小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

NHK 歴史秘話ヒストリア(2014・6・4)を見て

2014年06月09日 | Weblog

 今回は「古代史ミステリー」と題して卑弥呼をとり上げていた。まず最初にびっくり仰天したのは、現在、多くの建物跡などが発掘されている纏向遺跡が三世紀の卑弥呼の時代のものであると、すでに決定された事実のごとく橿原考古学研究所の研究者が話していたことである。纏向遺跡が卑弥呼の時代と重なる決定的な証拠は何も出てきていない。これとワンセットになる箸墓古墳も卑弥呼の時代であるとの証拠はなにもない。

 番組はそのあと福岡県の平原遺跡(魏志倭人伝のいう「伊都国」の地)の古墳をとりあげ、後漢の内行花文鏡が出土していることから、二世紀の古墳と断定的に述べる地元の研究者の話があった。この古墳の出土物から、古代中国で女性しか身に着けない耳飾りが発見されたことから、この古墳の被葬者は女性であった可能性についても言及していた。このNHKの番組を見る限り、古代史に詳しい知識のない一般の人は、三世紀の邪馬台国は大和の纏向で、卑弥呼の墓は箸墓古墳、そうしてその国家の源流は北九州の二世紀の平原遺跡であると思い込まされる筋書きのようであった。とんでもないことである。

 前に「風立ちぬと三角縁神獣鏡」で述べたように、後漢を禅譲によって継承した魏(西暦220年)は三世紀初頭であり、その国家組織は後漢をそのまま継承したものである。卑弥呼が魏に遣使した景初3年(西暦239年)にもらった銅鏡100枚は後漢の鏡であるとの中国の考古学界の主張を紹介した。つまり、平原遺跡から後漢の鏡が出てきたからといって、その古墳が必ずしも二世紀のものだとは言えないのであり、二世紀から三世紀に渡る200年近い幅がある。ひょっとして卑弥呼の墓である可能性だってあるのである。確実な証拠がない限りだれも断定的なことは言えないのである。

 <追記>

 日本の古代史や考古学の論争を見るかぎり、これは日本人の国民性、物の考え方に問題があるのではないかと思っている。私はこれまでフランスやロシアの学者が発掘、調査してきた中央アジア考古学の本を数多く読んできたが、かれら研究者は多くの可能性があるとき決して断定的な結論は出さないし、また出せない。学問研究に対する態度は非常に謙虚である。一方、日本の学者はなんの根拠もないのに自分の思い込みだけでこれが真実だと断定してはばからない。三角縁神獣鏡は魏の鏡だとか、発掘さえしていない箸墓古墳を卑弥呼の墓だと決めつけてしまう。まさに、歴史研究ではなく、歴史小説の世界である。それをマスコミが大々的に報道して一般大衆をそう思わせる。これはもはや学問ではなく政治や宗教と変わりない。これも日本人の精神文化の一つなのであろう。

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