小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

日本語の諸問題(17) 鏡 (かがみ) の語源

2009年09月19日 | 言語

 鏡(かがみ) の語源について、多くの「語源辞典」は「影・見」からの転説が有力である。「姿見(すがたみ)」からの類推からと思われるが、この説は単なる思い付きの域を出ず、言語学的な論証がなされていない。「影(かげ)」が「かが」と母音交替する例は皆無である。例えば、「酒(さけ)」は「酒樽(さかだる)」とか「酒蔵(さかぐら)」というふうに「え」と「あ」が入れ替わる。これはトルコ諸語に特有の母音調和ほどではないが、母音同化と言えるものである。日本語にはこの現象が多い。「金山(かなやま)」「金網(かなあみ)」「金物(かなもの)」「金槌(かなつ゛ち)」などは「金 (かね)」が「かな」に母音交替したものである。

 しかるに、「金目(かねめ)の物」とか「金持ち」と言うように、交替しない例もある。これは、もともと日本語の「かね」は金 (ゴールド) や鉄などの金属類の意味であったが、後世、貨幣経済時代に入って「 お金  money 」との言葉が生まれたため、「かね」が固定したためであろう。「要(かなめ)・・金目」(key point) と区別するためにも「金目(かねめ)」と母音交替しないのは必然であったと思われる。「影(かげ)」の場合、人名の「影山」も「影絵」も母音交替は起きていない。つまり、「鏡(かがみ)」は「影見」ではない。では真の語源は・・。

 ー鏡は本来輝いていたー

「輝く」とか「輝かしい」の語幹「かが」がそれである。同じ造語法で「はなやぐ」「華やか」という言葉がある。「はなやぐ」は「華、花」に動詞形成の接尾語「やぐ」が付いたものであり、「華やか」は名詞形成の接尾語「やか」が付いたものである、(例、あざやか、 晴れやか、ささやか)。そうして、「華やかな」と形容詞(国文法では形容動詞)を作ってゆく。「かがやか」との名詞形はないが、「輝か・しい」と形容詞形成の接尾語「しい」が付いて形容詞としては存在している。その代わり「輝く」の名詞形として「輝き」は日常語としてある。また、「 かがり火」も「 かが・り・火」であろう。「かがる」との動詞は定着していないが、「かがり」は名詞形(連用形)として「かがり火」との言葉に残されている。
 つまり、「かが」はそれ自体単独では名詞としては使われないが、「かがやく(輝)」の語幹である。この「かが」に「見(み)」が付いたものが「かがみ(鏡)」の語源とするのが言語学的には一番妥当な考えだと思う。現在、博物館で見る古代の鏡は錆びて黒緑色であるが、当初は白銅色に耀いていた。まさに「 かが(耀)み(見)」であった。

 古代日本人(倭人)は鏡を異常に愛好してきたことが知られている。倭の女王・卑弥呼は魏の皇帝から「賜汝好物」として、銅鏡百枚をもらっている。これは北部九州から大量に出土する後漢鏡であろう。後に、倭国の中心となった畿内からは大量の鏡を副葬した古墳が発見されているが、そのほとんどが三角縁神獣鏡である。これらは四世紀以降の大和朝廷の人々の習俗であろうが、三世紀の邪馬台国と四世紀以降の大和朝廷は文化的に明らかに連続性がある。北部九州にあった「邪馬台 (ヤマト) 国」が畿内大和に移動したと考えるのがもっとも理にかなっている(邪馬台国東遷説)。古代の倭人は鏡に何らかの霊力があると信じていたのであろう。

 <追記>
「広辞苑」「国語辞典」「語源辞典」などには日本語の語源として、もっともらしい説が数多く出ている。たしかに正しい説もあるが、中には語呂合わせやダジャレ程度のものも数多い。しかし、これらの本は権威ある学者が監修したものであるので、一般の人たちは信じ込んでしまう。京都大学の著名な国語学者は「商う」の語源は「秋」に「行う」ことだとその著書に書いている。秋に収穫物を売買することから生まれたと言いたいらしいが、商売は秋でなくても、一年中いつでも出来る。私のブログ・「商う」の語源(2007・10・25)を読んでほしい。印欧語比較言語学では、単語の語源の探求は精緻を極め、まさに科学の域に達している。日本語の語源論はいまだに思い付きと語呂合わせが横行している。なお、「鏡(かがみ)」は「耀(かがやく)」から来たとの説を唱えた人はすでにいる。私のオリジナルではないが、言語学的論証は私が初めてと思う。

 

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日本語の諸問題(16) 中学国文法教科書のデタラメ

2009年05月16日 | 言語

 今、手元に全国の中学校で学習されている国文法の教科書と教師用の手引書がある。私も中学時代、同じような教科書で授業を受けた筈であるが、まるでその内容が理解できず、苦痛以外なにものでもなかった。大方の人はそうであったろう。その原因はどこにあるのか。それはこれまで私が述べてきたように、日本語を世界の言語の一つと見ることの出来なかった明治の国語学者にある。そして、それをいまだに踏襲している日本の国語学界にある。世界のどの言語でも、自国民も外国人も同じ文法書でその言葉を学ぶことが出来る。もし、日本語を学ぶ外国人に中学国文法教科書で日本語を教えると、日本語は世界一難解な言語と思うであろう。しかし、事実は逆で、日本語はどちらかというとやさしい部類に入る(表記法は別)。その原因はデタラメな国文法教科書にある。そのことを書く
1)口語と文語
 国文法教科書では、現代日本語を口語、古語を文語と分類している。この用語の設定からしておかしい。本来、口語(colloqual)とは日常の話し言葉であり、世界のどの言語でも、大なり小なり書き言葉(文章語)と話し言葉(口語)は違うものである。文語という用語も曖昧である。古語は明確に「古典文法」とし、「文語」とは現代日本語の一部であり、古語に由来する表現の一形態とするべきであろう。つまり、現代日本語の口語には、「あちら」を「あっち」、「こちら」を「こっち」、「端」を「はしくれ」、「根」を「根っこ」など無数の口語表現がある。一方、文語には「寄らば大樹の陰」とか「死なばもろとも」、「若かりし頃」など、古語に由来する多くの文語表現があり、これらも現代日本語である。「古き良き時代」「良かれと思って」「遅かれ早かれ」などの言葉は今でも日常使われている文語表現である。
 

2)動詞の活用
(1) 未然形と連用形
五段活用「か、き、く、く、け、け」に「書こう」との呼び掛けを入れて、五段としているが、「書こう」は「書か・う」から変化した言葉であり、活用に加える必要はない。音変化を説明すればよい。その他、未然形は「せる」「れる」などの助動詞が付くと説明されているが、これはご都合主義で、未然形はまだそうなっていない意味の筈であるのに、(「読まない」「読まなかった」は確かに「読む」という動作はやっていないが、「本を読ませた」とか「お金を取られた」は「読む」「取る」との行為を行っている)。このことは以前に述べたとおり。また、「毎日、学校へ行きます」は「行く」という動作を行うことであるが、「明日、学校へ行きます」とか「外国へ行きたい」は、まだその動作は行われておらず、この場合の「行き」(連用形)は未然形とも言える。日本語動詞はその使われ方によって、多様な意味を持つのである。(世界には未来と現在を区別しない言語はいくらでもある)

(2) 動詞の語幹と語尾
 日本語動詞に語幹と語尾があることを、国文法教科書を見て初めて知った。それには「書く」の語幹は「か(書)」、「読む」の 語幹は「よ(読)」とある。まさに唖然呆然、世界のどの言語でも語幹というのは、その単語の元になっている部分であり、それなりの意味は分かるものである。英語の  going  の語幹  stem  は  go であり  -ing  が語尾に当たる。 日本語の「か」や「よ」に何か意味があるのだろうか。「書く」「読む」はこれ以上分離できない単語である。たしかに活用するのは語尾であるが、語幹と語尾に分けるには無理がある。
 昔、英・独語などを学んだ人が「日本語に文法はない」と言ったそうだが、うなずける。たしかに、語幹を持っている動詞もある。例えば、擬態語「そよそよ」から出来た「そよぐ」という動詞は語幹が「そよ」であり、動詞形成の接尾語「ぐ」が語尾と言える。また、「捨てる」「上げる」「真似る」などの場合、「捨て」「上げ」「真似」が語幹であり、「る」が語尾である。
 
 しかるに、教科書には奇妙な記述がある。「語幹・語尾の区別のつかない語は、上一段活用の「居る」、「着る」など、下一段活用の「得る」、「出る」などである。これらの語はニ字(ニ音)で構成されている言葉である」。この文は奇妙というより呆れてものも言えない。では五段活用の「行く」も「切る」も同じくニ字(ニ音)である。こちらは語幹は「い(行)」、「き(切)」とある。支離滅裂である。
 これらの違いは私がすでに述べたように、日本語の動詞の基本は(文法用語としての基本形ではない)は名詞形(連用形)であること。つまり、「行く」は「行き」(例、東京行き、行き違い)、「切る」は「切り」(例、切り株、大根切り)、一方、「居る」の名詞形は「居(い)」(例、居留守、敷居)、「着る」は「着(き)」(例、着物、晴れ着)、「得る」の名詞形は「得(え)」(獲物、心得)、「出る」は「出(で)」(例、出口、思い出)である。つまり、一字(一音)の名詞語幹なのである。分かりやすく言うと、上一段、下一段活用と分類されている動詞の未然形と連用形は同じものなのである。日本語の動詞には基本的に二つの型があると説明すればよいのであり、あと「来る」と「する」の変格活用があるだけである(名詞形は「来(き)」と「し」)。「出来る」は名詞語幹「出」と「来」がくっ付いたもの、「おでき(腫れ物)」も同じ。
 
