小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

閑話休題 - 「風立ちぬ」と三角縁神獣鏡 -

2014年02月15日 | Weblog

 宮崎駿監督のアニメ「風立ちぬ」がアカデミー賞にノミネイトされたが、惜しくも受賞を逃したニュースは耳新しい。ご存知のようにこれは戦前、世界最高の戦闘機「零戦」を製作した堀越二郎を描いたアニメである。堀越氏は純粋理科系の人である。世界のどの戦闘機よりもスピードが速く、航続距離が長く、かつ旋回能力に優れた飛行機を作ろうとして成功した。それに、当時の戦闘機では考えられなかった20ミリという陸軍の重機関銃より破壊力のある機関砲を装備していた(他国の戦闘機は7ミリほどの軽機関銃ていど)。当然、開戦当初は英・米の戦闘機をほゞパーフェクトに撃墜している。堀越二郎はごく単純な理論を実践したにすぎない。この考え方は戦後、造船や電機、自動車産業などに受け継がれ、日本の戦後の経済発展の土台となった。

 ー非論理の世界が闊歩する考古学ー

 これより少し前に、日本でのみ出土する三角縁神獣鏡は「魔境」であったとのニュースが全国の新聞紙上で発表された。それら記事はほぼすべて 「卑弥呼の鏡」 との見出しが躍っていた。私は唖然とした。「魏志倭人伝」に記す倭女王・卑弥呼が魏の皇帝からもらった銅鏡百枚がいつから三角縁神獣鏡であると決まったのであろうか。それら記事の要旨は次のとおり。

 「卑弥呼の鏡」と呼ばれる三角縁神獣鏡が、鏡面に太陽光を当て壁に反射させると、裏面の文様を映し出す「魔鏡」だったことが分かり、京都国立博物館の村上隆学芸部長(歴史材料科学)が1月29日、発表した。愛知県犬山市の東之宮古墳(3世紀後半)で出土した三角縁鏡を基に、3Dプリンターを使って精巧なレプリカを作って実験した。魔鏡は中国では紀元前からあるが、日本でしか出土しない三角縁鏡で確認されるのは初めて。

 上記の記事の問題点は、「犬山市の東之宮古墳(三世紀後半)」とあることである。この古墳が三世紀後半とは一体だれが決めたのか、なんの科学的根拠もない説である。 三角縁神獣鏡は卑弥呼がもらった鏡だから三世紀後半であろうとのことからの独断にすぎない。近年、奈良県柳本(箸墓古墳のすぐ近く)で発掘された黒塚古墳には33枚もの三角縁神獣鏡が発見された。私も黒塚古墳を実際見てきたが、「魏志倭人伝」にある倭人の墓は「棺あり郭なし」とは違い、黒塚古墳には石組みの大きな「郭」があり、三角縁神獣鏡は木棺(今は腐朽状態であるが)と「郭」のあいだに無造作に置かれているだけである。つまり、この古墳では三角縁神獣鏡は何らかの宗教的思想にもとずく葬送用具にすぎない。それと、古墳の奥深いところ(木棺内であろう)から一枚の画文帯神獣鏡が出ている。画文帯神獣鏡は江南の呉地方へ行かないと手に入らないものである。卑弥呼や台与が朝貢したのは黄河流域の魏や西晋である。そして、三角縁神獣鏡はすでに日本で500枚以上も発見されている。卑弥呼がもらったのはわずか百枚であるのに・・。

 ー中国の考古学者の見解ー

 中国では近年、後漢、魏、西晋時代(2~5世紀)の墳墓が数多く発掘、調査され、そこに埋葬されていた鏡の研究も相当進み、論文や本も多数出版されている。その中国の学者の一致した意見は、日本で出土する三角縁神獣鏡はすべて日本国内で作られたもので、中国(魏)製ではないとの結論である( 王仲殊編著『三角縁神獣鏡』学生社 )。  この指摘は重い。三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡説の人は、なぜ、実際にこの時代の鏡を発掘して調査、研究してきた中国の学者の意見を無視できるのであろうか。 

 日本でも森浩一や安本美典は中国の学者と同じ立場で、以前からこのことを強く主張してきている。卑弥呼がもらった銅鏡百枚とは後漢時代の鏡であり、これら後漢鏡の大半は北部九州から出土している。もともと魏王朝は後漢の丞相(総理大臣)を務めた曹操の子、曹丕が後漢の最後の皇帝から禅譲(平和裏にあとを継ぐこと)を受け、新王朝・魏の皇帝になったものである(西暦220年)。その政治組織や官僚機構も後漢をそのまま受け継いだものである。つまり、国名を替えただけ。従って、卑弥呼が魏に遣使した西暦239年には魏の宮殿には後漢時代の大量の鏡が残されていたとしても不思議ではない。中国の学者は卑弥呼がもらった鏡は後漢の鏡であると断定している。勿論、中国からはこの三角縁神獣鏡はただの一枚も出土していない。それと、鏡の神獣文様は中国南部の呉地方で流行していたもので、北部の魏領域ではまず作られることはない(事実、この時代、黄河流域から神獣鏡の出土例はない)。これは実際に発掘調査した中国考古学者の結論である。

 <追記>

 三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏の皇帝からもらった鏡だと主張する人たちは、中国の学者の意見にはいっさい耳を貸さず、テレビや新聞などマスコミを総動員して鳴り物入りで宣伝にこれつとめている。学問とは宣伝力で決まるものと勘違いしているようである。そこで、魏からもらったごく少数の三角縁神獣鏡を倭国で模倣して大量に作ったとの説を立て(仿製鏡説)、だからこそ日本国内で500枚以上も出土するのだというのが現在の三角縁神獣鏡イコール卑弥呼の鏡説の主流となっている。

 この説を受けて、大阪大学のある教授は虫メガネの鑑定で、これは中国(魏)製、これは日本(倭国)製とより分けられると、NHKの歴史番組で豪語していた。こうなるとこの人は学者ではなく宗教家である。弟子たちにとってこの教授は神の目をもった超能力者なのであろう・・。ほかにも、中国で今だに三角縁神獣鏡が出土しないのは、卑弥呼の使者が魏の皇帝にこのような鏡(三角縁神獣鏡)を特別に作って欲しいと頼んだからだ(特注説)。これは学問というよりもはや小説、漫画の世界である。これには中国の学者も絶句するしかないであろう。日本人は中国の皇帝の権威を一体どう思っているのだろうかと・・。

 先の「零戦」の例を挙げるまでもなく、理科系部門で日本人は多くのノーベル科学賞をもらっている。また、それに近い研究成果を上げた人も沢山いる。それなのに一方では、非科学的、非論理的、かつ宗教的な自己信念のみに固執する人間が文系学問の世界に数多くいるのもまた事実である。戦前の帝国軍人、特に陸軍にそういう人が多かった。明治38年製の歩兵銃による銃剣突撃で戦争に勝てるわけがない。一体全体、これはどのような原因・理由によるものなのか、興味深い。

コメント (2)
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