ビター☆チョコ

店じまい後も変わらずご訪問ありがとう。
新居をかまえましたので
お近くにお越しの際はお寄りくださいませ。

混ぜる

2008-01-30 | 食べたり飲んだり

最近、この手のランチが多いなぁ。。
食べながらそう思ったバンコクキッチンのランチ。


私、納豆喰い女です。
納豆があれば、もう多くは望みません。
キムチをのせてもおいしいよね。

しかーし
ご飯に混ぜるのはイヤなのだ。
納豆でもキムチでも
ご飯にそっとのせて、そっと食べる。
なるべく白いご飯を汚さないように(笑)

その反動か
外でご飯を食べる時
こんなふうに
ご飯に
ゆるく焼いた目玉焼きがのってるようなメニューがあると
つい、惹かれちゃうんだな。
楽しく混ぜ混ぜして食べるのだ(笑)

。。。。ということは
白いご飯を汚すのがイヤなんじゃなくて
単に茶碗を汚すと
洗うのに手間がかかるという
無精な根性からでてる「そっと喰い」なんじゃないのか?

そんなことに気がついて
混ぜる手がふと止まった
今日のランチ。



プロ

2008-01-27 | 日々のこと

昨日、考えさせられることがあった。
そんな深いことじゃないけど
はっとさせられたんだな。

ひとつは
あることを調べにあるカウンターに座った。
たぶん無理だとはおもったけど、一応調べてもらった。
私をカウンターに残して、担当のオネエサンは奥で調べてくれる。
しばし、ひとりでポツンと待つ。。
帰ってきたのは「無理です。ありません。」の答え。
なーーんか、もうそれ以上とりつくしまがないようなカンジだったので
そそくさとその店を去った。

でも、念のため、もう1軒回ってみる。
やっぱ、無理そうだったんだけど
担当のオネエサンがPCを操作しながら、電話をあちこちにかけながら
こちらの話を聞いてくれて
なんとか予算オーバーを最小限にとどめて、ちゃんと話をまとめてくれた。
その間2時間(驚)

予算オーバーは多少痛かったけど、オネエサンの心意気に参ったというか。。
不思議と損したとか、そんな気持ちはなくて、
あのオネエサンにがんばってもらったんだから、いい買い物をしたんだ。。という気持ちになったんだな。
そんで、もしあの結果が「残念ですけどありません」だったとしても
あれだけがんばってもらったんだから、もうホントに無理なんだと
すんなりあきらめられたような気がするんだな。

もうひとつは夜。
久々にダンナと呑みに行った。
店はまかせる。。というのでダンナにはどうかなーと思いつつ
私の好きな店に。
週末は混むので6時ごろ電話してみたら、案の定満席で
8時なら席が空きますよ。。というので「カウンターがいいな。」と頼んでおいた。

けっこうカウンターが好きなんだ。
2人なら、カウンターがちょうどいい。話も近いし。

驚いたのはその先。
席に着くと
「お久しぶりですね。年明けて初めて、ですね。」と言われたのだ。
いや。。年明けどころか、娘と二人で秋ごろに来たのが最後だ。
リップサービスかな?と思いながら
ダンナには「よっぽどうるさくて印象に残ってるんじゃないの?」とからかわれながら
でもやっぱ、悪い気はしないんだな。

リップサービスじゃないとわかったのは
辛口の白ワインを見繕ってもらった時のこと。
ここはそういう頼み方をすると、3種類ぐらい見繕ってくれてテイスティングさせてくれる。
ワイン通でもないのにワインを呑みたい人、にも優しいのだ(笑)

この間、私が呑んだワインをちゃんと覚えていたみたいなのだ。
ひとつずつのワインの産地を教えてくれて
3つ目のワインを呑もうとしたとき
「これが、例のチリの、です。」と言ってくれたのだ。
ああ、そうだ。
この間きたときも、テイスティングして、結局、チリのワインを呑んだのだ。

まったく常連でもなく
大盤振る舞いをするわけでもなく
たまーに、ひっそりと来て、ちょこっと呑んで帰る客の顔をちゃんと覚えてる。
そういう接客の姿勢に、感動してしまった。

もちろん、たまたま前に来たとき
彼がカウンターの中にいて、ワインを選んでくれた、というのもあるかもしれないけど
それでも、膨大な数の客のひとりに過ぎないのに。。。