3)形容詞・形容動詞の奇怪さ
 (1) 形容詞の活用
 教科書の説明には「一部形容詞の語幹は名詞として用いられる」とあり、その例として「赤勝て、白勝て」などが上げられている。形容詞に語幹があるのは分かるが、この場合語幹そのものが名詞なのである。英語の red は「赤」と「赤い」の意味がある。日本語の場合は、この語幹に形容詞形成の接尾語「い(古語は「き」)が付いたものが形容詞なのである。モスクワの「赤の広場」の「赤」は名詞であるが「赤い広場」となると「赤色の広場」のことである。
 日本語形容詞は語幹に様々な接尾語が付くことにより言葉を作ってゆく。例えば、語幹「深(ふか)」は「深さ」「深み」と別の意味の名詞を作り、「深情け」のように名詞に付き(これは連用形と称される名詞が、「読み手」とか「書き物」のように名詞に付く用法と同じ)、「深い」と形容詞になり、「深く」、「深々と」と副詞を作る。また、「深まる」「深める」のように動詞をも作る。例外的に、口語の「たかをくくる」の「たか(高い)」は明らかに名詞として使われている。また、「甘え」との名詞は形容詞「甘い」の語幹「あま」に「得る」が付いて出来た「甘える」の語幹である。
 
 未然形とされている「安かろう」は形容詞語幹に付く助動詞「かる」があり、「から・う」から「かろう」と音変化したものであり、連用形とされている「安く」は副詞、同じく連用形の「安かった」は「安・かり・た」が音便化したものである。仮定形とされている「安ければ」は「安かれ・ば」が「安けれ・ば」と音変化したものとも考えられる。いずれにしても、この助動詞「かる」(ある状態にある・・英語の be 動詞にあたる)は文語表現として「若かりし頃」と現代日本語に使われている。この「かり」は「かる」の名詞形であり、「し」はすでに述べたように、阿倍仲麻呂の歌の「三笠の山にい出し月かも」の「し」と同じ用法で、動詞「する」の名詞形(連用形)「し」であろう。意味は「そうある」こと。
 結論として、形容詞(安い、高い)が活用するのではなく、形容詞語幹に、様々な接尾語が付いて単語が作られて行くのである。これを膠着語と言い、アルタイ諸言語の特徴である。この助動詞「かる」は「読む」と同じく「から、かり、かれ」と活用する。
 
 そもそも、形容詞の活用と動詞の活用では根本的な違いがある。動詞の場合は「読む」の「む」が変化するように、語尾が変化する。では、形容詞「高い」の「い」が音変化するのだろうか。「高く」の「く」は副詞形成の接尾語であり、「い」(古語は「き」)とは全く別の機能の接尾語である。「安かろう」と「安ければ」に至っては、助動詞が付いて出来た言葉であり、英語で言えば   It may be cheap. と  If it is cheap.  であり、sentence (文) である。単語と文を同列に扱い、一つの活用表に入れるなど奇妙を通り越して異常である。教科書には「安く」や「広く」を副詞とせず、形容詞の連用形としている。しかるに、「広々と」は副詞としている。形容詞を無理やり動詞の活用形に合わせようとした結果、生まれた珍説、奇説の類である。このことを誰も不思議に思わず、まるで地球の自転のように繰り返されているのが国文法なのである。

(2) 形容動詞の活用
 国文法教科書の形容動詞の記述も形容詞に輪をかけて奇怪である。例文として「静かに」は形容動詞の連用形、「静かな」はその連体形とある。形容詞の活用と同じ理屈である。これも形容詞同様、名詞語幹「静か」に助詞「に」が付いて副詞に、「な」が付いて名詞を修飾するだけである。
 この「な」は助動詞「なる」の「る」が落ちたものである。なぜなら、「大いなる西部」(アメリカ映画の題)とか「遥かなる宇宙」「静かなるドン」などの文語表現があることから分かる。(「なる」は動詞と助動詞二つの意味を持つ)
 
 極め付けは、「こんな」「そんな」「あんな」を形容動詞に分類していることである。「こんな」は「このような」の口語表現であり。「この様」という名詞に名詞を修飾する「な」が付いただけである。また、「急の出費」の「急」は名詞だが、「急な用事」の「急」は形容動詞とのこと。英語で wide (広い)は形容詞で、widely (広く)は副詞(adverb)であることは中学生でも知っている。しかるに、日本語では「広く」は副詞ではなく、形容詞「広い」の連用形なのである。こんな国文法を外国人の日本語学習者に教えても、「そんなの関係ねー」と無視されるであろう。当然、「広く」も「静かに」も副詞だと自己流に解釈するであろう。 もはや言うべき言葉が見付からない。こんなデタラメな教科書で日本語を学習させられる日本の生徒が本当に可哀想である。
 なお、すでに国語学者の時枝誠記が形容動詞そのものを否定している。勿論、この説のプライオリティー(先取権)は時枝誠記にある。

 <追記>

 我々日本人が中学2年で学ぶ国文法は、小学校以来、国語(日本語)に慣れ親しんできた子供たちの柔軟な脳を破壊してしまうほどの毒素を持っていると私は思っている。子供たちは完全に日本語そのものに興味を失ってしまい、テストでいい点を取ろうと、国文法の用語を丸暗記しようとする。そして何も残らない(私もそうだった)。

 勿論、世界のどの言語でも文法は重要である。しかし、国文法は他の言語と比較しても文法とは言いがたい。そこから、「日本語には文法はない」とか、「日本語は系統不明の言語である」などの極論が出てくる。日本語はアルタイ語文法を忠実に保持している言語であり、その法則性はきちんと守られている。 私の郷里、徳島の方言で進行形「行っている」を「行っきょる」と言う。またある地方では「いっちょる」と「き」が口蓋化して「ち」となっている。これらは、いずれも「行き・居る」から来たものであり、「 行き」(名詞形)に存在の動詞「おる(居)」が付いたものである。これこそ、アルタイ系言語の基本と言えるものである。






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日本語の諸問題(14) 「する」の連用形「し」と文語形容詞語尾「し」について

2009年03月12日 | 言語

 古文形容詞の活用にはク活用(高し)とシク活用(美くし)があるとされている。先に述べたように形容詞は活用などせず、形容詞語幹につく接尾語「かる」が「から、かり、かれ」と活用するにすぎない。私は「高し」の語尾「し」(終止形)は起源的に不規則動詞「する」の連用形(名詞形)の「し」と同じものだと思っている。その根拠は朝鮮語にある。

 -朝鮮語との類似性ー 
 朝鮮語の形容詞には二種類あり、一つは  ku-n (大きい)がそれで、形容詞語幹  ku に接尾辞  -n  が付くと日本語の「大きい」のように名詞を修飾する。あと一つは語幹に ha-da (する)を付けて動詞と同じように使う。朝鮮語では動詞  ha-da  は二つの意味を持っている。例えば、「研究 ha-da 」は日本語と同じく「研究する」であるが、「健康  ha-da」は「健康する」ではなく「健康である」との意味である。朝鮮語の ha-da は「する」と「そういう状態にある」との二つの意味があり、後者は日本語の形容動詞に相当する。現代日本語の「する」には「そうである」との意味はないが、文語形容詞語尾「し」として残っている。

 文語形容詞「高し」の「し」も、動詞「する」が本来、「そうある」との意味も持っていたと考えるのが自然である。「高し」とか「うるわし」は国文法では終止形とされているが、それだけの説明では不十分である。たしかに、「天気晴朗なれども波高し」では終止形でいいが、昔、「うるわしのサブリナ」というアメリカ映画があった。この場合「うるわし」は終止形ではなく、名詞形と見なさざるをえない。そうでなければ、「うるわしの」と助詞の「の」が付くはずがない。ここに形容詞語尾「し」が本来、動詞「する」の名詞形(連用形)であった証拠でもある。他にも、「いとしのクレメンタイン」「なつかしのメロディー」とか「なしのつぶて」「重しがとれた」などの用例がある。

 唐に渡り、かの地で生涯を終えた阿倍仲麻呂の有名な歌
  

    「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも 」(古今集)
 

 この「いでし月」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形とされているが、この解釈はおかしい、「い」は「居る」の語幹、「で」は「出る」の語幹で「い出る」との言葉が生まれた。「居直る」「居座る」も同じ語法。
 つまり、「し」は「する」の名詞形、「いでし」は三つの動詞の名詞形だと見るべきではないか。「いでし月」とは「いで(居出)」という名詞形に、そういう状態にある意味をもつ「する」(文語は「す」)の名詞形「し」が付いたものと考えられる。その証拠に「いでし月」を「いでたる月」とも言い換えられる。「し」は助動詞「たる」(そうある)と同じ意味を持っているのである。この「し」が独立して、名詞を修飾する接尾語となった。(例、若かりし頃)
 シク活用とされる「うつくし」「うるわし」が名詞の機能をもった語幹と見なせば分かりやすい。そのため、「うるわしのサブリナ」とか「いとしのクレメンタイン」「なしの礫」との言葉が可能であったのである。 

