本書には昨年行われた9・29県民大会のことが、ほんの少しだけ出てくる。本書で議論されている内容からして、もっと論じられてもよさそうだが、参加者は2万人だった、といういつものデマで小林がケチツケしている程度だ。ただ、一点集中的に取り上げられているのが、県民大会での二人の高校生の発言である。
沖大教授の宮城能彦は、「あとがき」でこの高校生の発言を取り上げ、自分の日記に書いたという〈稚拙な詩〉を載せている。高校生への問いかけという形を取っている宮城の〈稚拙な詩〉なるものを読むと、まるで高校生たちが教師や新聞の主張を鵜呑みにして、自分では何も調べず考えもせず盲信しているかのように描いている。フィールドワークが専門であるらしい宮城は、はたして二人の高校生や学校の教師たちに聞き取り調査を行ったのだろうか。
9・29県民大会のあと、大会で発言した二人の高校生が通う読谷高校の教師たちと話す機会があった。歴史教科書を実際に使うのは高校生であり、当事者である彼らの発言も必要ではないかということで、希望者が募られたというが、予想以上に希望者が多かったという。選考を経て二人の生徒が選ばれたのだが、教師の側も慎重だった。読谷高校ではかつて、卒業式での日の丸掲揚をめぐって混乱があり、生徒に嫌がらせが加えられたことがあった。県民大会で発言することによって嫌がらせがあるかもしれない。二人のその後の人生にも影響を与える。そういうことも議論しながら、それでもやりたい、という意思を確認し、生徒に不利益となることがないように配慮しながら、教師たちは二人を送り出したという。
二人を含めて発言を希望した生徒たちは、どのような思いだったのだろうか。「集団自決」は読谷村でもあった。「チビチリガマ」で犠牲になった住民を身内に持つ生徒もいれば、家族から話を聞かされた生徒もいる。読谷村では小・中学校の平和学習でも「チビチリガマ」について学んでいる。そういう地域的特性を持つ高校生として、教科書検定問題についても生徒たちは高い関心があったという。呼びかけに答えて生徒たちが書いてきた文章を教師たちは読み、生徒たちと議論もして、二人が選ばれているのである。宮城が〈稚拙な詩〉で書いている内容は、事実関係は何も知らずに、高見から一方的に決めつけいるだけにすぎない。
二人の高校生の発言に対する評価は人それぞれだろうが、当日会場で聞いていた私には、高校生という立場から率直な気持ちを語っていると思えた。高校生の発言に未熟さや論理の単純さがあったとしても、それはまだ学習の途中であり、人生経験も浅いのだから当然のことだ。いずれ彼らが大学で学び、社会で経験を積んでいく中で、それは克服されていくだろう。いま彼らが真実と思っていることも、これから得る知識や経験を通して認識が変わっていくだろうし、沖縄戦についてもこれから学んでいくにつれ、知識や認識はさらに深まっていくだろう。
そういうふうに考えながら、高校生の発言を見守るのが「大人の目」であり、態度ではないか。県民大会に参加した大人たちも、そういう思いを抱きながら、高校生の発言を見守っていたのではないか。ましてや教育職にある者なら、そういう配慮や余裕を持って生徒の発言を見守るのが、本来あるべき態度であろう。
ところが、宮城教授は高校生の発言を聞いて、〈目眩を覚えた〉のだという。そのショックから思わず〈稚拙な詩〉を書いたというのだが、その中には次のような一節がある。
〈高校生が、
「真実を曲げないでください」
「私たちは真実を学びたい、伝えたい」
「真実を伝えていこうと思います」
と、アピールしている。
君たちは、その真実をどのようにして知ったのか?
自分で調べたの?
どんな立場のどんな人からどんな話を聞いたの?
聞き取り調査をするための基本的な訓練は受けたんだよね。
基本的な文献はどれくらい読んだの?
