ビター☆チョコ

店じまい後も変わらずご訪問ありがとう。
新居をかまえましたので
お近くにお越しの際はお寄りくださいませ。

優しい場所

2008-06-30 | 歌 ときどき ピアノ

年に3回
イタリアンレストレストランで開かれるセッション。

あまりにも近い客席が(笑)
胸の動悸を異常に高める場所。
もしかしたら発表会よりもコワいかもしんない。。と思ってたんだけど
どうも違うみたいだな。

確かに
ものすごく緊張するし
何度出ても慣れたり
満足な出来。。ってことはないのだけど
必ず、なにかしら良かった点を見つけては褒めてくれたり
励ましてくれたり
アドバイスしてくれたりっていうのは
ここにいる観客が、みんな歌い手でもあり
ここで歌う緊張感を知ってるからなんだな。

きびしい耳と痛い視線だと思っていたのは間違いで
とっても優しい耳と視線だったんだな。

貴重な場所だと思う。
お褒めの言葉は素直にいただいて
反省は、次に活かしたいな。。と。。(ああ。。このセリフも何度言ったことか/苦笑)

このあとの
才能ある若者のライブも良かったし
なんだろなー
レベルこそ全然違うけど
こうやって音楽を楽しめる環境にあることが
つくづく幸せな昨日だった。

。。。このラベンダー・バンドルズは、どうも
「海老で鯛を釣った」ような気がしてならない。(笑)



音楽も、いい香りも、気持ちのいいものだね。





ヌックマム

2008-06-28 | 食べたり飲んだり

昼ごはんに
銀座ファイブの「ラ・スコール」でフォーを食べた。
さっぱりしててうまかった。



ベトナムで買ってきたインスタントフォーも底をつき
ないとなると無性に食べたくなって
しばし苦しんでたので
これで、やっと落ち着いた。(笑)

近所にタイのインスタント麺とかは売ってるんだけど
インスタントのフォーは売ってないんだよね。

売ってないなら自分で作るか。。ってわけでもないけど
先週、ベトナム料理本を買ってしまって
そればっかり眺めている。

ベトナムで買ってきたヌックマム。
どうやって使おうかと困ってたけど
最近は、ものすごく気軽に
レモン汁とサラダオイルでドレッシングにして使ってる。



赤玉ねぎのスライスとトマトのざく切りと
パクチーは、家族に拒否されそうなので
控えめに大葉など入れたりして。

ヌックマム。これ、なかなかいいかもしれない。

でも。。
作るよりは、「
食べるだけ」のほうが圧倒的に好きなので
近くに、気軽に行けるベトナム料理屋さんがあればいいのになーと
強く強く思う今日この頃。





 


その名にちなんで (DVD観賞)

2008-06-27 | 洋画【さ】行

アショケ(イルファン・カーン)は、若い頃、旅の途中で知り合った老人に、海外に出て見聞を広めるように強く勧められる。
老人の言葉は、その後に起こった事件と共にアショケの心に深く残り、アショケはNYで学ぶことになる。
数年が過ぎ、NYで暮らすアショケは故国のインドの慣習に従ってお見合いをし、
アシマ(タブー)と結婚することになる。

結婚してNYで暮らすことになるアショケとアシマ。
言葉も生活習慣も違う国で、少しづつお互いを理解していく二人。
そんな二人の間に男の子が生まれ
アショケは生まれた男の子に「ゴーゴリ」という名前をつけた。

インド人でありながら、ロシアの作家の名前をつけられたゴーゴリ(カル・ペン)は、
成長するにつれて自分の名前に嫌悪感を持つようになる。
アメリカに長く住みながらインドの慣習を守って
同郷の人との狭いコミュニティの中で暮らす両親と
アメリカで生まれ育ったゴーゴリと妹のソニアの間には、どうしても埋めきれないものが生まれる。
普通の親子ならジェネレーションギャップ。。というだけの問題なのかも知れないけど
異国で暮らすこの親子の間にはカルチャーギャップも存在するのだ。