 <追記>
 国文法では形容詞は活用するとされている。しかし、前述したように形容詞「高い」の「い」(古文の「き」)が活用するのではなく、「高(たか)」という形容詞語幹に、「高く」(副詞形成接尾語)、「高し」(終止形成接尾語)、「高き」(名詞を修飾する接尾語)、「安かる」(そうあるとの意味の接尾語「かる」)などが付いて様々な意味の言葉を作ってゆく、(「安かろう」は「安・から・う」から、「安かった」は「安・かり・た」からきた)。「若かりし頃」も「かり」は「かる」の名詞形、「し」は先の「い出し月」と同じ用法である。「若ければ」の「けれ」も「かる」の完了形「かれ」からの音変化と考えられる。(「古語辞典」では「若ければ」は「若く・あれば」から来たとされているが、語源はどうであれ、形容詞活用語尾に「かる」はある)。これらの接尾語はそれぞれ独立した言葉であり、一つの活用と並べることには元々無理がある。
 なお、「蒼(あお)き狼」「古き良き時代」の「き」と同じ用法がチュルク語にもある。ウズベク語で yoz-gi  kanikul  夏の休暇 ( yoz  夏、kanikul  休暇、gi  または  ki  は名詞を修飾する接尾辞 )
 日本語は明らかにアルタイ語文法を持っており、チュルク語、朝鮮語とも親縁性があると考えられる。

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「みささぎ(天皇陵)」と前方後円墳

2009年02月16日 | 言語

 「みささぎ」(御陵)の語源については、「語源辞典」には諸説でている。私はこの言葉の語源のヒントは仁徳天皇にあると思っている。仁徳天皇の和名は『日本書紀』には「大鷦鷯(オホサザキ)」とあり、『古事記』には「大雀命」とある。「サザキ」とは「古語辞典」には「ミソサザイ」という鳥の一種とあるが、古代語では「サザキ」は鳥一般の意味に使っていたことが古事記の「雀」の漢字表記からも分かる。この「サザキ」は現代日本語で「かささぎ」として残っている。なお、満州語で「小鳥、 雀」を CECIKE (チェチケ)と言う。上古日本語では「さ」は「ちゃ」であったらしいので、非常に興味深い。
 朝鮮半島の山野に生息する「カチ」は神聖な鳥と畏敬されている。この「カチ」は日本では「かささぎ」と呼ばれ、佐賀県などの北部九州にも生息している。俗称、「カチガラス」とか「朝鮮ガラス」と呼ばれている。「かささぎ」の「か」は「かみ(神)」であろう。「神楽(かぐら)」と同じ用法である。(「くら」は場所の意味・・高御座、また倉庫を「くら」とも言う )。
 この「さざき」に敬語「み」が付いたものが「みささぎ」であろう。なぜこの言葉が生まれたのか。それには古代人の信仰にも踏み込まなければならない。そうして、前方後円墳の形状の持つ意味をも解明してくれる。

 ー古代人の鳥に対する信仰ー
 古墳からの出土物の中に鳥型の埴輪がある。この埴輪は全国的に分布している。応神天皇陵とされている誉田山古墳や継体天皇陵である可能性が高い今城塚古墳、大阪藤井寺の津堂城山古墳などの出土例がよく知られている。ごく最近にも、愛媛県・今治市の古墳時代の前方後円墳(高橋仏師1号墳)から鶏形埴輪が出土しているし、兵庫県・和田山の前方後円墳(池田古墳)の周濠部からは7個もの水鳥形埴輪が発見されている。発掘担当者の見解では、その他の出土埴輪と共に、墳丘上もしくはその周辺部でなんらかの祭祀が執り行われたのであろうとのことであった。また、すでに古墳の周濠から鳥形の木製品が出土した例もあり、これも被葬者を偲ぶ祭祀に使われたものだと考えられている。 つまり、鳥は天上と地上を結ぶ聖なる生き物であるとの考えに由来すると思われる。
 
 この考えは全世界的に分布しており、人類普遍的な思想であり、日本特有のものでもない。例えば、チベットの「鳥葬」やインドのムンバイ(旧ボンベイ)に住む古代ペルシャのゾロアスター教の伝統を受け継ぐパルシー(ペルシャ人の意味)が行う「沈黙の塔」に死者を置く葬礼など。だだし、これらの風習も今は政府により禁止されている。
 「記紀」の神話にも「天の鳥船」や「八咫烏(ヤタガラス)」など、鳥にまつわる話が出てくる。また、九州の彩色古墳の中には、船の舳先に鳥を描いたものもあり(福岡県浮羽郡吉井町の珍敷塚古墳)、鳥が死者の魂を天上に運ぶという古代人の信仰生活に由来している。古事記にある「倭健命(ヤマトタケル)」の魂が伊勢国から河内国に飛翔し、そこに白鳥陵が築かれたとの神話も、同じ思想が投影されている。
 
 ー前方後円墳は上空から見るものー
 日本の前方後円墳は地上から見ると単なる小山に過ぎない。私たちが歴史書や教科書で見る前方後円墳はすべて上空からの写真(航空写真)によるものであり、それを見て、そのすごさ、巨大さを認識している。つまり、古代人も明らかに上空からの姿を意識している。つまり、天上の神にその姿を見せるための形状であったと考えるのが自然である。  古墳そのものが、天上に死者の魂を運ぶ「天の鳥船」であったのであろう。そのため、天皇や皇族の墳墓は「さざき(鳥)」と称されるようになり、尊敬の「み」が付いて「みささぎ」となったと考えられる。(日本語の音声上の特徴として、清音と濁音は容易に入れ替わる)。
 前方後円墳を上空から見ると明らかに「鳥」を腹から見た形状をしている。古墳の初期(弥生時代)には単純な円墳や方墳であったが、死者の魂を鳥が天上に運ぶとの信仰が日本に入ってきて以後、古墳の形状が鳥型(前方後円墳)に変化していったのであろう。しかし、日本に仏教が伝来してのち、この形状はすたれ、また元の単純な円墳や方墳に戻ってしまう。
 

 ーナスカの地上絵も同じ思想ー

 上空からの形状を意識する思想はなにも日本だけではない。南米ペルーの「ナスカの地上絵」も同じ思想に基つ"いていると考えられる。上空からの地上絵の写真を見ると、明らかに天上の神に見せようとした古代人の精神思想がうかがえる。その中でも一番有名な地上絵は、南米の鳥、コンドルを描いたものとされている。コンドルこそ天上の神と地上の人を結ぶ聖なる鳥であった。今でも、コンドルは霊鳥として南米の人々に畏敬されている。
 また、南北アメリカ大陸の先住民の戦士たちが、戦闘に際して鳥の羽根で身を飾るのも、自身が鳥となり霊力を身に付け、死後も鳥となって魂が天上に戻るとの信仰から生まれたものに他ならない。最近は人権上、インディアン討伐の西部劇は作られなくなったが、私の子供の頃はこの種の映画が花盛りであった。また、スペイン人に滅ぼされた南米のインカ、アステカの戦士たちも鳥の羽根で身を飾っていた。
 「みささぎ」(天皇陵)の語源は「鳥(さざき)」であり、前方後円墳の起源でもある。

 <追記>
 神社の前に必ずある「鳥居」も形状的に鳥を模したものと考えられ、まさに「鳥が居る」との意味である。(「居」は「居(ゐ)る」の名詞語幹で、「居留守」「鴨居」「敷居」などと同じ用法である)。鳥居の起源はよく分かっていないが、弥生時代の遺跡からは鳥形木製品が出土している(大阪和泉市池上遺跡など)。古墳時代には、墳丘の周りで鳥型の埴輪や木製品を立てて、なんらかの祭祀を執り行ったことに由来しているのではないか。鳥居をくぐると、そこからは神々がいます神域である。神域と人域を、天上と地上に模していると考えるのが自然である。その間を取り持つのが鳥であり、神社の鳥居ではないのか。
 

 なお、日本の弥生時代の鳥形木製品を、韓国で今でも村の入り口に立てる「チャンスン」(鳥竿)と比較する人がいるが詳しくは解明されていない。私の考えでは韓国の「チャンスン」は村に厄病や災いを持ち込ませない一種のおまじないであり、日本のお地蔵さんと同じ思想であろう。ただ、竿の先に鳥を付けるのは、やはり鳥にたいする信仰が古代には日本と共通していたことを物語っていると思う。
 また、中国清朝の発祥の地、瀋陽故宮(奉天行宮)には、竿の先にカササギの木像を載せたトーテムが今でも残っている。昔は北京の紫禁城にも同じものがあったらしいが今はない。清朝を打ち立てた満州族と朝鮮民族との近さを物語っている。新羅の王姓は「金」、清朝の王姓も「愛新覚羅」つまり、満州語の「アイシン(金)」である。

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日本語の諸問題(13) 形容詞に活用はあるのか

2009年01月17日 | 言語

 「かろ(かっ)、く、い、い、けれ」、このおまじないのような言葉を聞いて、これが日本語形容詞の活用だと分かる人は、よっぽど中学時代に国語の試験でいい点を取ろうとがんばった人である。まったく無駄な努力であり、形容詞は活用などしないのに、まさに嘘を教えられた被害者でもある。
 形容詞というのは「美しい花」とか「桜は美しい」というように「美しい」が形容詞である。「美しい」「広い」「大きい」などは動詞のように活用はしない、するのは形容詞語幹に付く助動詞にある。助動詞は動詞に準ずるもので活用する(活用しない助動詞もあるが)。形容動詞「静かな」の「な」は助動詞「なる」の「る」が消失したものであり、英語の be 動詞に当たるものである。意味は「そういう状態にある」、つまり、形容動詞 (形容詞的意味を持つ動詞) などという品詞は存在しないのである。名詞語幹に助動詞が付いた言葉にすぎない。
 