世界史や日本史の教科書くらいは通読したんだよね。〉(『誇りある沖縄へ』227~228ページ)
高校生が使った「真実」という言葉に反応して突っ込みを入れているのだが、40代後半でとうに「中堅」に達した大学教授の、この反応は何なのだろうか。先に述べた「大人の目」や「教育職」としての「配慮や余裕」などまるでなく、高校生を〈稚拙な詩〉で問いつめている。
社会学を専攻する大学教授から、直接そういう質問をぶつけられたら、たいていの高校生は答えに詰まってしまうだろう。高校生が沖縄戦について自分で調べたり話を聞いたにしても、それには自ずから限界がある。高校のカリキュラムにないのだから、聞き取り調査の基本訓練など受けているはずもない。基本的な文献がどの範囲を指しているか不明だが、それを読んでいる量も知れているだろう。世界史や日本史を選択しているとも限らない。
しかし、そんなことは最初から分かりきったことだ。未熟であることが分かっている高校生にこういう質問を投げつけて、〈本当は何も知らないのに〉〈世の中の雰囲気に皆がのまれてしまった〉ことを自覚させようとする前に、宮城は教育職にある者として、もう少し長い目で高校生たちの姿を見守れないのだろうか。
また、私が疑問なのは、9・29県民大会には、実行委員長を務めた仲里県議会議長(当時)や仲井真県知事をはじめ、各種団体代表や渡嘉敷島・座間味島の「集団自決」の生存者など多くの発言者があった。それらの発言者でなく、なぜ高校生たちがことさら注目されるのだろうか。宮城だけではない。小林よしのりや秦郁彦にしてもそうだ。そこにはいくつか理由があるだろう。
一つには、仲里議長や仲井真知事を批判すると、9・29県民大会が保革の枠を超えて全県民的な取り組みとして実現されたことが鮮明になってしまうからだ。そんなことは新聞やテレビの報道で知れ渡っていると思うのだが、沖縄が「左翼」に占拠された「全体主義の島」であることを強調したい者には、9・29県民大会も左翼の集会として描き出したいのだろう。だから仲里議長や仲井真知事だけでなく、県民大会の多様性を示す他の発言者も取り上げられず、様々な立場の人が集まった県民大会の実際の様子は無視されるのだ。
二つ目には相手が高校生だと利用しやすく、叩きやすいというのがある。『誇りある沖縄へ』では、沖縄のマスコミと教職員組合への批判が執拗に行われている。マスコミ報道と教組の平和教育が諸悪の根源のように激しい批判が投げつけられているが、高校生の発言は両方の影響を受けたものとして、マスコミ批判と平和教育批判を一度にできるため、格好の対象として利用されている。
宮城能彦の〈稚拙な詩〉には、〈今の新聞は真実を書いているのか?/今の大人たちは真実を語っているのか?/今の先生たちは真実を教えているのか?〉という一節があるが、高校生の発言を使って宮城が「あとがき」でやっているのも、平和教育批判とマスコミ批判なのだ。
このような批判は、仲井真知事や仲里議長の発言を対象にしてはできない。宮城や小林の批判の前提には、マスコミ報道や平和教育の影響を簡単に受ける沖縄県民という認識がある。それ自体大衆蔑視に満ちたデタラメな認識だが、相手が仲井真知事や仲里議長では、マスコミの影響を鵜呑みにして語っている、と主張すれば、宮城や小林らは物笑いになるであろう。だからこそ、数多い発言者の中から高校生が選び出され、利用されるのである。
また、高校生ならいくら叩いても反論は来ないし、仮に来ても再反論は容易だ。「おじいやおばあが嘘をついてるというのでしょうか」という高校生の言葉を、秦や小林らが揶揄しているが、これなど典型的な揚げ足取りだろう。相手が対等な立場では反論できないのを知ったうえで、いい年した大人が高校生の言葉を叩いているのだから情けない。
三つ目には、若者への影響力に対する意識があるだろう。そもそも教科書問題自体が、次世代にどのような歴史を伝えていくか、ということが出発点にあるのだが、宮城は教組の平和教育批判をする一方で『ゴー宣・沖縄論』が若者に読まれていることを強調する。そうやって自分たちの影響力を誇示する一方で、自分たちの主張と反する者には、相手が高校生であっても執拗な批判を行っていく。そこには、県民大会で発言した高校生のような若者が増えていくことを食い止めようという意思がある。
