海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「盗作問題」から逃げ回る小林よしのり

2009-07-15 16:20:31 | ゴーマニズム批判
 小林よしのりが『SAPIO』09年7月8日号の「ゴーマニズム宣言」でとりあげている古木杜恵〈「敵」を捏造する言説、差別を流通させるメディア〉は、『世界』09年6月号に掲載されていて、次の六つの章から成り立っている。
①「マンガ右翼」の論理破綻
②版元の見識と常識は問われないのか
③小林的言説を看過するメディア
④右派勢力の「敵」としての沖縄
⑤「全体主義の島」という印象操作
⑥ウソも一〇〇回つけば本当になる
 このうち④、⑤、⑥には私へのインタビューが含まれている。④では大江・岩波沖縄戦裁判の背景や、「集団自決」の原因をめぐって私と小林が琉球新報で行ったやりとりと、それを利用した小林の沖縄のマスコミへの不信煽りなどについて。⑤ではこれまでも問題にしてきた『ゴーマニズム宣言SPECIAL沖縄論』所収の「亀次郎の戦い」の「盗作問題」について語っている。⑥では最後のところに「(小林や藤岡らは)ウソも一〇〇回つけば本当になると考えています」という私の言葉が引用されて締めくくられている。
 以上見たように、古木の小林批判のレポートでは、かなりの割合で私の発言が引かれ、さらにそれを基にした琉球新報や沖縄県マスコミ労協への取材結果が記されている。小林が古木の文章を批判するなら、私への言及は避けて通れないはずだ。特に小林が沖縄は〈全体主義の島〉と沖縄の新聞との関連で主張するとき、私との琉球新報紙上でのやりとりも深く関わっている。
 アイヌや沖縄人は〈毛深い〉という発言をめぐる問題や〈日本政府のアイヌ同化政策〉、小林を起用する出版社・マスコミへの批判には積極的に反論するのに、それらと同じように古木のレポートで主要な柱となっている私の発言に関しては、なぜ一言も反論せずに完全無視するのか。
 理由は明かで、⑤で小林の「盗作問題」について語っているからだ。当該部分を古木のレポートから引用してみる。

 〈危うさはほかにもある。小林は『SAPIO』の連載を『沖縄論』として一冊にまとめる際、五〇ページにも及び「亀次郎の戦い」を書き下ろしている。この長編漫画を読みながら違和感を覚えたという目取真は、二一五のせりふをすべてチェックした。
 「少なくとも四八%に当たる一〇四のせりふが、『沖縄の青春 米軍と瀬長亀次郎』(佐次田勉著/かもがわ出版)からそっくり引用されています。巻末の参考文献一覧には書名が記されているが、不思議なことに瀬長亀次郎関連の他の著作は四〇六ページにまとめて挙げられているのに、『沖縄の青春~』だけが四〇四ページに切り離されて挙げられているのです」
 瀬長亀次郎は沖縄人民党の結成当時(一九四七年)から中心メンバーとして活躍し、那覇市長、日本共産党幹部会の副委員長を務めた政治家である。
 佐次田の著書は、もともと映画『カメジロー 沖縄の青春』の原作として書かれたもので、映画はビデオ化もされた。「亀次郎の戦い」には夜間の演説会や那覇市議会の様子など、明らかにビデオを利用したと思えるカットがあるが、参考資料として明示されていない。
 目取真が続ける。
「『沖縄論』が発行された後に佐次田さんに電話で確認したところ、小林やその事務所から『沖縄の青春~』を利用することについて事前の連絡は一切なかったと明言しました。こうしたことを一方でやりながら、『ゴーマニズム宣言SPECIAL沖縄論』のあとがきで、〈沖縄の若者たちも、いや沖縄のマスコミや言論活動に携わる知識人たちまでもが、沖縄の歴史を知らない〉と書くことによって、自分のほうがよく知っていると読者に印象づけるのです」
 印象操作といえば、小林は沖縄に「全体主義の島」というレッテルを貼り、沖縄のマスコミや知識人を罵る〉(195ページ)。

 プロの書き手にとって、自分の作品が盗作の疑いがあると指摘されることは、極めて大きな問題である。それは自分の名誉を傷つけ、信用を失わせ、時には作家生命を失いかねないほどの重みを持つ。小説家であれ、漫画家であれ、それは変わらないはずだ。しかもそれがインターネットの匿名掲示板などでやられる根も葉もない誹謗中傷ではなく、『世界』という雑誌で具体的に指摘されたものなら、無視してすまされることではないはずだ。私にしてもこういう指摘を行うからには、場合によっては小林から名誉毀損で訴えられるかもしれない、そのときは正面から争ってもいい、と考えて、この問題をくり返し書いてきた。
 実際、「亀次郎の戦い」について私の書いてきたことや発言してきたことが、根も葉もないデタラメだったなら、小林は「ゴーマニズム宣言」で私のことを徹底的に叩いただろうし、名誉毀損で訴えることだってあり得たはずだ。しかし、古木のレポートを批判していながら、「亀次郎の戦い」をめぐる指摘については一言も反論せず、言及することさえしていないのだ。それは小林が私の指摘を事実として認めたということだろう。
 以前、『SAPIO』09年6月24日号掲載の「ゴーマニズム宣言」の欄外に、小林はこう書いていた。

〈目取真俊が『沖縄論』の「亀次郎の戦い」が盗作だと因縁つけているらしいが、あの章は瀬長や瀬長の妻、元秘書の佐次田勉の著書など多くの文献を参考にしており、参考文献は順不同で明記している。瀬長はあくまで「日本民族」主義者であり、米軍と対等に渡り合った偉大な政治家だ。わしは大尊敬している。だから描いたが、いかんのか?〉

 これについては本ブログの6月9日に「盗作問題への小林よしのりの言及」という文章を書いた。できればそちらも一読してほしいが、瀬長のことを描いてはいけない、と誰が言っただろうか。小林は白々しいほどの論点すり替えをやっているのだが、この欄外書きこみでは〈盗作だと因縁をつけているらしいが〉と伝聞推量の形で書いている。その限りでは、目取真が何を言ってるか具体的には知らん、と言い逃れができる余地を作っている。しかし、「ゴーマニズム宣言」で古木のレポートを取り上げて批判したのだから、目取真の指摘を具体的には知らない、という逃げはもうできない。
 小林がこの欄外書きこみで私に反論したと思ったのなら大きな間違いであり、小林はこの「盗作問題」についてきちんと答えるべきだ。同じことは『ゴーマニズム宣言SPECIAL沖縄論』を刊行している小学館についてもいえる。『SAPIO』の編集者や、小学館の小林の担当者は、知らない振りをしてすまされるのだろうか。教育関係の雑誌や書物を発行してきた出版社が、盗作問題を指摘されてそれを無視し続けるとするなら、それこそ出版社としての企業倫理が問われるだろう。
 『SAPIO』09年7月8日号の「ゴーマニズム宣言」の最後に、小林はこう書いている。

〈わしはもちろん小学館も、言論の自由を守る!〉

 全体主義者には断固として屈しないからそう思え!!〉(62ページ)。

 〈言論の自由〉を守るのは大いに結構なことだ。だが、〈言論の自由〉と同時に言論活動上のルールや倫理も守るべきだろう。小林よしのりや小学館は、指摘された「盗作問題」に関してきちんと答えるべきだ。

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