父親から受け継いだ司法執行官という仕事に疲れ果てているジャン=クロード(パトリック・シエネ)。
それでも、その仕事を自分の息子に継がせようとしている。
妻は去り、犬と暮らし、仕事は辛く、週末は気難しい父親を老人ホームに訪ね、それで1週間は過ぎてしまう。
同じ1週間を繰り返すうち50才を過ぎてしまった。
唯一の息抜きは、事務所の窓から見えるタンゴ教室の音楽に合わせて、タンゴを踊る真似事をするだけ。
そんなある日、ジャン=クロードは医者に健康のために運動することを勧められる。
ジャン=クロードは、あのタンゴ教室のドアをたたいた。
ここまで観ると、どうしても「Shall We Dance」を思い出すのだけど、ここに現れた男は
行き詰ってるとはいえ、どこか男の色気のようなものをとどめていた役所さんでもリチャード・ギアでもなく
50才というのが嘘みたいな、色気どころか水分もなくなってしまったような、とことん疲れたおじさんなのだ。
その干からびたようなジャン=クロードは、タンゴ教室でフランソワーズ(アンヌ・コンシニー)と出会う。
帰り道、フランソワーズに話しかけられたジャン=クロードは、彼女が幼い頃、近くに住んでいた小さな女の子だったことを知って驚く。
古い知り合いだった気安さと、タンゴのパートナーを組むことで、二人の間は急速に近づいていく。
ジャン=クロードはフランソワーズに恋心を抱くようになる。
しかし、フランソワーズは迷っていた。
ジャン=クロードには黙っていたが、結婚式にタンゴを踊るために教室に通ってきていたのだ。
でも、婚約者との間はしっくりいっていない。
ジャン=クロードに惹かれていく気持ちが、単なるマリッジ・ブルーから来るものなのか
あるいはファザー・コンプレックスのようなものなのか。
そして、その事実をジャン=クロードが知ったとき。。。。
恋というものには、いくつになっても心を揺らすものなのですねぇ。
50歳を超えた男と
そしてこちらもすごく若いとは言えない女が
ふと、出会って、仄かな恋心を抱きあう。
もし、二人が踊るのがタンゴじゃなかったら、たとえばワルツとかルンバとかだったら
二人の出会いは「恋」に発展しなかったんじゃないかと思う。
寄り添って、息を合わせ、流れる音楽に合わせて体を揺らす。
流れる音楽は、どこか孤独と哀愁を帯びていて、情熱と官能を感じさせるアルゼンチンタンゴ。
初めはどこかぎこちない二人の踊りが
徐々に打ち解けて、肩にまわす手にどこか熱を帯びてくる様子は、見ていてもドキドキするのだ。
大人の恋には、いろいろ付録がついてくる。
抱えている問題の多さが、二人が別々に歩いてきた今までの人生の長さを感じさせる。
二人の恋の行方を追うだけじゃなく
映画は、ジャンと息子、ジャンと父親の関係にも軸をおいている。
見事に不器用さが受け継がれている男三代は、
誰もがお互いを想いながらも言葉や態度に出せないでいる。
分かりあうためには
どんなに近しい間でも、時には言葉が必要なものなのかもしれない。
愛されるのを待っていても、気持ちが届かないこともある。
愛されるためには、自分からドアを開けなくてはならないのだ。
「愛されるために、ここにいる」という邦題がついているけど、
元々は「愛されるために、ここにいる訳じゃない」という題名なのだそうだ。
なにもしなくても
ただそこにいるだけで、愛されるのももちろん素敵なことだけど
待ってるだけじゃなく
自分から一歩踏み出せば、もっと人生の楽しみは深くなるかもしれない。
これ、買って。。
。。そう言われたのが、この洗剤。
は
フロッシュ・ビネガークリーナー。
。。。。この苦しい時期に(苦笑)
洗剤に1000円かよ~。。と一瞬思った。
けど、すぐ思い直した。
その日は、洗面台とお風呂の掃除がまだだったので
「買うけど、効果は自分でためしてね。」
そういう条件で買った。
あれから数週間。
平日は無理だけど
週末はずっとツレが洗面所と風呂の掃除をしている。
あの時、945円は痛かったけど
案外、いい買い物だったかもしれない(笑)
ビネガーという名前のとおり
酢の匂いがします。
かなり薄めて使うので
買うときは高い、と思うかもしれないけど
経済的かもしれないですね。
環境問題と掃除には定評のあるドイツの洗剤です。
肝心の効果はどうなんでしょう。。
たまった汚れを一気にきれいにする。。というよりは
こまめに掃除して、強力な洗剤を使うようなことがないようにしましょう。
そういう洗剤かな。
フロッシュというのはカエルのことだそうです。
汚れた環境に住めないカエルにも優しい洗剤。
でも、私の手にはちょっと優しくないかも。
ゴム手袋をつけて、どうぞ♪
見かけはナンですが。。
味はちゃんとシナモンロールです。
あら。。失敗かしら。。と思ったら
画像をのせないのが
大人というものなのでしょうが
記念すべき1作目だから
多少の失敗には目をつぶって、画像載せます!