 ー形容詞の語幹ー
 形容詞の語幹の中には例外的に名詞機能を持っているものもある。例えば、「タカをくくる」という言葉があるが、この場合「タカ(高)」は明らかに名詞である。つまり、形容詞「高い」では語幹「高(たか)」に形容詞形成の接尾語「い」(古文では「き」)が付いたものである。「高(たか)」は次のように単語を作ってゆく。「高い」「高く」「高さ」「高々と」「高窓」「高見の見物」「高まる」「高める」「たかる」「高ぶる(振る)」、つまり、形容詞の「高い」もこれら単語群の一つに過ぎない。動詞・助動詞は活用するが(それも、「読ま」「読み」「読め」のように、-a   -i   -e  の3種類だけである)。形容詞「高い」は活用するのではなく、これ自身独立した言葉である。語幹にまったく別の接尾語が付いただけである。
 
 未然形とされている「高かろう」は「から-う」からの音変化した接尾語であり、助動詞「かる」は「から、かり、かれ」と活用する。仮定形とされている「高ければ」には「けれ」が付く(「かれ」からの音変化であろう)。つまり、形容詞「高い」の「い」とはまったく別の機能の接尾語である。これらを一つの活用形にまとめることには無理があるし、学習者に誤解を与える。この仮定形「ければ」は「かれ・ば」が音変化して出来たものであり、活用するのは「かる」の部分である。この「かる」は古文にはあるが、国文法では助動詞に分類されていない。あくまでも形容詞の活用語尾とされている。これは根本的におかしい。
 
 ー助動詞「かる」ー
 古文で、「良ろしかるべし」という言葉がある。この「かる」は文語形容詞の活用語尾とはせず、「たる」「なる」と同じ助動詞とするべきである。文語表現の「若かりし頃」の「かり」は「若く・有り」から出来た言葉とされているが、それより、助動詞「かる」の名詞形(連用形)とした方がより自然である。従って、「かり」は名詞形なので、名詞に付く接尾語「し」が付いて「若-かり-し-頃」との言葉ができた。つまり、「若ければ」と同じく元は「かる」である。 要するに、「高い」という形容詞が活用するのではなく、「高(たか)」という形容詞語幹に付く助動詞「かる」が活用するのである。文語の形容動詞とされている語尾「たる」「なる」も形容詞語幹に付く「かる」も、これらはすべて「そういう状態にある」という意味を持つ助動詞とすべきである。「なる」は動詞の意味もあり、 英語の  become  に当たる。
 

 結論として、形容詞語幹に付く助動詞「かる」(そうある)を設定すべきである。日本語の文語表現「良かれと思って」「良からぬ噂」とか「遅かれ早かれ」「浅からぬ因縁」という言葉は古語の「かる」が残存している好例である。これらは古文ではない。今でも日常よく使われる現代日本語の文語表現である。
 このように考えると、日本語の単語の構造がよく分かる。例えば、「長(なが)」は次のように造語してゆく。「長い」「長く」「長さ」「長々と」「長らく」「長袖」「長めの袖」「眺(長)める」「流(長)す」「流(長)れる」(古語は「流る」)の如く言葉が作られてゆく。「日本語に文法はない」と言った人がいるらしいが、日本語はむしろ理路整然とした単語造語法と文法体系を持っている。それを意味不明の難解なパズルのようにしたのは他でもない、「国文法」である。

  この助動詞「かる」はすでに万葉集にも用例があることを書いているので併せて読んで欲しい、(「すべからく」の語源 2021・10・30)

 <追記>
 アルタイ系言語を学ぶと、名詞に付く動詞形成の接尾辞が重要な位置を占めていることに気付く。一見、日本語とは異質の言語のようなイメージを抱くが、実は日本語にも存在する。「帯(おび)」から「帯びる」、「曇(くも)」から「くもる」、「真似」から「真似る」など、その他、擬態語「そよそよ」から「そよぐ」、「ころころ」から「ころぶ(転)」、擬音語「ざわざわ」から「騒ぐ」(「ざわつく」は動詞「付く」が付いたもの)。これら「る」「ぐ」「ぶ」などが動詞形成の接尾語である。国語の授業でも、このように日本語の単語の構造も教えることが大切であると思う。そうすれば、生徒も日本語、ひいては言語そのものに興味をもつようになるはずである。正直言って、現在の国文法(学校文法)には国語教師も生徒も皆うんざりしている。
 

  

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日本語の諸問題(12) 仮定形・已然形とは

2009年01月08日 | 言語

 已然形とは「すでにそうである」との意味であるが、これもチュルク語の用法と基本的に一致している。ウズベク語では bos-ib oldim.(押さえた) この文を直訳すると「押して・得た」となる。( bos-ib 押して ol-dim 私は得た )。  ol-は「得る、取る」、英語の get に当たる。(他のチュルク諸語では  al- 得る)。 ウズベク語では ol- 「得る」を使うことによって、動作が終了もしくは静止した文を作る。つまり、日本語の已然形の文である。この用法は朝鮮語にもある。-ass/-oss がこれに当たる。
 
 -「得る」の重要性ー 
 日本語の已然形にもチュルク語同様「得る」が重要な役割を果たしている。結論から先に言うと、動詞の名詞形(連用形)に「え(得る)」が付いたものであると考えられる。
 例えば、yomi-e から yome(読め)、kaki-e から kake(書け)のように。「得る」による日本語の造語法には「押さえる(押す)」「聞こえる(聞く)」などのように静止・状態の動詞を作ってゆく。現代語の仮定形、つまり古語の已然形「読め」「行け」「咲け」などは動作が終止・静止に向かう状態をさす言葉である。勿論、これらは「読め」「書け」と命令形にもなる。
 
 -已然形(完了形)は今もあるー 
 万葉集にある「夕去れば」(已然形)と「夕去らば」(未然形)では明確な意味上の違いがある。「夕、去れば」は「すでに夕方になっている(完了)状態」であり、一方、「寄らば斬るぞ」は「寄ってくれば(発展)状態」であり、共に「ば」の機能は同じである。後に、未然形「行かば」「鳴かば」が使われなくなったため、後世、已然形が仮定形と称される要因となったと考えられが、実はそうでもない。    

 例えば、現代語でも「私が君ならば、そんなことはしない」と言うように、「なる」の未然形「なら」に仮定の接尾語「ば」が付くと仮定の文になり、なにも古文だけの用法ではない。文語用法は現代語にも生きているのである。「読め」や「降れ」に仮定の意味がある訳ではない。例えば、「読めた」「取れた」などは動作の可能と完了の意味である。なぜ「読め」「書け」が学校文法で仮定形とのみされているのか理解に苦しむ。完了の意味もあるのである。

 英語で If it rains tomorrow. (明日、雨が降れば)は仮定形の文であるが、rains に仮定の意味があるのでなく、文全体にあることは誰でも分かることである。しかるに、現代国文法では「降れ」は仮定形とされている。理解に苦しむだけでなく、学習者に大きな誤解を与える。古語「降らば」は雨がふるかどうか分からないが、現代語「降れば」は、雨が降ったらと、「降る」ということがあればと言っているのであり、共に仮定の文とも言える。私が先に述べたように、未然形は「それに向かっている」ことであり、已然形は「それが完了、終止すること」であり、仮定の意味は助詞「ば」にあるのである。

「宝クジに当たれば」はたしかに仮定であるが、「春になれば桜が咲きます」は仮定とは言えない。「春になると」との意味であり、条件完了と言える。つまり、「夕されば」は現代語でも「夕されば」(夕方になると)であり、現代語と基本的に同じである。
 従って、「読めば分かる」という文は現代語では仮定形とされているが「読むという動作が終了すれば」との意味であり、已然形の要素は残されている。また、「住めば都」とか「勝てば官軍」も同様である。現代日本語でも已然形は使われている。けっして、古文だけの用法ではない。つまり、「得る」自身が動作の終了もしくは完了の意味を持っているのである。これはチュルク語や朝鮮語と同じである。その対極にあるのが未然形であり、前述したように、「読ま」「行か」「咲か」とその方向に向かってゆく意味を持っている。(例、花咲か-じいさん、花を咲か-そう)。
 
 -仮定形には完了の意味もあるー 
 また、仮定形に過去・完了の助動詞「た」が付くと「読めた」(読むことが出来た)と可能の意味にもなる。「読めた」は完了の意味も持っている。つまり、古語の已然形「読め」は「読め・リ」と言って完了の意味であったが、已然形が失われてゆく過程で「読める」との可能の意味を持つようになり、「り」に代わって「た」が使われるようになった。「読めた」は可能と完了の両方の意味を持っているのである。
 
 ところで、「得る」で可能の意味を作る用法はちゃんとチュルク語に存在している。ウズベク語では yoz-a olaman. で「書ける」(可能)となる。また、yoz-ib oldim で「書き取った」の意味になる。 yoz-書く、-a はつなぎの母音、 olaman (私が)得る、日本語「書けた」が「書き終えた」(完了)と「書くことが出来た」(可能)の二つの意味を持っているのはチュルク語と全く同じである。日本語文法はチュルク語と親縁な関係があると思われる。 
 英語でも She got married.(結婚した)と get で完了体をつくるように、人間の感性は共通している。
 現代日本語では「読め・る」「書け・る」などは可能動詞、「取れ・る」は自動詞と呼ばれているが、その起源は動詞「得る」にある。
 
