28日(土)は「海のおまつり」のあと、午後2時41分頃に豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。
土曜日は新工事用ゲートからの資材搬入がなく、「海のおまつり」があったので午前中は大浦湾にガット船が入れなかった。
そのため仮置き用土砂を運ぶダンプトラックの動きはなく、工事は行われていなかった。
午後3時2分頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。
「海のおま . . . 本文を読む
28日(土)は午前中、瀬嵩沖のフロート沿いで「海のおまつり」が開かれたので参加した。
カヌー17艇に船6隻を出して、詩の朗読や歌を楽しみながら、辺野古・大浦湾の海を守ろうと訴えた。
始まる前はカタブイ(通り雨)もあったが、お祭りの間は夏空が広がり、頭や首筋に海水をかけて暑さをしのいだ。
カヌーと船が数多く集まると、警戒して工事も止まる。
「海のおまつり」が行わ . . . 本文を読む
25日(水)はカヌー8艇と抗議船2隻(平和丸、翔也丸)で海上行動を行った。
カヌーチームは午前7時56分頃に松田ぬ浜を出発し、辺野古漁港沖で平和丸に乗り込み、大浦湾に向かった。
午前8時19分頃、辺野古崎のK8護岸では、ランプウェイ台船が接岸し仮置き用土砂の陸揚げが始まっていた。
この日は午前8時31分頃、砂利採取運搬船1隻(第七太海丸)と仮置き用土砂を運 . . . 本文を読む
23日(月)は沖縄戦から80年目の慰霊の日で、お昼過ぎに八重岳の「三中学徒之碑」を訪ね、お菓子やお茶、酒などを供えて手を合わせた。
沖縄戦当時、私の父は三中の2年生で、鉄血勤皇隊の一員として八重岳・真部山の戦闘に参加している。
子どもの頃から当時の様子を何度も聞いてきた。そのせいもあって毎年、慰霊の日にはここを訪ねている。
「三中学徒之碑」からは海の向こうに伊江島が見 . . . 本文を読む
19日(木)は雷を警戒して午前中、早めに海上行動を終えたので、草刈り作業などを行ったあと、午後12時半頃に瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。
A護岸の建設現場では、監視活動を行っていたメンバーの報告によれば、午前中、鋼管矢板の打設が行われていたとのこと。
お昼時間なので、バイブロハンマーをクレーンで吊り下げたまま作業員の姿はなかった。
クレーン付台船に接舷したバージ船には、鋼管がま . . . 本文を読む
19日(木)はカヌー6艇と抗議船1隻(平和丸)で海上行動を行った。
午前8時6分頃、カヌーチームは松田ぬ浜を出発し、平和丸に乗り込んで大浦湾に向かった。
K8護岸にはランプウェイ台船が4隻接岸し、そのうち2隻が土砂の陸揚げを行っていた。
午前8時半過ぎから海上ヤード建設の砕石を運ぶガット船1隻(第65天神丸)、仮置き土砂を運ぶガット船3隻(第五十一進宏丸、 . . . 本文を読む
12日(木)は午後2時48分頃、3回目の資材搬入に抗議する前に辺野古弾薬庫近くの歩道から大浦湾の様子を見た。
サンドコンパクションパイル船(SCP船)やトレミー船など、軟弱地盤改良工事の船が湾内から出ているので、青空の下で広々とした海が気持ちいい。
逆に言えば、新基地建設のために作業船が密集している状態が、いかに圧迫感をもたらしているかを示してもいる。
大浦湾に向かって左側( . . . 本文を読む
12日(木)は午後2時50分頃、名護市辺野古の新工事用ゲート前に行き、この日3回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。
市民23人がゲート前に集まった。座り込んで反戦を訴える歌を歌ったり、プラカードを掲げて新基地建設反対を訴えた。
午後2時59分頃、ゲート前に資材を積んだ工事車両が来た。
市民が座り込みの抗議を続ける中、午後3時14分頃から機動隊による強制排 . . . 本文を読む
9日(月)はカヌーは出さず、平和丸に乗って大浦湾の状況を確認した。
先週の土曜日(7日)から大浦湾では、台風対策で作業船が外に避難をしている。
今年はまだ台風が発生していないが、大型船舶が増えたので波が荒くなってからだと移動するのが危険だ、という判断なのだろう。
今日の午前中には6隻のサンドコンパクションパイル船(SCP船)のうち4隻が大浦湾から出ていて、午後1時頃に5隻 . . . 本文を読む
7日(土)は県民大行動の合間に美謝川切り替え工事の様子を見に行った。
土曜日は新工事用ゲートからの資材搬入は行われていないが、美謝川切り替え工事は行われていた。
午前11時19分頃、辺野古ダム近くではサイレントパイラーを使って鋼矢板を地中に圧入する山留工事が行われていた。
鋼矢板沿いの崖を切り崩し、土砂を鋼矢板の傍に落とす作業も行われていた。
辺野 . . . 本文を読む
7日は月初めの土曜日で、午前11時からキャンプシュワブ前で県民大行動が行われた。
主催者発表で560人の市民が参加したが、オール沖縄の共同代表や国会議員、県議、市民団体などの発言のほかに韓国やカナダから参加している皆さんの発言もあった。
今年は1995年9月4日に発生した米兵3人によるレイプ事件から30年の節目の年だ。
辺野古新基地建設問題の原点はこの事件 . . . 本文を読む
写真は6月3日に撮影したものだ。
美謝川切り替え工事が進んでいて、辺野古ダム北側の森が切り崩され、コンクリートが吹き付けられている。
4枚目の写真で崖の前に並ぶ山留の鋼矢板沿いに水路が造られ、辺野古ダムにつながっていく。
辺野古ダム周辺の土砂を大浦湾の埋め立てに使用するため、周辺の森の伐採も進められている。
整地作業で出た土は10台のダンプトラックで、新工 . . . 本文を読む
1976年11月10日に昭和天皇の「即位五十年」の記念行事が行われた。その前日、沖縄戦でひめゆり学徒を引率した仲宗根政善氏は、日記に以下のように記している。
〈五月二十五日、弱りはてた患者にはミルクに青酸加里をいれてくばり、南風原陸軍病院はついに南部へと撤退したのである。わずかに歩ける患者のみが、砲弾の雨をくぐり、泥濘の道を息たえだえ、南部へと移動した。肩をかし、看護しつつ傷病 . . . 本文を読む
6月3日は午後12時33分頃、辺野古弾薬庫そばの歩道から大浦湾の様子を見た。
長島近くにサンドコンパクションパイル船(SCP船)が3隻並んでいる。
C1護岸付近の軟弱地盤の改良工事を行っていると思われるが、SCP船3隻とも海砂を積んだ船が接舷していた。
向かって左が砂利採取運搬船・第十八太海丸、真ん中がガット船・第二十藤進丸、右側がガット船・第二東新丸だった。
こ . . . 本文を読む
6月に入り、沖縄ではスーマンボーシュー(梅雨)空の下で、辺野古新基地建設に対する抗議行動が続けられている。
3日(火)は午前11時50分頃、名護市辺野古の新工事用ゲート前に行き、この日2回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。
小雨が降るなか、市民13人が集まり、抗議の歌を歌いながら、機動隊に強制排除されるまでゲート前に座り込んだ。
テイケイの警備員 . . . 本文を読む