フライパンで焼いた、シナモンロール1号です。
この黒いのは「こげ」じゃなくて、シナモンなんです。
なんでこんなことになったかというと
レシピを斜め読みしたからです。
生地を伸ばして、シナモンバターを塗るとき
端まで塗っちゃ駄目なんですね。
溶けて流れてくるから。
身をもって体験したから
今度は大丈夫。。だと思うよ。
シナモン
なんかすごく「こじゃれた感」がありますが
昔は「ニッキ」って言ってたんじゃないかなぁ。
シナモンとニッキじゃ
別物の感じがしますね。
今は、シナモンロールを食べるぐらいだから
キライじゃないけど
子供の頃は苦手だったなぁ~
子供の頃のある時期
うちにはなぜか「浅田飴」の「ニッキ」と「クール」が
いつもあって。
きっと家族の誰かが好きだったんでしょね。
「クール」はよろこんで食べたけど
「ニッキ」なんかぜーったい食べなかったな。
薬くさくって。
突如、蘇る記憶(笑)
今も「浅田飴」って売ってるのかなぁ~と思って
検索してみたら
ちゃんと売ってるのね。
なつかしい~、この缶♪
種類も「パッション」とか増えてるみたいだし
根強いファンがいるんだね。
今度、マツキヨ行ったら探してみよ。
。。。あ。。また話が飛んでしまった。。。。
1930年代の終わり、第2次世界大戦が始まろうとする頃のこと。
アメリカの名門大学イェール大学の優秀な学生だったエドワード・ウィルソン(マッド・デイモン)は、
サリヴァン将軍(ロバート・デ・ニーロ)の目に留まり、現在のCIAの前進であるOSS(米軍戦略事務局)の発足に関っていく。
物語は、冷戦下、キューバのカストロ政権の転覆をもくろみながら失敗した、ビスク湾侵攻作戦失敗の原因を究明していく「現在」と
OSSとして発足してCIAへと組織が成立していく「過去」の時制を行き来しながら進んでいく。
優秀な学生だったエドワードは、図書館で耳の不自由なローラ(タミー・ブランチャード)と知り合い、惹かれていく。
しかし、その一方で同じ秘密結社「スカル&ボーン」の一員であるジョンの妹クローバー(アンジェリーナ・ジョリー)とも関係をもってしまう。
クローバーの妊娠でローラとは別れ、生まれてくる子供のために結婚したものの、結婚式の1週間後にはOSSの活動のためロンドンに渡り、その後6年間はアメリカの地を踏むことはなかった。
エドワードJrと名づけられた息子は、父の顔を知らずに少年に成長していた。
6年ぶりに会う夫と妻。初めて会う父と息子。
互いにどこかぎこちない生活が始まる。
仕事は多忙を極め、家族にすら言えない重い仕事は
家庭にいつも秘密の匂いを持ち込んだ。
家庭の中には、どこか冷え冷えとした空気が漂っていた。
国を守るということは、いったいどういうことなのだろう。
個人が集まって家族になり
その家族がいくつもいくつも集まったのが「国」なのだと思う。
「国」を守るために、家庭が犠牲になるのなら、いったい「国」を守る任務についている人たちは
なにを守っているのだろう。
イタリア人には家族と教会がある。アイルランド人には故郷がある。ユダヤ人には伝統がある。
黒人には音楽がある。あんたたちにはなにがあるんだ。
そう訊かれて
アメリカ合衆国、と答えた男は
国を守るために寡黙に徹した。
その妻も、若い頃の奔放さは嘘のように消え
どこか疲れた表情の女になった。
息子は父をどこかで恐れながらも憧れ、追いつきたいと願い同じ仕事につく。
そしてその選択が
父親のエドワードに大きな問題を突きつけることになる。
この物語はビスク湾事件を軸に描かれているが
エドワード・ウィルソン家族の物語なのだと思う。
大きな事件を題材にしながら
奇をてらわず、じっくりと役者の表情を追っていくような描き方には
静かな怖さを感じた。
マッド・デイモンの寡黙だが冷徹になりきれない様子がいい。
アンジェリーナ・ジョリーの奔放な娘から、疲れた女に変化していく様子がいい。
エドワード(マッド・デイモン)の片腕として働くレイ(ジョン・タトゥーロ)のあまりの怖さには泣きたくなった。
ウイリアム・ハートはやっぱりうさんくさいし
「善き人のソナタ」や「マーサの幸せレシピ」のマルティナ・ケディックがドイツ人秘書役で出ていたのも
嬉しかった。
3時間弱の長尺で、行き来する時制に時々苦しみながらも見応えのある映画だった。
ディカプリオの代役?とか訊いた気がするけど、これはマッド・デイモンが適役だったんじゃないかと思う。
