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日本語の諸問題(26) 「学ぶ」の語源は「まね(真似)ぶ」か ?

2012年12月16日 | Weblog

 どの「語源辞典」や「国語辞典」を見ても「学ぶ」は「まね(真似)ぶ」から来たとか「まなぶ」と「まねぶ」は同根などと書かれている。同根とは語源が同じという意味であろうが、本当だろうか。中には、「まなぶ」も「まねぶ」も共に平安初期の文献に出ているので、どちらが先かは不明と、やや良心的に書いている例もある(山口佳紀『新・語源辞典』講談社)。 しかし、これとて「まなぶ」と「まねぶ」は同語源であると頭から決めてかかっている。「学ぶ」と「まね(真似)ぶ」は全く無関係の言葉である。今、それを明らかにする。

 -漢字「学」はすでに『日本書紀』に出ているー

『日本書紀』敏達天皇・元年の条に「汝若不愛於学誰能讀解」との文があり、「 いましもし学(まな)ぶることを愛(この)まざりしかば、誰かよく読み解かまし」と訳されている。同じく「書紀」推古天皇・元年の条に聖徳太子について、「学外典於博士覚可(可は略字)」とあり、太子が「外典(儒教の経典)を博士・覚可に学(まな)びたまふ」と読み解かれている。(岩波版「日本書紀」)。現存している『日本書紀』は平安時代の写本であるが、重要な資料ではある。奈良時代には漢字「学」は「まなぶ」と訓読みされていた可能性が高い。

 -「まね(真似)」は9世紀に出てくるー

 平安初期(822年)に成立したとされる 『日本霊異記』(筆者は奈良薬師寺の僧、景戒)には 「俄かにまかで給ふまね(真似)して」とあり 「まね(真似)」のもっとも古い用例である。 名詞「まね(真似)」と 動詞「まねぶ」(意味は文字どおり真似をすること)はかの有名な『源氏物語』(11世紀初頭)に出てくる。また吉田兼好の『徒然草』(14世紀初頭)にも用例がある。 

 ところが、「学ぶ」も同じく『源氏物語』にも『徒然草』『平家物語』にも出てくるのである。つまり、「まなぶ」も「まねぶ」もほぼ同時代に共に使われていた言葉である。「まね(真似)ぶ」から「まなぶ(学)」が音変化して出来たとすれば、日本に漢字が伝来し、漢字の訓読みが定着していた飛鳥・奈良時代に漢字「学」にはどのような訓読みが与えられていたのだろうか。前述の岩波版『日本書紀』「敏達紀」と「推古紀」の「学」は「まなぶ」と訓読みされている。これは間違いで、「まねぶ」が正しい訓みなのだろうか。それとも、『日本書紀』成立時(720年)にはすでに音変化を起こしていたので、「まなぶ(学)」でいいのだろうか。「まね(真似)ぶ」とは万葉時代にまで遡るそんなに古い大和言葉なのだろうか、(勿論、万葉集にはない)。とてもそうだとは思えない。

 -「まね(真似)ぶ」はどのようにして生まれたかー

 日本語は、アルタイ系言語に共通の名詞などに接尾語を付けて動詞化するという機能を持っている。名詞「際(きわ)」に動詞形成の接尾語「む」がついて「きわむ」(その名詞形は「極み」・・痛恨の極み)、擬態語「そよそよ」に接尾語「ぐ」がつき、「そよぐ」が、また同じく「ころころ」に「ぶ」がついて「ころ(転)ぶ」という動詞ができている。「まねぶ」も名詞「まね」に接尾語「ぶ」がついて「まねぶ」が生まれたと考えるのが自然である。 「まね(真似)」はすでに9世紀の『日本霊異記』に例がある。おそらく、すでに日本語に定着していた「まなぶ(学)」の影響から、「まね(真似)」に接尾語「ぶ」がつき、新語として平安時代に流行したのではないか。 しかし、「まねぶ」はその後、日本語に定着せず、同じ動詞形成の接尾語「る」に取って代わられ、現代語では「真似る」として使われている。

 -「まね(真似)」の語源はー

 「まね」の「ま」はすぐ分かる。「ま・こと(言、事)」「ま・なつ(夏)」の「ま」であろう。では「ね」は何か。それは「に(似)」ではないか。「ま・に」が音変化して「ま・ね」となった。この「まね(真似)」が「まに(真似)」から来たとの説はほぼすべての国語辞典や語源辞典が採用している。「に(似)」は私がこれまで繰り返し述べてきた第二型動詞、「着る」「見る」などの「き(着)」「み(見)」である。つまり名詞語幹。(例、着物、晴れ着、見もの、お月見)、「に(似)」も「母親似」のように使う。 また、この「に(似)」に使役の助動詞「せる」がついて、「に(似)せる」ができ、この語幹「にせ」に「もの(物)」がついて「にせもの(偽物)」との言葉が生まれた。この「にせもの」の語源についてはどの国語辞典、語源辞典も同じであるが、ただ「にせ」を動詞「似せる」の連用形としているのが私の考えとは根本的に違う点である。

