ビター☆チョコ

店じまい後も変わらずご訪問ありがとう。
新居をかまえましたので
お近くにお越しの際はお寄りくださいませ。

ダークナイト

2008-08-11 | 洋画【た】行

ゴッサム・シティは、バットマンことブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)が
ゴードン警部補(ゲイリー・オールドマン)の助けを得て犯罪集団をおさえこみ、平和を取り戻したかのように見えた。
しかし、バットマンの登場は「悪」の
進化を促進し、ジョーカー(ヒース・レジャー)という極悪の犯罪者を生むことになる。

バットマンの正体を知るのは、限られた一部の人のみ。
「法の外」でマスクをかぶって闘うことにバットマンことブルースは限界を感じてもいた。
そんな時、ゴッサム・シティに救世主が現れた。
新しく選出された地方検事のハービー・デント(アーロン・エッカート)だ。
すばらしい正義感と行動力を持つ男。
彼は市民に「ホワイト・ナイト」と呼ばれ親しまれ、彼ならマスクをかぶらない真のヒーローになれるのではないかと
バットマンは思い始める。

再び混乱に陥ったゴッサム・シティを救うため、3人の男が動き出す。

今さら説明するまでもない「バットマン・ビギンズ」の続編である。
前作の最後に登場を示唆されたジョーカーという謎の犯罪者が、のっけから大暴れする。
ジョーカーという男、一見ピエロにも見える奇抜なメイクで、その姿から素顔や素性を窺い知ることはできない。
。。。。というか。。本当に人間なのかと疑ってしまうような冷血非道ぶりだ。
仲間でも、用済みになったら眉ひとつ動かさずに消してしまう。
神出鬼没、どこにでも現れ
まるで人の心を読んでいるかのように、なにごとにも裏をかく。
ジョーカーが欲しいのはお金でも権力でもない。
ただただ、人が苦しむのを見るのが楽しいのだ。
その楽しみのためなら、自分の死だって恐れない。
理由や目的のない悪ほど恐ろしいものはないのだ。

もはや悪魔としかいいようのない頭脳のキレと倫理観の欠如が
バットマンやゴッサム・シティの市民を恐怖へと追い込んでいく。

理屈の通じない相手に
いったいどうやって正義を貫くのか。
バットマン、ゴードン警部補、デント検事の闘いは
それぞれの思惑もからんで、ジョーカーに翻弄され、改めて正義の意味を問われることになるのだ。

2時間半という限られた時間の中で次々と起こる事件。
ひと段落ついたと思えば、それは全くの思い違いで
また新たな展開が起こるのだった。
「息をつく間もない」というのは、こういうことを言うのか。。と思うような密度の濃い時間だった。

バットマン
ゴードン警部補
デント検事
ジョーカー
誰が主役なのか混乱するほど、それぞれの個性が際立って見えた。
緊張が続く時間の中で
バットマンの理解者であるアルフレッド執事(マイケル・ケイン)とフォックス社長(モーガン・フリーマン)
がスクリーンに姿を現す時が、唯一、ほっと和める時間なのだった。
この配役の絶妙さが、この映画に厚みと温かさを与えてるのだと思う。

そして。。。やはりジョーカ役のヒース・レジャーのことを思わずにはいられない。
正直、「ヒースの遺作」ということで公開を待ちわびていた。
しかし。。。ヒースの姿はどこにもなかった。。
後姿、背格好。。ああ。。あれはヒースだ。。と思う一瞬はあったものの
スクリーンの中にいたのは、最強の犯罪者ジョーカーだった。

過去にジャック・ニコルソンが演じたというジョーカーを観ていないのでなんとも言えないのだが
たぶん今回のジョーカーは、ヒースが一から考えて作り上げたものなのだろう。
ヒースが作って演じたジョーカーは、底知れない恐ろしさをまきちらし
ヒースの演技は、大成功を収めたのだと思う。
ただ。。私には、なんだかジョーカーが。。ヒースを連れ去ってしまったような気がして仕方がないのだ。
なにがヒースの命を奪ってしまったのか、私にはわかる術もないけど
エンドロールに流れる
「ヒース・レジャーに捧ぐ」のクレジットを見ながら、泣けて泣けてしようがなかった。

