小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

明日香と朝鮮

2007年11月19日 | 歴史

 明日香(あすか)の語源についてはこれまで色々な説が出されている。大和・磯城郡の「磯城(しき)」と関係があるとか、「あ-すか」と読んで、横須賀などの「すか」(土地)の意味だとか言われてきた。私は「明日香」も先に述べた平城京(奈良)と同じように朝鮮半島と密接な関係があると思っている。

 -古代朝鮮の神話ー
 
 朝鮮・高麗時代(1285年)に書かれた『三国遺事』には朝鮮半島の神話が語られている。それによると、半島の北部から旧満州にかけて4000年ほど前に「古朝鮮」という国があり、その始祖は「檀君(だんくん)」と言われ、都を「阿斯達(アシダル)」に置いたとある。その「阿斯達」が高句麗の首都・平壌であるとされている。これは、漢の楽浪郡の中心地が「朝鮮県」(今の平壌)であったことから思いついたものであろう。「朝鮮」という国名も元々は漢帝国の支配地、楽浪郡の一県名であったのである。

 古事記の神武天皇神話と同じようなもので、所謂「檀君神話」と言われている。この「阿斯達(アシダル)」こそ「明日香」の語源であると思われる。
「阿斯達」の「あし」は「朝(あさ)」の意味だと考えられる。日本語の「あさ(朝)」は「あす(明日)」「あした(明日)」と単語家族  word family  を形成する。古語では「朝」は「あした」とも読み、翌朝、早朝の意味でもあったことは高校の古文の授業で学んでご存知と思う。「あした」が明日 tomorrow の意味に限定されるようになったのは近世以後である。言語学的には日本語の「あさ(朝)」「あす(明日)」「あした(朝)」「あずま(東)」と朝鮮語で朝の意味の「アチム」が比較されている。

 ただ、古代朝鮮語の文献資料が非常に少なく、「阿斯」が高句麗語で「朝」の意味があったのかどうかは不明であるが、「達(タル)」は高句麗語で「山」(土地、場所の意味にも使う)の意味であることは朝鮮の古代史書『三国史記』の記述から証明されている。つまり、漢字で書けば「朝鮮」、漢字の音を借りて万葉仮名風に書けば「阿斯達」となり、同じ意味である。なお、1392年李成桂が高麗国王から禅譲という形で新王朝を開いたとき、国名を古朝鮮(檀君朝鮮)の神話からとって「朝鮮」とした。

 ー明日香と阿斯達ー

「明日香」は「あす・か」と読み、「あす」は「あさ」「あした」と単語家族であり、同じような意味である。「香」は「有りか」「棲みか」の「か」で土地、場所の意味であるので、「あすか(明日香)」とはまさに「阿斯達(朝鮮)」を日本語に置きかえたものだと考えられる。これは何を意味するのか。6、7世紀の倭国には半島から多くの移住者があり、さまざまな分野で貢献している。政治制度、建築、仏教、漢字文化などに半島の顕著な影響がみられる。このような背景の元で日本の新たな都(みやこ)として造営された地に「あすか」の名が付けられたのであろう。これは、後の平城京を「なら(楽浪)のみやこ」と呼ぶのと同じ発想である。

 このような例は世界史上いくらでも見られる。18~19世紀の帝政ロシアはこれまで軍事的には強国であったが、西欧列強からは政治制度や文化、技術で遅れをとっていた。そのため、国家をあらゆる面から強国にしようと多くのドイツ人を招いた。その結果、西欧列強にひけをとらない大国となった。実は、帝政ロシアの首都サンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)はドイツ語なのである。また、オスマン・トルコ帝国でも政治、法律、経済などで多くのペルシャ人が登用されていた。古代日本も、巨大古墳を作るほどの強国であった(4世紀末には渡海して高句麗と戦っている…好太王碑文)。また、5世紀には中国・南朝の宋に朝貢し、半島の南部(任那・加羅)の支配権を認めさせている…「宋書倭国伝」。

 その後、6~7世紀頃には朝鮮三国が中国(隋、唐)の諸制度や文化を導入し、古代版の近代国家へと変貌した。地勢上、遅れをとった倭国はかれら半島の人を登用して日本を近代国家にしようとした。その中心となったのが蘇我氏であり聖徳太子であった。聖徳太子の仏教の師は高句麗僧であったことは『日本書紀』に書かれている。そうして、藤原京の造営や大宝律令の制定によって倭国の近代化は完成した。それが飛鳥・藤原京時代であったのである。

 


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