マッド・デイモンの息子の役をやった彼。。名前は知らないけど(爆)
どこか気の弱そうな、いつも人の顔色を伺ってるような様子は、ああいう秘密の多い家庭に育つと
なるほど、こういうふうな男の子になるのかなぁ~と思いつつも。。
ちょっとCIAから声がかかるような優秀な子に見えなかった。。かな。
もし観にいくなら
いつものことながら(苦笑)少し予備知識があったほうがいいかもしれない。
少なくともFBIとCIAの違いぐらいは知ってたほうがいいかも。(え?常識なんですか?/汗)
それから、「おじさん」の見分けがつけられない方は絶対苦しむと思いますので(笑)
ご注意ください。
ホワホワうさぎも大好き♪ホワホワカーペット。
敷物を冬仕様に変えたら
カーペットの上から動きませぬ。
保護色だから(笑)
どこからどこまでうさぎなのか
遠目には
一瞬、見分けがつきませぬ。
突然、床の一部が動き出す様子は
かの映画の。。。
呪われた船に囚われた海賊達が
100年という長い月日を船で過ごすうち
体が船に同化して、壁と見分けがつかなくなるという
あのシーンを思い出して
なんだか笑えるおかあさんなのでした。
頭の中は
この冬に会える
恐ろしげで哀しげな男のことでいっぱいでも
心の中には
夏の名残のように
まだ、あの、口八丁手八丁の愛すべき卑怯者が
居座っているんですね。(苦笑)
。。うさぎの話から
いつものように大脱線。
秋の夜長は
のんびりしてるようで
頭の中はめまぐるしく動いているようですね。
良い夜を♪
めっきり寒くなりましたね。
夕飯の献立も、煮込んだりするものが増えてきました。
グラタンも具を変えて
登場頻度が高くなりました。
で、また買い物の話ですが(苦笑)
グラタン皿、新調しましたん♪
今までのはパイレックスの耐熱ガラスだったので(もらいもの)
グラタンなのに、どこか寒々しかったんですよね。
色に一目惚れして
でも、1色に絞れなくて
悩んだ挙句の、バラバラの色4色買い、です。
エミール・アンリ。
フランスの耐熱陶器です。
あのル・クルーゼよりは、ずっとお手ごろ価格です。
最近、お茶したときに
そこで食べたガトーショコラが、
ぽってりとした深みのある色のお皿にのって出てきたので
おもわずお皿を持ち上げて底のネームを確かめてみたら
エミール・アンリのお皿でした。
こんな濃い色のお皿にケーキをのせるなんて
私にとってすごく新鮮だったので(それがまた素敵だった)
。。。お皿も欲しくなりました。。。
実は、ミニカップも欲しい。。。朝のヨーグルトを入れたら可愛いんじゃないかと思って。
昔は、ぽってりしたお皿とか好きじゃなかったのに
最近は、なぜか好きになりました。
好みって変わるんですねぇ。
芸術の秋と食欲の秋を同時に体験した日でした。
ランチの後、国立西洋美術館の「ムンク展」に行ってきました。
ムンクといえばあまりに有名な「叫び」ですが(「叫び」の展示はありませんでした)
今回の展覧会はムンクの装飾画家としての一面にスポットをあてているようです。
子供部屋の絵だとか
チョコレート工場の社員食堂の絵だとか
あの「叫び」とは違った柔らかいタッチのものもありました。
子供部屋の装飾のための絵は、
依頼主のリンデン氏が
子供部屋の絵だから
子供部屋にふさわしく、男女が愛し合う姿なんかは描かないでね。
わざわざ念押ししたのに描いちゃって
リンデン氏から絵をつき返された、といういきさつがあったらしく
ちょっと笑えました。
いくら子供部屋の装飾のためでも、
自分が描きたい「愛」や「死」や「不安」を
取り除いて絵を描くということが出来なかったのだろうなーと
ムンクの画家としての一貫した姿勢のようなものが感じられました。
柔らかいタッチの絵があっても
やっぱり圧倒的に負のパワーを感じるムンクの絵の数々。
いつもなら
ミュージアムショップでポストカードの一枚も買うところなのですが
さすがに。。。
あまり家に飾っておきたくはない。。ですね。
なにも買わずに帰ってきました。
どちらかというと
ムンクの絵は、心象風景のようなものなのでしょうね。
パッと見ても何を描いているのかわからない。(私には)
独特のムンクの世界の迫力に圧倒はされても
私にはちょっと重すぎたようでした。
同じ北欧生まれでも
マリメッコやイッタラだと
単純明快、すっきりとしてて可愛くて好きなんですけどね。(絵じゃないけど/苦笑)