小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

邪馬台国=大和説に引導(いんろう) ― 曹操の墓から鉄鏡出土 ―

2019年09月15日 | Weblog

 朝日新聞(2019年9月6日)に邪馬台国=九州説を裏付ける決定的な物証発見の記事が掲載された。それは戦前、京都大学の考古学者であった梅原末治が美術商から手に入れた 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡 (きんぎん さくがん しゅりゅうもん てっきょう)という名称の鉄鏡と、ほゞ同じものが、なんと2008年発見された魏の開祖・曹操の墓からも出土していたとの記事であった。

 梅原はその美術商の話から出土地の大分県日田市に行き、実際、発掘に立ち会ったという地元の人の話を聞いて調査し、その遺跡を「ダンワラ古墳」と名付けた。梅原自身が発掘したわけでないので本当にこの古墳かどうかは不明であるが、わざわざ、京都から日田市まで行き、発見されたとき現場にいた人の話を聞いているので、この周辺であることは間違いないであろう。その後、昭和38年、美術研究誌『国華』でこの鉄鏡の写真を載せて紹介した。今、この鉄鏡は重要文化財に指定され、そのレプリカが日田天領資料館で常設展示されている。(本物は東京国立博物館所蔵)

 ―ほゞ同じ鉄鏡が曹操の墓から出土の衝撃 ―

 同記事によると、この時、東京国立博物館で開催中の「三国志展」の学術交流座談会で中国河南省文物考古研究院の中国人研究者が驚くべき発表をした。2008年発見された魏の開祖・曹操の墓(曹操高陵)から出土した鉄鏡を X 線で調べたところ、象嵌の龍と思われる文様が見つかったとのこと。同研究員は「画像で見る限り、文様も装飾も日本の大分県日田市から出土したという鏡に酷似している。直径も21センチでほゞ同じ大きさだ」と興奮気味に語ったとのことだった。この証言は決定的である。魏の皇帝が所有する鏡とほゞ同じ鏡、このような権威あるものを下賜される倭国の人物、それは「親魏倭王」の金印を与えられた女王・卑弥呼もしくは後継者・台与以外考えられない。そうして、その鏡の出土地はやはり北部九州であった。日田市は邪馬台国・日田説で盛り上がっているようであるが、それは早計であろう。邪馬台(ヤマト)国は九州北部の筑後川流域またはその近辺のどこかであることは間違いない。

 ―それでも大和説に固執する日本の学者ー 

 同記事には邪馬台国・大和説の学者が「中国でも最高級の鏡が日田地域で出土したことの説明が困難で・・・近畿などの別の土地に当初持ち込まれたものが、日田地域に搬入された可能性が考えられる」と述べている。この学者の頭の中は邪馬台国=畿内大和はすでに日本では決まったことなのに、なぜこんなところ(北部九州)からこんな鉄鏡が出るのか、だから説明がつかないと言っているのである。もうこうなると学問というより宗教である。学問とは新発見により旧説は書き換えられるものなのに、天動説が地動説に変わったように・・。

 <追記>

 この記事の翌日(9月7日)同じ朝日新聞の関西版にやはり大和説のトンデモ記事が出た。見出しは「最古級の前方後円墳」であった。京都府向日市(京都市の西南)にある前方後円墳の五塚原古墳が発掘調査され、その後円部頂上から竪穴式石室が発見された。この古墳は航空写真で計測すると大和の箸墓古墳の1/3の大きさで形状はピッタリ合うとのこと。つまり、箸墓古墳の縮尺版である。発掘者は箸墓古墳は陵墓であるので発掘は無理だが、箸墓古墳と同時代であるので箸墓の内部を知る手がかりになるとのこと。そうして、この古墳の築造年代は卑弥呼と同時代(三世紀中期から末期)としている。 

 とんでもない。いつから、箸墓古墳が卑弥呼の墓と決定したのか(発掘調査もされてないのに)。「魏志倭人伝」には倭人の墓は「棺あり槨なし」とあるのに、この五塚原古墳にはちゃんと石組みの石室(槨)がある。竪穴式石室も色々あるが、木棺のまわりを大小の石で囲み、上に木材や石を置いて覆ったものである。規模の大きいものは竪穴式石槨とも呼ばれる。(近年、発掘調査され、33枚の三角縁神獣鏡と一枚の画文帯神獣鏡が出土した箸墓古墳のすぐ近くの黒塚古墳は規模も大きく、明らかに竪穴式石槨である。それと、画文帯神獣鏡は江南の呉地方に行かなくては手に入らないものである。)。それに、卑弥呼の墓は「径百余歩」(せいぜい50メートルぐらい)とあるのに、箸墓古墳は全長280メートルもある大型古墳である。むしろ、今回の発掘で五塚原古墳は黒塚古墳と同じく、卑弥呼の時代ではないと証明されたようなものである。つまり、四世紀i以降の古墳。それでも、黒塚古墳の発掘調査報告書によると、築造年代は三世紀末(邪馬台国時代)としている。「魏志倭人伝」の記事などまるで眼中にないようである。

 なぜ、「倭人伝」の記事を無視するのか・・。それなら、「倭人伝」のすべては著者・陳寿の創作だとの説も成り立つ。我々が高校世界史で学ぶ漢帝国と匈奴との覇権争いは、司馬遷の『史記』や『漢書』の「匈奴伝」「西域伝」を元にしている。中国の歴史書を否定するなら古代の東アジア史などは書けない。この学者も曹操の鉄鏡の学者も共に邪馬台国は大和とすでに証明された事実として、すべての論考を組み立てている。やはり、学問ではなく宗教である。宗教は教祖様の言ったことは一字一句変えてはいけないが、学問は違う。本当に韓国の噓とねつ造だらけの妄想的反日教を笑えない・・。

コメント
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