小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

磯田道史著 『龍馬史』 (文芸春秋社)を読んで

2012年08月12日 | Weblog

 あえて言わせてもらえれば、「またか」の感を否めない。磯田氏は「あとがき」に書いている。「幕末、龍馬は諸藩を往来し政局の中枢に喰い込みました・・なぜ龍馬はあのように活躍できたのでしょうか」。この一文はまるで司馬遼太郎の言葉の受け売りのようである。司馬は言っている  ― (明治維新のため) 天は龍馬を下し、そして天に召した―  この司馬の文学的修辞に多くの日本人が感動し、龍馬ファンとなった。

  しかし、事実はまったく違う。大政奉還(慶応3年10月14日)のその日に薩摩・長州に倒幕の密勅が出ている。幕府や会津藩を信頼していた孝明天皇の急死により、幼い睦仁親王(明治天皇)をその手中に収めた岩倉具視と薩摩藩の謀略によるものである。ところがである。政局の中枢に喰い込んでいたはずの龍馬にはこのことはいっさい知らされていない。この時、小松帯刀も西郷も龍馬も共に在京していたのにである。なぜか、これまで私が述べてきたように、所詮、龍馬は在野の人であり、個人的に親しかったとしても、薩摩の小松、西郷にとっては政局の外にいる人物にすぎないからである。もし、龍馬が土佐藩の家老で、土佐24万石の軍事力を動かせる立場にあったら、薩摩藩も龍馬を絶対粗略に扱えないし、龍馬を取り込もうとするか、逆に危険視するかどちらかであろう。

 ーとても史料と言えないものを使っているー
 数年前、NHK大河ドラマ「龍馬伝」をやっていたとき、高知の坂本龍馬記念館が、龍馬が寺田屋で伏見奉行所の役人に襲われたときの奉行所から所司代への報告書の写しなるものが発見されたとのマスコミ発表があった。私の住んでいる徳島県でも四国のローカルニュースで取り上げられ、同記念館の学芸員が得々と説明していた。私は唖然呆然、報告書全文なら十分鑑定の余地はあるが、その中のさわりの部分のみ、取り逃がして伏見薩摩藩邸に逃げ込んだとのこと、こんな事実なら誰でも知っている。
 なによりも、この資料を記念館に持ち込んだ人物は誰で、どこに住んでいるのか、そうして、これがどういう経緯で発見されたのかはいっさい伏せられている。同じ人物であろうが、この数年前にも寺田屋で龍馬が所持していた書類などを奉行所が押収した報告書(これも全文ではない)なるものがマスコミ発表されている。

 ちょっと待ってほしい。坂本龍馬記念館は高知県民の税金で運営されている。貴重な税金を使ってこのようないかがわしい文書を購入していいのか。全文の報告書の写しであれば、伏見奉行所の誰が、所司代(桑名藩)の誰あてに書き送るものであり、そのような人物が実在していたのかどうか鑑定できる。桑名藩の藩士の名簿(分限帳)は残っているだろうが、(阿波徳島藩の藩士名簿は残されている)、伏見奉行所の与力や同心の場合はどうか。まずないであろう。鳥羽・伏見の戦闘で奉行所は全焼している。報告書全文をねつ造しようとすれば、伏見奉行所の誰かをねつ造しなければならない。だからこそ報告書の一部分を抜き出して写したことにしたのであろう。こんなものは歴史的資料とは言えない。

 あと一つ、寺田屋文書を信用している。これは明治末年頃、寺田屋お登勢の娘むこなる人物が雑誌社に持ち込んできたものである。龍馬の身を案じたお登勢に対して、龍馬が大目付・永井玄蕃と京都守護職・松平容保に会い、身の安全の保証を得たとの内容の手紙を書き送ったとされるものであるが、手紙の原本はない。そういう言い伝えがあると書かれているだけである。現代でも金目当てにいい加減な記事を週刊誌に持ち込む輩があとを絶たない。よく裁判沙汰になっている。さすがに磯田氏は龍馬が松平容保に会ったとは思ってないようだが、側近のだれかに会って聞いたのであろうと言っている。有り得ないことである。容保が坂本龍馬の名前を知っていたかどうかも疑わしい。龍馬は決して幕末の政局を左右できる立場の人ではない。このことに関してはすでにブログで書いているので繰り返さない。
 要するに、磯田説では大政奉還の背後で暗躍し、幕府崩壊のきっかけを作った坂本龍馬に対して、徳川幕府を守護することを使命とする松平容保の命により、見廻組が実行したとの数多くの俗説の一つの焼き直しにすぎない。

 <追記>
 坂本龍馬は日本史上特異な存在ではある。一介の土佐の脱藩浪士が幕末史に登場する多くの名士と交流している。勝海舟、大久保一翁、松平春嶽、岩倉具視、横井小楠、小松帯刀、西郷隆盛、高杉晋作、桂小五郎などなど、これらの人たちとの交流そのものが小説の主人公になれる要素を持っている。しかし、現実の世界はあまりにも非情であった。在野の人、坂本龍馬がいかに理想論を説いても、現実の政治は龍馬の思いどおりには動かない。それが人間世界の常である。現代でも出来もしない理想論を説く政治家は数多い。ごく最近もそんな首相がいた。そんな連中と龍馬との違いは、前者はさっさと逃げて責任を他者に転嫁するが、龍馬は絶対に逃げたりせず、自分の理想に命を懸けることである。ここに坂本龍馬が国民的ヒーローとして日本人を惹きつける最大の理由があると思う。

 最後に、先の伏見奉行所から所司代への一部分を抜き書きした報告書、テレビ東京系の「なんでも鑑定団」に出したら、こんなもの史料でもなんでもないと、つまり鑑定不能と事前審査でハネられるのがオチであろう。これを税金で購入し展示する高知の龍馬記念館の見識のなさに只々呆れるばかりである。


 

コメント (1)
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