ビター☆チョコ

店じまい後も変わらずご訪問ありがとう。
新居をかまえましたので
お近くにお越しの際はお寄りくださいませ。

朝顔に蝶々

2006-07-31 | 

やっと梅雨があけていよいよ夏本番。。。のわりには涼しい過ごしやすい夜でした。
早朝、半分眠りながらそろそろと雨戸を開けたら、思いがけないお客様が来ていました。



あわててカメラを構えたのですが、あわてる必要がないぐらい悠然と止まってました。
蝶々を驚かさないように息をつめて写真を撮ります。
写真を撮り終わったところで、ひらひら~と優雅に飛んでいってしまいました。

蝶々が止まっていたのは朝顔の蔓です。
入谷の朝顔市で買ってきた朝顔はとにかく元気者で、どんどん蔓を伸ばしてくるので、
つれあいが2階のベランダから麻紐を数本張って、その紐に蔓を絡めたのでした。
うまくいけば緑のカーテンが出来て、日中の日差しを少しは遮ってくれるはずです。



そこまで期待できるかどうかは分かりませんが、
小さなひとつの鉢から伸びた4本の蔓は、毎日目に見えるほど伸びて、
もう私の背丈よりも高くなりました。
そろそろ絡まった蔓のほうにも花が咲きそうです。

4色咲きのはずの朝顔。
最後の一色がなかなかわからなかったのですが、咲いてみたら4色どころか5色咲きだったみたいです。
濃いピンク。
濃い青。
団十郎。
青に縞模様。
水色。




一度に全部咲きそろわないのが残念ですが、
毎朝、今朝は何色が咲いているのか。と探すのも楽しみのひとつかもしれません。


メゾン・ド・ヒミコ

2006-07-30 | 邦画



小さな塗装会社で事務員として働くサオリ(柴咲コウ)。
亡くなった母の入院費用のため借金を背負い、夜はコンビ二でバイト。風俗業への転職も考える日々だ。
そんなある日、サオリの職場に春彦(オダギリジョー)という若く美しい男が訪ねてくる。
春彦は、サオリの父(田中泯)が末期癌で、老人ホームで暮らしていることをサオリに告げる。
その老人ホームはサオリの父が作った、ゲイのための老人ホームだった。
実はサオリの父は突然自分がゲイであることを告げて家を出て、それ以来音信不通になっていたのだった。
春彦はどうやら父の恋人らしい。

父を憎んでいたサオリは父に会うことを拒むが、
破格の時給と父の遺産への興味から、毎週日曜日にホームの雑用係として働くことになる。


誰もがやがて老いて死んでいくのは分かっている。
分かっていても、やがて自分が老いていくことは考えたくない。
人は自分ひとりで生まれてきたわけでもないし、死ぬ時だってひとりでは死にたくない。
せめて自分を理解してくれる人に看取られ逝きたいと願うものだと思う。
この映画で描かれるゲイの人たちの多くは、自分に正直に生きるために
家族を捨てたり、
生きていくために本当の自分を隠して働いてきた人たちばかりだ。
一見、楽しげに生きてきたように見える彼らの明るさが、老いることへの心細さを際立たせる。

先週見た「トランスアメリカ」もトランスジェンダーを題材にした映画だったのだけど、
共通してるのは核が「親子」や「家族」だということ。

自分の性への違和感や同性愛というのはすごく個人的なもので

親子の間でも分かり合うにはあまりにも壁が高すぎる問題だと思う。
ゲイの父親と娘。
ゲイの青年とゲイの青年に惹かれる娘。
ゲイを蔑む中学生とホームの住人達。

異次元に生きてるんじゃないかと思える人たちが、ふっとその壁を越えてしまう瞬間。
そんな瞬間を暖かく描いている。

寂しくて哀しくて、でも暖かくて、不思議な空気感の映画だった。
ちょっとここだけ日本じゃないような雰囲気の老人ホーム。
その老人ホームの館長は病んでいてもなお凛として美しい人で、
若い恋人は透明な色気で周りを圧倒する。
だから、その不思議なホームの住人たちの奇抜な姿さえも妖精のように見えてしまうのだ。

