小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

またまた龍馬の手紙出現  -日本の歴史学者への苦言ー

2017年06月24日 | Weblog

 先日、龍馬直筆の手紙が北海道で発見されたことがマスコミ報道された。これは慶応二年12月4日付の兄、権平と家族あての龍馬書簡の中でも特筆される長文の手紙である。内容の概略はこの年1月に伏見寺田屋で奉行所役人に襲われたことの顛末と、同じ年6月の幕長戦争で龍馬自身がユニオン号に乗って参戦したことを絵図入りで詳しく書き送ったものである。他にも寺田屋のお登勢のこと、乙女姉の息子のこと、姪のおやべの養子のこと、この年5月に五島沖で遭難死した池内蔵太のこと、さらに自分が関わった当代の著名人の名を上げ、天下国家まで論じている。まさに龍馬書簡の中でも群を抜く力作である。

 実は、この手紙は何枚にも分けて書かれており、下関海戦の絵図入りの一枚だけが原本として残っているが、あとはすべて写しなのである。今回、北海道で発見されたのはなんとその写しの元となった龍馬直筆の原本であるとのこと。国立京都博物館の宮川禎一や大学の研究者がそれを鑑定して断定したとのことであった。しかし、その手紙の所有者の名前や発見の経緯などはやはり伏せられている。なぜ、何枚もの龍馬の手紙を持っていながらこれまで公表しなかったのか、疑問が残る。

 -もし、フランスでナポレオンの手紙が新発見されたら-

 これはあくまでも私の想像の話であるが・・。ナポレオン直筆の手紙(妻、ジョセフィーヌあて)は現存している。では日本の龍馬書簡同様、フランスのナポレオン研究者の何人かが集まって筆跡鑑定をやり、全員が一致してナポレオンの筆跡に間違いないとの結論が出れば、その手紙はナポレオン直筆として博物館に展示されるだろうか。まずそういうことはないと思う。その前に必ず科学鑑定をやるはずである。ナポレオンの生きた200年前の紙が現実に残されているので、新発見の手紙も200年前と同じ成分でなければならない。その次に使用されたインクの科学鑑定もやるはずである。現代の科学ではなんでもない簡単なことである。少し前、NHKで北斎の浮世絵の番組があり、そこで浮世絵に使用された絵の具の科学鑑定の結果が報告され、すべての含有物質がグラフで示されていた。勿論、朱の絵の具もである。

 上記二つの科学鑑定をクリアして初めて筆跡鑑定に移ることができる。フランス人だけでなく欧米人は科学の目を持って歴史研究に望んでいる。一方、日本ではこれら科学鑑定をまったくと言っていいほどやらない。人間の目だけで判断することは人文科学ではない。それと、その時代に無かった言葉が一つでも見付かればそれはニセモノである。これは言語学の領域である。「新政府綱領八策」にある「部下」などの言葉は明治になり、役所や軍隊で「◯◯部」「◯◯課」などの組織ができた後、生まれた言葉であろう。勿論、『江戸語大辞典』(講談社)にも「部下」はない。                                                                                          龍馬の朱の裏書きも、暗殺5日前の手紙も、今回出現した龍馬の長文の手紙も、すべて科学鑑定の洗礼を受けてのち筆跡鑑定で決まるものである。そうでなければかの「STAP細胞はありま~す」と叫ぶのと何ら変わるところがない。 「これは龍馬直筆の手紙に間違いない」と権威ある学者がいくら断定しても、その使用和紙や墨(すみ)に明治に輸入された化学物質が検出されればそれはニセモノなのであるから・・。

 <追記>

 かの有名な「アンネ・フランクの日記」でさえ科学鑑定されている。戦後、「アンネの日記」偽造説がネオナチ・グループから繰り返し主張され、そのつど、ヨーロッパで人々の耳目を集めてきたが、最終的に1986年、日記を所有するオランダの「戦時資料研究所」が科学鑑定をやり、紙もインクも大戦中のものに間違いないとの結論を出し終結した。今、「アンネの日記」は世界記憶遺産に登録されている。このような事実を日本の幕末史研究者は知っているのだろうか。今、写しや写真も含めて140通を超える龍馬の手紙が確認されているらしいが、その内、唯の一つでも科学鑑定されたとのニュースを私は聞いたことがない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本ブログ村

にほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村