宮城の「あとがき」を読んで感じるのは、発言した高校生たちの気持ちを理解しようとするのではなく、その未熟さを問いつめ、あげつらうことで萎縮させ、彼らの気持ちを挫こうという姿勢だ。渡名喜守太といい、高校生といい、自分より力が弱く未熟な相手を選んで批判する前に、宮城は別の相手を批判したらどうなのだ。9・29県民大会の発言者を取り上げるなら、まず仲井真知事や仲里議長を批判すればいいのだ。
最後に、〈基本的な文献はどれくらい読んだの?〉という問いを、宮城は自分と小林にも投げかけてみたらどうだろうか。大江健三郎の『沖縄ノート』でさえ、やっと読んだ、と吐露している宮城や小林が、はたして〈基本的な文献はどれくらい読んだの〉やら。『わしズム』2007年秋号で、小林が渡嘉敷島の赤松隊を海軍の回天の部隊と勘違いし、宮城も誤りを指摘していないことは以前に書いた。『わしズム』の座談会で二人は沖縄戦の専門家のような話しぶりなのだが、実際には赤松隊が陸軍のマルレの部隊であったという、その程度の基礎知識さえなかったのだ。まったく、大した学者だ。
沖大教授の宮城能彦は、「あとがき」でこの高校生の発言を取り上げ、自分の日記に書いたという〈稚拙な詩〉を載せている。高校生への問いかけという形を取っている宮城の〈稚拙な詩〉なるものを読むと、まるで高校生たちが教師や新聞の主張を鵜呑みにして、自分では何も調べず考えもせず盲信しているかのように描いている。フィールドワークが専門であるらしい宮城は、はたして二人の高校生や学校の教師たちに聞き取り調査を行ったのだろうか。
9・29県民大会のあと、大会で発言した二人の高校生が通う読谷高校の教師たちと話す機会があった。歴史教科書を実際に使うのは高校生であり、当事者である彼らの発言も必要ではないかということで、希望者が募られたというが、予想以上に希望者が多かったという。選考を経て二人の生徒が選ばれたのだが、教師の側も慎重だった。読谷高校ではかつて、卒業式での日の丸掲揚をめぐって混乱があり、生徒に嫌がらせが加えられたことがあった。県民大会で発言することによって嫌がらせがあるかもしれない。二人のその後の人生にも影響を与える。そういうことも議論しながら、それでもやりたい、という意思を確認し、生徒に不利益となることがないように配慮しながら、教師たちは二人を送り出したという。
二人を含めて発言を希望した生徒たちは、どのような思いだったのだろうか。「集団自決」は読谷村でもあった。「チビチリガマ」で犠牲になった住民を身内に持つ生徒もいれば、家族から話を聞かされた生徒もいる。読谷村では小・中学校の平和学習でも「チビチリガマ」について学んでいる。そういう地域的特性を持つ高校生として、教科書検定問題についても生徒たちは高い関心があったという。呼びかけに答えて生徒たちが書いてきた文章を教師たちは読み、生徒たちと議論もして、二人が選ばれているのである。宮城が〈稚拙な詩〉で書いている内容は、事実関係は何も知らずに、高見から一方的に決めつけいるだけにすぎない。
二人の高校生の発言に対する評価は人それぞれだろうが、当日会場で聞いていた私には、高校生という立場から率直な気持ちを語っていると思えた。高校生の発言に未熟さや論理の単純さがあったとしても、それはまだ学習の途中であり、人生経験も浅いのだから当然のことだ。いずれ彼らが大学で学び、社会で経験を積んでいく中で、それは克服されていくだろう。いま彼らが真実と思っていることも、これから得る知識や経験を通して認識が変わっていくだろうし、沖縄戦についてもこれから学んでいくにつれ、知識や認識はさらに深まっていくだろう。
そういうふうに考えながら、高校生の発言を見守るのが「大人の目」であり、態度ではないか。県民大会に参加した大人たちも、そういう思いを抱きながら、高校生の発言を見守っていたのではないか。ましてや教育職にある者なら、そういう配慮や余裕を持って生徒の発言を見守るのが、本来あるべき態度であろう。
ところが、宮城教授は高校生の発言を聞いて、〈目眩を覚えた〉のだという。そのショックから思わず〈稚拙な詩〉を書いたというのだが、その中には次のような一節がある。
〈高校生が、
「真実を曲げないでください」
「私たちは真実を学びたい、伝えたい」
「真実を伝えていこうと思います」
と、アピールしている。
君たちは、その真実をどのようにして知ったのか?
自分で調べたの?
どんな立場のどんな人からどんな話を聞いたの?
聞き取り調査をするための基本的な訓練は受けたんだよね。
基本的な文献はどれくらい読んだの?
