まい(高橋真悠)は中学生になって間もなく、学校に行けなくなってしまう。
もう学校には行かない、と宣言したまいは、しばらくの間 母方の実家で祖母と暮らすことになる。
母(りょう)と二人で向かったのは、山奥の一軒家。
その家には、たったひとりで祖母(サチ・パーカー)が暮らしていた。
英国人の祖母と、13歳の孫の二人の生活が始まった。
祖母は静かに暮らしていた。
畑で野菜をつくり、花やハーブを育て
一見、なんの変化もなさそうで退屈そうな生活なのだけど
山の毎日には、必ずなにかしらの変化があった。
それを楽しみ
自然の恵みを受けて、ジャムを作ったり
洗ったシーツをラベンダーの上に広げて乾かしたりして
ていねいに、ゆっくりと暮らしていくのは
学校生活で、心をすり減らしたまいには、とても新鮮に感じられるのだった。
ある日、祖母はまいにそっと秘密を打ち明ける。
まいの家系は、「魔女」の家系なのだと。
りっぱな魔女になるには、精神的に強くなくてはいけない。
まいは「魔女になるためのトレーニング」をすることになる。
毎朝早起きして
ちゃんとご飯を食べて
一所懸命働いて
夜はきちんと早寝をする。
ただそれだけのことなのだけど
まいには、とても難しく思えることなのだった。
このトレーニングがまいを
正しい方向を感じるアンテナを持って
ちゃんと自分のことを自分で決められる「りっぱな魔女」に導いてくれるのだという。
どこかお客さん気分だった まいの生活に
規則正しいリズムがついてきた。
梨木香歩さん原作の物語が映画化されると知って
観にいったものかどうか、迷っていた。
原作から自分なりに膨らませていたイメージが、
映像化されることによって
まったく別のものになって目の前に映し出されたら
とっても嫌だなぁ。。と思っていたのだ。
でも、それは杞憂だったみたいだ。
思い描いていたイメージどおりの世界が、スクリーンの中に映し出されていた。
まいの「魔女修行」の中に、特別なことはなにもない。
少なくとも、わたしたち世代が育った時代には
あたりまえのこととして、毎日していたことだ。(こんなにオシャレじゃないけど)
ただ。。こういう言い方は好きではないのだけど
時代が少しづつ慌しくなってきて
食べること、眠ること
そんな必ず必要なことすらも、削らなくてはいけなくなってきている。
削ったものは、必ずツケになって、どこかに表われる。
そのツケが一番表われるのが「心」なのだと思う。
思春期と呼ばれる、子供から大人になろうとする時期。
親も子供も、ほんとうに不安でいっぱいなものだ。
子供が、友達との関係で悶々としているのは
親に、直接は言わなくても、なんとなく態度で伝わってくる。
ここで、子供が望むとおり「逃がす」べきか親は悩む。
でも「一時避難」は必要だけど
ぜったい「ちゃんと生活すること」からだけは逃がしてはいけないのだと思う。
朝、目覚める。
食べる。
動く。
夜、眠る。
正しいリズムが、心と体を強くして、また人の中に出て行く勇気を与えてくれるのだと思う。
人と人との関係の中で、傷ついたり疲れたりした心は
人との関係の中でしか癒すことは出来ないのだと思うから。
美しい自然も、時にはすごい勢いで人間に襲い掛かってくる。
自分と合う人とだけ関って生きて行けるものでもない。
自分勝手な思い込みが、自分自身を苦しめてることもあるかもしれない。
忙しくて、日々の暮らしに余裕がなくなったとき
ちょっと思い出して読み返していた物語は
イメージを損なうことなく、スクリーンの中に映し出されていた。
今までよりも、ずっと鮮明なものとして心に残る。