小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

 閑話休題 - iPS細胞と箸墓古墳ー

2013年02月24日 | Weblog

 この二つの項目は、理科系と文化系の代表として出したものである。京都大学の山中伸弥教授の研究成果を批判もしくは反論する人は世界中だれもいないであろう。理科系では当然のことである。ところが、文化系、例えば 哲学、心理学、社会学、文化人類学などでは何の根拠もなく、証明さえ不可能な事象を、同じ京都大学教授などという権威ある肩書きでもって、あたかも証明された真実の如く主張する研究者があとを絶たない。もう何十年も前になるが、ある東大の女性教授が、日本人の国民性は、日本の家の構造と因果関係があるとの本を出した。では古代匈奴帝国以来、二千年以上も天幕生活をしてきたモンゴル人やカザフ人の国民性はどうなるのか、一度、聞いてみたい。考古学や古代史の分野もそうである。

 ー箸墓古墳は未発掘ー

 ごく最近、箸墓古墳に宮内庁から立ち入り調査が許されたとのニュースを見た。これに参加した研究者のほとんどが、「邪馬台国=大和説」「箸墓古墳=卑弥呼の墓説」の人たちのようである。これほど馬鹿げた話はない。この人たちは、本当に「魏志倭人伝」を読んでいるのだろうか。ひょっとして全く読んでいないのではないかと疑いたくなる。「魏志倭人伝」にはちゃんと卑弥呼の墓についての記述がある。それには

 「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩」とある。要約すると「卑弥呼が死んだとき大きな塚を作った。その直径は百歩ほどである」。「百余歩」と言えば、せいぜい、50メートルぐらいの長さである。箸墓古墳は全長280メートルもある巨大な前方後円墳である。箸墓・卑弥呼の墓説の人は、倭人伝のこの記事は信用できないとでも言うのだろうか。それなら、同様に「魏志倭人伝」そのもの自体すべて信用できないとの説も成り立つ。つまり、邪馬台国などという国はなかったし、卑弥呼もいなかった。あれはすべて「魏志」の作者・陳寿の創作、捏造だと主張することも可能である。「倭人伝」に書かれている卑弥呼の情報はワンセットで考えるべきであろう。「親魏倭王」は真実で「径百余歩」は虚偽であるなどと何を根拠に言えるのか。それなら逆に「径百余歩」は真実で「親魏倭王」は虚偽だとも言える。

「邪馬台国」「卑弥呼」を歴史的事実と認めるなら、卑弥呼の墓は50メートルぐらいなのであるから、箸墓古墳ではないとの基本原則に立って調査、研究すべきである。たしかに、箸墓古墳は日本の巨大古墳出現の謎を解く重要な古墳であることには間違いない。しかし、倭女王・卑弥呼とは何の関係もない。

 そこで、卑弥呼の宗女・台与(トヨ)の墓説を唱える人がいるが、卑弥呼の死後、男王をたてたが、また争乱が起き、台与(13歳)を立てて収まったとある。その間、さほど時間が立っていない。(卑弥呼の死は248年、台与は266年、晋に朝貢している。その間、わずか18年である)当然、台与は卑弥呼とは同時代の人である。邪馬台国はその後、歴史から消えていることから考えても、突然、卑弥呼の5倍以上もの大きさの巨大古墳を築くほどの強大な国家を維持していたとはとても考えがたい。箸墓古墳は4世紀以後の大和政権下に築かれた古墳であろう。

 <追記>

この箸墓古墳、卑弥呼もしくは台与の墓説は日本人の性格、国民性を知るうえで非常に象徴的である。今もし、エジプトやアフガニスタンに常設の研究所を持ち、発掘調査をやっている国立フランス考古学研究所のスタッフにこの話をしたとすると、彼らは当然、箸墓古墳が発掘され、その出土物の炭素14年代測定をやったり、その出土物の年代鑑定で論争していると思うであろう。いやそうではなく、古墳そのものが発掘すらされていないのだと答えると、おそらく絶句するであろう。「日本人は発掘調査もせずに、その埋葬者を決めるのかと・・」。日本人は近年、多くのノーベル科学省をもらっている。当然、フランスの考古学者は日本人は物事を科学的に分析する能力は世界のトップクラスにあると思っているであろう。だが、日本の考古学界の実態を知ると、啞然呆然、かれらはこの日本の実情をどう思うだろうか・・

 

コメント
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