インド人でありながら、インドという国に行っても馴染みきれない。
アメリカで生まれ育って気持ちはアメリカ人なのに、外見からは、やはり「インド人」と見られる中途半端さ。
ゴーゴリの苛立ちもわかるし
自由の国で自由に生きて欲しいと願うのに
離れていってしまう子供達を寂しく見守る両親の心の痛みもひしひしと感じられる。

ゴーゴリの名前の由来は、映画の冒頭で明かされているので
観ているこちらには、少し物足りないような気もするのだけど
映画の核となってるのは、名前の由来ではないのだよね。
異国で暮らすひとつの家族が、悩み、傷つきながらも
自分のほんとうの居場所を捜し求める物語だ。

異国で暮らすということ。
結婚して子供が生まれて
子供が育って
子供が巣立っていくということ。
どこに巣立っていくのか。
巣立ったあとは、どこに心の拠り所を求めるのか。
30年近くの長い年月を
淡々と描いているようで、とても深く心にささるものがある。

名前というのは。。
親の一番ピュアな願いが込められた贈り物なのだよね。。。

この映画の原作は
ピュリッツァー賞作家 ジュンパ・ラヒリの「The Namesake」という本だそうです。

インドの女性監督ミーラー・ナイールが撮っただけあって
インドの風景や、結婚式の様子などが、とても美しく映し出されている。
結婚式の赤と白とゴールドの色彩の豪華さ。
インドの街の喧騒や埃っぽさ。
タージマハルの神聖な美しさ。
まるで、旅をしているような気持ちになる。

映画がとても良かったので
長編だと聴く原作も読んでみたいと思っているのだけど
きっとこの映画で感じたインドの空気が、読書を楽しいものにしてくれるのではないかと期待している。








 


西の魔女が死んだ

2008-06-25 | 邦画

まい(高橋真悠)は中学生になって間もなく、学校に行けなくなってしまう。
もう学校には行かない、と宣言したまいは、しばらくの間 母方の実家で祖母と暮らすことになる。
母(りょう)と二人で向かったのは、山奥の一軒家。
その家には、たったひとりで祖母(サチ・パーカー)が暮らしていた。
英国人の祖母と、13歳の孫の二人の生活が始まった。

祖母は静かに暮らしていた。
畑で野菜をつくり、花やハーブを育て
飼っているニワトリが生んだ卵でキッシュやお菓子を焼いた。

一見、なんの変化もなさそうで退屈そうな生活なのだけど
山の毎日には、必ずなにかしらの変化があった。
それを楽しみ
自然の恵みを受けて、ジャムを作ったり
洗ったシーツをラベンダーの上に広げて乾かしたりして
ていねいに、ゆっくりと暮らしていくのは
学校生活で、心をすり減らしたまいには、とても新鮮に感じられるのだった。

ある日、祖母はまいにそっと秘密を打ち明ける。
まいの家系は、「魔女」の家系なのだと。

りっぱな魔女になるには、精神的に強くなくてはいけない。
まいは「魔女になるためのトレーニング」をすることになる。

毎朝早起きして
ちゃんとご飯を食べて
一所懸命働いて
夜はきちんと早寝をする。

ただそれだけのことなのだけど
まいには、とても難しく思えることなのだった。
このトレーニングがまいを
正しい方向を感じるアンテナを持って
ちゃんと自分のことを自分で決められる「りっぱな魔女」に導いてくれるのだという。

どこかお客さん気分だった まいの生活に
規則正しいリズムがついてきた。

梨木香歩さん原作の物語が映画化されると知って
観にいったものかどうか、迷っていた。
原作から自分なりに膨らませていたイメージが、
映像化されることによって
まったく別のものになって目の前に映し出されたら
とっても嫌だなぁ。。と思っていたのだ。
でも、それは杞憂だったみたいだ。
思い描いていたイメージどおりの世界が、スクリーンの中に映し出されていた。

まいの「魔女修行」の中に、特別なことはなにもない。
少なくとも、わたしたち世代が育った時代には
あたりまえのこととして、毎日していたことだ。(こんなにオシャレじゃないけど)