涙をこらえて
ツンツンする鼻をすすりながら外に出ると
もうとっぷりと日は暮れていた。
夏の週末の夜は、どことなく華やいでいたのだけど
夜の暗さが、いつもよりも身に沁みた。






ダージリン急行

2008-03-13 | 洋画【た】行

父親が急死してから疎遠になってしまった3兄弟が
長男のフランシス(オーウェン・ウィルソン)の強引な仕切りで、兄弟の絆を取り戻すべくインドの旅に出ることになる。
3人が乗ったダージリン急行は、ゆるゆるとインドの大地を走っていく。
レールの上を走ってる列車が、どういうわけか迷子になってしまうという、「なんでもアリ」のインドで
3人の心の旅、スピリチュアル・ジャーニーも、ときに迷走しつつも続いていく。

兄弟って同じ親から生まれて、同じ環境で育ったのに、成長するにつれて見事に個性が分かれていく。
もともと別の人間なんだから、それがあたり前といえばあたり前なんだけど
その個性があまりにも強すぎると、兄弟なだけに分かり合うための努力というか、きっかけのようなものが必要になるらしいのだ。
少なくとも、バイクの事故から奇跡の生還を遂げた長男はそう考えたらしい。

父親の葬儀にも訪れず、インドの山奥でシスターをしている母親に会いに行く、という名目で
次男のピーター(エイドリアン・ブロディ)と三男のジャック(ジェイソン・シュワルツマン)を旅に誘い出すのだが、久しぶりに顔を合わせた3人は当然のことながらしっくりといかない。
列車の中の共同生活を維持するために、協定を結んだりするのだが
三人が三人ともマイワールドで生きているので、リアルな世界には適応しにくいらしいのだ。

その三人が、「なんでもアリ」の空気で充満しているインドを旅していく。

しかし。。「なんでもアリ」のはずのインドでも、三人の問題行動は波紋を起し、ついに列車から放り出されてしまう。
いつでもどこでもマイワールドを生きるために、旅に持ちこんだたくさんのスーツケースとともに
インドの荒野に置き去りにされる三人。
この光景は、やっぱり「サン・ジャックへの道」を思い出させるんだなぁ。

旅に出たからって、人はそう変わるものでもないのかもしれない。
この兄弟だって、それぞれが抱えた問題を旅で解決したわけでもない。
でも、少し、風通しは良くなったんじゃないかな。
自分が普段暮らしている世界は、自分の匂いが染み付いていて
なにか、自分で自分に縛られてるようなところがある。
それが、顔立ちも生活も価値観も文化も違う世界に触れると
一気に窓が全開したような感じがするんじゃないだろうか。

全開した窓からは遠慮なく熱風が吹き込んでくるかもしれないし
あるいは、ここちよいそよ風が吹いてくるかもしれない。
吹き込んでくるのがどんな風であれ、今までの淀んでいた空気を間違いなくかき回してくれる。
ぐるぐると風が吹く中で、余分なものは飛ばされて
重い確かなものだけが残るのだろうね。

傷があろうとなんだろうと、人はいろんなものを抱えて生きていかなきゃいけない。
レールの上を走ってるはずが迷子になることだって、あるかもしれない。
それでも、明るくオー・シャンゼリゼ~♪と歌っていけたら
アクシデント続きの旅でも、楽しくなるんじゃないだろうか。

このきびしい世の中で
スピリチュアル・ジャーニーなんて言い出すってのが
そもそもお気楽な証拠なんだけど(笑)
3人を乗せた列車は、なんだかとっても楽しそうにインドの荒野を走っていく。

それほど大感動!!ってわけでもないけど
ちょっと淀んだ今のワタシに、とってもツボなゆる~い映画でした。

色使いもとっても美しい。
列車のインテリアやインドの猥雑な街中の極彩色と
荒野の小さな村に暮らす人々のナチュラルなたたずまいのコントラストが素晴しい。
つい、インドに行ってみたくなったりする(笑)けど
柔なワタシじゃ、きっとインドに弾き飛ばされちゃいそうだなぁ。。と思ったりもしたのでした。

本編が始まる前に
「ホテル・シュバリエ」という短編の作品がついていて
これもまたパリのホテルの雰囲気がとっても素敵。
コチラには、ナタリー・ポートマンが3男のジャックの元カノ役で登場。
3男のジャック。。見かけによらず(笑)もてるらしいのだ。なんで。。。?