 論点をまとめると、
1)已然形は動詞の名詞形(連用形)に「え(得)」が付いたものであり、終止・完了の状態を表す。学校文法で仮定形とされているのは根本的な誤り。「書け-た」は「書き終えた」もしくは「書くことが出来た」とのことなので、現代語でも已然形又は完了形とするべき。助詞「ば」が付くと仮定の意味を持つ文にもなるだけである。

2)万葉集にもある已然形に「ば」が付く場合、「夕されば・・」とか「夕浪千鳥汝が鳴けば」も現代日本語でも理解できる。つまり、「夕方になれば・・」「汝が鳴くと」であり、現代語と同じ。「去れ」や「鳴け」自体が仮定形ではない。このような名称は学習者に誤解を与える。已然形(完了形)は復権すべきである。

3)現代日本語動詞の活用は次のようになる。
  基本形「読む」(これは連体形であるが、終止形も兼ねる)

 1.発展形・・読ま(その方向に向かう)

 2.名詞形・・読み(連用形と称されているもの)

 3. 完了形・・読め(終止、静止状態)
 
 呼び掛けの「行こう」も未然形「行か」に願望の助詞「う」が付いたものである。 学習者は「読ま、読み、読め」、の3つを暗記すればよく、「ま、み、む、む、め、め」などは廃止すべき。また、「見る」の場合は、基本形が「見る」で、「見(み)」が名詞語幹である。(花見、見もの、見方)。仮定形を作るとき、接尾語「る」が「れ」に音変化するだけである。
 最後に文語とされている「寄らば大樹の陰」「死なばもろとも」などの表現も、現代日本語の文語表現として認知すべき。文語表現は古語に由来しているが現代語の一部である。

 <追記>
 最初に述べたように、国文法(学校文法)はまさに拷問である。動詞の五段活用とか上一段活用などの意味不明の用語が出てくる。生徒は全く理解できない。このような苦痛からの解放なくしては日本語、ひいては日本文化の未来はない。日本語は整然としたアルタイ語文法を持っており、音声構造さえきちんと把握すれば、けっして難しい言語ではない。勿論、これは外国人の日本語学習者にも当てはまることである。なお、助動詞の活用も動詞に準じている。

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日本語の諸問題(11) 国文法・未然形の矛盾

2008年12月26日 | 言語

 我々日本人が中学校で学ぶ国文法により、日本語の動詞は活用するものであり。あくまで、動詞が主体的に音変化を起こすものであると思い込まされている。しかし、このような音変化は基本的にアルタイ諸言語が共通して持っているものである。チュルク語や朝鮮語では母音の変化として非常に分かり易い。日本語では動詞、形容詞、形容動詞、助動詞などの活用と定義されている。しかし、日本語では子音と母音に切り離すことはできない。それは日本語が他のアルタイ諸言語とは違い、開音節(子音プラス母音)という音声構造を持っているからである。日本語動詞の活用は非常に特殊であると言える。

 ー国文法「未然形」とは何かー
 辞書を引くと、「未然」とは「まだそうなっていないこと」とか「いまだその動詞の動作が実現していないこと」などと説明されている。それゆえか、外国人向けの日本語教本には未然形を  negative (否定)  とか  future (未来) などと訳している本もある(例、読ま-ない)。
 では、使役の助動詞「せる、させる」が付くとどうなるのか。たしかに、「読ま-ない」は  negative  でいいが、「先生が生徒に本を読ませた」という文を外国人のみならず、日本の中高生にどう説明するのか、また古文でも「渡ら-せ-給ふ」という文が出てくる。この場合、「渡ら」は未然形であるが、今、渡って来ているのである。未然形はただ否定のみに使われるものではない。他に、「読まれる」とか「書かれる」のように受身の場合も未然形を使う。「村上春樹の小説は世界中で読まれている」という文は明らかに完了形である。

 また、日本語を言語学的に解釈すると称して、動詞の活用を子音と母音に切り離して「読む」の語幹は  yom  であり、yom-a   yom-i yom-e  などのように、日本語は母音部分を変えることにより、文を作ってゆくなどと、驚愕の論考がある。事実、そのように説明していた外国人向けの日本語文法書を知っている。この考え方は真にもっとものようであるが、日本語の音声構造を無視した空想の産物である。
 
 アルタイ諸言語は子音で終わる単語と母音で終わる単語の両方を持っている。例えば、ウズベク語では  yoz- が「書く」であり、yoz  (ヤズ) と聞けばすべてのウズベク人は「書く」を、 o`qi  (オクー)と聞けば「読む」を連想できる。では、日本人は   kak-u  の   kak   や  yom-u  の   yom  を聞いて何か連想できるだろうか。先に述べたように日本語は「 書く  kaku 」とか「 読み  yomi 」 のように子音と母音の音節から成り立っている。これは古代から現代に至るまで一貫している。だからこそ、漢字一文字を一音節として利用した万葉仮名が生まれ、万葉集という人類史上優れた文学作品を創り出したのである。万葉仮名の原形を先駆的に使用していた古代朝鮮は、自分たちの言語にうまく適用できず、消えてしまった。( 朝鮮語の「朴」は  pak  と子音で終わる )。

 これを物理学にたとえると、言語は水のような物である。文字として目にすることが出来るし、音声として聞くこともできる。しかし、水を水素と酸素に分解すれば、目に見えないし、物として認識できない。つまり、日本語の音声構造はこれ以上分解できない水のような存在である。では、なぜ「読み」(名詞形)に「ない」とか「せる」が付くと「読ま」となるのか、それを明らかにしたい。

 ー日本語のアルタイ語的要素ー
 チュルク語や朝鮮語にはつなぎの母音という言語機能があり、ウズベク語では   bor-a-man  で「私は行く」と現在形を作る ( bor-  行く ) 。朝鮮語でも   sar-a-issta  で「生きている」と継続的存在を意味している。( sar- 生きる、住む )。 日本語の未然形もこれらつなぎの母音  -a  と同じ機能を持っていると思われる。まさに、その動詞が動きつつあること、継続、発展の意味を表わしている。先に述べたように、日本語独特の音声構造から「読ま」とか「書か」となる。「読まない」とか「読ませる」は明らかに「読む」方向に向かっている。それを「ない」で打ち消し、「せる」で強いる意味をつくる。
 

 結論として、未然形は「まだそうなっていない」という意味だけでは不十分で、「そうしようと向かう」という意味も併せ持っている。しいて名付けるとすれば、「発展形」とでも言うべきか。呼び掛けるときの「行こう」も「行か-う」から来ており、私の説を支持している。(日本語では「あ」から「お」への音変化は一般的である。蔵人「くらびと」が「くろうど」、「向かい側」が「向こう側」になるように)。他にも、「花咲か爺さん」とか「花を咲かそう」などの言葉も、そうしようと向かう意味である。

 古文では未然形に「ば」がつくと仮定形とされているが、単純に仮定形とも言えない要素もある。 万葉集の次の歌 「海行かば 水つ"く屍、山行かば 草むす屍・・・」、「我、行かむ」が強い意志を表しているように「海を行く」との大伴家持の強い意志が表れているとみるべきではないか。やはり、「行か」は「行くに向かう」のであり、動詞の未然形という定義だけでは、日本語の理解には不十分である。現代語では「行けば」となるが、なぜ、已然形に付くようになったのか、それには明確な理由がある。(次章で触れるが、已然形の真の意味そのものにある)。国文法未然形は、勿論、現代語の仮定形、古文の已然形と対極な関係にある。つまり、発展してゆく  -a  と、 静止に向かう  -e  である。

<追記>
 たしかに、私の言う発展形もそれに向かっているのであるから、基本的に未然形と同じ物ではある。しかし、「まだ動作が行われていない」という説明だけでは不十分で、「外国に行きたい」とか「学校に行く時」のように、この場合の連用形と連体形も未然形と同じ意味になってしまい、学習する側は混乱してしまう。つまり、「行きたい」も「行く時」も共にまだ「行く」という動作は行われていない。日本語動詞の未然形は明らかに不完全な用語である。
 
  

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日本語の諸問題(10) 助詞「の」と「が」と「は」について

2008年12月22日 | 言語

 額田王の有名な歌 「あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」

 実は、「君が袖振る」の原文は「君之袖流布」と「之(の)」となっている。これは、後世の人が「君が」と変えた方が語感、語調ともに良いとの考えからそう読んだのであろう。この万葉仮名の「之」は音読みで「し」にも使われており、「君し袖ふる」との訳語もある。(この場合「し」は強調の意味)。他にも同じような例がある、「君が行く道の長手を・・・」の場合、原文は「君我由久・・・」とあり「君が行く」である。また、別の歌「妹之當吾袖・・・」を「妹があたりわが袖」と読み下している。(岩波版「万葉集」)。原文を見る限り、「君」や「妹」は必ずしも助詞「が」を取っていない。一定性はないようである。
 上記のことから、助詞「の」と「が」は同じ機能を持っていたと言える。これらの歌は属格助詞「が」と主格助詞「が」の由来について重要な示唆を与えてくれる。
 

 現代日本語でも 「私の書いた本」と「私が書いた本」はほぼ同じ意味である。「私が」は国文法では主語とされ、「書いた本」は述語と決められている。なぜ、この主格助詞「が」が生まれたのか。「私が書いた本」を単語に分類すると 「私-が-書い-た-本」 となる。国文法の連用形とは名詞であることは先に述べた。もっと分かり易く文語で言い換えると、この文は「我が書きたる本」となる。すでに前述の(8)と(9)を読まれた賢明な読者はお分かりのことと思うが、これは「我が子」「君が代」の「が」と同じものである。「我が-書き」とは、まさしく、「書き」という名詞(連用形)につながって行く語法である。「たる」は断定・完了の助動詞、現代語は「た」。かくして、属格助詞「が」の精神を持った主格助詞「が」が生まれたとするのが私の考えである。そのため、この「が」は常に主語を強く意識した方向性を持っているのは理の当然である。
 