ただ。。こういう言い方は好きではないのだけど
時代が少しづつ慌しくなってきて
食べること、眠ること
そんな必ず必要なことすらも、削らなくてはいけなくなってきている。
削ったものは、必ずツケになって、どこかに表われる。
そのツケが一番表われるのが「心」なのだと思う。

思春期と呼ばれる、子供から大人になろうとする時期。
親も子供も、ほんとうに不安でいっぱいなものだ。
子供が、友達との関係で悶々としているのは
親に、直接は言わなくても、なんとなく態度で伝わってくる。
ここで、子供が望むとおり「逃がす」べきか親は悩む。

でも「一時避難」は必要だけど
ぜったい「ちゃんと生活すること」からだけは逃がしてはいけないのだと思う。
朝、目覚める。
食べる。
動く。
夜、眠る。
正しいリズムが、心と体を強くして、また人の中に出て行く勇気を与えてくれるのだと思う。
人と人との関係の中で、傷ついたり疲れたりした心は
人との関係の中でしか癒すことは出来ないのだと思うから。

美しい自然も、時にはすごい勢いで人間に襲い掛かってくる。
自分と合う人とだけ関って生きて行けるものでもない。
自分勝手な思い込みが、自分自身を苦しめてることもあるかもしれない。
忙しくて、日々の暮らしに余裕がなくなったとき
ちょっと思い出して読み返していた物語は
イメージを損なうことなく、スクリーンの中に映し出されていた。
今までよりも、ずっと鮮明なものとして心に残る。

 


うさぎグルーミング

2008-06-23 | 日々のこと

よほどのことがない限り
うさぎは洗っちゃいけないそうです。
テツも5歳半になりますが洗ったことはありません。
でも、やっぱお尻まわりの毛が
ガビガビになったりするので
そんなときは
HOUSE OF RABBITさんにお尻ケアをお願いします。

夏の帰省のときに
ここのホテルにテツを預けたついでに
お尻のケアをお願いしたことはあるのですが
実際にどうやってやってんのか見るのは昨日が初めてでした。

あのテツのことですから
さぞ、暴れたり、ひっかいたり
ご迷惑をかけてるんだろうなーと思っていたら
まるで「借りてきた猫」状態です。
まるで別人。
ひっくり返されようが、



ドライヤーをかけてもらおうが



されるがまま、です。

恐怖で固まってるわけでもなさそう。
やっぱ、気持ちいいんでしょうね。
いつもは、近くの動物病院で切りっぱなしの爪も
ヤスリまでかけてもらう丁寧さ。



こりゃ、エステですね。

一番驚いたのは
グルーミングが終わった後
おとなしく帽子までかぶって写真撮影をしたこと。



家でこんなんしたら
絶対怒り狂って帽子なんか振り落としてしまうはず。
なんて外面のいいヤツ!
この写真は、たぶん近いうちに
HOUSE OF RABBITさんのグルーミングブログにUPされると思います。

