小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

閑話休題 -「楢山節考」は本当か-

2008年10月14日 | 歴史

 この1年間、大阪大学(旧・大阪外国語大学)のウズベキスタンの客員教授から250枚のウズベク語論文の日本語への翻訳を頼まれ、それに時間を取られらたため、このブログをしばし休まざる得なかった。ようやく翻訳も終わったので、再び続けていくつもりです。
 
 俳優・緒形拳が亡くなった。緒形拳の代表作、映画「楢山節考」はカンヌ映画祭でグランプリを取ったという。あの映画を見た世界中の人たちは、日本も昔は貧しく、食い扶持を減らすため、自分の母親でもあのように山に捨てたのだなあ・・と思ったであろう。
 とんでもない、そのような事実を示す文献資料も、その場所を特定できるような洞窟や洞穴(ほらあな)が見つかったためしを聞いたこともない。あのような話は農民(庶民)のしたたかな創り話であり、自分たちがいかに貧しく、毎年のように餓死者が出ていることを強調し、領主(武士)に納める年貢を少しでも軽減してもらおうとの魂胆から生まれたものである。
 
 私の郷里・徳島に「祖谷の振り米(いやのふりごめ)」という話がある。吉野川上流の祖谷地方は貧しく、そこの住民は一生涯、米を食べることが出来なかった。そこで、死んだとき棺おけに小さな穴を開け、そこから米粒をパラパラと落として「これが米だぞ」と言った、とのことである。この話は馬鹿げている、米さえ口に出来なかった人がなぜ棺おけを用意することが出来たのか・・。
 

  話はこれに留まらない。これと全く同じ話が東北地方にもあることをあるテレビ番組で見た。多分、これに類した話は日本各地に残っているであろう。日本の農民のしたたかさを表わしている以外の何ものでもない。「楢山節考」もこの類であり、そもそも、昔の人はそんなに長生きは出来なかった。人生は五十年であった。それに、日本では昔から年寄りや子供は大事にされてきた。幕末から明治初期に日本にやってきた外国人の記録にも、家の手伝いは別として、子供が働かされずに遊んでいることに驚いている。(当時のイギリスでも、下層階級の子供は学校にも行かず働かされていた)。「楢山節考」は映画芸術としては優れた作品とは思うが、あれはあくまで架空の創り話であることを我々は確認しておく必要がある。
 
 <追記>
 私の郷里の徳島城(秀吉の参謀、蜂須賀家)の大手門に架かる橋(今は石造りだが、藩政時代は木橋であった)には「人柱の伝説」がある。城下の若い娘が人柱となって、生き埋めにされたと言われている。馬鹿げた話である。城の大手門といえば、神社の鳥居にも相当する神聖な場所である。日本にはそのような風習があるわけがない。(古代には殉葬の風習があったが、それも禁止され埴輪に代えられた)。 この人柱の伝説も全国どこにでもある。「楢山節考」や「祖谷の振り米」同様、架空の創り話である。人間はこのような話を創りたがるものである。その事実だけは証明していると言える。

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