小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

「六波羅幕府」や「安土幕府」は成立するのか -続編ー

2020年05月29日 | Weblog

  6年前に読売新聞記事を元にこのテーマで論考を書いたが、またまた、朝日新聞が同じようなトンデモ記事を掲載した(2020・5・18)。今回の記事は「幕府」の呼称問題のほかに「天下」についても書かれていた。その見出しは「幕府・天下 もともとは」であった。くり返すことになるが、今一度、述べておきたい。

 ー「幕府」と「藩」は明治時代に決められた歴史用語 ー

 元々、漢語「幕府」は中国・皇帝(日本では天皇)の命により政治・軍事の全権を委任され、派遣された夷狄討伐軍の本営(将軍府)のことである。日本史ではこの「幕府」という漢語を日本式に変容させて使っているのである。一つの政治体制の意味として。つまり、古代律令制度に代わる武家による全国一円支配体制、その端緒を切り開いたのが他ならぬ、源頼朝の鎌倉武家政権であった。たしかに、「幕府」という言葉自体は『吾妻鏡』に出ている。「文応元年(1260年) 将軍家御居所者称幕府」とあり、中国・唐代には近衞大将の居館を「幕府」と称していたこともあり、政所別当・大江広元あたりが引用したのであろう。しかし、この時代の「幕府」はあくまで将軍の居場所(政庁)の意味であり、明治以降の「政治体制・制度」の意味ではなかった。

 また、「藩」も中国史では日本の大名(諸侯)に当たる言葉であり、そこから漢学・儒学者の新井白石(1657~1725)が『藩翰譜』という書物を著したが、この「藩」との言葉自体は江戸時代には一般化しなかった。つまり、「阿波徳島藩」などの名称は江戸時代にはなかったのである。新井白石は漢語「藩」を使うことで、自身の漢籍の才能を自慢したかったのであろう。その後、幕末に至って「幕府」と「藩」は「尊王攘夷」の水戸学の影響もあって、尊攘志士たちが使い始めたようである。

 明治の世になって学校制度も整い、国史教科書も必要となり、この時、「幕府」と「藩」も正式に歴史用語として決められた。何の問題もない。明治4年の「廃藩置県」が有名。(なお、諸藩が乱発した「藩札」も明治以後のれ歴史用語である。今に残る当時の藩札に「○○藩」などの表記はない)。また、「幕藩体制」なる用語も江戸時代を理解する上で非常に分かりやすい言葉である。ではなぜ、同じ武家政権であるのに「六波羅幕府」「福原幕府」「安土幕府」「大坂幕府」は成立しないのか、先のブログに詳しく書いてあるのでそれを読んでほしい。

 -「 天下」の意味は一つである ー

 この記事には、この時代(戦国時代)、「天下」の意味は京と五畿内のことだったとの神田千里と金子拓、二人の説を取り上げ、これがあたかも真実のように書かれているが、とんでもない俗説である。先のブログ「信長の天下布武について」を読んでほしい。言語の意味は誰であれ、いかなる独裁者であっても勝手に変えられない。ある言葉とか用語を使用禁止にすることは出来ても・・。現代でも近隣 にそういう国はある。

 上記両氏は言語の意味とその使用意図をごっちゃにしている。ある言語の意味(語源も含めて)は言語学の分野であるが、その使用意図は歴史学の領域である。織田信長がその時点で尾張と美濃の二国しか支配下に置いていないのに、なぜ「天下布武」の印章を使ったのか、漫画や小説ならどんな奇想天外な説でも言える。信長には誇大妄想癖があった・・、いや、天下の権を握るのは天が己に命じたのだ・・などなど。信長の意図がどこにあったのか、一応、説は立てられる(それが真実かどうかは別として)。本能寺の変や龍馬暗殺について諸説入り乱れているように、だが、言語としての「天下布武」に意味は一つしかない。言語とはそういうものである。

 朝廷が信長に「天下静謐」を命じたと言っても、その本音は、少なくとも自分たち(天皇や公家衆)の住む京とその周辺だけでも平和と安寧を守ってほしいと思ってのことであろう。だからと言って、「天下」が京と五畿内を指す言葉ではない。名目上、日本国の最高主権者である天皇は、臣下の誰にでも、「天下静謐」を命じることの出来る唯一の存在である。この場合、たまたまそれが織田信長であったにすぎない。「天下」の覇権を握る第一歩として天皇の居る京を支配するのは至極当然のことである。信長はそれを実践したにすぎない。言語は政治問題とは全く別の科学の領域に属するものである。そこから、西洋で言語学という学問が生まれた。(信長が「天下」を京と畿内の意味で使ったなど・・それを証明するには信長本人に聞いてみるほかない)

 <追記>

「羽柴がこねし天下餅」「かかあ天下」「亭主関白」中国の「小皇帝」、これら「天下」「関白」「皇帝」の意味は一つしかない。その意味をすべての人が共通に認識しているからこそ、いちいち説明する必要もなく、面白おかしく使っているのである。中国人に、「中国では甘やかされた一人っ子を小皇帝と言うそうですね、皇帝には子供の意味もあるのですね・・」などと言ったら、その中国人は、口をあんぐり開けて返す言葉も見つからないであろう。信長の「天下布武」の「天下」をある特定の地域を指す意味であるなどと言うこと自体、この「小皇帝」のたとえ話と同程度のものである。 龍馬が他藩の重役に「一筆啓上」を使って手紙を書いている。それを誰一人おかしいと思わない。日本人の言語に対する無知、無関心、ならびに言語力の劣化を物語っている以外なにものでもない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本ブログ村

にほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村