我々は中国の清王朝を「 しんこく(清国)」と読んでいる。しかし、「清」の日本語漢字音は「せい」であり「清国」は「せいこく」となる筈である。普通、日本では中国の歴代王朝は 秦(しん)、漢(かん)、隋(ずい)、唐(とう)、宋(そう)、元(げん)と日本語漢字音で読み、明国だけは「みんこく」と中国漢字音を使っている。「明」の中国音は「 ming ミング 」であり、「明」の日本語漢字音は「めい」(明治)と「みょう」(灯明)である。室町時代以来「明国(みんこく)」を使っている。
しかるに、「清」の現代中国音は「 qing チング 」なので、清国は日本では「ちんこく」又は「せいこく」となってしかるべきである。なぜ「 しんこく 」なのか。
-清国は満州族の王朝ー
ここで、「清国」の成り立ちが重要なヒントを与えてくれる。「清」は漢民族の王朝ではなく、満州族の征服王朝である。北京の故宮(紫禁城)へ行かれた方はご存知と思うが、宮殿の額にはすべて漢字と満州文字が並べて書かれている。清朝初期(17世紀)には漢語と満州語は並立して使用されていたのである。清朝の前身は満州にあった「金王朝」である。「金」は満州語で aisin (アイシン)である。「清国」は満州語で aisin gurun ( アイシングルン ) と言う ( gurun は 国の意味 )。江戸初期に新王朝「清」が成立したと幕府に通知があったとき、おそらく、長崎に来ていた中国商人によりもたらされた情報と思われる。清国と日本は江戸時代には正式の国交は無かったが、長崎奉行所には80人もの唐通事が置かれ、入港した唐船から様々な情報を聞き出して、「唐船風説書」として、幕府に提出していた。
清国は「アイシン 国」とそのときの中国商人が説明したのではないか。 ai-sin の ai は日本人には「エ」のように聞こえ、「エシン国」となるが、歴代中国王朝名はほぼ二音節なので(魏は一音節)、それならば「清(しん)」と呼ぶことにしようと、「清国(しんこく)」が定着したのではないのか。
幕末にアメリカを「エメリケン」と聞いた当時の日本人は語頭の「エ」がよく聞き取れず、「メリケン国」と表記していることからもこの説を支持していると思う(今でも神戸にメリケン波止場がある)。有名なラストエンペラー 愛新覚羅・溥儀の「愛新覚羅」こそ満州語の「 金 aisin 」を漢字表記したものに他ならない。(「覚羅」は一族、部族を意味する満州語 の漢字表記)
<追記>
「漢和辞典」には「清」の読みとして「しん」が呉音として出ている。たしかに、唐時代には長安音の漢音と南朝系の呉音があった。呉音には「しん」の音があったが、日本語の漢字語彙にはこの「清(しん)」は17世紀に清国が成立するまで定着していなかった。「清」を「しん」と読むのは国名の「清国」だけ。なぜ突然出現したのか謎である。そこに aisin gurun (アイシン グルン)説の成り立つ余地がある。
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