しかし、テツの「いいこ」は、この時だけのもの。
お店には、「いつもいいこ」のお店うさぎがいて
訪れるお客さんたちに可愛がられてます。

飼育誌のモデルもしてるらしいラブちゃんとか。
ベルベットの手触り~♪



お店の中を自由に走りまわる。。。誰だろ。。名前は知らないや(汗)
ワタシは勝手に「でっかい子」と呼んでるけど。



へたな小型犬よりもずっと大きくて強そう。
パンチされたら痛いんだろうな。
絶対敵にまわしたくないうさぎさん。



でも、全然乱暴なことはなくて
狭いところが大好きで
勝手に空き箱の中に入り込んでたり
でかい体に似合わず、愛嬌があるんですよ。

お尻ケアのやり方は
しっかり見て、手順も教えてもらって
ウォーターレスシャンプーも買ってきたので
今度は自分でやってみようと思います。
かなり不安だけど。。。


ジュノ

2008-06-20 | 洋画【さ】行

ホラーとパンクが大好きな16歳の高校生ジュノ(エレン・ペイジ)
好奇心から。。の出来事で予期せぬ妊娠をしてしまう。
手早く、産婦人科の予約を済ませたものの、産婦人科の前で出会ったクラスメイトの
「お腹の赤ちゃんには、もう爪だって生えてるのよ」のひと言で、産むことを決意する。
別に、母性愛に目覚めたわけでもないらしい。
ただ。。ジュノはお腹の赤ちゃんを消してしまうことがイヤだったのだ。
産むことを決意したジュノは
産まれたらすぐに赤ん坊を里親に引き渡そうと、タウン誌で「里子募集中」の広告を読みふけるのだった。
赤ん坊を安心して引き渡せそうな里親を見つけたジュノは、ここでやっと自分の妊娠を両親に告げるのだった。

。。日本じゃ、ありえない話だよねぇ。
まず、妊娠したら学校はアウトだろうし、タウン誌に里子募集の広告をだしてる夫婦なんかいない。
そもそも「里子」という発想が、日本人にはなじみのないものだし、
家族の形が多様化しているアメリカならでは、の物語なのかもしれない。

もし、自分の高校生の娘が、ある日突然妊娠を告白したと想像してみる。
母親であるワタシが最初に言う言葉って、きっとかなり後ろ向きなものだと思う。
娘と、そのボーイフレンドの軽率な行動をなじると思う。責めると思う。
言ったところでどうしようもない言葉を何度も繰り返して、やっと現実的なことに目を向けていくんだろうな。

ところが。。ジュノの両親のさばけっぷりときたら
さすがジュノの両親!!
この親にして、この子あり!!って感じなのだ。
すでに里親候補まで見つけて。。。まぁ、外堀を埋めた状態での告白だったし
娘がそこまで考えて赤ん坊を産もうとしてるんなら、親として出来るのは娘の気持ちを大事にして
立派に赤ん坊を産ませてやることだ。って決断が早いんですよね。

ジュノの家庭は、アメリカでは特に珍しくもないステップファミリーなんだけど
もし、日本でこういう形の家庭で、娘が妊娠なんかしたら
そりゃあ、ステップマザーの面子まるつぶれ。。みたいな悲壮感が漂って、
親戚、学校、ご近所を巻き込んだ修羅場が繰り広げられるんだろうなぁ。
ジュノのステップマザーは、取り乱すでもなく、妊娠した継子をなじるでもなく
今までと同じように、時々喧嘩しながら、
それでもジュノを守るべき時は毅然として守る、という姿勢が
とっても素敵だったなぁ。

里親も、裕福な暮らしをするマークとヴァネッサに決まり
ジュノのお腹は順調に大きくなっていく。

ジュノのお腹は順調に大きくなっても
ジュノの気持ちには波風が立ってくるのだった。
普通の女の子より、ちょっと生意気で大人びたジュノだけど
中身はやっぱり16歳の女の子。
特に愛してたってわけじゃないけど、赤ん坊の父親である同級生のブリーカーが
他の女の子とプロムに行くと知って、深く傷ついてしまう。
傷ついた心を癒してもらいたかった里親候補のマークからは、
ヴァネッサとの離婚を考えてることを明かされ、ヴァネッサよりも気の合うジュノと暮らしたいような素振りを見せられてしまう。
そんなマークを、責めるわけにもいかない。
ジュノにだって、少しは、そんなマークの気持ちを知ったうえでの甘えがあったのだ。
マークに会いに行く前には、無意識に口紅を濃く塗っていたジュノ。
里親としてだけじゃなく、男としてマークを意識していたのだ。
「自分の大人度」を遥かに越えた出来事にジュノは泣き崩れる。

ここからジュノがどんな選択をするのか
ワタシには読めなかった。

永遠の愛はあるのか。変わらぬ思いというものは存在するのか。
そして、自分の本当の気持ちはいったいどうなんだろう。
悩みながらジュノは出産の時を迎える。

ジュノがどんな選択をしたのかは
映画館で、あるいは、少し先になるけどDVDで確かめていただくとして
ひと言だけ言っておくと
思いがけなく、泣いちゃいました。ワタシ。(汗)