昨日の彼は、もうカウンターの中にいなくて
シャツの色も一人だけ違って
もしかしたら、新しい店長さんになったのかもしれない。
そうだとしたら納得の人選だ。

結局、
先のオネエサンにしてもワインの彼にしても
感動したのは、「一人の人」として接してもらったことなんだよね。
流れ作業やマニュアルじゃなくて
ちゃんと、事情や好みを持った個人して扱ってくれるってことが嬉しいんだよね。

これは私の仕事にしても同じことで
長いこと通ってる患者さんは、自分の事情を把握してるものとして
こちらに話しかけてくることが多い。
でも、未熟なことに、把握できてないことも。。あるんだよね。
ひとりひとりをちゃんと覚えること。
今のことだけに目が向きがちだけど
過去のことまで頭に入れるか、
頭に入らなかったら
患者さんと向き合う前に、カルテにざっと目を通すぐらいの
心配りは必要なんだろうな。。と。
反省もしたのでした。

プロの仕事って気持ちのいいもんだ。








 


ぜんぶ、フィデルのせい

2008-01-25 | 洋画【さ】行


70年代、パリで暮らす9歳のアンナ(ニナ・ケルヴェル)に起こった重大事件のお話。

アンナは名門女子校に通うお嬢さま。
スペインの貴族階級出身のパパ(フェルナンド・ステファノ・アルコシ)は弁護士で
ママ(ジュリー・ドパルデュー)は雑誌の記者をしている。
弟のフランソワ(バンジャン・フィエ)とは喧嘩もするけど、仲良しで
忙しい両親に代わって、大好きなキューバ人のお手伝いさんフィロメナが面倒を見てくれる。
庭付きの一戸建て。
バカンスはボルドーのおばあちゃんのお城のような家で過ごす。
アンナは、そんな暮らしが当たり前のことで
これからもずっと続くのだと思っていた。
しかし、突然、アンナの生活が変わってしまう。

初めて聞く「キョーサン主義」
アンナにはよくわからないけど
どうやらフィロメナが憎む「フィデル・カストロ」が、その元凶らしいのだ。

スペインの反政府運動を行っていた伯父さんが亡くなったことがきっかけだった。
夫を亡くした伯母さんが、アンナのパパを頼ってパリに逃げてきた。
アンナのパパは祖国を捨ててきたことに密かに負い目を感じていたから、それで一気に社会的良心に目覚めてしまった。
ママと共になぜかチリに渡り、見事に共産主義の洗礼を受けて帰ってきた。

当然のように弁護士を辞め、チリのアジェンデ政権のために働くことにする。
家は小さなアパートに引越し
反共産主義者のフィロメナは解雇され
家には、いつも怪しげな南米人の
髭面のおじさんたちが出入りするようになる。
キョーサン主義に目覚めたはずのママですら
生活の激変になんだか苛立っているみたいなのだ。

人の出入りが激しくて、なんだか家の中はいつもざわついているけど
アンナは孤独を感じるようになる。
そして、爆発する。
元の生活に戻りたい!!
キョーサン主義ってなんなんだ?
そして。。パパやママたちは、いったい何をしようとしてるんだ。

大人って子供にとって、独裁者みたいなものかもしれない。
自分達の都合で、子供の生活まで変えてしまう。
子供は不満ながらも、一人で生きていく力はないので親の生活にくっついてくる。
でも。。子供はちゃんと見てるんだな、恐ろいほどにシビアな目で。

初めは、自分達が決めて変えた生活なのに
どこか腰が据わってないパパやママたちに反抗していたアンナが
だんだん、「本気」になってきたパパとママを見て
子供なりに、今までの生活が必ずしも一番いいものだとは思えなくなってくる。

家に出入りする「キョーサン主義」のおじさんたちの話に耳を澄ませ
中絶の自由を訴える女性解放運動に夢中なママの支援者たちの訴えを立ち聞きし
少しづつ少しづつ、考え始める。
「反抗」が考えることを始めさせたのだ。
口を真一文字に結んで、眉間にしわを寄せて
9歳のアンナは一生懸命考える。

70年に9歳。
このアンナちゃんは、もしや私と同じ年じゃないか(苦笑)
私って9歳のとき、なにしてたっけ?
のんびりとした田舎で、ただただ遊びほうけてたかな。
もちろん「キョーサン主義」について考えたこともなかったし
大人になった今だって、「キョーサン主義」について真剣に考えることなんか、ない(苦笑)

