小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

またまた龍馬のニセモノ出現

2018年08月28日 | Weblog

 8月24日(2018年)の朝日新聞に「龍馬のサインで候」との見出しで、坂本龍馬の花押形式の手紙(8年前に雑誌で写真が紹介されていた)が、この度、専門家の鑑定で龍馬直筆と認定され、福井県立博物館の幕末維新の特別展で展示されるとの記事が出た。私はこの新聞の花押の写真を見てすぐにニセモノと判断した。その理由は・・

 まず、本物と判断した専門家は花押についての基礎知識さえないと思わざるをえない。戦国時代の足利将軍とか有名な武将の花押付きの書状は数多く残されている。花押とはその人の権威の象徴であり、ヒラの家臣が気軽に使えるものではない。ウイキペディアで調べても、江戸時代以降あまり使われなくなり、農村の庄屋階級は花押に代わって印鑑を使うようになったとある。たしかに、幕末の著名な人の書状でも、花押形式の署名などほとんど見かけない。坂本龍馬はいつから権威主義者になったのか。龍馬こそ身分や権威をもっとも嫌う自由人の魁(さきがけ)ではなかったのか。それと、この手紙のあて先は福井藩士の村田氏寿、この人と龍馬がどういう関係があったのかは知らないが、龍馬がこんな失礼な手紙をれっきとした武士に書くわけがない。それと、この手紙も先の中根雪江あて同様、行間もきちんと一定であり、文も左右にぶれず、間違いなく書道の師範の模範的書体である。

 <追記>

 幕末、多くの人の書状が残されているが、どの人であれ筆跡や書体は大体一定している。例えば、土方歳三の手紙はまるでパソコンで打ったかの如く上下も一直線に並び、行間もきちんと一定している(『土方歳三、沖田総司全書簡集』新人物往来社)。土方の几帳面な性格がよく出ている。「士道にそむく者は切腹」と実際それを実行してきた。   一方、龍馬は土方とは正反対で、性格も自由奔放であり、細かいことにはこだわらない。龍馬の手紙にもそれがよく出ている。ただ、問題は龍馬の手紙の写しとか書道の師範が書いたニセモノを龍馬直筆と認定した結果、龍馬は二種類の筆跡・書体を持つ異例の人になってしまった。暗殺5日前(11月10日)にも全く筆跡、書体の違う手紙を二通書いたことになる。

 何度も言うが、真贋の最終決着は人間の目ではなく科学鑑定しかない。なぜ、日本の学者は自分の目を絶対視できるのであろうか。かの有名な志賀島出土とされている国宝の金印も、京都の金細工の匠(たくみ)が「あれは明らかに江戸時代の技法だ」とあるテレビ番組で言っていた、(これを本物と認定したのは東大や京大の権威ある古代史学者たちであった)。また、三角縁神獣鏡=魏鏡説や箸墓古墳、卑弥呼の墓説しかり。この二つの説も何の根拠もない。たしかに、日本人は韓国・朝鮮人のように有りもしない歴史を創ったりはしないが、目の前にあるものを非科学的かつ自己信念のみで自信たっぷりに断定する人が相当数いるのもまた事実である。戦前の帝国軍人にもそういう人が多かった。ノーベル科学賞をアジアでは断トツで受賞しているのに・・。不思議な現象である。

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