ビター☆チョコ

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ヘイフラワーとキルトシュー

2006-09-10 | 洋画【は】行



優等生のヘイフラワーとちょっとわがままなキルトシューは仲のいい姉妹。
ジャガイモの研究に没頭するお父さんと、家事が全く出来ないお母さんとの4人家族。
家事が出来ないお母さんをカバーし、わがままなキルトシューを育て、この家は小さなヘイフラワーが支えている。
しかし、ヘイフラワーはもうすぐ小学校に入学する。
学校に行くようになったら、この家はどうなるのだろう。。。ヘイフラワーは心配でたまらない。

フィンランドの児童文学の映画化だそうで、どのシーンもポストカードにでもなりそうな可愛らしさ。
「かもめ食堂」でもフィンランドのシンプルでモダンなインテリアやファッションに釘付けになったけど、
同じフィンランドでもこちらはポップでカラフルでキュートで、ヘイフラワーとキルトシューの天使のような可愛らしさも加わってまるで童話の世界のようだ。

でも、つい可愛いことに目を奪われちゃうんだけど、ホントは「親のあり方」のようなものが焦点なんじゃないのかな。

家事はまるで駄目。自分は外で働くべき人間だと思い込んでる割には、仕事探しも身が入ってないようなお母さんと、自分の研究しか頭にないお父さん。
もちろん二人の娘を愛してはいるのだけど、どうも地に足が着いてないような頼りなさを感じる。
子供って親を選べないから。
そして選べない親だけど、絶対的に愛してるし、絶対的に絆が切れることはないから難しいのだろうね。

よそはよそ。うちはうち。変わった親も面白い。
そんな風に割り切れるのは大きくなってから。
小さいうちはお母さんの焼いたパンを食べてお父さんと遊んだりする普通の家庭が良く見えるのだろうね。

「神様。どうかうちを普通のうちにしてください」
と祈りながら、家庭を支える小さなヘイフラワーがいじらしい。

・・・そして爆発。

大人でも子供でも、そんなことってあるよね。
たまってた怒りや我慢が抑えられなくなることって。

「お姉ちゃんだから」しっかりして欲しいという親の気持ちも
「お姉ちゃんだから」我慢しなきゃいけない辛さや理不尽さも両方分かる年になった私だから、
子供だっていつもいい子ではいられない
というヘイフラワーの言葉にはうなずいたり、耳が痛かったり。

自分が親になったとき、特に胸をはれるようなポリシーも持たずに、なんとかその日その日をやり繰りして暮らしてきたのだけど、これだけは絶対しないようにしようと思っていたことがある。
お姉ちゃんだからという理由だけで、子供を押さえつけないこととご近所のお友達と比べないこと。
自分が子供のときに嫌だったことだから。
でも、自分が親になってみると良く分かる。
「お姉ちゃん」ってけっこう使い勝手がいいものなのだ。

爆発しないように気持ちを吐き出すところが誰にでも必要だし、身近な人の心の動きを感じられる心配りだけはたとえ家族という親しい仲にでも必要なものかもしれない。

日本の映画なら、ここでお母さんが良妻賢母になることを誓って終わったりするのかもしれないけど、
ちょっと違うところがお国柄なのでしょうか。
家庭の中で出来ないことは地域でカバーしていこうよ。という大らかさがなんともうらやましい。

可愛いけど、その底にちょっと痛いものをかんじた映画でした。

公式サイトこちらです。
あまりの可愛らしさに、つい貼り付けてしまいました。