サオリの父親を演じた田中泯。
確か「隠し剣鬼の爪」にも出てたので舞台の役者さんかと思っていたら、舞踏家!だそうで。
身のこなし方が優雅なはずですね。



そしてその恋人役のオダギリジョー
美しい人だというのは分かってましたが、今回は思い知らされました。
サラリと質の良さそうな
シャツとパンツに素足にサンダル。
白いスーツを嫌味なく着こなす様。
男も女も中学生さえも惹きつけなければいけないこの役は、オダギリジョー以外いないんじゃないでしょうか。
いつも同じに見える柴咲コウのぶっちょ面の演技も可愛く見えてしまった。

さわやかな風の吹く今日。
胸の中にも夏の夕方のような、少し寂しくて心地よい風が吹いている。




 


厚揚げシューマイ

2006-07-28 | 食べたり飲んだり


仕事から帰って遅いお昼を食べてから、自分のブログを更新したりコメントに返信したり。
ネット友達のプログを徘徊してコメントを書いたり。
歌やピアノのレッスンがない日はそんなふうに私の夕方は過ぎていきます。

しかし今日のブログ徘徊と自分のブログの返信をしてるうちに、
落ち着いていた持病がザワザワと騒ぎ出しました。
察しのいい方ならお分かりでしょうが「ジョニー熱」です。

どうもいつも遊びに来てくれる、ぼふふわさんからうつされたみたいです。
すごい感染力で、もう夕飯の買い物も行きたくないし(いつもじゃん)作ることなんか到底出来そうもありません。

それでも、食べ盛りはいるし
ここでサボったりしたら、来年の大きな野望に翳りができます。
熱にうかされつつある体に鞭を打って買い物に行きました。

買ったものは「お刺身」と
お豆腐やさんで「枝豆豆腐」と「胡麻寄せ豆腐」。
食べ盛りはこれじゃ物足りないだろうと、お豆腐やさんで初めて見かけた「厚揚げシューマイ」も買ってきました。
これにサラダを山盛り添えればなんとかごまかせるんじゃないでしょうか。

主婦ってたとえ病気でも(爆)家族のご飯の心配をしなければいけないから辛いですよね。
さて、これで安心して病に専念?できます。





 


ラバーズ・コンチェルト

2006-07-27 | 歌 ときどき ピアノ

セッションから3週間ぶりのレッスンになる。
セッションがジョニー来日と重なって、次の日から怒涛の日々が始まったので
あれ以来全然歌ってない。。。。

レッスンに向かう車の中で、ちょっと発声のつもりで歌ってみたら、
いつの間にか熱唱してしまって
信号で止まった時に我に返って、誰もいないのに妙に恥ずかしかったりする。
危ないし、運転中の熱唱はやめたほうがいいっすね。

3週間ぶりのわりに、声はきちんと出た。
のどの奥を広げる感覚もつかめてきた・・ような気がする。
「い」とか「え」を発声する時は、のどを太くするような気持ちで横に広げる。
これも実際にのどは太くはなっていないのだろうけど、頭の中でイメージしながら発声する。
イメージが足りないと薄っぺらい声になる。
ピアノを弾きながら聴いてる先生は、その違いをすぐ見破ってしまう。
自分ではイメージしてるだけなのに、声は違ってくる。
それってすごく不思議な気がする。
なんとなく声を出すんじゃなくて、出したい声を意識してることがちゃんと体に伝わってるのかもしれない。
徐々にね。

今日は新しい曲を選ぶのに時間がかかった。
そろそろ発表会の話も出てきてるし、
今回選ぶ曲というのは、もしかしたら発表会で歌うことになるかもしれないのだよね。
あーでもない。こーでもない。
で、選んだ曲が「スマイル」「ラバーズ・コンチェルト」
「スマイル」はチャップリンのモダンタイムスのテーマ曲ですね。
歌詞がついてるとは知らなんだ。
「ラバーズ・コンチェルト」はサラ・ヴォーンの歌。
少し前にドラマの主題歌で使われたみたい。