もうひとつ
ビル・マーレイのカメオ(?)出演という豪華なおまけがついている。
列車を走って追いかけるビル・マーレイ扮する紳士。
急いでるはずなのに、どことなく脱力系で、この映画にぴったりとくる。

 

 

















 


ドリームガールズ

2007-02-19 | 洋画【た】行

1962年、アメリカ、デトロイト。スターを目指す3人の少女がいた。
3人の少女はドリーメッツと名乗り、
抜群の歌唱力をもつエフイー(ジェニファー・ハドソン)を
リードボーカルとしてアマチュアコンテストに出場し続けていた。
3人の歌に会場はいつも盛り上がるのだか、どうしても優勝できない。
スターになるためには才能だけでなく、チャンスが必要なのだ。
そんな時、突然チャンスが訪れた。

3人の前に現れたのは中古車販売業をしているカーティス(ジェイミー・フォックス)という男だ。
カーティスは音楽業界に進出しようと機会をうかがっていたのだ。
地元の大スター、ジミー・アーリー(エディ・マーフィー)がコーラスガールを探していることを知って
無名だが実力のあるドリーメッツに声をかけたのだ。

コーラスガールよりも自分たちがスターになりたいエフィーは、その話を断るのだが
ディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)とローレル(アニカ・ノニ・ローズ)が必死で説き伏せる。
こうして3人の夢は実現に向けて走り出した。

白人が支配しているこの時代に
黒人がのし上がっていくのは並大抵のことではなかったのだろう。
弱肉強食のショウビズの世界で必要なのは、才能だけではない。
時代を読む鋭い勘、策略、お金。
時には仲間を切り捨てていく冷酷さも必要なのだ。
挫折と孤独に耐えながら、彼女達は自分の夢を掴み取ろうとする。
そのエネルギーが全て歌となって溢れ出る。

その歌が素晴らしい。
素晴らしいとしか表現できないのがもどかしいのだが
何度も鳥肌がたった。
太ももの辺りから背中を通ってサーッと頭に向けて走るあの感覚。
生で聴いたら倒れてしまうんじゃないかと思った。
あの歌の素晴らしさは到底説明なんか出来ないし、しようとも思わない。
絶対に映画館の大きなスクリーンで大音響で確かめてきて欲しいと思う。

華やかなショウビズの世界の光と影。
こういうのはやっぱりアメリカじゃなきゃ。。と再確認させられた映画だった。









 


ディパーテッド

2007-01-26 | 洋画【た】行

犯罪者の一族に生まれたビリー(レオナルド・ディカプリオ)は、自らの生い立ちと決別するために警察官を志す。
コリン(マット・ディモン)はマフィアのボス、コステロ(ジャック・ニコルソン)の策略で警察官に仕立て上げられる。
お互いを知らぬまま、同じ警察学校を優秀な成績で卒業した二人はそれぞれの道を歩き出す。
コリンはコステロの思惑通り、マフィアのスパイとして州警察の中枢に入り込む。
一方、自らの生い立ちから抜け出すために警察官になったはずのビリーは、
皮肉なことにその「生い立ち」を買われ、マフィアへの極秘潜入捜査を命じられる。

「インファナル・アフェア」のリメイクだそうです。
残念ながらそちらは観ていないので、「インファナル・アフェア」と比べるということがないのは幸いだったかもしれません。

どちらかというと苦手な分野の映画ですが、やたらと出演者が豪華なので観てしまいました。
「ラッキーナンバー7」の時と同じようなパターンです。
でも、「ラッキー~」はジョシュが素敵だったり(笑)かなり楽しめたのですが、
こちらは正直、良く分かりませんでした。

マフィアの中に潜入した捜査官と、警察の中に潜入したマフィア。
双方の組織の中で始まるスパイ探し。
正体を知られぬように先に相手を探さなければ命はない。
その緊迫した状況のなかで、ビリーもコリンも精神的に追い詰められていきます。
ピリピリとした緊張がこちらにも伝わってきました。

でも。。。そこで止まっちゃいました。こちらの気持が。
ただピリピリしてうるさいだけ(爆)
だんだんビリーとコリンの見分けもつかなくなる始末でした。

同じマフィアに潜入したジョニー・デップ演じるドニー・ブラスコとは全然違いました。
哀愁も色気もないマフィア映画だなんて。。。

観終わった後、疲労感とともに、
「あれはどうなったんだ?」という謎がいくつか残ったり、なんともすっきりしなかったです。
いい機会だから「インファナル・アフェア」でも借りて観てみようか・・
仕事の帰りにレンタルビデオ屋さんに寄るのですが、
どうも同じようなことを考えてる人がいるらしく、いつでも貸し出し中です。
。。。すっきりしないです。