 厳密に分析すると「私の書いた本」と「私が書いた本」では微妙な違いがある。前者は語感としてやわらかい表現であり、「私の書いた」は「本」を修飾する。後者は「私が」と自分を強く主張して、「書いた本」にかかってゆく。つまり、自己に所属し、自分の方に向かわせる強い意志がそこにある。これこそ、「我が子」「我が背」「君が代」と同じ感性がある。
 前述の「梅が枝」も梅に付属する枝との意味が強いが、「梅の枝(えだ)」となると、たまたま、これは梅という木の枝であると、意味がやわらかくなる。勿論、語感とか語調なども重要な要素ではあるが・・・。先の大野説のようにウチとソトを区別したものでは決してない。このように、自己を強く主張する主格助詞「が」は朝鮮語にもある。 ちなみに、チュルク語の一つウズベク語には日本語の助詞「に、へ」に当たる「 ga 」がある。
 Men-ga bering. (私にください)、Men-ga 私に、 bering ください 
 これは、偶然かもしれないが興味あることである。

 では、主格助詞「は」はどうか。これと同じものがウズベク語にある。 
 Men esa kinoga bormayman.(私は映画に行かない) e-sa の  e は存在の動詞(日本語の「居る」に当たる、 sa は日本語の仮定の「ば」に同じ、kino-ga  映画に、bormayman  行かない。つまり、e-sa は直訳すれば「あれば」であるが、分かり易く言い換えると「私としては、私の場合は、私については」との意味になる。
 主格助詞「は」が仮定の「ば」と何らかの関係があるのかどうかは分からないが、ウズベク語の  esa  と意味上は完全に一致する。(万葉集では主格の「は」は「波」で書き表わされ、仮定の「ば」は「婆」で表記されている)。
 

「私は行きます」も「私の場合は行きます」との意味であり、「私が行きます」は「我が行き・あり」(助動詞「ます」は古語の「ます(坐)」の概念を引き継いでいるからこそ不自然でないといえる)。つまり、「行くのは私である」と強く言っているのである。勿論、この両者の区別は国語学で従来から言われてきたことではあるが、主格の「が」と属格の「が」本来、同じ起源の言葉であるとの論考は私が最初であると思うが、そうでもないかも知れない。膨大な過去のすべての資料に目を通すわけにはいかないので・・・。

 <追記>
 大分前になるが、「僕はうなぎ(鰻)だ」と「象は鼻が長い」という文で、国語学者の間で大論争が起きたことを記憶している。これも私の理論では簡単である。「僕は」は「僕の場合は」という意味で、英語の  as for me  にあたる。つまり、「私の場合はうなぎ(料理)だ」と言っているのであり、「象は」は「象について言えば」となり、「鼻が長い」は象の鼻に付随する情報はこうです、と言っていることになる。もし「象の鼻は長い」であれば、「象の鼻について言えば、長い」との意味になる。なぜ、こんなことで論争になるのか不思議である。

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日本語の諸問題(9) 国文法・連用形の正体

2008年12月17日 | 言語

 我々日本人は誰でも中学校で国文法を学ぶ。未然、連用、終止、連体、仮定、命令、のあれである。こんなことを知らなくても、中学生ともなれば新聞ぐらい読めるし、簡単な文も書ける。私にとって国文法の授業は退屈以外なにものでもなく、むしろ拷問に近いものであった。大方の日本人がそうであったであろう。この国文法からの解放なくして日本語に未来はない、私はそう思っている。
 
 ー連用形の矛盾ー
 国文法・動詞の連用形については、これまでも多くの人からその矛盾が指摘されている。連用形というのは用言(動詞、形容詞、形容動詞)に続くとの意味であるが、なにもそれだけではない。例えば、「この本は読み易い」では、「やすい」という形容詞に付くが、「読みが深い」では助詞の「が」に付く。「読んだ」とか「書いた」では過去・完了の助動詞の「た」や「だ」に付く。(「読んだ」の「だ」は音便化のため濁音となった。つまり、yomi-ta が yon-da, 「書いた」は kaki-ta の k が脱落したもの)。
 

 これまで、動詞の連用形の名詞化、つまり「私は釣りが好きだ」の「釣り」は動詞「釣る」の連用形が名詞として使われるようになった、というのが国語学の法則である。この名詞化は英語の動詞の名詞化(動名詞)  I  like  playing  tennis. の影響で生まれた概念だと思われるが、この名詞形こそ日本語がアルタイ系言語のまぎれもない証拠である。

 -紫式部も清少納言も「連用形」なる言葉は知らないー
 日本人は無意識的に動詞の基本形「読む」とか「書く」があり、それが様々に活用すると思い込まされでいるが、万葉時代の柿本人麻呂も王朝時代の紫式部もそのような概念を認識した上で、歌や小説を創作したわけではない。後世の人が日本語の文法体系を人為的にこしらえたものである。現在の国文法(学校文法)は明治の橋本(進吉)文法を基本的に踏襲している。この文法の最大矛盾は動詞の連用形である。
 

 結論から先に言うと、動詞が名詞化したのではなく、そもそも後世、連用形と称される言葉が最初にあったのである。例えば、「よみ」という言葉があり、これは「歌詠み」とか「読み人」のように、本来名詞であり、この「よみ」に様々な接尾語をくっ付けて文を作っていった。「読み・たり」「読み・き」「読み・けり」「読み・給う」とか、「読み・つつ」「読み・ながら」「読み・て」「読み・が深い」の如く、また「読み・続ける」のように動詞にも接続する。

 その他の動詞でも「上げる」「下げる」の場合は「あげ」「さげ」が名詞語幹であり、(例、お膳の上げ下げ、お下げ髪)、「取る」の場合は「取り」が名詞形、「得る」の場合は「え」が名詞語幹である(例、取り得、こころ得)。また、「見る」の名詞語幹は「み」である(例、見方、花見)。 このように名詞形こそ日本語の動詞の基本であり根幹でもある。従って、形容動詞などという品詞は存在せず、名詞形(語幹)に「たる」とか「なる」の助動詞(接尾語)が付いただけである。(例、堂々たる人生、 静かなるドン)。つまり、「堂々」も「静か」も名詞機能を持った言葉なのである。
 

 分かりやすく言うと、まず、名詞形があり、それに様々な接尾語が付くことにより文が構成される。(このような言語を膠着語と言う)。 否定の「ない」が付くとなぜ「読まない」と「読ま」となるのか、これはアルタイ諸語特有の音声構造と関係があると思われる。このことについては次回に触れる。

 -日本語動詞の基本形は連体形ー
 なお、動詞の基本形(文法用語)とされている「読む」や「走る」は本来、連体形、終止形とされているものである。例えば、「我が行く道」の「行く」は連体形であり、「我は行く」は終止形とされるが、文語的かつ詩的な表現として連体形で文を終止できるというだけのことである。

 この用法はチュルク語にもある。ウズベク語では bo`l-ar  ish  bo`l-ar. という例文が「ウズベクーロシア語辞典」に出ている。 bo`l- は「成る」、-ar  は連体形を作る接尾辞であり、かつ文を終止することも出来る。、ish は「事」、直訳すると「成る事は成る」、つまり 「物事は成るように成る ーあくせくするなー」 との意味である。ウズベク人らしい・・。
 日本語の連体形と終止形もアルタイ語文法で考えれば、区別する必要はない。


  ー柿本人磨呂の歌ー
 「大君は神にし坐(ま)せば天雲の・・・」は原文は「皇者 神ニ四坐者 天雲之・・・」とある。岩波版「万葉集」では「大君は神であるから」と訳されており、この「四」( し )を強調の助詞としている。これはおかしい、「し」は「する」の名詞(連用)形とみるべきであり、「し置く」とか「し出す」と同じ用法であり、訳は「大君は神である」との意味でいいが、「し」は助詞ではない( 例、仕置家老、仕出し弁当 )。つまり、この「し」は強調の意味も併せて持っているのである。古歌にある「大和しうるわし」の「し」がそうである。「大和こそうるわしい」と強調しているのである。文語形容詞語尾の「し」(「高し」「良し」)も同じものであろう。

 同じく万葉集の「草枕、旅にしあれば・・・」も「し・在る」と解釈すべきで、「旅をしているときは」と読むべきである。また、「天にまします神」という表現も「まし」は動詞の名詞形、「ます」は助動詞の「ます」と見るとすんなり理解できる。助動詞の「ます」も動詞「ます(坐)」が助動詞化したもので、本来、同じものである。機能上の区別にすぎない。つまり、英語の  be 動詞にあたる。be  動詞は普通動詞(ある、いる)と助動詞の二つの意味がある。この「ます(坐)」はチュルク語の存在の動詞   bar(バル)  と比較できる 。

 現代語の「行きます」の「ます」の起源については辞書類には諸説出ているが、通説どおり、江戸時代の「行き・申す」から生まれたものであろう。「申す」は薩摩の方言では「もす」と発音されていた。明治時代に日本語の全国統一化(いわゆる標準語の作成)の過程で、音の類似した古語の存在の動詞「ます(坐)」が選ばれたと考えられる。