どちらも今まで歌った曲とはまたちょっと路線が違うような。。。
次回のレッスンは1週間後なので
「どうしても間に合わなかったらメールしてね」って言うことは~~
そうだよなぁ~~ある程度は歌えるようになってなきゃレッスンにならないもんね。
歌詞・歌詞




小豆入り仙草ゼリー

2006-07-26 | 食べたり飲んだり

何が出てきたのかと思いました。
昨日「糖朝」に寄った時のことです。

大きなガラスボールからドライアイス?の白い煙がモクモクと出ています。
ガラスボールがテーブルに置かれても、中身が良く見えず
もうデザートしか出てくるものはないはずなので、
これはどうやら「小豆入り仙草ゼリー」だとは見当がついたのですが。。。
ひと呼吸置いたら白い煙も少し晴れ、
やっぱりこれは「小豆入り仙草ゼリー」なのでした。

これは初めて食べるのですが、コーヒーゼリーのような色をした角切りのゼリーに、
ほどよい甘さのシロップと小豆&ミルクがのっかってます。
ものすごく好きな系統です。
しかも小丼のような器に結構な量が嬉しい~
しばらくの間、「糖朝」に寄った時のデザートはこれに決まりです。

仙草。
調べてみたら中国や台湾に自生するシソ科の植物で涼粉草(リョウフンソウ)とも言うそうです。
暑気払い
喉の渇き
便秘
筋肉痛・関節痛
などに効果があるそうで~さすが医食同源の国。デザートにまで抜かりはないのでした。
暑気払いにもいいということなので、これからの季節にピッタリじゃないですか

久しぶりに晴れた今日。
仕事に行く前に家族全員のシーツを洗って、一か八かの勝負で布団まで干して出かけました。
良かった。お天気はもちました。
今日は洗ったばかりでパリパリのシーツに寝られます。
やっと「夏」なんですね。


 

 


ペダル

2006-07-25 | 歌 ときどき ピアノ

ペダルがでました
「バーナム」というのはピアノのテクニックを練習するための簡単な楽しい教本。のはずなのに~~
ぜんっぜん楽しくも簡単でもないです

小節ごとに、区切りのいいとき踏んだり離したり。。ならできる。
それが、なんと説明したらいいのか(困惑)
小節を超えた次の音の時に離して即、踏む。だったと思う(爆~)
もうそれで正しいのかどうかさえ記憶が危うい。
踏めば踏むほどに大混乱
先生も見かねて、「最初だし、小節ごとにしましょう」・・・っていきなりすごい妥協。
それほどぼろぼろだったんですうぅぅ~。
たった4小節なのに~~

そしてこのわずか4小節の中に、これでもか~って言うほどの問題点がザクザク。
和音はすべての音を均等に。
音のつなげ方。
腕の力を抜いて手首を柔らかく使う。
進むにつれ、上手くなるどころか問題点が増えていくような気が。。。

来月後半までピアノはお休み。
バーナムの宿題がきっちり出ました。
曲は今度が仕上げになるので、強弱をつけたりゆっくり弾いたりがちゃんとできるように、
これも宿題。
宿題山積みの夏休み。
子供の頃を思い出します





ヴェトナムアリス

2006-07-24 | 食べたり飲んだり
土曜日、映画を観に銀座に出たついでにウインドゥショッピングをしてきました。
特に欲しいものもなかったのですが、バナナリパブリックのセールが見たかったのでプランタン銀座に。
ウロウロしてる間に2時を大きく回ってしまったので、そのまま本館の7階に上がって
「ヴェトナムアリス」に寄りました。
食べたのは「春巻バスケットとフォーのランチ」です。



春巻は「揚げ・蒸し・生」の3種類と真ん中に大きな「かに爪フライ」。
間に大根と人参のなます風。
テーブルには甘ミソ・スイートチリ・ニョクマムのたれがおしゃれなかごに乗せてあります。
フォーに入れるパクチーは、好みで入れられるように小さなカップに挿してあります。
パクチーの入ってないベトナム料理って物足りないような気がしますが、パクチーは香りにクセがあるしダメな人は絶対ダメなんでしょうね。

