ビター☆チョコ

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太陽

2006-09-30 | 洋画【た】行



ロシアの監督アレクサンドル・ソクーロフ監督が、第2次世界大戦末期から終戦直後にかけての昭和天皇ヒロヒト(イッセー尾形)の苦悩を描く。

日本での公開は難しいだろうといわれていたこの映画が日本で公開され、大評判になったのが8月のこと。
銀座シネパドスの単館上映で朝早くから並ばないと観ることができない状態だったので
あきらめていたのだが、最近近くのシネコンでも上映するところが出てきたので早速行ってみた。

映画は「神でないのに神のように振舞わなければいけない立場に生まれたものの悲喜劇」を描いていたように思える。
虚構なのか、それとも史実に忠実なのか。
歴史的なものを求めて映画館に足を運んだ人は?と思うだろうし、
ましてや娯楽を求めて映画館に足を運んだ人は眠るしかなかったことだろう。
誰も天皇ヒロヒトの心のうちなど分かるはずもないのだから、推測にしか過ぎないのかもしれないけれども、イッセー尾形の演技がすごい説得力を持つ。

昭和から平成に変わってもうすぐ20年。
若い人たちにはなじみのない昭和天皇の姿だけれども、イッセー尾形はまるで昭和天皇そのものだった。
「あっそう」の口癖も、いつも口をちょっとパクパク動かしている仕草も。

日本人の監督では絶対撮れなかった映画だと思うけど、「天皇」の役は日本人でなければできなかったはずだ。
「天皇ヒロヒト」を演じるというひとつのタブーを軽々と破ってしまったイッセー尾形の演技を観るだけでもすごく満足できた。

それにしても撮るのが大変な映画だけど、感想も書きにくい映画だ。
映画が終わって、隣にいた夫に言った言葉が
「天皇はマッカーサーに自分の命と引き換えに国民を救ってくれるように頼んだんじゃないの?」だった。
映画の中では私の中の想像ではヤマとなるはずの場面がなかったのだ。
映画の中でマッカーサーと会ってる時の天皇は命乞いはしないけれども、巧みに話が核心にふれるのをかわしているように見えたのだ。
「現人神」と崇められながらも、実際には大事なことの決定権を持てなかった天皇の苛立ち、後悔、
そして「人間」としての弱さ、のようなものを感じた場面だった。
「あっそう」というどこか他人事のような口癖も、現人神という立場が作った処世術のようなものだったのかもしれない。