「キョーサン主義」に生活を脅かされることはなかったけど
遊びほうけつつも、友達と絶交したり仲直りしたり。
そんなことだってそのトシの女の子には、けっこう重大な問題で
精一杯、小さな胸を痛めたり、頭をつかったりして生きていたんだ。

そうして私も親になり
さて、うちの娘が9歳の時はどうだったかな、と考えてみる。
その頃、うちは転勤が激しくて
娘は小学校だけで4校に通った。
まさしく私達親は、娘にとって「独裁者」であり「圧制者」だったわけだ。
学校を変わるたびに泣かれたり、ハラハラしながら見守ったり、居直って怒ってみたり(苦笑)
アンナのパパとママと同じような役をやっていたわけだ。

問題の大きさに差はあるけど
反抗したり考えたりするアンナを見ながら
自分や娘や、すべての女の子が通ってきた「あの年齢」が愛おしくなってきた。

小さいなりに悩みながら
果てしなく広がる好奇心を両親にぶつけて
アンナは「知ること」が自分を孤独から救ってくれることを学んでいく。

アンナは誰に強制されることもなく
ささやかな、でも9歳の女の子にとっては重大な決断をするのだけど
アンナにそっと自然に差し伸べられたひとりの女の子の手は
まるで、アンナの決意を祝福してくれてるように見えた。

70年代から時は流れて。。。
アンナがそっと開いた新しい世界は
いったいどういう世界に繋がったのか。
アンナと同じ年のオバサンは、知りたいなぁ~という好奇心を抱きながら
映画館を後にしたのだった。














突然の訃報

2008-01-24 | 映画・DVDいろいろ

昨日、ネットでヒース・レジャーの訃報を知った。

。。。。目を疑ってしまった。


特別、すごいファンというわけじゃないけど

とても魅力的な俳優さんだった。

ブロークバック・マウンテンの不器用そうなヒース。

カサノバの軽快なヒース。

そして、ロック・ユーのかっこよさときたら。。。惚れ惚れする。



買い物帰りに、つい、ロック・ユーを借りてきてしまった。。

こんなにスカッとした映画で泣く日がくるなんて思わなかった。

映画の中で、ヒースが生き生きとしてればしてるほど

もういない。。ということが、哀しくて残念で仕方ないんだ。


そして、やっぱり、リヴァーが突然亡くなった日のことを思い出す。。。


28歳という若さの彼を

何が死に追いやったのか

真相は知るすべもないけど

はっきりしてるのは、もう、彼の新しい映画を観ることはできないってこと。。。なんだよね。


ヒースの大ファンの方々の深い悲しみを思う。


映画スターと呼ばれる人々は

スクリーンでしか会うことのできない人だけど

私達は、その姿から、いつもたくさんの喜びや希望をもらっているんだ。

人の夢まで背負って走る人には

荷物を重く感じることもあったのかもしれないけど

深い永遠の眠りについてしまった今は

ただ、安らかな眠りであって欲しいと願うばかり。。だ。






























変換

2008-01-23 | 日々のこと



日常は、さもないことが積み重なって出来ている。
さもないことは、ささいなことで 時々、雪崩を起す。

出掛けに雨が降り出したとか
やたら寒い朝、ストーブの灯油がカラだったとか
ゴミを捨てに行ったら、カラスが乱暴狼藉を働いていて
ゴミ置き場を掃除するはめになった。。とか。
朝、こんなことがひとつでも起こったら
確実にその日はアンハッピーな1日になる。

そう、今まではそうだった。

ところが、「あの日」から違うんだな。

寒い朝は、「ああ、あの日は寒くなくて良かった。」と思うし
カラスの後始末をしながら、「あの日は、カラスが荒らしてなくて良かった。」と感謝するし
熱を出した時でさえ
「あの日は、元気でいられて良かった。」と思うのだ。

