アショケ(イルファン・カーン)は、若い頃、旅の途中で知り合った老人に、海外に出て見聞を広めるように強く勧められる。
老人の言葉は、その後に起こった事件と共にアショケの心に深く残り、アショケはNYで学ぶことになる。
数年が過ぎ、NYで暮らすアショケは故国のインドの慣習に従ってお見合いをし、
アシマ(タブー)と結婚することになる。
結婚してNYで暮らすことになるアショケとアシマ。
言葉も生活習慣も違う国で、少しづつお互いを理解していく二人。
そんな二人の間に男の子が生まれ
アショケは生まれた男の子に「ゴーゴリ」という名前をつけた。
成長するにつれて自分の名前に嫌悪感を持つようになる。
アメリカに長く住みながらインドの慣習を守って
同郷の人との狭いコミュニティの中で暮らす両親と
アメリカで生まれ育ったゴーゴリと妹のソニアの間には、どうしても埋めきれないものが生まれる。
普通の親子ならジェネレーションギャップ。。というだけの問題なのかも知れないけど
異国で暮らすこの親子の間にはカルチャーギャップも存在するのだ。
インド人でありながら、インドという国に行っても馴染みきれない。
アメリカで生まれ育って気持ちはアメリカ人なのに、外見からは、やはり「インド人」と見られる中途半端さ。
ゴーゴリの苛立ちもわかるし
自由の国で自由に生きて欲しいと願うのに
離れていってしまう子供達を寂しく見守る両親の心の痛みもひしひしと感じられる。
ゴーゴリの名前の由来は、映画の冒頭で明かされているので
観ているこちらには、少し物足りないような気もするのだけど
映画の核となってるのは、名前の由来ではないのだよね。
異国で暮らすひとつの家族が、悩み、傷つきながらも
自分のほんとうの居場所を捜し求める物語だ。
異国で暮らすということ。
結婚して子供が生まれて
子供が育って
子供が巣立っていくということ。
どこに巣立っていくのか。
巣立ったあとは、どこに心の拠り所を求めるのか。
30年近くの長い年月を
淡々と描いているようで、とても深く心にささるものがある。
名前というのは。。
親の一番ピュアな願いが込められた贈り物なのだよね。。。
この映画の原作は
ピュリッツァー賞作家 ジュンパ・ラヒリの「The Namesake」という本だそうです。
インドの女性監督ミーラー・ナイールが撮っただけあって
インドの風景や、結婚式の様子などが、とても美しく映し出されている。
結婚式の赤と白とゴールドの色彩の豪華さ。
インドの街の喧騒や埃っぽさ。
タージマハルの神聖な美しさ。
まるで、旅をしているような気持ちになる。
映画がとても良かったので
長編だと聴く原作も読んでみたいと思っているのだけど
きっとこの映画で感じたインドの空気が、読書を楽しいものにしてくれるのではないかと期待している。