小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

「錦の御旗」はなぜ朝廷の代名詞なのか  -錦 (にしき) の語源ー

2007年11月24日 | 歴史

 幕末、鳥羽・伏見の戦いで薩長軍に錦旗(にしきのみはた)が翻ったとき、幕府軍は総崩れとなり敗走した。「錦の御旗」とは天皇(朝廷)そのものを指す言葉であるので、この時から徳川幕府は朝敵となった。漢和辞典で「錦」を引くと「金糸や色糸を織りこんだ美しい模様の織物」とある。もともと織物の一種であるが、これを中国の皇帝や貴族が着用することから「錦」は皇帝(朝廷)の代名詞となったである。
 

 では、漢字「錦」はなぜ「にしき」と読まれるのか。これまで様々な説が出されている。「丹敷き」や「虹色」などなど。この「にしき」も先の「奈良」「明日香」同様、古代朝鮮語から入ったものであると考えられる。
 朝鮮の歴史書『三国史記』によると、新羅の王号は「尼斯今」(ニシクム)とある。「脱解尼斯今」と表記された王がおり、現代朝鮮語でも「脱(タル)」は「月」、「解(へ)」は「日」の意味であるので漢字で書けば「月日王」の意味になる。このように、日本の万葉仮名に先駆する表記法がすでに新羅にはあったのである。これを「吏読」という。新羅人からこの用法を学び、日本語に適用させたのが万葉仮名であった。
 

 この「尼斯今」 ni-si-kum  を開音節語(子音プラス母音)の倭人は「ニシキ」と発音した。明治時代でも英語の ink は「インキ」、strike は「ストライキ」とか「ストライク」と借用していることからも分かる。
 また、『古事記』によると、応神天皇のとき「論語」「千字文」を持って来朝した百済の「王仁」を「わに」と読ませるのも、漢字「王」は  wang  と鼻音なので、鼻音を持たない倭人は現代日本語同様「ワン」と発音したが、この時代「ん」に当たる文字がなかったので、「ん」に「仁」の字を当てたと考えられる。この「王仁」は漢文に習熟した漢人、楽浪王氏の一族であった可能性が高い。

 漢語「錦」に新羅の王号「にしき」の訓読みを与えた当時の飛鳥・奈良時代の日本人は、その意味を当然知っていたはずである。がしかし、「明日香」や「奈良の都」同様、時代を経るにしたがいその記憶はうすれ、だれも分からなくなってしまったのであろう。
 なお戦前、大槻文彦がその著『大言海』において、「錦(にしき)」の説明のなかで「新羅の王号を尼斯今と云う」と控え目に書いている。皇室に遠慮したのであろうか。この説のプライオリティ(先取権)は勿論、大槻文彦にある。
 


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3 コメント

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明治維新と似た状況か (鉄鋼刀剣サムライ)
2024-02-28 06:21:42
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムにんげんの考えることを模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。このメガトレンドどこか多神教的で日本的ななつかしさがある。
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近代グローバルの原点 (鉄道軸受関係)
2024-03-16 11:28:26
明治維新は本居宣長あたりから隆盛した国学が近畿圏から水戸などに飛び火して尊王思想を形成した。それがアヘン戦争によって尊王攘夷となり、倒幕へと進んだが結局のところ尊王開国が新たな日本政府の方針となった。「日本」という国号の起源はそれより古いが、日本初の日本政府と呼べる「明治政府」がそれである。こうなることで三百余州の幕藩体制は一元化され、それまで日本国内でも今でいうパスポートが移動により必要だったものが要らなくなった。近代統一日本の原点はやはり明治にあるということになる。
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多様性の源流をもとめて (ダイバーシティ )
2024-03-24 12:47:24
多神教といえば古事記にも記された「かれその神避りましきイザナミ神は伯耆と出雲の堺、比婆之山に葬り奉りき」といって現在の島根県安来市の伯太町比婆山にその御神陵があるとか。一度行ってみたものです。
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