月の輝く夜に

2006-12-09 | 洋画【た】行



ロレッタ(シェール)は37歳の未亡人。
ジョニーとの結婚を1ヵ月後に控えている。
ジョニーは危篤の母親に結婚の報告をするためにイタリアへ向かう。
一人残ったロレッタは、長い間絶縁状態にあるジョニーの弟ロニー(ニコラス・ケイジ)に会いに行くのだが、二人は恋に落ちてしまう。

今日は冷たい雨が降ってますけど、ここしばらく、すごく月の光がきれいでしたね。
青いような月の光に照らされたとき、ふいにこの映画を思い出してレンタルしてきました。

1987年の映画で、たしか主演のシェールがアカデミー主演女優賞を受賞した映画です。
ハリウッド映画なのにすごくイタリア的なムードです。
物語は、ロレッタとロレッタの婚約者の弟の恋物語を軸にした
ロレッタの家族のお話です。

突然思いがけない恋に落ちてしまったロレッタは、別れを決意しながらも美しく変身していきます。
夫の裏切りに心を痛めながらも、毅然として生きるロレッタの母のローズ。
人生のむなしさを新しい恋で埋めようとするロレッタの父。
みんなが自分の弱さをちゃんと理解しながら、それでも人生を楽しもうとする姿がとても素敵です。

悩みながらも、おなか一杯食べて、恋をして。。。
人生って悪くないと思えてしまう映画です。

実は、すごーく昔に観た映画だったのですが、そのときは軽くスルーしてしまいました。
でも、とても好きなシーンがあって、心に残っていたんですね。
イタリア移民1世のロレッタのじいちゃんが、夜の犬の散歩のときに
犬と一緒に満月に向かって吠えるんです。
5匹ぐらいの犬に曳かれたじいちゃんが、摩天楼にかかる月に向かって吠えるんです。
こんな風に書くと全然素敵でもなんでもないけど、とてもいいシーンでした。

月の光に導かれたように、久しぶりに見返してみた映画でした。
日々の慌しさにちょっとイライラしてた気持が治まりました。
MOONSTRUCK。月の光にはホントに魔力があるのかもしれません。






 


父親たちの星条旗

2006-10-30 | 洋画【た】行


1945年。アメリカ軍は日本軍が地下要塞を築いて待ち構える硫黄島に上陸する。
当初アメリカ軍は5日で硫黄島を奪取するつもりだったが、日本軍の激しい抵抗にあい苦戦を強いられる。
激戦の末、アメリカ軍は硫黄島の山頂に星条旗を掲げる。
星条旗を掲げる6人の兵士達の写真は、長引く戦争に疲弊したアメリカ国民の戦争への士気を再び高めることになった。
6人の兵士のうち生き残ったのはドク(ライアン・フィリップ) アイラ(アダム・ビーチ) レイニー(ジェシー・ブラッドフォード)の3人だけだった。
生き残った3人は英雄に祭り上げられるのだが、心の中には複雑な思いがあった。

クリント・イーストウッド監督が、太平洋戦争で大激戦を繰り広げた硫黄島をモチーフに、日米それぞれの視点から映画を撮った。
アメリカ側の視点で撮ったのが「父親たちの星条旗」
そして日本側の視点で撮った「硫黄島からの手紙」が来月公開になる。

戦争というものは必ず相手があってのことだ。
自国の言い分があれば相手国の言い分がある。
戦う兵士にも一人ひとりの人生がある。
その尊さは戦勝国でも敗戦国でも変わりはないはずだ。
その両方の視点で映画を撮ろうと思ったクリント・イーストウッド監督の心意気に敬意を表して観にいってみた。

戦争映画は大嫌いだ。
戦闘シーンでは兵士がバタバタと死んでいく。
一人ひとり名前があって、家族がいて、帰りを待ってる人がいるはずなのに、
皆、だれが誰だか見分けがつかないような真っ黒な姿でバタバタと死んでいく。
それがたまらなく嫌なのだ。

