マルグリット・デュラスの大ベストセラーになった自伝的小説を映画化したものである。
1920年当時、現在のベトナムはインドシナと呼ばれ、フランスの統治下にあった。
インドシナで生まれ育った15歳半のフランス人の少女は、休暇を家族と過ごした後
サイゴンの寄宿舎にもどるためメコン川を渡る船に乗っていた。
飾り気のないシンプルなスリップのようなワンピースにゆるくベルトを結び、男物の帽子をかぶり
足元は、たぶんビーズ刺繍のついた黒いハイヒール。
その黒いビーズ飾りの靴は豪奢に見えるのだけど、つま先が痛んでいたりして
少女の家庭環境があまり恵まれたものでないことを窺わせる。
帽子からのぞく細い三つ編みとは不釣合いな赤い口紅。
そんな姿で船の欄干にもたれて頬杖をつく少女の姿は
ひとりの中国人の青年の目にとまった。
サイゴンの不動産王の息子だという華僑の青年は
少女の「幼さ」の中に潜む「なにか」を感じて、少女に夢中になる。
こうして15歳半のフランス人少女と
12歳年上の金持ちの華僑の青年の関係が始まった。
ずい分前に原作を読んで、原作の中で描かれる独特の世界に夢中になった覚えがある。
その後、映画化されたのは知っていたのだけど
官能的な描写が多いというのがけっこう評判になった映画だったので、なんとなく観そびれ
ビデオになったらなったで、「官能的」は家庭にはなかなか持ち込めないものなのだった。
確かに、官能的なシーンもかなり出てくるのだけど
それ以上に印象に残るのは「水」と「空気」と「湿気」だ。
少女と青年が出会うメコン川のミルクコーヒー色のゆるゆるとした流れ。
少女と青年が忍び会うチョロンの小さな部屋。
チョロンの雑踏から鎧戸一枚とカーテンで仕切られた薄暗い部屋で、少女と青年は毎日抱き合う。
二人の体の上を、鎧戸の隙間からもれてくる「雑踏を歩く人の影」が通り過ぎていく。
外の喧騒と扉ひとつ隔てただけの「密室」の、酸欠になりそうな
そんなものが「官能的な描写」そのものよりも、強く印象に残るのだ。
夢中になって読んだというわりには、なんだかところどころ怪しくなっている記憶を辿れば
原作では、少女と青年の関係よりも
少女が貧しい家庭環境に困っていたことや、母親に愛されていないことに悩む様子が多く書かれていたような記憶がある。
お金のために
あるいは一番欲しくても与えられるとこのない「愛」の代わりに
手の届く「愛のようなもの」にすがってしまったのか。。
少女は、自分でもわからないまま、2年という長い年月を青年との逢瀬に費やす。
生まれ育ったインドシナから、まだ見ぬ祖国に帰る船の中で
少女は、わからなかった自分の本当の気持ちに気がつくのだ。
そうして、少女は18歳で年老いてしまった。。。
やっぱり、大きな声ではどことなく言いにくいのだけど(苦笑)
この映画の空気が、すごく好きです。