大きな籠に入ったお皿に美しく盛られた春巻。
楽勝で食べられる。。と思ったらなかなかのボリュームでした。



それでも完食。
フォーはおなかに優しいから・・・と訳の分からない言い訳をしつつ
コンデンスミルクのたっぷり入ったベトナムコーヒーまでしっかりいただきました(笑)

ここには何度か寄ったことがあるのですが、
お店にフレンチの鉄人、石鍋シェフの料理本がディスプレイしてあるのに気がつきました。
帰ってきてからネットで調べたら「クイーンアリス」の石鍋シェフがプロデュースしたベトナム料理屋さんだったみたいです。
全然知りませんでした。
お店の名前も「プランタンのベトナム料理や」と記憶してるだけで、今回初めて知りました。
時間をはずして行くせいなのか、いつもスムーズに入れたのはラッキーなことだったみたいです。

私が知ってるアジアン料理のお店は、わりと素朴な感じのインテリアのお店が多いのですが、
このお店はそういえばシノワズリな雰囲気があります。
フレンチの姉妹店と聞けば納得。です。
味もサラリと上品にアレンジしてあるような気がします。

画像には写らなかったのですが、箸置きが落花生でした。
これが可愛かった。
家でも真似できそう。。。でも、「なにこれ?」とか言われていきなり食べられてしまいそうです。




トランスアメリカ

2006-07-23 | 洋画【た】行


ブリー(フェリシティ・ハフマン)はひっそりとつましく暮らしている。
もうすぐ長年の夢が叶う。
夢とは完全な「女」になること。

ブリーはトランスジェンダー(性同一性障害)で、完全な女になるための最後の手術を1週間後に控えているのだ。
そんなブリーに突然17歳の息子の存在を知らせる電話がくる。
どうやらブリーが「男」でスタンレーという名前だった頃に、ただ1度だけの間違いから出来た子供らしい。

麻薬と売春でニューヨークの留置所に入れられてるという息子トビー(ケヴィン・セガーズ)を引き取りに行ったブリーは、行きがかり上、自分が父親だと明かさないままニューヨークからブリーの暮らすロスまでトビーと二人でアメリカ横断の旅に出ることになる。


公開初日の初回。
シネスイッチ銀座の前は列が出来ていました。
立ち見も出た様子でした。

お父さんだけど外見はお母さんのような、そして他人のふりをしてるブリーと、
親の愛を知らずに実の父を探そうとするトビーの珍道中。
二人の関係は恐ろしく複雑で、二人の置かれた状況はかなり悲惨だ。
ブリーはトランスジェンダーの仲間はいるけど、実の両親とは絶縁状態だし、
トビーが家出をして麻薬や売春に手を出した背景には、どうやら実母の自殺と継父からの性的虐待があるらしい。
どこまでも暗く深刻にできそうな題材をポジティブに描いている。

自分の性に違和感を持ちながら生きるということがどういうものなのか、想像すら出来ないのだけど。
自分の性を変えるという決断が、どれほど親や兄弟に波紋を投げるかというのは分かるような気がする。
衝突を避けるために離れて暮らしても、心の底ではいつだって気にかかってるのが親子。
恥じたり隠したりせずに、ありのままの自分を受け入れてもらうことが大切で、
そこから本当の愛情や信頼が生まれるのだろう。

エンディングに流れるドリー・バートンの歌。

行き先を知らなくても進むだけ
私というパズルを完成させるために
神は理由あって私を造られた
何度も転びながら
ただ今は旅を続けるだけ

。。。泣くつもりは全然ないのに。。。不覚にも涙がでた。。。。
悲しいわけじゃない。なぜか清々しい気持ちだった。

さて主演のフェリシティ・ハフマン。
ドラマ「デスパレートな妻たち」で主演している女優さんだそうなのだが
観てるうちにホントに「元おとこ」に見えてしまって、混乱してしまった。
演じた彼女自身も自分が男なのか女なのか分からなくなったほどらしいので、
かなり入れ込んで役作りをしたのだろう。