ジュノの選択については。。多少。。そんなに割り切れるもんなの?という思いは残るものの(爆)
登場した人たち全て、もちろん生まれた赤ちゃんも、幸せになってもらいたいなぁ~と
そう願いながら、映画館を後にしたのでした。

インテリアや音楽もおススメです。





電話

2008-06-19 | 日々のこと

観劇のこと、泊まったホテルが素敵だったこと、
そんなことをいろいろと話す義母の声はとても明るかった。

電話なのに、楽しそうな顔が見えるような・・そんなテンションの高さだった。

東京で遊んできただけでこんなに楽しいんだから
チョコさんみたいに外国で遊んできたら、どれだけ楽しいんだろう。

まるで嫌味のない調子で義母が言うので

楽しかったですよぉ~。
また行きたいですねぇ~
おかあさんも、一緒に行きますか?

・・と、答えた。

わたしなんか、もう無理だわ。
足も弱ってるし、人に迷惑かけるだけだから。。。

そう言う義母に

いやいや、とっても元気そうな声だし
外国どころか、月にだって行けそうな勢いだよ。

元気づけるつもりで、そう言った。

ワタシのつもりでは
ここで、間髪入れずに軽く笑って流してもらえば、それで済むはずだった。

でも、電話の向こうは、少しの間、沈黙だった。
気を悪くした。。とかじゃなくて
義母には、うまく、ワタシの下手なジョークが通じなかったみたいなのだ。

少し間をおいて

え?なんて言ったの?

そう訊き返す義母に
月にだって~の部分を省いて
ゆっくりと大きな声で言いなおした。
。。。ジョークを、ゆっくりと大きな声で言い直すのは、なんだか哀しかったから。

まだまだ、しっかりとした義母だけど
電話で話してると
時々、こういうことが起こるようになった。
直球の会話は受け取れるけど、ちょっと変化球を投げると
受け損ねてしまうのだ。

義母が受け損ねた球は
ワタシが気づかれないように拾いに行って
投げなかったことにしてしまう。
哀しいけど、老いていくというのは、こういうことなのだろう。

電話を切ったあと
居間は、テレビがついてざわざわして
明かりも煌煌とついていたのだけど
妙に、静かで、暗くなったような気がした。



カサブランカ (DVD観賞)

2008-06-17 | 洋画【か】行

第2次世界大戦が激しくなり
ナチスドイツがパリを占領すると、ヨーロッパの人々はフランス領モロッコ、カサブランカへと脱出した。
ここからリスボンを経由して、戦火を逃れるためにアメリカに渡ろうとしたのだ。
しかし、運よくアメリカに渡れるのはわずかな人数だった。

異国で祖国を思い、戦火を逃れるために見知らぬ国を目指す人々は
つかの間のやすらぎと情報を求めて、夜ごと酒場に集まった。
そして、その酒場で、かつて離れ離れになった恋人たち、リック(ハンフリー・ボガード)とイルザ(イングリット・バーグマン)が再び巡り会うことになる。
しかし、イルザにはレジスタンスの指導者であるラズロという夫がいた。

あまりにも有名なカサブランカという、この映画。
数々の名台詞は知っていたので、それでなんとなく観た気になってたんだね。
今回、初めて観て、
観始めは正直、????だった。(笑)
リック役のハンフリー・ボガードの魅力が、全然わからなかったのだ。
ビジュアルだけじゃなく(爆) リックという役の性格も、いつまでも過去にこだわるヤなヤツ。。みたいな見方しか出来なかったのだ。

イングリット・バーグマンは文句なく美しい。
この映画はワタシにとって、彼女の美しさを堪能するだけの映画なのかも~~と、
タラタラ観ていたら、中盤過ぎから、一気に面白くなってきた。

ラストシーンまで観て、ハンフリー・ボガード。。というかリックの魅力がわかった。
そうなんだ。ここまで観て、やっとわかるんだ。
リックという男は、「やせがまんの美学」を持った男なのかもしれないなぁ。

