今年の夏は7月に入った途端に入院してしまったし、6月はなんだかんだとバタバタしていてあまり写真も撮りに行けないまま。
蝉の声もまともに聴いていなければトンボの姿もほとんど見てない、6月末に髪を切りに行った時にちょっと石神井公園を通っただけ。
今年は朝早くに蝉やトンボの羽化や、甲虫類を探しに坊ちゃんを連れて行こうかなんて画策してたんですけどねぇ…
何だか季節感がないまま夏を迎えてしまったという感じで、虫の気配を感じないままっていうのはなんとも落ち着かないなぁ。
通院ウォーキングの合間なんかにも畑でモンシロチョウとか見つけたぐらいで、春から夏への生き物の写真がほとんど無いですね。
まぁ、退院してからどこまで体力が回復するかで、多少はカメラ背負って歩けるかもしれませんけど…
8月中は難しいかなぁ?投薬も始まるんだろうし、いくら副作用はほとんど無いって言ってもねぇ…
さて、「癌」宣告を受けて一番最初に考えたのは、食べられなくなることへの恐怖。
状況によっては好きなものを自由に食べられなくなることもあるかもしれないというのがそれ。
いろいろなリスクを背負っての手術であることもあり、ある程度「最悪のケース」も想定するとそういうことに。
そこで、人生の最後に何を食べたいか?あと数日となった時に食べておきたいものは?
いざとなるとなかなか決められないですよねぇ、アレも食べたいコレも食べたいで…
そんな中からどうしてもと思いついた数軒をピックアップして、時間を作って出掛けたお店の一つがココッ!
生まれ育った地元の、もう無くなってしまった通っていた幼稚園の裏にいまも以前のままの面影を残している「グリル ビクトリヤ」です。
いや40年近く前の思い出の景色そのままですねえ、ここだけがじかんが止まったままのような感じがします。
近所にあった喫茶店なんかも無くなってしまって、残っているのはこことすぐ向かいの「鰻屋さん」だけになってしまったようです。
先月Blogをサボっていた時に「裏メニュー」の方でスタートした、「想い出の味巡り」企画。
そのスタートに選んだのもこのお店でした。
何しろ物心ついて「外食」を意識し始めた最初のお店がここと根岸の「香味屋」という環境でしたからねぇ。
なぜか小学校の低学年の頃の想い出として鮮明に残っているのが、この店の中の光景。
自分の中では唯一といっていい、父と2人「だけ」の映像。
なんでそういう状況になったのかなんて全然記憶にないんですけどね、覚えている限りで経った1度の出来事です。
その時に目の前にあったのもこの「ヒレしょうが焼きセット」でした。
あんなに「ハンバーグ」や「メンチカツ」が好きだったのに、これだったのはたぶん父にそうしなさいって言われたからでしょうか?