そしてトビー役のケヴィン・セガーズ。
私は今回初めて彼を知ったのだけど
「リバー・フェニックスの再来」と言われてるそうだ。



リバーというよりも、ちょっと私はガエルを思い出してしまった。
潔すぎる脱ぎっぷりとか(爆)目の力強さとかに。
これから彼がどんな役を選んで演じていくのか楽しみだ。






旅立ちの時

2006-07-22 | 洋画【た】行


ダニー(リバー・フェニックス)の両親は反戦運動の活動家で、15年間もテロリストとしてFBIに指名手配されている。
半年ごとに髪の色と名前を変え、家族はアメリカ各地を転々とする。
ダニーが17歳になったとき家族はニュージャージーの田舎町に滞在することになる。
ダニーはそこで音楽教師のフィリップスにピアノの才能を見出され、フィリップスの娘ローナ(マーサ・プリンプトン)と恋に落ちる。
両親に言い出せないままフィリップスの薦めるジュリアード音楽院のオーディションを受けるダニー。
オーディションは成功したもののそれでも両親には言い出せない。
大学に進学するということは指名手配中の両親と離れ離れになってもう2度と会えなくなるからなのだ。
ダニーの苦悩を知った母のアニー(クリスティン・ラーチ)は15年間会うことのなかった自分の両親にダニーを託す決心をする。
大反対する父親(ジャド・ハーシュ)。
一家の中に重苦しい空気が流れる。
そんな矢先、一家に危機が訪れ慌しく町を去らなければならなくなる。


特殊な環境ではあるけど愛に満ち溢れた家族。
外の世界とは交わってはならないから、その愛情はより濃く繋がりは強く、成長していくダニーを縛りつけようとする。
その愛情が分かるから、自分の本心を言い出せずに悩むダニー。
出口はどこにも無い。
そして母のアニーはかつて自分が両親に味わわせてしまった辛さを、今度は自分が味わうことになるのだ。

かなり昔、子供のお昼寝時間に観た映画だった。
世間的には立派な大人で、「おかあさん」と呼ばれる立場にはなったものの
いつまでたっても自分の「おかあさん」という立場に慣れることが出来ずに、
毎日がいっぱいいっぱいの頃だった。
ダニーのどこにも属さない、これからなににでもなれる若さと可能性が羨ましかった。

その時隣の部屋で眠っていた息子はダニーの年頃になり、
今の私は母のアニーに想いを重ねる。
必ず来る子供の旅立ちの時、それは遠いものではないはずだ。
そしてそれは延々と順番に繰り返され、そのたびにひとつの家族の新しい旅立ちが始まるのだろう。



映画の中のリバーを見るとき、なぜこんなに胸が痛くなるのだろう。
自分が「青春」という時期に感じていた、漠然とした不安や希望や苛立ちや喜びや、そういうものの気配がリバーの中にある。
そしてそんな気配をまとったまま時間を止めてしまったリバーは、現れるたびに遠く過ぎ去ってしまった「青春」の時の想いをほろ苦さとともに思い出させるのだ。

リバーの生い立ちと驚くほど似ているストーリー。
恋人との共演。
つい余計なことも気になったりするのだが、
映画の中のリバーはそんな勝手な思いなどはねつけて、強い輝きを放っている。
その輝きはいつまでも強く美しい。

ロシアンルーレット?

2006-07-21 | 食べたり飲んだり



ししとうを洗ってちょっと切れ目を入れる。
炒めてお酒としょうゆを少々。
火からおろす直前におかかを大量投入。

わざわざ画像を残すほどでもない普通の夏のおかず。
なにかもうひとつ足りない時、たくさん食べるものでもないけど箸休めにちょうどいい。

さて、このししとう炒めはなかなかスリルが味わえるおかずで、
食べてる人の顔色が気になる。
食べた人の表情が変わらなければ安心して、それと同時に落胆する。
食べた人の表情が、少しの間を置いてゆがむと大当たりで大笑い。

昔よりも野菜にクセがなくなってしまったとはいうものの、
ししとうには時々苦いものが混じってる。
これを「当たり」と言っていいのか。
それとも「はずれ」と言ったほうがいいのか。

自分が食べる時は、ちょっと目で選んだりして箸を伸ばす。
家族の視線を感じながら。