 <追記>

 今、小・中・高校の国語教師に「国文法の連用形とは何ですか」と質問すると、だれも明確には答えられないであろう。教科書にそう書いてあるからだと言うほかない。では、国文法教科書の執筆者である大学の国語・国文法の先生に聞いても、おそらく、そんなことは明治の橋本進吉先生に聞いてくれと言って逃げるであろう。例えば、外国人用日本語教科書には、「連用形」は英語で  continuous  (連続・継続) と訳されているものもある。しかし、未然形でも仮定形でも文は連続・継続する。国文法の連用形とはそれほど意味不明の言葉なのである。

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日本語の諸問題(8) 国語学者の奇妙な論考

2008年12月10日 | 言語

1) 国語学者の奇妙な論考 (その1)
 国語学者大野晋氏はその著『日本語練習帳』(岩波新書)の中で、助詞「の」と「が」の違いについて世にも不思議な論を展開している。原文では次のようにある。
 
「原始日本語の社会では、ウチとソト(話し手のごく近い所とそれ以外)の区別が鮮明で、助詞でもウチ扱いには「ガ」、ソト扱いには「ノ」と区別していたのです」

 同氏はウチ扱いの証拠として、万葉集では「我が子」「君が代」のように「が」は、わ(我)・あ(吾)・おの(己)・な(汝)・きみ(君)・いも(妹)・せこ(背子)などに付くという。その数は、「が」全体の8割を占めると言う。つまり、2割はそうでないということでもある。そうして、ソト扱いの「ノ」は「大君の命」とか「神の社」のように天皇も神もソト扱いであったとし、天も地も雨も風も、春夏秋冬も同じだと言っている。

 ところが、続けて、「ガは少数、地名とか動植物に付くこともありますが、それは内部の人に準ずる扱いを受けるようになったものと見られます」と、内部の人に準ずる扱いとは一体全体どういう意味か、単なるご都合主義である。この論理でいけば「梅が枝(え)」の梅はウチ(身内)の物だが、「桜の枝(えだ)」の桜はソト(他者)の物と見なしたことになる。では「梅の木」の梅はどう説明するのか、「梅が木」とは言わない。
 万葉集にも「梅の花(烏梅能波奈)」があれば、「梅が下枝(梅我志豆延)」(巻5)がある。このニ首を比較すると、「の」は単に「花」を修飾しているだけであるが、「が」は前の名詞に付属する意味を持たせていることが分かる。つまり、「梅が枝」とは「梅の木から延びたまさにその枝」との意味である。一方、すでに切られた「梅の枝(えだ)」を「梅が枝(え)」とは言わない。この区別だけは明確である。しかし、すべてがこの用法どおり解釈できるものでもない。万葉集でも「が」と「の」の使い方は多様である。(なお、ウズベク語には日本語の助詞「に」に当たる  ga  があり興味深い)
 いや、そうではなく後世にはその区別 (ウチとソト)がなくなったと大野氏は述べているが、はたしてそうであろうか、万葉集の防人の妻の有名な歌
    
    「防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思いもせず」
 
「誰(た)が背(せ)」(原文は「多我世登」)とは「誰の夫か」とまるで他人事のように問い掛けているのである。「が」は身内の人にのみ使われる助詞ではないことはこれからも明らかである。

  たしかに、日本人がウチとソトを区別する意識は世界の他の民族より強いことは事実である。これは、日本の歴史的、文化的所産である。それゆえか、敬語の使い方などは世界のどの言語よりも複雑であることぐらいだれでも知っている。しかし、それと言語の機能(文法形態論)とは何の関係もない。同氏は日本人の国民性と日本語の機能をまるで混同している。現在でも「鬼が島」とか「佐渡が島」があれば「沖の島」があるように、なぜガとノの使い分けがあるのか、説明不可能である。しいて言えば、言葉の語感や語調の良さが影響していると思う。「梅が枝(うめがえ)」も「枝」を「えだ」と読めば「梅の枝(うめのえだ)」となるように・・・。(万葉集には「松が枝」の例もある)

2) 国語学者の奇妙な論考 (その2)
 町田健著『まちがいだらけの日本語文法』(講談社現代新書)にも世にも不思議な論考が展開されている。日本語で動詞が文末に来る理由として、

「いろんな言語に見られる語順の決まりは、伝えたい事柄のあらましが早くわかる、という原則を使えば説明できそうに思えます・・・語順が決まるときに伝達の効率性が関係しているだろうということは、今までの説明でも、ある程度は明らかになったのではないかと思います。」
 
 まさに驚天動地、たしかに動詞が主語の次に来れば伝達速度が早くなるのは当たり前のことであり、英語で  Ⅰ love  と来れば、愛していることがすぐ分かるが、日本語で「私はあなたが」と来れば、最後に「好き」と言うのか、はたまた「嫌い」と言うのか、しばしの猶予がある。しかし、これは結果的にそうなるのであって、日本人がそれを選んで使っているわけではない。言語は政治制度や経済システムのように人間が選択して決められるものではない。
 また同書には次のような記述もある、「英語や中国語のような、主語や目的語を表すための「が」や「を」のような単語がない言語では動詞が主語と目的語の間に来る順番が選ばれているのが普通です。これがどうしてなのかということについては、言語学でもまだ説得力のある説明はできていません・・」
 当たり前のことである。もし上記のことが学問的かつ科学的に証明できたと言う人が現れたら、その人は学者というより、むしろ宗教家である。歴史的にも偉大な宗教家はすべて神(天)の啓示を受けている。信者はそれを信じるかどうかである。学問と宗教は違う。学問は科学的証明が必要である。

 ー文字と言語は違うー
  文字の起源は明らかに出来る。漢字もアルファベットも元々、象形文字(絵文字)から生まれたものである。漢字「山」は山の形から出来た文字であるが、中国語でなぜ「サン」と発音するのか、日本語ではなぜ「やま」が 山(  mountain  )を意味するのか、だれも説明できない。神の配慮としか言いようがない。
 
 英語は主語の次に動詞が来るというが、英語と同じ印欧語に属するペルシャ語(文法形態論は英語と全く同じ)は、なんと動詞は日本語と同じように文の一番最後に来る。勿論、英語同様に前置詞を持つ言語である。なぜ、ペルシャ語の語順が他の印欧語と違い、動詞が文の最後に来るのか誰も説明できない。こじつけようと思えばどのような論も成り立つが、それは学問ではない。言語学で解明できることは、例えば、英語の  state (国)とペルシャ語の  -stan が印欧語の共通祖語に由来するということである。ウズベキスタンとかアフガニスタンの「スタン」(国)がそうである。ある言語の語順などというのは、そこにその語順があるということしか言えない。(アルタイ系言語はすべて動詞は最後に来る)
 日本人とイラン人は物事の曖昧さを好むから動詞が文末に来るようになった。「曖昧なイラン」という題の本が一冊書ける。-これはジョークー。

 同書には、日本語の否定語「ない」について、英語が  be  動詞プラス  not、中国語でも「没有(メイヨ)」のように、動詞に否定語 (not や 没 ) を付ける形で表わすが、日本語は「ない」だけでそれと同じ機能があると説明して、「日本語のように否定を表す単語一つだけで、同じ内容を表すのは珍しいと言えるでしょう。」と書いている。
 とんでもない! 日本語と同じ文法構造を持つアルタイ系のチュルク語や朝鮮語にはそれがある。チュルク語の一つウズベク語では   yo`q  (ヨク)、朝鮮語でも   ops-o  (オプソ) だけで日本語の「ない」と同じ機能を持つ。例えば、「家なき子」をウズベク語で言うと uy   yo`q   balo となる、( uy  家、balo  子供 )。日本語がアルタイ系の言語に属することはこのことからも分かる。日本語文法はアルタイ語文法で解釈すべきである。それをやって行こうと思う。乞う、ご期待。

 

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日本語の諸問題(7)「 ほこら(祠)」 の語源

2007年12月10日 | 言語

 神社にある神を祭る小さな建物、「ほこら(祠)」の語源について、たいていの「語源辞典」は「ほくら(秀倉、宝蔵)」から転じて出来た言葉だと書かれている。その説明では、「ほくら」の「ほ」は「誉める」(古語の「ほむ」)の「ほ」で「誉」「秀」などの漢字が当てられる。名詞の「ほまれ(名誉)」も同源であるとのこと。「ほくら」から「ほこら」への音変化は一見もっともな説のようであるが、それを証明するものは何もない。私は「ほこら(祠)」の語源は日本の古代史と密接な関係があると思っている。

 ー鉾(ほこ)には神がやどるー
 毎年、京都で行われている祇園祭り、そのクライマックスは「山鉾巡行」(やまほこじゅんこう)である。日本各地に見られる神社の祭礼には必ず「山車(だし)」とか「神輿(みこし)」が町内を巡る。「だし」とは「出す」の連用形(名詞形)、「みこし」の「こし」は「越す」の連用形(名詞形)である。(神様がお越しになるとの意味)。その山車や神輿には神様がお乗りになっている。私の郷里の徳島でもよく見られるのであるが、なんとその神輿の前を「鉾(ほこ)」を持った神主が歩いている光景がしばしば見られる。日本では古来「ほこ(鉾)」は神霊が宿る神聖なものとされてきた。いまでも神社の神宝として本殿に祭られている所もある。