世界史や日本史の教科書くらいは通読したんだよね。〉(『誇りある沖縄へ』227~228ページ)
高校生が使った「真実」という言葉に反応して突っ込みを入れているのだが、40代後半でとうに「中堅」に達した大学教授の、この反応は何なのだろうか。先に述べた「大人の目」や「教育職」としての「配慮や余裕」などまるでなく、高校生を〈稚拙な詩〉で問いつめている。
社会学を専攻する大学教授から、直接そういう質問をぶつけられたら、たいていの高校生は答えに詰まってしまうだろう。高校生が沖縄戦について自分で調べたり話を聞いたにしても、それには自ずから限界がある。高校のカリキュラムにないのだから、聞き取り調査の基本訓練など受けているはずもない。基本的な文献がどの範囲を指しているか不明だが、それを読んでいる量も知れているだろう。世界史や日本史を選択しているとも限らない。
しかし、そんなことは最初から分かりきったことだ。未熟であることが分かっている高校生にこういう質問を投げつけて、〈本当は何も知らないのに〉〈世の中の雰囲気に皆がのまれてしまった〉ことを自覚させようとする前に、宮城は教育職にある者として、もう少し長い目で高校生たちの姿を見守れないのだろうか。
また、私が疑問なのは、9・29県民大会には、実行委員長を務めた仲里県議会議長(当時)や仲井真県知事をはじめ、各種団体代表や渡嘉敷島・座間味島の「集団自決」の生存者など多くの発言者があった。それらの発言者でなく、なぜ高校生たちがことさら注目されるのだろうか。宮城だけではない。小林よしのりや秦郁彦にしてもそうだ。そこにはいくつか理由があるだろう。
一つには、仲里議長や仲井真知事を批判すると、9・29県民大会が保革の枠を超えて全県民的な取り組みとして実現されたことが鮮明になってしまうからだ。そんなことは新聞やテレビの報道で知れ渡っていると思うのだが、沖縄が「左翼」に占拠された「全体主義の島」であることを強調したい者には、9・29県民大会も左翼の集会として描き出したいのだろう。だから仲里議長や仲井真知事だけでなく、県民大会の多様性を示す他の発言者も取り上げられず、様々な立場の人が集まった県民大会の実際の様子は無視されるのだ。
二つ目には相手が高校生だと利用しやすく、叩きやすいというのがある。『誇りある沖縄へ』では、沖縄のマスコミと教職員組合への批判が執拗に行われている。マスコミ報道と教組の平和教育が諸悪の根源のように激しい批判が投げつけられているが、高校生の発言は両方の影響を受けたものとして、マスコミ批判と平和教育批判を一度にできるため、格好の対象として利用されている。
宮城能彦の〈稚拙な詩〉には、〈今の新聞は真実を書いているのか?/今の大人たちは真実を語っているのか?/今の先生たちは真実を教えているのか?〉という一節があるが、高校生の発言を使って宮城が「あとがき」でやっているのも、平和教育批判とマスコミ批判なのだ。
このような批判は、仲井真知事や仲里議長の発言を対象にしてはできない。宮城や小林の批判の前提には、マスコミ報道や平和教育の影響を簡単に受ける沖縄県民という認識がある。それ自体大衆蔑視に満ちたデタラメな認識だが、相手が仲井真知事や仲里議長では、マスコミの影響を鵜呑みにして語っている、と主張すれば、宮城や小林らは物笑いになるであろう。だからこそ、数多い発言者の中から高校生が選び出され、利用されるのである。
また、高校生ならいくら叩いても反論は来ないし、仮に来ても再反論は容易だ。「おじいやおばあが嘘をついてるというのでしょうか」という高校生の言葉を、秦や小林らが揶揄しているが、これなど典型的な揚げ足取りだろう。相手が対等な立場では反論できないのを知ったうえで、いい年した大人が高校生の言葉を叩いているのだから情けない。
三つ目には、若者への影響力に対する意識があるだろう。そもそも教科書問題自体が、次世代にどのような歴史を伝えていくか、ということが出発点にあるのだが、宮城は教組の平和教育批判をする一方で『ゴー宣・沖縄論』が若者に読まれていることを強調する。そうやって自分たちの影響力を誇示する一方で、自分たちの主張と反する者には、相手が高校生であっても執拗な批判を行っていく。そこには、県民大会で発言した高校生のような若者が増えていくことを食い止めようという意思がある。
宮城の「あとがき」を読んで感じるのは、発言した高校生たちの気持ちを理解しようとするのではなく、その未熟さを問いつめ、あげつらうことで萎縮させ、彼らの気持ちを挫こうという姿勢だ。渡名喜守太といい、高校生といい、自分より力が弱く未熟な相手を選んで批判する前に、宮城は別の相手を批判したらどうなのだ。9・29県民大会の発言者を取り上げるなら、まず仲井真知事や仲里議長を批判すればいいのだ。
最後に、〈基本的な文献はどれくらい読んだの?〉という問いを、宮城は自分と小林にも投げかけてみたらどうだろうか。大江健三郎の『沖縄ノート』でさえ、やっと読んだ、と吐露している宮城や小林が、はたして〈基本的な文献はどれくらい読んだの〉やら。『わしズム』2007年秋号で、小林が渡嘉敷島の赤松隊を海軍の回天の部隊と勘違いし、宮城も誤りを指摘していないことは以前に書いた。『わしズム』の座談会で二人は沖縄戦の専門家のような話しぶりなのだが、実際には赤松隊が陸軍のマルレの部隊であったという、その程度の基礎知識さえなかったのだ。まったく、大した学者だ。