この映画の中でも、生き残って「英雄」として祭り上げられた3人の心の中に、戦友が死んでいく戦場の様子がフラッシュバックのように描かれる。
さっきまで隣にいた友が一瞬のうちに死んでしまう。
激戦のなか、味方に撃ち殺されてしまう友もいる。
救おうとして救えなかった友もいる。
それなのに生き残った自分達は「英雄」として祭り上げられ、新たな戦争資金を調達するための道具として政府に利用されているのだ。
そして自分達を「英雄」にした星条旗を掲げる写真に隠された真実があることが、心に影を落とす。

リアルで激しい戦闘場面。
戦地とは遠く離れたアメリカ本土の生活。
その二つを光と影のように対比しながら、「戦争」というものの悲惨さを感じさせられた。
戦争によってアメリカの財政も破綻寸前だったという事実も興味深かった。
結局は戦争に「英雄」は存在しないのだ。
「英雄」を必要として「英雄」を作り上げたのは資金難に苦しむ政府の思惑なのだ。

彼らは祖国のために戦ったが、戦友のために死んだ。
戦地でやったことで誇れることは何ひとつない。
兵士の言葉が重く心に残る。







トリスタンとイゾルデ

2006-10-26 | 洋画【た】行



アイルランドとイギリスが敵対する暗黒の時代。
トリスタン(ジェームス・フランコ)は幼い頃に両親をアイルランド軍に殺されてしまう。
トリスタンを救おうとして右手を失ったコーンウォールの領主マーク王(ルーカス・シーウェル)に、息子同然に育てられりっぱな騎士に成長する。
しかしその平和も長くは続かず、アイルランド軍に再び攻め込まれたコーンウォールは激しい戦闘の場になる。
トリスタンの活躍で、コーンウォールは勝利したものの、戦いの傷が元で死んでしまったと思われてしまったトリスタンは海に流されてしまう。
トリスタンが流れ着いたのは敵国アイルランドだった。
瀕死のトリスタンを救い、かくまったのは敵国の王女イゾルデ(ソフィア・マイルズ)だった。
そして二人は愛し合うようになる。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の元になったケルトの伝説だそうです。
敵対する国の男女が愛し合い、過酷な運命に翻弄されるという悲恋の王道ともいえるストーリーです。
一度は別れを決意した二人が、皮肉な形で再会するところから悲劇が始まります。
政略結婚でトリスタンの父ともいえるマーク王の元にイゾルデが嫁ぐことになったのです。

マーク王がとんでもない男だったら、これほど二人が悩むこともなかったかもしれません。
しかしマーク王は領民を愛し、土地を愛し、何より敵国からやってきた妻を愛し、慈しんで育てたトリスタンにも絶大な信頼をおいていました。
許されない恋とマーク王への裏切りという後ろめたさが二人をどんどん追い込んでいきます。
そして許されない恋が発覚した時、国を滅ぼすような戦闘が始まってしまうのです。

歴史物を見るとき、その歴史の背景について知識がないと入り込めないことがあるのだけど、
この作品はさりげなくこの時代のイギリスとアイルランドの関係について説明があったりしたので、戸惑うことなく入り込めたような気がします。
荒涼としたアイルランドの風景や、荘厳な衣装。騎士の甲冑。光を抑えた映像がとても美しく、その時代をリアルに描いています。
派手さはないのですが、じっくりと悲恋の中に浸っていくような感じがします。

涙もろいくせに、いかにも「泣かせます」的な映画は嫌いなので、この悲劇の王道ともいえる映画はちょっとどうかなぁとも思ったのですが、余計な心配でした。

美しく聡明なお姫様。凛々しい騎士。悪人面の悪役。いかにも裏切りそうな人物。
キャラクターの設定もきっちりとして、しかもそれがわざとらしくないので最後まで物語に引っ張られます。
そして不思議なのは、これほど悲劇の王道ともいえる物語なのに、涙もろい私が一滴の涙も流すことなく終わったということです。
確かに二人は悲しい結末を迎えるのだけど、後味は決して悪くないのです。
やれるだけのことはやった。というさわやかさすら感じていたのかもしれません。
そのさわやかさの影にあるのは、信じていた二人に裏切られ、それでも二人を許すマーク王の寛大さだったかもしれません。

物思う静かな秋にふさわしい、格調のある映画でした。





 