 -「学ぶ」の語源はー

「まなぶ」の「ま」は先の「まこと(誠)」「まなつ(真夏)」の「ま」であろう。では「なぶ」とは何か。これは『古事記』や『万葉集』にすでに用例がある。 古語に「な(並)む」「な(並)ぶ」という言葉がある。この場合「む」と「ぶ」は本来同じもので、清音と濁音との違いにすぎない。現代日本語では「並ぶ」「並べる」「連なる」「続く」の意味である。 古事記歌謡に「日々なべて」とあり、原文は万葉仮名で「那倍(なべ)」と表記している(古事記歌謡26)。意味は「日々を送り」「日々が過ぎ」のこと。 最近はあまり使われなくなったが、私の子供の頃は「夜なべ仕事」などの言葉はごく普通にあった。(母さんが夜なべして手袋編んでくれた・・と歌にあるあれである)。

 この「夜なべ」の「なべ」はまさに飛鳥時代にまで遡る日本語なのである。また万葉集にも「石並み置かば・・・」(万葉仮名で「奈彌」と表記、万葉集4310)とか、「松の木の並みたる見れば・・・」(万葉仮名で「奈美多流」と表記、万葉集4375)、これらは「石を並(なら)べて」「松の木が並んでいる」との意味である。現代日本語でも、「並み外れた人間」とか「人並みの生活」「並木道」などの表現は普通に使う。この「並み」も万葉時代以来、現代にまで生き続けている言葉である。また、今では死語化しているが、「押し並べて」という言葉もある。

 このことから、「まなぶ(学)」の「なぶ」とは「並ぶこと」、つまり、師匠や先達に教えを乞い、その水準に並ぶように努力することであろう。「まねぶ(真似)」と「まなぶ(学)」は偶然音が似通っているだけで本来無関係の言葉なのである。後に、「学ぶ」は様々な意味を持つようになった。「学校で学ぶ(学習)」以外に、「過去の災害に学んでいない(体得)」などなど。

 <追記>

 「学ぶ」の語源は、弟子が師を真似ることから、「まねぶ」であるというのが国語学の常識のようになっている。なぜこのような説が生まれたのか。「まなぶ」と「まねぶ」の音がたまたま似ていることから、著名な国語学者がそう断定したからであろう。しかし、この説には何の根拠もない。先のブログで書いた 「あき(商)なう」は「秋に縄をなう」 からきたとか、「堂々巡り」は「お堂のまわりを回ること」などと同様、語呂合わせ、語源俗解の類である。日本語はもっと奥深く論理的に成り立っている言語である。 

 いや待てよ、接頭語「ま」は「まこと(言、事)」「まごころ(心)」「真冬」という風に、すべて名詞に付いているではないかとの反論が出そうであるが、これは現代人が動詞の「読む」とか「捨てる」とかの基本形をすぐ頭に思い浮かべるからである。この動詞の基本形は明治時代に日本語文法(国文法)を作った国語学者が英語やドイツ語の文法を参考にして設定したにすぎない。(実際は終止形を兼ねた連体形)。柿本人麻呂や紫式部がそう認識していたわけではない。

 「読む」を例にとれば、「読みき」「読みたり」「読みたまう」「読み人」とか「読まず」「読めり」などの使用例がほとんどである。現代語にも「まっ盛り」という言葉があるように、「さか(盛)り」は動詞「さかる」の名詞形である(例、「花盛り」「咲く花の匂うが如くいま盛りなり」)。「さかる」は今は単独では動詞としては使われないが「燃え盛る」と複合語では残っている。つまり、「学ぶ」も「ま・なび」という名詞形(国文法の連用形)で考えるべきなのである(例、学び舎・・まなびや)。 その証拠に古文にも「な(並)む」とか「な(並)ぶ」などの用例はほとんどない。ほかにも、「ま向かい」との言葉もある(「向かい」は「向かう」の名詞形である)。それと、「真似(まね)」の語源「ま似(に)」自体が動詞「似る」の名詞語幹「似(に)・・母親似」そのものである。最後に、この論考を書くに当たって多くの「国語辞典」「古語辞典」「語源辞典」のお世話になった。これら先人の労苦に感謝したい。

コメント (1)
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