すべてのアンハッピーやアンラッキーが
「あの日」というキーワードを入れると、ハッピーに変換されるみたいなんだ。

ちょっといい人すぎて気味悪いんだ。自分(笑)
そのうち魔法がとけてしまうんじゃないかと
こわごわ暮らしている。

でも
私がかかったのは魔法じゃないよね。
奇跡に出会ったんだから。

奇跡は何度も起こらないかもしれないけど
だからこそ、胸に深く深く残るんだよね。

自分に言い聞かせながら
それでも、やっぱり、どこかこわごわ暮らしている。

スウィニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師

2008-01-20 | ジョニー・デップ



19世紀ロンドン。フリート街で理髪店を営むベンジャミン・バーカー(ジョニー・デップ)は
美しい妻と生まれたばかりの娘に囲まれ、幸せに暮らしていた。
しかし、その幸せはある日無残に砕かれる。
ベンジャミンの美しい妻に魅せられた悪徳判事ターピン(アラン・リックマン)の手によって、
ベンジャミンは無実の罪を着せられ監獄に送られてしまう。
後に残された妻と娘の消息も知る術もなく15年の歳月が流れ、
長い苦悩は美しかったベンジャミン・バーカーの容貌を変えた。
スウィニー・トッドと名を変えたベンジャミン・バーカーは、復讐を胸に誓いフリート街へと帰ってきた。

スウィニー・トッドと名を変えて現れたベンジャミンを、大家のラベット夫人(ヘレナ・ボナム=カーター)は温かく迎える。
夫を亡くした後、ひとりで「ロンドン一まずいパイ屋」を切り盛りしてきた夫人の心には、スウィニーへの恋心が募っていった。
そんなラベット夫人の想いは、復讐に燃えるスウィニーには届くはずもないのだった。

しかし、ある出来事がきっかけで、二人の間には深い絆が出来る。
スウィニーの過去に気づいて、脅しをかけてきたイタリア人理髪師のピレリ(サシャ・バロン・コーエン)を
殺してしまったスウィニーは、死体の処理に困ってラベット夫人の力を借りることにする。
そうして、二人の間には「共犯者」という、奇妙で密接な関係が出来上がる。

それは恐ろしい計画だった。
スウィニーが自慢の剃刀で喉を掻き切って殺した客は、そのまま階下のパイ工場に落とされ
料理され、熱々のミートパイになって、何も知らないロンドン市民の胃袋へと消えていくのだ。

復讐の炎を燃やしながら
憎い男が訪れるのを待つ日々。
やがて訪れたチャンスを逃がした時、スウィニーの中で何かが壊れた。

薄暗いロンドンの街の片隅に、ひっそりと開いている理髪店。
何かに引き寄せられるように、ひっそりと訪れる客は
本当に闇の中に吸い込まれて、2度と店から出てくることはない。
夜毎に血しぶきが飛び、飛んだ血しぶきはスウィニーの手を赤く染めるのだが
彼の胸が痛むことはない。
彼の胸を痛める唯一のものは、15年前に失ってしまった妻と娘のことだけなのだ。
スウィニーの暗い復讐の炎は、周囲のものを全て巻き込んでいく。

幸せというものは、たぶん失ってはじめて、その大きさに気がつくのかもしれない。
失う、ということが誰にでも訪れる「死」だったり、「別れ」だったりするときは、時間が悲しみを癒すのかもしれない。
しかし、悪意をもって引き裂かれたものだとしたら、人は「復讐」という狂気に走るしかないのだろうか。
悲しみを癒すはずの時間は、復讐を加速させ
真実を見つけるはずの目を曇らせていく。

物語に登場する人物は
悪役のターピン判事に至るまで、私にはどこか全てを憎みきれないものを持っている。
人の妻を奪い、その娘をまた奪おうとする男。
彼も、方法は歪んではいるけど、求めているのは「愛」なのだ。
彼は権力は持っているけど、きっと自分が持ってる権力以上に大きなコンプレックスを持っているのかもしれない。

コンプレックスを権力で補い、愛情まで権力で得られると思ったのが彼の愚かさ。
男への愛情を、「共犯」という罪で示そうとした女の愚かさ。
復讐で目が曇ってしまった男の哀しさ。

全て、発端は「愛」なのに
なにもかもがかみ合わずにちぐはぐに動いて、悲劇が生まれる。

悲劇の幕が閉じた後
劇場の椅子に深く沈んだまま、すぐには立ち上がる気力のない私がいた。
物語は冒頭から心を深くつかんで最後まで離すことはなかった。

歌声は、セリフからの繋がりのように自然に流れ
感情の高ぶりにつれて、時にほとばしるようにあふれ出る。
派手な動きはほとんどない。
静かなたたずまいの中に、哀しみと怒りと、そして時におかしさや
驚くほど多彩な表情をつめこんだジョニー・デップの演技。
強くたくましく、そして恋を語るときは愛らしいヘレナ・ボナム=カーター。
出演者の誰もが、文句なしにぴったりとはまっている感じなのだ。

