小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

信長の「天下布武」についてのNHKのデタラメ

2017年08月23日 | Weblog

 先日、NHKの歴史バラエティー番組で織田信長が使用した「天下布武」の印章について、この信長のいう「天下」とは京を中心とする畿内のことだとの説明があった。とんでもないデタラメである。以前、この説を唱えた歴史学者がいることは知っている。その時、私は変な事を言う人がいるなあとの感想を持った。『大辞林』には「織田信長が朱印に用いた印章の印文。天下統一の意識を示し、岐阜進出直後の1567年11月ごろから使用した 」とある。この『大辞林』の説明に何の問題もない。

 -「天下」という言葉は不変であるー

「天下」という漢語は中国の古漢籍にあり、日本に流入して以後、古代、中世、現代に至るまでその意味に変化はない。文字どおり、「天(あめ)の下(した)」のことであり、全国、全土の意味である。『字通』にもそうある。「天下布武」を誰が言おうと、それが上杉謙信や武田信玄であれ、女城主・直虎であれ、日本国の主権者になり、全国(天下)に号令することを意味する。すでに述べたように同じ漢語の「幕府」や「顧問」は時代が経るにつれ日本式に変容しているが、「天下」は違う。

 高校野球の地方大会に勝って甲子園の代表になっても誰も「天下をとった」とは言わない。甲子園で優勝して初めて「高校野球で天下をとった」と言えるように・・。NHKがこのような奇妙としか言いようがない学者の説を、テレビ番組であたかも真実のように取り上げること自体、受信料を払っている国民をバカにしている。「本能寺の変」の真因については諸説あるのは当然としても ( 明智光秀の心のうちは誰も分からないのであるから・・)。漢語「天下」の意味は一つしかない。

 <追記>

 この奇妙な説を提唱したのは東大史料編纂所の本郷和人と金子拓である。金子氏はその著『織田信長<天下人>の実像』(講談社現代新書)の中で、信長は「天下統一」を目指しておらず、幕府や朝廷を敬う中世期的な普通の戦国武将であったと述べている。え! 本当だろうか? 中世そのものである比叡山を焼き討ちしたのは一体誰だったのか・・。室町最後の将軍を備後・鞆(とも)に追放したのは誰なのか。たとえ、足利義昭と政治的な対立があったとしても、信長に室町幕府を存続させる意思があれば、足利一門の阿波公方(14代将軍・足利義栄は三好一党に擁立された阿波公方)とか、関東の古河公方からゆかりのだれかをつれてくれば幕府の存続は可能だったはずである。だが、それもしていない。また、朝廷は明らかに信長に不安感を抱いている。源頼朝や足利尊氏とは違うと・・。そこから、「本能寺の変」朝廷黒幕説が出ている。

 それと、信長は畿内を制圧したあと、中国、四国、北陸、甲斐、関東にまで軍団を送り支配に乗り出している。まさに「天下布武」を実践している。これは、信長の上洛前に畿内九ヶ国を支配していた三好長慶とは根本的に違う。長慶こそ幕府や朝廷を尊崇する中世期的な武将であった。そこに三好政権の限界があった。織田信長像はこれまでの通説どおり、中世の破壊者であり、近世への道を切り開いた革命家であったと言える。

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日本語の諸問題(40) 小学校の英語教育と国文法

2017年08月07日 | Weblog

 近々、日本の全小学校で英語が正課として導入されるとの報道があった。5年生からは英文法も教えられるとのこと。当然、英語の動詞の活用(語形変化)を憶えなければならない。規則変化として help、 help-ed、 help-ed  不規則変化として   go、 went、 gone などのように、しかし、ちょっと待ってほしい。小学校で毎日のようにある国語の授業では日本語の文法の説明は全くない。母語である日本語より先に外国語である英語の文法は学習するのに、本末転倒ではないのか。日本語にも動詞の活用がちゃんとあることを教えるべきである。「書く」は「か、き、く、く、け、け」、「投げる」は「げ、げ、げる、げる、げれ、げろ」と。国語・国文法の大学の先生方は国文法の授業を小学5年に下げるべきだとなぜ文科省に進言しないのか。たとえ、純粋な子供たちの脳を破壊し、母語である日本語嫌いになっても、そんなことは問題ではない。国文法は文部科学省認定の唯一の日本語文法なのだから・・。

 -「アテが外れた」の語源ー

 日常よく使う「アテ外れ」とか「アテにならない」の語源について、すべての「国語辞典」や「語源辞典」は動詞「あてる」から来たと書かれている。これ自体正しい。中には「あてる」の連用形「あて」が名詞化したものと国文法の法則どおり説明しているものもある。この場合、語幹  stem  は「あ」で、「て、て、てる、てる、てれ、てろ」と活用する。つまり、「あてる」の活用表をきちんと暗記しておく必要がある。 とんでもない。

 私の日本語文法理論では「あてる」の語幹「あて(当)」にすぎない。この名詞語幹「あて」から 「あて馬」「宛て名」「あて先」「目当て」「手当て」「肩当て」「あてこすり」「あてずっぽう」「あてがう」「当てはめる」「恋のさや当て」「あてつけ」などの言葉が出来ている。先に述べた「ハメを外す」「トドのつまり」と全く同じ用法である。「あてつけ」に至っては、「あてる」と「つける」の二つの語幹がくっ付いた言葉である。(例、「つけ払い」「ツケを回す」)

 ではなぜ、「あてる」の語幹は「あて」と言えないのか。その理由は、国文法では「あてる」の語幹は「あ」であり、「あて」はあくまでもその連用形なのである。つまり、「あて」を語幹とすることは国文法の否定に他ならないからである。「国文法の呪縛」がもたらす罪は大きい。ちなみに、「外れ」は「外れる」の名詞語幹、そこから「町はずれ」などの言葉ができた。また、自動詞の「あたる」の名詞形は「あたり」、そこから、「大当たり」「当たり外れ」「当たり前」「そのあたり」「さしあたり」「心あたり」「あたり一面」とか「目(ま)のあたりにする」などの言葉が生まれている。日本語の動詞は非常に単純かつ法則性がある。

 <追記>

 あるロシア人留学生が日本語はやさしい言語ですとテレビで言っていた。おそらく、「あてる」の語幹「あて」から前述のように様々な言葉を作ってゆく日本語に不思議な魅力を感じたのであろう。これら日本語をロシア語に置き換えるとほぼすべて違った単語を使わなくてはならないので・・。有名な日本文学者 ドナルド・キーン氏もこのような日本語に魅せられた一人である。

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