 

 

◇馬関越荷方役所跡◇

長州藩の越荷方の役所があったところです。越荷方とは、藩によって設けられた、倉庫兼銀行のようなものです。

 

 

◇旧秋田商会ビル◇

大正4年(1915)、木材取引中心の商社活動と海運業を営む秋田商会の事務所兼住宅として竣工した、西日本初の鉄筋コンクリート造りのビル。2、3階は書院造住宅、螺旋階段で上る屋上には日本庭園や日本家屋もある和洋折衷のユニークな建物

 

 

 中も見て回りました

 

 螺旋階段の上は、屋上庭園(現在は立ち入り禁止でした)

 

  

 

中を覗くと、水洗トイレでした  使用付加ですけど

 

 

 

◇下関南部町郵便局◇

現存する下関の洋風建築としては最も古く、明治33年(1900)の建築。国内最古の現役郵便局舎でもあり、登録有形文化財となっています

 丸ポストを考えた 「俵谷高七」の説明

 小さなポストの置物おいてありました

 

 

唐戸市場へ向かうのに、歩道橋の上を歩くと さっき中を見学した 「旧秋田商会」の屋上庭園も見えました 

 

◇旧下関英国領事館◇

領事館用途で建設された日本における現存最古の建築である。所在地は山口県下関市唐戸、竣工は1906年で、1999年5月13日に国の重要文化財に指定されている

 

 

唐戸市場に到着!  疲れてお腹が空きました 

 

私は、残念な事に 生魚が苦手なので 「ふぐ」のフライを食べました

ほんのり温かく、かりっとして美味しかったです  ただ、暑いし、まだ歩かないといけないので アルコールはここでは飲みませんでした

 

 いただきます ^^v

 

 

◇赤間神宮◇

もとは真言宗寺院で聖衆山阿弥陀寺(あみだじ)と称しました。1863年(文久3)6月に赤間関の豪商白石正一郎家で結成された騎兵隊は、隊員増大のため6月13日からこの阿弥陀寺に移りました。

 

 関門海峡には沢山の船が通行します

 

 

 

◇末廣稲荷神社◇

現在の赤間町の一部に稲荷町と呼ばれた花街がありました。
竜馬は伊藤家から近い稲荷町に出入りすることもあったらしく、それが原因となりお竜と痴話喧嘩をしたという話が残っています。稲荷神社は竜馬が遊んだ稲荷町の面影を残しています。

 

 壇ノ浦

  みもすそ川公園に到着

源平合戦  遠い昔を思い起こしながら

 

 

 

 紙芝居も楽しみました(無料です)

 

 

 長州砲レプリカは、明治維新のきっかけとなった攘夷戦争や下関 戦争で使用された大砲を原寸大に復元したもの

 

後は、関門トンネル人道を通り、門司港へ・・・・・

 

 

何度通っても やっぱりやることは同じです 笑

 

 

和布刈神社

  

 関門海峡側の海岸沿いを歩く こんなこともして見ました

門司港レトロでは、カレー王座決定戦 のイベント開催中で賑わっていました

 もう少しで門司港駅  今日のゴールの予定の場所

  今日も意外と良く歩きました  お疲れ様でした

 

駅を間違えると言う、アクシデントで始まった一日でしたが、実は帰りも門司港からはバスに揺られて帰途へ

門司駅辺りまでは二人とも起きていたのですが、ついついウトウト zzzzz・・・・・・  バス停を二つ行き過ぎてしまいました 

(もちろん、歩いて戻りました  歩くのが少なかったのかしら??? そんなはずは無いのだかなぁ~)

終わりよければ全て良し とは相成りませんでした(笑)

でも、下関でも今まで見ることの無かった 幕末の史跡を訪ねることが出来てよかったかなぁ?!?!

今度はもっと調べていき、長府辺りまで足を伸ばして見たいなあと思っています       ☆おしまい☆


最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れ様でした。 (hobashira)
2016-10-06 20:05:49
今晩は~!
埴生と幡生の間違いですか?
キップも幡生まで? 救いようがないなあ?
マップ看板を頭に入れて、(そこんとこが凄いですよ。
今までの下関ウォーキングと勘で?
やっぱり、ベテランですね。
こう見ていると、下関は歴史の町ですね。
いつか、お二人の足跡を捜しながら歩いてみたいです。
返信する
Unknown (マサ)
2016-10-07 00:11:46
モチベーションを下げずに気持ちを切り替えられたのはさすがです。自分だったらイヤになって速攻で帰るかも?
大阪にも似たような漢字の地名や同じ地名でもJRなのか私鉄なのか、時々迷ってしまうことがあります。間違わない対策は…「気をつける」しかない?
ところで…
先月下関に出張しました。新下関の改札を出たところにある観光案内所みたいなところに「下関歴史ウォーク」と大きなポスターが貼られていたので、まじまじと見てしまいました。参加されますか???
返信する
Unknown (kakkun)
2016-10-07 19:36:35
お疲れ様でした~
何だか、ウォーキング協会よりも、こちらのコースのほうが、充実していませんか~!?
返信する
hobashiraさんへ (ぼくちゃん 相棒)
2016-10-08 22:02:31
こんばんわ
埴生と幡生、次からはきっと間違えないと思います(間違えるほうがおかしい  ハハハ・・・)
切符は買わずに、スゴカ、ピッ!で入場しましたが、幡生では「ピッ」と出来なかったので、下関での清算でした
色々なことであわてん坊の二人でした
でも、初めて下関をしっかり歩いた気がしました
まだまだ、奥が深いです
返信する
マサさんへ (ぼくちゃん 相棒)
2016-10-08 22:17:28
こんばんわ
いやいや、二人でものすごくテンションダダ下がりました・・・・・
「帰ろうか??まあ、下関行って見ようか・・・」などど本当に軽い気持ちで下関下車
(九州に帰るには、在来線は必ず下関で乗換えなので)
でも、改めて歩くと下関も知らないところが沢山ありました  また、じっくり歩きたいな
「下関歴史ウォーク」、お天気と相談かな?
参加されるときは、良ければお知らせくださいね
返信する
kakkunさんへ (ぼくちゃん 相棒)
2016-10-08 22:23:10
こんばんわ~
思ったより、しっかり距離、歩いてました
でも、キョロキョロしながら、割とゆっくりペースでのウォーキングでした
下関、意外と奥が深かった・・・・(観光協会にしかられるかな~)
今度は、長府からも歩けるね と話してました
近いところの穴場を見つけた気分です
返信する

コメントを投稿