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日本語の諸問題(43) 文語形容詞語尾 「し」 について ー再論ー

2018年10月07日 | Weblog

 これまで繰り返し述べてきた文語形容詞活用語尾「し」は矛盾だらけである。「波高し」とか「うるわし」の「し」は文語形容詞の終止形とされている。ところが、形容詞「正しい」は語幹「ただ」を動詞化して「正す」、その名詞形(連用形)「正し」から「正しい」「正しく」が生まれている。この場合「正し」の「し」は明らかに国文法では動詞「する」の連用形のはずである(例、襟を正します)。また、古語辞典には「しく活用」として 「まさし」があり、本当、現実などの意味として古文には数多く使われており、「まさしき」「まさしく」などと活用することになっている。この「ただ」も「まさ」も語幹に当たる。(「まさす」との動詞はないが「まさる」はある)

 ―「する」の連用(名詞)形「し」と文語形容詞語尾「し」は同じものー

 「正す」の連用形は「正し」、この語幹「ただ(正)」から「只今(ただいま)」「ただちに」「ただただ恐れ入る」とかの言葉が生まれ、同じく、「まさ」から「まさし」「まさしく」「まさしき」「まさに」「まさか」「まさる」「正夢」などの言葉が出来ている。つまり、文語形容詞語尾の「し」は動詞「する」、古語では「す」の連用形(私の文法論では名詞形)であるとのことなのである。結論として、日本語形容詞は活用などしない。その語幹部分に様々な接尾語が付いたものにすぎない。「安かろう (から・う)」「良かった (かり・た)」、文語の「良からぬ噂」「良かれと思って」「若かりし頃」」「遅かれ早かれ」も助動詞(接尾語)「かる」(そういう状態にある)が付いたものである。当然、「から、かり、かれ」と活用する。「安ければ買う」の「ければ「(仮定)は「かれば」からの音変化であろう。

 -万葉集にある大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌ー

  わが背子(せこ)を大和へ遣(や)るとさ夜深(ふ)けて暁(あかとき)露(つゆ)にわが立ち濡れし

 実の弟(大津皇子)の身を案じて詠んだ有名な歌であるが、この最後の「わが立ち濡れし」の「し」は国文法(文語)ではなんと過去・完了形成の助動詞「き」の連体形「し」と説明されている(連体止め)。「き」は「読みき」「有りき」というように、これ単独で過去形を作る助動詞であり活用などしない。無理に活用させようとするから全く違う言葉を同じ活用表に入れてしまう。「濡れし」の「し」は「正し」「まさし」「久し」の「し」と同じで、「する」の名詞形である。意味は「そういう状態にある」。現代語の「お久しぶりです」「3年ぶり(振り)ですね」の「久し」をどう説明するのか。「久し」は文語形容詞の終止形のはずであるが、「3年」と同じく名詞として使われている。他にも「なしの礫(つぶて)」の「なし」、「重しが取れた」の「重し」も名詞形のはずである。

  ー「私ならそうはしない」の「なら」は文語「ならば」の略ー

 国文法(現代語)でも、「君ならどうする」の「なら」を断定の助動詞「だ」の仮定形として同じ活用表に入れている。「なら」は助動詞「なる」の未然形(発展形)であり、文語表現が現代日本語に生きているにすぎない。文語では「東風 (こち) 吹かば・・・」のように未然形で仮定をつくるが、現代語では「春になれば・・」と仮定形(正確には静止・完了形)で作る。「寄らば大樹の陰」「良からぬ噂」「浅からぬ因縁」や「古き良き時代」「成れの果て」も文語表現であるが、これらもれっきとした現代日本語である。中学や高校の国語で、現代語に残る文語表現と教えたら何の問題もない。「成れの果て」の「成れ」は「成る」の已然形(静止・完了形)が名詞化したもの。

 唐に渡り、帰国が叶わなかった阿倍仲麻呂の有名な歌、「・・・春日なる三笠の山にい出し月かも」の「し」も同じ用法で、決して過去形ではない。今、目の前に月が出ているのである。その情景を詠んだにすぎない。なぜなら、「い出たる月かも」とも言い換えられる。しいて言えば英語の現在完了に当たる。日本語を言語学的に研究している外国人学者にどう説明していいのか。助動詞「き」が「し」に活用(語形変化)したなどと、とても恥ずかしくて言えない。

 <追記>

 現在、中学では口語(現代語)文法を学ぶが、実はその国語教科書には『平家物語』冒頭の「祇園精舎」、『枕草子』の「春はあけぼの・・」、芭蕉の『奥の細道』などが出てくる。たしかに、中学国文法教科書の末尾には口語と文語の活用の一覧表が出ているが、文語文法の説明は一切なかったと思う。文語文法は基本的に高校の国語で学ぶ。中学国語には「万葉集」も出てくる。私が中学時代に最初に憶えた万葉歌は「あおによし 奈良の都は 咲く花の 匂うがごとく いま盛りなり」と「春すぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」の二つであった。多分、教科書に出ていたのであろう。中学生ともなると、これらの歌の意味ぐらい分かる。しかし、中学国文法は全く理解できなかった。高校で学んだはずの文語文法はそれに輪をかけて理解不能であった。先の大伯皇女の歌も「わが立ち濡れし」と「し」で終わることで余韻を残しているのだと理解していた。大方の日本人はそうであろう。日本の古典文学は好きであっても国文法などは拒否、つまるところ要らない(故・井上ひさし氏も自著にそう書いていた)。これが現実である。国文法の罪は深い。

コメント (1)
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