太陽

2006-09-30 | 洋画【た】行



ロシアの監督アレクサンドル・ソクーロフ監督が、第2次世界大戦末期から終戦直後にかけての昭和天皇ヒロヒト(イッセー尾形)の苦悩を描く。

日本での公開は難しいだろうといわれていたこの映画が日本で公開され、大評判になったのが8月のこと。
銀座シネパドスの単館上映で朝早くから並ばないと観ることができない状態だったので
あきらめていたのだが、最近近くのシネコンでも上映するところが出てきたので早速行ってみた。

映画は「神でないのに神のように振舞わなければいけない立場に生まれたものの悲喜劇」を描いていたように思える。
虚構なのか、それとも史実に忠実なのか。
歴史的なものを求めて映画館に足を運んだ人は?と思うだろうし、
ましてや娯楽を求めて映画館に足を運んだ人は眠るしかなかったことだろう。
誰も天皇ヒロヒトの心のうちなど分かるはずもないのだから、推測にしか過ぎないのかもしれないけれども、イッセー尾形の演技がすごい説得力を持つ。

昭和から平成に変わってもうすぐ20年。
若い人たちにはなじみのない昭和天皇の姿だけれども、イッセー尾形はまるで昭和天皇そのものだった。
「あっそう」の口癖も、いつも口をちょっとパクパク動かしている仕草も。

日本人の監督では絶対撮れなかった映画だと思うけど、「天皇」の役は日本人でなければできなかったはずだ。
「天皇ヒロヒト」を演じるというひとつのタブーを軽々と破ってしまったイッセー尾形の演技を観るだけでもすごく満足できた。

それにしても撮るのが大変な映画だけど、感想も書きにくい映画だ。
映画が終わって、隣にいた夫に言った言葉が
「天皇はマッカーサーに自分の命と引き換えに国民を救ってくれるように頼んだんじゃないの?」だった。
映画の中では私の中の想像ではヤマとなるはずの場面がなかったのだ。
映画の中でマッカーサーと会ってる時の天皇は命乞いはしないけれども、巧みに話が核心にふれるのをかわしているように見えたのだ。
「現人神」と崇められながらも、実際には大事なことの決定権を持てなかった天皇の苛立ち、後悔、
そして「人間」としての弱さ、のようなものを感じた場面だった。
「あっそう」というどこか他人事のような口癖も、現人神という立場が作った処世術のようなものだったのかもしれない。


旅するジーンズと16歳の夏

2006-08-10 | 洋画【た】行



ティビー(アンバー・タンブリン) リーナ(アレクシス・ブレーデル) カーメン(アメリカ・フェレーラ)
ブリジット(ブレイク・ライブリー)の4人は、母親がマタニティ教室で知り合って以来、生まれる前からの友達。
性格は違うけど、どんな時でも助け合ってきた大親友。
16歳の夏休み。
彼女達は初めてそれぞれ違う場所で夏を過ごすことになる。
リーナは祖父母の住むギリシャへ。カーメンは離れて暮らす父の家へ。ブリジットはサッカーの合宿でメキシコへ。
何も予定のないティビーは地元のスーパーでバイトをする。
それぞれの出発前日、買い物に出かけた4人は不思議なジーンズを見つける。
体型の違う4人の誰が履いても素晴らしくフィットするのだ。
幸運をもたらす魔法のジーンズだと確信した彼女達は、ひと夏の間ジーンズを共有することに決める。
一人が1週間履いたら、ジーンズを履いてる間に起きた出来事を書き添えて、次の人にジーンズを送るのだ。

一本の魔法のジーンズが、離れ離れになった彼女たちの夏を結ぶことになる。

良かった~
もしかしたらこれは魔法のDVDだったのかもしれない。

いつの頃からか、夏は「なんとか乗り切るもの」になっていた。
思わず遠い目になってしまうけど、10代の頃の夏はもっとキラキラしてワクワクするものだったのだよね。



美人で活発なブリジットは、母親の死を受け止められずにいるのにそんな自分を隠している。
しっかり者のカーメンは、父の再婚に動揺する。
引っ込み思案のリーナは、自分を解放出来ないことに悩み、
クールなティビーは小さな友達との出会いと別れに心を痛める。
それぞれ離れた場所で経験した痛みや悩みでも、友達が手を差し伸べてくれる。
自分の力で自分の問題を正面からクリアした彼女達の夏は、うらやましいくらいにキラキラ輝いて、
「青春」を遠く離れてしまったオバちゃんを泣かせてしまうのだ。