男が求める「かっこよさ」は、様々だろうけど
「やせがまん」が似合う男はなかなかいないだろう。
押し付けがましくなく、身を引くときは、すっぱりときれいに身を引く。
時には、恋愛よりも戦うことを選ぶ。
あまりにも、かっこよすぎる幕の引き方だ。

この映画は、メロドラマの名作のように言われてるけど
むしろ、男っぽくて、苦味のある映画のような気がした。
ただの三角関係の顛末を描いただけじゃない。
三人の恋は、たぶんどれも成就したものはなかったのかもしれないけど
それでも、どこか清々しさを感じさせるラストは、お見事、と手を叩きたくなる。

リックとイルザの大切な曲として出てくるのが
これもまた有名な As Time Goes By 
二人の恋愛と破局をずっと見守ってきたピアノ弾きのサムが歌う歌は
カラッと乾いた感じがする。



時代がどんなに変わっても
男と女の間に起こるさまざまなことは変わらないよ

(たぶん)そんな意味の歌詞にふさわしく
見守ってる感、とゆうか、離れたところから眺めてる。。みたいな歌い方だ。

なぜ、ワタシが歌うとどこか湿っぽいんだろう。。と、思う。(苦笑)
見守ってる感どころか、どっぷり当事者だ。
歌詞を考えると
こんなふうにカラッと歌ったほうがいいのかな。。と思うものの
やっぱ湿っぽくなっちゃうんだよね。
歌う人によって、曲の感じががらりと変わるのも
「歌うこと」のおもしろさかもしれないのだけどね。















新しい長靴

2008-06-15 | 日々のこと
最近、とっても可愛い長靴がたくさん出回っている。

雨の日のなにが嫌かって
足元が濡れるのほど嫌なものはない。
それじゃぁ。。というんで最近は
雨の日の通勤には、あきらめて、古い古い長靴を履いていたのだけど
こんなに雨ばっかり降ってると
古い長靴を履いていると、なーんか気が重くなってくる。
さすがにゴムも劣化するらしくて
(なんせ10年ぐらい前のもの)
長靴を履いてるのに、微妙に靴下が湿っぽくなっているのも許せない。

そんな時、同僚がエライおしゃれで立派な長靴を履いてきた。
値段を聞いてびっくり!!!
いちまんごせんえんだって!!!

う~ん。。。
ワタシとしちゃ、許せない値段である。
買う気で見てみると
おしゃれな長靴は安いものでも8千円ぐらいはするみたい。
。。。これだってワタシには許せない。

長靴にオシャレは必要ない、とあきらめて
ホームセンターで買っちゃおうか。。と思っていたとき
無印良品で、値段もかわいい(笑)シンプルな長靴を見つけた。



3675円 (感涙)
これなら許せる。

大喜びで買ってきて
履いてみたくてたまらないのに
どうしたことか、買ってきた次の日から
ピカピカのお天気で、長靴の出番がこない。

玄関を通るたびに
ちょっと履いてみて歩いてみたりして
鏡まで見たりして
まったく。。。。これじゃあ、子供と同じじゃん。。と苦笑するワタシである。




夜中のピアノ

2008-06-12 | 歌 ときどき ピアノ

夜中にヘッドフォンをつけてピアノの練習をしていたら
笑い出したくなった。

短い練習曲の小節と小節の和音が
どうしても繋がらず

ワタシの血にこのリズムは組み込まれてないんだ。
とかセンセにごねて(苦笑)
わけのわからない理由をつけては
なんとかこの練習曲から逃れようとしてたはずなのに
今、ワタシはこの練習曲に逃げてる。

今、切羽詰ってやらなければいけない仕事から
あまり向いてない
あまり好きじゃないかも
そう思ってたピアノに逃げている。(笑)

少なくとも
今、抱え込んでる仕事よりはピアノのほうがまだまし。
そういうレベルなのだけど
もうちょっと続けてもいいかな。。と、思った夜だった。

楽譜に書き込まれた文字からセンセの苦労が窺えて



そんなことも
こんな夜中に見ていると
笑いたくなる理由になるんだから不思議なものだ。