薄暗く、ほとんど色彩のないロンドンの街並み。
一転して、幸せな日々を思うとき、映像は美しい色彩であふれる。
闇の中に飛ぶ血しぶきさえ、どこか妖しい美しさを感じるアブナさ。

殺人鬼の物語、ではなかった。
悪魔でもない。
そこにいたのは、ひとりの哀しい男だった。

哀しい男の物語、である。






















薬のこと

2008-01-17 | 日々のこと

今日から職場復帰しました。
声はまだ野太いままですが
もとから野太いので(笑)これはさほど問題ではないです。

熱がある間は、細かい作業などするわけもないので
気にも留めなかったのですが
指先に震えがあります。
ガクガク震える、というわけじゃなくて
細かく振動している、という感じです。

これは、仕事上かなりヤバイことなので
内心、かなり焦りました。
幸い、今日の患者さんはあまり細かい作業がなかったので
無事に事故なく仕事を終え
帰ってきてから即、かかりつけのお医者さんに電話しました。
今飲んでる薬の副作用ではないかと思ったのです。

原因は飲み薬ではなく貼り薬でした。
夜、せきが出て苦しかったので
気管支を広げる小さなシールのような貼り薬をもらって
貼っていたのです。
たまに、その貼り薬が合わない人がいるらしいんですね。
そうするとそういう症状が出るらしいです。

3センチ角ぐらいの小さなシールでも
クスリは薬。
怖いものなんだなぁ。と改めて思ったのでした。


ジョニー熱

2008-01-14 | 日々のこと

ついにダウンしました。

土曜日にピンチヒッターで仕事に出て
その後、ものすごいだるさに襲われ
昨日は午後からうつらうつらと眠ったり起きたりを繰り返し
熱をはかってみたら9度3分ありました。

最後に熱を出したのはいつなのか覚えてないくらいだから
きっと10年以上はたってるんだと思います。
あんまり丈夫なんで、きっと私は熱を出さない人なんだと勝手に決めてました。

だから、「熱」の感覚もピンと来ない。
普通、大人が9度以上熱を出したら
しんどくてたまらないそうなんですけど
ただ、眠いだけ。

思うに
きっと原因はジョニー・デップと握手したことです。
その証拠に1夜明けた今日は、もう7度台です。

今までどちらかというとテンション低く生きてきて
あれで一気にテンションが上がって、
上がったまま下がらなくなったんでしょうね。

家族も、みんなそう思ってるみたいです。

きっと私の体は「ジョニー前の細胞」が「ジョニー後の細胞」に全部生まれ変わろうとしてるんだ。
そんなふうに思うんです。

一応、休日診療所に行ってきました。
人の顔を見るなり
「アナタ、元気そうだからインフルエンザじゃないと思うよ。」という医者の言葉通り
検査の結果はマイナスでした(笑)

あれからもう1週間。
ジョニーの影響は、かなり大きかったようですね。


さて♪♪
嬉しいニュースが飛び込んできました♪
ゴールデングローブ賞、ミュージカル/コメディ部門
ジョニーが主演男優賞を獲得しましたぁぁぁ。

おめでとう~♪ジョニー~~~♪

ああ。。また熱が。。。


夢のあと

2008-01-09 | ジョニー・デップ

月に1度、お友達が六本木のバーで歌ってる、というので
初めて行ってみた。

六本木に着いて
待ち合わせの時間までまだ少しあったので
わざわざヒルズ側の出口に出てみる。
ぜんぜん逆方向なのに(苦笑)

確かめたかったんだ。
あの場所が、あの時間が
本当にあったことなのか。

昨日
朝から設営の人や車が慌しく出入りし
人で埋め尽くされたアリーナは
昨日の熱狂などなかったことのように
のんびりと静かなのだった。



昨日、ほぼ半日立っていた、あの場所に行ってみる。
立ってみる。
思い浮かべてみる。
。。。。ちゃんと蘇る。

いい思い出がなかったこの場所が
大切な思い出の場所になったことを確認して
待ち合わせの場所に向かった。