小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

日本語の諸問題 (35) 宣教師ロドリゲスの日本語文法論

2015年06月11日 | Weblog

 戦国時代の日本に来て、秀吉、家康にも会っているイエスズ会のポルトガル人宣教師ジョアン・ロドリゲスが書き残した『日葡辞典』と『日本語大文典』の研究家、小鹿原敏夫氏(京大非常勤講師)が日経新聞の文化欄に興味ある事実を発表している(2015・6・11 朝刊)。それによると、ロドリゲスは日本語動詞に語根を設定しているとのこと。その語根は国文法でいう連用形であるとのこと。つまり、「読む」の語根は「読み」、「上ぐる aguru 」の語根は「上げ ague 」であり、日本語動詞の語根の末尾の音は「 e 」「 i 」と「 ai、oi  」の二重母音の三つであるとのこと。これには真実おどろいた。この「語根」を「語幹」に置き換えると私の日本語文法理論と同じであるからである。

 ー日本語動詞の根幹は名詞形ー

 ロドリゲスは日本語が「読み・たり」「読み・き」「読み・たまう」のように連用形(名詞形)を基本として文が作られていることに気付いたようである。それと国文法の未然形「 読ま・ない 」「 読ま・れる 」のように活用することも。それと古語文法の已然形(現代語の仮定形)は動詞の末尾が「 - e え 」となることも理解していたと思われる。つまり、私の考え方とほとんど同じと言える。私の日本語文法理論、動詞の第一型の活用は、「読む」の場合、(1)発展形 yo-ma  (2)名詞形 yo-mi  (3)完了形   yo-me の三種類である。

それと、私の理論の第二型動詞「上げる」の語幹「上げ」(当時の発音は「上ぐる」)をロドリゲスは語根と呼んでいるが、これも容易に名詞形に転ずるものである、(例、お膳の上げ下げ、油揚げ)。 つまり、ロドリゲスは日本語動詞の基本は「読ま」「読み」「読め」の三種類と、「上げる」「下げる」のような動詞は「上げ」「下げ」が語根で、その語根の語尾は「 -e  え」で終わるものと認識していたのである。おそらく、「見る」「着る」などの動詞は「み(見)」「き(着)」が語根で、語尾が「 -i  い」で終わることも把握していたであろう。このように名詞形(連用形)を元に日本語が成り立っていることに気付いていたと思われる。

 無論、「連用形」という用語は明治の国語学者が決めたものなので、ロドリゲスが名詞形と認識していたかどうかは定かでないが、日本語の本質を見抜いていたのは間違いない。ちなみに、国文法では「上げる」の語幹は「あ」で「げ、げ、げる、げる、げれ、げろ」と活用し、「あげ」はその連用形である。語根(語幹)は「あげ」と見なしていた400年前のロドリゲス、語幹は「あ」だと決めつける現代の国文法、一体全体どちらがより合理的で、理に叶っているのだろうか・・。

 最後に断っておくが、私の日本語文法理論はロドリゲスの本を読んで示唆を受けたものではない。勿論、ロドリゲスの本の存在は知っていたが、日経新聞の記事を読んで初めてこれらの事実を知ったのである。私は中央アジアのトルコ系のウズベク語を独学して、自から辞書を編纂し、簡単な文法と会話の本を出版した。その過程で、ウズベク語にも日本語と類似の活用が存在していることを知ったのである。日本語はアルタイ諸言語と密接な関係があることは紛れもない事実である。

 <追記> 

 和英辞典で「語幹」を引くと stem とある。 英語の stem は言語学用語で明確な定義がある。「上げる」の語幹は「あ」、「捨てる」の語幹は「す」と決めた明治の国語学者は日本語が外国人に研究されるようなことはあり得ない。この「語幹」という言葉は日本語だけに通用する特殊な用語として使ったのではないか。つまり、言語学の基礎知識すらなかったと思わざるをえない。ところが、明治の国語学者の意に反して、現在、日本語はグローバル化して世界各国で学習されている。「上げる」の stem は「あ」だと説明すると、言語学に造詣の深い外国の日本語研究者は、この「あ」で日本人は「上げる」という言葉をイメージ出来るのだろうかと不思議に思うであろう。たとえば、ドイツ語の gehen (行く) の stem は  geh-  であるが、geh-  は単独で使われることはないが、すべてのドイツ人は  gehen を連想できるのである。 stem (語幹) とはそいうものなのである。                                                         

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