ある教育大学の大学院募集要項を見る機会があった。その要項では言語系コース(国語)の中に本学の特色ある取り組みとして、「日本語教育分野」があり、そこにはなんと目を疑うような文言が書かれていた。それによると、「外国語あるいは第二言語としての日本語教育を担う人材の養成を目指す」とある。私は唖然呆然 たしかに日本語は外国人にとっては外国語に違いないが、その要項では、日本語を教える日本人にとっても外国語もしくは第二言語であると説明しているのである。つまり、国語は第一言語であり、日本語は第二言語(外国語)と規定しているのである。
-世界には自国語を「国語」と称する国はあるー
お隣の韓国がそうである。韓国でも日本同様、小・中・高校の教科書はハングル表記ではあるが、「国語(クッゴ)」を使う。しかし、これは外国人に対しては韓国語のことであり、「国語」イコール「韓国語」のことである。「国語」と「韓国語」の文法が違うということはない。韓国語は別の言い方として「ウリマル」がある。(「ウリ」は我々、「マル」は言葉の意味)。つまり、「国語」も「韓国語」も「ウリマル」も文法は一つである。
中央アジアのウズベキスタンでも、学校教科書は ona tili ( ona は母、 tili は言葉、つまり「母語」の意味)を使っているが、この ona tili は ウズベク語 のことであり、 ona tili (母語) と ウズベク語 の文法に違いはない。ウズベク語を学ぶ外国人には別の文法があるわけではない。ちなみに、同じアルタイ系言語であるウズベク語には日本語の助詞や助動詞に当たるものがあるが、それらは一括して接尾辞 suffix として教えられている。それ故、外国人学習者には非常に分かりやすい。
<追記>
私がこれまで繰り返し述べてきたように、国語・国文法と日本語・日本語文法は当然 同じでなければならない。しかるに、義務教育で学ぶ国文法と外国人に教える日本語文法は全く違う。それだけでなく、文科省認定の統一された日本語教科書もない。つまり、日本語教育機関ごとに、それが大学であれ、民間の語学学校であれ、みな勝手に自己流で教えているのである。世界中でこのような国はない。異常としか言いようがない。たしかに、日本語に堪能な外国人は多い。しかし、日本語文法をきちんと理解している人はまずいない。同様に、義務教育で学んだ国文法を理解している日本人もまずいない。
この教育大学の大学院募集要項を書いた先生は日本語を「第二言語、外国語」とまで言い切っているのである。ついに、ここまで来たかとの感慨である。たしかに、外国人用日本語教科書には動詞・形容詞・形容動詞・助動詞の活用などはいっさい出てこない。大方の日本人は国文法の「未然、連用、終止・・」と聞くだけで脳が拒否反応を起こす。当然である。その証拠に、ほとんどの日本人の頭には国文法の記憶など何も残っていない。こんなデタラメな活用表を強制される日本の子供たちが本当に可哀想である(勿論、私もそうだった)。現代日本語には日本人も外国人も共に学べる文法はない。この点、過去に「日本語に文法はない」と言った人は先見の明があったと言える。 ーもう絶句するしかないー