ジーンズは魔法のジーンズだったのか。
魔法であろうとなかろうと、お互いを思う気持ちが彼女達を強くしたのだと思う。
気持ちをつなぐ絆。メッセンジャー。
それがあのジーンズだったんだね。

原作は児童文学の「トラベリング・パンツ」 作者は 
アン・ブラッシェアーズ。
現在パート3まで出てて、パート4で完結の予定だそうです。
彼女達と同じ年頃の子が見たら共感できるだろうし、
遠く過ぎ去ってしまった私達も、ほろ苦さと輝きをあわせ持った夏の日を懐かしく思い出せる作品です。

ティービーの白血病に冒された12歳の友達がビデオに残した言葉。
あまりにも良かったので、ちょっとここに置いていきますね。

結局誰でもダメなとこあるよね。

幸せは大きく成功した時より、ちょっとした時に感じるもの。

スケボーの技をひとつ覚えるとか、このジーンズを履く時や

ゲームで先に進むとき、後悔せずに前向きになれる時。

なんとかがんばる。それでいいよ。



良い夏を♪








トランスアメリカ

2006-07-23 | 洋画【た】行


ブリー(フェリシティ・ハフマン)はひっそりとつましく暮らしている。
もうすぐ長年の夢が叶う。
夢とは完全な「女」になること。

ブリーはトランスジェンダー(性同一性障害)で、完全な女になるための最後の手術を1週間後に控えているのだ。
そんなブリーに突然17歳の息子の存在を知らせる電話がくる。
どうやらブリーが「男」でスタンレーという名前だった頃に、ただ1度だけの間違いから出来た子供らしい。

麻薬と売春でニューヨークの留置所に入れられてるという息子トビー(ケヴィン・セガーズ)を引き取りに行ったブリーは、行きがかり上、自分が父親だと明かさないままニューヨークからブリーの暮らすロスまでトビーと二人でアメリカ横断の旅に出ることになる。


公開初日の初回。
シネスイッチ銀座の前は列が出来ていました。
立ち見も出た様子でした。

お父さんだけど外見はお母さんのような、そして他人のふりをしてるブリーと、
親の愛を知らずに実の父を探そうとするトビーの珍道中。
二人の関係は恐ろしく複雑で、二人の置かれた状況はかなり悲惨だ。
ブリーはトランスジェンダーの仲間はいるけど、実の両親とは絶縁状態だし、
トビーが家出をして麻薬や売春に手を出した背景には、どうやら実母の自殺と継父からの性的虐待があるらしい。
どこまでも暗く深刻にできそうな題材をポジティブに描いている。

自分の性に違和感を持ちながら生きるということがどういうものなのか、想像すら出来ないのだけど。
自分の性を変えるという決断が、どれほど親や兄弟に波紋を投げるかというのは分かるような気がする。
衝突を避けるために離れて暮らしても、心の底ではいつだって気にかかってるのが親子。
恥じたり隠したりせずに、ありのままの自分を受け入れてもらうことが大切で、
そこから本当の愛情や信頼が生まれるのだろう。

エンディングに流れるドリー・バートンの歌。

行き先を知らなくても進むだけ
私というパズルを完成させるために
神は理由あって私を造られた
何度も転びながら
ただ今は旅を続けるだけ

。。。泣くつもりは全然ないのに。。。不覚にも涙がでた。。。。
悲しいわけじゃない。なぜか清々しい気持ちだった。

さて主演のフェリシティ・ハフマン。
ドラマ「デスパレートな妻たち」で主演している女優さんだそうなのだが
観てるうちにホントに「元おとこ」に見えてしまって、混乱してしまった。
演じた彼女自身も自分が男なのか女なのか分からなくなったほどらしいので、
かなり入れ込んで役作りをしたのだろう。

そしてトビー役のケヴィン・セガーズ。
私は今回初めて彼を知ったのだけど
「リバー・フェニックスの再来」と言われてるそうだ。



リバーというよりも、ちょっと私はガエルを思い出してしまった。
潔すぎる脱ぎっぷりとか(爆)目の力強さとかに。
これから彼がどんな役を選んで演じていくのか楽しみだ。