 この「鉾」はすでに九州北部の弥生時代の遺跡から大量に出土している。鉾は鏡や剣と同様に古代の倭人は、なにか神(霊力)が宿るものとして神聖視している。この「ほこ(鉾)」こそ「ほこら(祠)」の語源ではないか。「ほこ・ら」と読んで、「ら」は「たから(宝)」の「ら」と同じ。「たか」は「高、貴」なので、「ら」は「高さ」の「さ」と同じように接尾語のひとつであり、形のある物を意味する言葉を作ると考えられる。「ほこら(祠)」とは「ほこ(鉾)・ら」つまり、神のいます神聖な場所という言葉ではないのか。我々日本人は2000年前の弥生時代以来の精神文化を今に持続し、信仰している。この神社の「ほこら(祠)」もその一つなのではないのか。
 なお、動詞「誇る」も、「ほこ(鉾)」に動詞形成の接尾語「る」が付いたものと考えられる。昔の人は鉾をかざして、霊力が付いたと誇ったのではないか。なお、「誇り」はその名詞形(連用形)。

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日本語の諸問題(6) 「たそがれ(黄昏)」の語源

2007年11月27日 | 言語

 夕方の薄明かりを「たそがれどき」と言う。この「たそがれ」の語源は「たそ・かれ(誰彼)」であるとされている。『広辞苑』を始めすべての「国語辞典」は一致している。その根拠は多くの古文献資料がそのように書いているからである。(広辞苑にはその一覧が出ている)。 果たしてそうであろうか。古文献は絶対に正しいと言えるのか。

 ー『古事記』は語呂合わせだらけー

  日本の一番古い文献である『古事記』には語源について多くの記述があるが、そのほとんどは語源俗解、いわゆる語呂合わせである。例えば、日本武尊が亡き妻(乙橘姫)を偲んで「あずま(吾妻)や」と叫んだからそれ以後、東国を「あずま(東)」と呼ぶようになったとある。 これは言語学的には失格である。日本語「あずま」は朝鮮語の「アチム(朝)」と比較されている。「あさ(朝)」「あす(明日)」「あした」「あずま(東)」は word family (単語家族)を形成する。なによりも、世界のすべての言語で sentence (文)から普通名詞が生まれた例は私の知る限りない。もし有れば教えて欲しい。「たそ・かれ(誰彼)」は英語に訳すと Who is it ? である。黄昏(たそがれ)は英語で  evening  ウズベク語では  oq shom (白い夜)と言う。
 「たそがれ」は『源氏物語』にその例があり、平安時代には成立していた言葉である。
 
 では、「たそがれ」の語源は何か。「かれ」は古語の「離る(かる)」であろう。古語辞典の説明では「離れる、遠ざかる、うとくなる、関係がなくなる」などの意味が出ている。また「枯れる、涸れる」も同源とある。(例、冬枯れ、立ち枯れ)
 では、「たそ」とは何か。「万葉集」や「記紀」に「明かり」や「光」を意味する言葉で「たそ」とか「たす」というのがあれば問題は簡単であるが、しかし、そういう言葉はない。そのことから昔の人も「たそがれ」は「たそ(誰)・かれ(彼)」と語呂合わせをするしか方法がなかったのであろう。
  語源は不明としか言いようがない。ただ、Who is it ? (誰彼?)のような  sentence  (文)から決して普通名詞は生まれないということだけは確実に言える。 
 

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日本語の諸問題 (5)「商う」の語源  ー国語学の限界ー

2007年10月25日 | 言語

 日本語には学校教育の国語と外国人に教える日本語との二つの文法がある。外国語には例がない。私たち日本人が中学の国語の時間に学ばされる「 未然、連用、終止、連体、仮定、命令 」の反復練習。この授業はまさに拷問に近い。ほとんどの人は国語(日本語)嫌いになる。私とて例外ではなかった。しかしその後、外国語と言語学を学んでみると日本語もきちんとした文法体系を持つ言語であることが分かってきた。国文法というものがいかに外国の諸言語と乖離しているか、これからこのブログで徐々に明らかにしていきたい。ある言葉を国語学と言語学で解釈してみるとどうなるか。
 

 -「商う」の語源ー
 NHKの番組で「 あきなう(商う)」の語源について元東大教授の著名な国語学者が「商う」とは農民が秋に縄をなうことから生まれた言葉であると答えていた。NHKとその国語学者の権威で決まったような感があるが、とんでもない。農民が縄をなうのは冬でも春でもできる。とくに秋である必然性はない。「商う」の語源を言語学的に解釈するにはまず類似した言葉を探し出すことである。英語で word family (単語家族)と言う。
 
 インド・ヨローパ語族(印欧語)の比較言語学の入門書に必ず取り上げられる用例に語根 -st がある。この -st を語根として英語の stone, stand, stop, stay, state, fasten などの単語が word family を形成する。物が固まる意味である。同じ印欧語のペルシャ語でも stand (立つ)は istadan,   fasten (縛る)は bastan,   state (国) は -stan, ウズベキスタンの -stanである (ウズベク人の国、カザフスタンはカザフ人の国の意味)。

「商う」の単語家族を拾ってみると「になう(担う)」「ともなう(伴う)」「つぐなう(償う)」「いざなう」「おこなう(行う)」「おぎなう(補)」「そこなう(損なう)」「うらなう(占)」などがある。これらから言えることは「なう」とは英語の attach ( 密着する、すり合わせる)とか  bear ( 携える、身に帯びる)の意味があることが分かる。

「になう」は「荷なう」、「ともなう」は「伴なう」で文字どおり。「つぐなう」の「つぐ」は「酒をつぐ」の「つぐ」で「次ぐ」「継ぐ」と同じ。「つぐなう」とはある事象に対して断絶させず、つないで行くこと。「いざなう」は「いざ、いざ」と相手を自分の元に寄せること。「おこなう」の「おこ」とは「興す」「起こる」の語幹「おこ」で物事の発生とか出現を意味し、「興す」と「起こる」はその動詞化したもの。  つまり、「行う」と「興す」は動作 (行う)と状態 (興す)の意味上の違いを表わす動詞 (「す」は「する」の文語形)。これから「おこなう(行う)」とは「おこ」を「なう」(身に寄せる、帯びる)こと。また、「おぎなう」も「起きなう」であり、「き」が「ぎ」と濁音化したものにすぎない。つまり、「起きる」の語幹 「おき(発生、出現)」を呼び寄せること。 「損なう」はどうか。「そこ(底)」とは今でも「底値」とか「資金が底をつく」という表現があるように最低、最悪の状態を表す言葉でもある。「そこなう」とはまさに「底(最悪)」を帯びること、そこから「損なう」の意味が生じたのであろう。最後に「占う」とは、「裏(うら)」を引き寄せること。つまり、何でも表(おもて)は見えるが、裏(うら)は見えない。その裏を言い当てることから生まれた言葉であろう。

 いよいよ「あきなう(商う)」の語源であるが、「縄をなう」の「なう(撚り合わせる、すり寄せる、帯びる)」から出来た言葉であることは間違いない。「あき」は「秋」ではなく「空き」と考えるのが一番妥当ではないか。「商う」とは売り手と買い手双方の間(空き)を「なう」(すり合わせる)ことであると思う。
 なお、「縄(なわ)」の語源も、物を撚り合わせる「なう」(古語の「 なふ naFu 」)から生まれたと考えられる。F 音の弱体化により、「naha なは」から「nawa なわ」となった。助詞の「は」が発音では「わ」となる現象と同じ。「なふ」と「なわ」は一つの単語家族であろう。
 
 <追記>
 漢和辞典には「商」の意味として、商売で売り手と買い手が駆け引きすることから「はかる(協議)」の意味が生じたとある。世界史の教科書に出て来る「三国協商」(20世紀初頭の英、露、仏の同盟)のあれである。私自身、ごく最近まで「三国協商」とは前述の3国が協力して貿易(商売)するものとばかり思っていた。本当の意味はこの3国が協議、協力して新興のドイツ(プロイセン)に当たることであった。これからも「商なう」の「あき」は「秋」ではなく、売り手、買い手の双方の間 (あいだ、空き)を協議してうめる(すり合わせる)ことであることは間違いない。なお、「空き」と「秋」は偶然の一致であろう。

 

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日本語の諸問題(2) はし(端)と知らんぷり

2007年08月28日 | 言語

 最近、「はし(端)」を「はじ」と濁って発音する人が多いように思う。一休さんの頓知話に、「このはし渡るな」の立て札に、「いやいやはし(端)は渡りません、真ん中通って来ましたよ」というのがあるように、日本語は「はし(端)」が正しい発音である。口語体(俗語)で「はじっこ」という言葉が生まれ、ここから独立して「はじ(端)」と言う人が増えてきたのであるが、日本語を学ぶ外国人は混乱する。学校教育でも「はし(端)」が正しく、「はじ」は俗語であるときちんと教える必要がある。
 

 また、最近、「知らんぷり」と「ふり」を破裂音の「ぷり」と発音したり、新聞などもそのように書いているが、「ふり」は動詞「振る」の連用形(名詞形)であり、「ふり(振り)」が正しい発音である。「身振り手振り(濁音化)」「見て見ぬふり」「知らぬふりする」も同じ。もともと固有の日本語(大和言葉)には擬音・擬態語以外に、「ぱ行」などの破裂音は存在しなかった。古代語はそれに近い音ではあったが、完全な破裂音ではなかった。F 音と表記される。もっと古い上古音は P 音であったとの説が定説化しているが、私はすべてそうではなかった思っている。「小走り」は濁音になるが「小春びより」では「春」は濁音にならないように。上古にも P 音と F 音はともにあったのではないかと思っている。 この「知らんぷり」は外国語の影響であろうか・・。本来の正しい現代日本語の表記に戻って欲しいと願っている。

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