初めて食べた「しょうが焼き」のなんとも言えない「辛さ」が、今もその時の店の中の様子にダブっています。
たぶん家で食べる「しょうが焼き」とは全くの「別物」だったんですよね。
肉自体も「ヒレ」なんてそれまでは知らない世界の食べ物だったわけだし、味付けだって全然違うものな訳で。
それはそれは衝撃的で「これがホンモノの味」何だと、たぶんそういう認識すらないままに。
タップリのしょうがを使って独特の甘辛に仕上げたタレの味と、「ヒレ」の柔らかな歯応えはまさにいわゆる「しょうが焼き」とは全くの別物。
もう40年以上もこの味がここの最大の魅力であったことは間違いありません、付け合わせのポテトサラダなんか涙が出そうになりました。
これからもこの味がオリジナルとして継承されていくでしょう、それが伝統というものなのだと思います。
自分には父と2人きりで遊んだ記憶というものがありません。
ブンヤだった父とは擦れ違いの生活だったんだと思いますし、父が家にいた姿もあまり覚えていないのも事実です。
今となってはどうして2人きりで「しょうが焼き」だったのか、その真意を知ることさえ出来ません。
でも、自分の中にはこの味とともにしっかりと記憶の中に残っているのです。
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蝉の声もまともに聴いていなければトンボの姿もほとんど見てない、6月末に髪を切りに行った時にちょっと石神井公園を通っただけ。
今年は朝早くに蝉やトンボの羽化や、甲虫類を探しに坊ちゃんを連れて行こうかなんて画策してたんですけどねぇ…
何だか季節感がないまま夏を迎えてしまったという感じで、虫の気配を感じないままっていうのはなんとも落ち着かないなぁ。
通院ウォーキングの合間なんかにも畑でモンシロチョウとか見つけたぐらいで、春から夏への生き物の写真がほとんど無いですね。
まぁ、退院してからどこまで体力が回復するかで、多少はカメラ背負って歩けるかもしれませんけど…
8月中は難しいかなぁ?投薬も始まるんだろうし、いくら副作用はほとんど無いって言ってもねぇ…
さて、「癌」宣告を受けて一番最初に考えたのは、食べられなくなることへの恐怖。
状況によっては好きなものを自由に食べられなくなることもあるかもしれないというのがそれ。
いろいろなリスクを背負っての手術であることもあり、ある程度「最悪のケース」も想定するとそういうことに。
そこで、人生の最後に何を食べたいか?あと数日となった時に食べておきたいものは?
いざとなるとなかなか決められないですよねぇ、アレも食べたいコレも食べたいで…
そんな中からどうしてもと思いついた数軒をピックアップして、時間を作って出掛けたお店の一つがココッ!
生まれ育った地元の、もう無くなってしまった通っていた幼稚園の裏にいまも以前のままの面影を残している「グリル ビクトリヤ」です。
いや40年近く前の思い出の景色そのままですねえ、ここだけがじかんが止まったままのような感じがします。
近所にあった喫茶店なんかも無くなってしまって、残っているのはこことすぐ向かいの「鰻屋さん」だけになってしまったようです。
先月Blogをサボっていた時に「裏メニュー」の方でスタートした、「想い出の味巡り」企画。
そのスタートに選んだのもこのお店でした。
何しろ物心ついて「外食」を意識し始めた最初のお店がここと根岸の「香味屋」という環境でしたからねぇ。
なぜか小学校の低学年の頃の想い出として鮮明に残っているのが、この店の中の光景。
自分の中では唯一といっていい、父と2人「だけ」の映像。
なんでそういう状況になったのかなんて全然記憶にないんですけどね、覚えている限りで経った1度の出来事です。
その時に目の前にあったのもこの「ヒレしょうが焼きセット」でした。
あんなに「ハンバーグ」や「メンチカツ」が好きだったのに、これだったのはたぶん父にそうしなさいって言われたからでしょうか?
初めて食べた「しょうが焼き」のなんとも言えない「辛さ」が、今もその時の店の中の様子にダブっています。
たぶん家で食べる「しょうが焼き」とは全くの「別物」だったんですよね。
肉自体も「ヒレ」なんてそれまでは知らない世界の食べ物だったわけだし、味付けだって全然違うものな訳で。
それはそれは衝撃的で「これがホンモノの味」何だと、たぶんそういう認識すらないままに。
タップリのしょうがを使って独特の甘辛に仕上げたタレの味と、「ヒレ」の柔らかな歯応えはまさにいわゆる「しょうが焼き」とは全くの別物。
もう40年以上もこの味がここの最大の魅力であったことは間違いありません、付け合わせのポテトサラダなんか涙が出そうになりました。
これからもこの味がオリジナルとして継承されていくでしょう、それが伝統というものなのだと思います。
自分には父と2人きりで遊んだ記憶というものがありません。
ブンヤだった父とは擦れ違いの生活だったんだと思いますし、父が家にいた姿もあまり覚えていないのも事実です。
今となってはどうして2人きりで「しょうが焼き」だったのか、その真意を知ることさえ出来ません。
でも、自分の中にはこの味とともにしっかりと記憶の中に残っているのです。
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