小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

平城京と韓国の首都・ソウル

2007年12月21日 | 歴史

 韓国の首都・ソウルの語源は古代新羅の首都「金城」にある。朝鮮の史書『三国史記』には金城を「徐伐(ソボル)」と漢字の音を借りて表記している。「ソ」は「金とか鉄」の意味、「ポル」は「地、所、野」などの意味なので、「ソボル」は日本語の「みやこ(京)」と同じ意味の言葉なのである。新羅語の「ソボル」を漢字で書けば「金城」となる。なお、「ソ」は現代朝鮮語の  soi (鉄)と一致し、満州語の aisin (金)と比較されている。「ポル」は日本語の「原(はら)」、九州・沖縄地方の「原(ばる)」と比較される。韓国の首都・ソウルはこの「ソボル  so-pol」の P音が脱落して生まれた言葉なのである。李氏朝鮮の首都は漢字で「漢城」と書くが、同時代の文献にはソウルの意味で「京師」と書かれたものもある。
 

 -古代日本にもあったソウルー 
 今、奈良県奈良市の昔の郡名は「添下(そふのしも)郡」である(『日本書紀』天武紀、676年)。「藤原京木簡」には「所布評(そふのこおり)」とある。この「所布(そふ)」こそ新羅の都「徐伐(ソボル)」に当たるものである。
「評」は新羅で「郡」と同じ意味で使っていた。百済では都を「所夫里(そふり)」と表記しているので、日本の「所布(そふ)」は百済語からの借用であろう。 日本では国名や郡名は漢字二文字が原則なので、「所夫里」の「里」を省略して「所布(そふ)評」となったと考えられる。後に、上下二郡に分かれた。つまり、「所布(そふ)郡」とは日本語で言えば「京(みやこ)郡」の意味であり、首都・平城京の置かれた地にふさわしい名である。ところで、福岡県には「京都(みやこ)郡」があるが、律令制度の豊前の国、古代の「豊(とよ)の国」の地である。そこに邪馬台国時代には王城の一つがあったのであろう。なお、「所布(そふ)評」 は現在でも奈良県・添上(そえかみ)郡として存在している。

 -日本古代国家は半島の影響が大ー 
 以上のことから見えてくるものは、7世紀の飛鳥時代の政治・文化は大きく古代朝鮮三国の影響を受けているということ。王城や朝廷に関する言葉は特に顕著である。つまり、大和政権の中枢部にかれら半島の人々が多く仕えていた証拠でもある。
 錦(にしき)は新羅の王号「尼斯今(ニシクム)」、奈良の都は「楽浪(ナラ)」、明日香は古朝鮮の「阿斯達(アシダル)」、平城京のある郡名「所夫(そふ)」は都(みやこ)を意味する新羅・百済語からきている。しかし、日本語の基礎語彙や音声構造はなんら影響は受けていない。日本固有の文化および日本語の強固な生命力はわれわれ日本人として誇るべきものであろう。(例えば、朝鮮では統一新羅時代に民族固有の人名や地名などを中国風に改めている)。一方、日本では人名、地名はおろか、出雲大社など古墳時代に起源をもつ神社を今でも尊崇している。つまり、古代の倭人が大陸から受け入れたのは政治制度であり、民族固有の文化は守ってきたと言える。

 最後に、佐賀県・吉野ケ里遺跡の北方に聳える山は「背振(せぶり)山」と呼ばれている。「背振」(せぶり)とはまさに新羅の「徐伐(ソボル)」、百済の「所夫里(ソフリ)」、まさに都城、王城の意味である。女王・卑弥呼の都、邪馬台国の所在地になにか示唆を与えているように思えてならない。吉野ケ里こそ邪馬台国ではなかったのか。

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日本語の諸問題(7)「 ほこら(祠)」 の語源

2007年12月10日 | 言語

 神社にある神を祭る小さな建物、「ほこら(祠)」の語源について、たいていの「語源辞典」は「ほくら(秀倉、宝蔵)」から転じて出来た言葉だと書かれている。その説明では、「ほくら」の「ほ」は「誉める」(古語の「ほむ」)の「ほ」で「誉」「秀」などの漢字が当てられる。名詞の「ほまれ(名誉)」も同源であるとのこと。「ほくら」から「ほこら」への音変化は一見もっともな説のようであるが、それを証明するものは何もない。私は「ほこら(祠)」の語源は日本の古代史と密接な関係があると思っている。

 ー鉾(ほこ)には神がやどるー
 毎年、京都で行われている祇園祭り、そのクライマックスは「山鉾巡行」(やまほこじゅんこう)である。日本各地に見られる神社の祭礼には必ず「山車(だし)」とか「神輿(みこし)」が町内を巡る。「だし」とは「出す」の連用形(名詞形)、「みこし」の「こし」は「越す」の連用形(名詞形)である。(神様がお越しになるとの意味)。その山車や神輿には神様がお乗りになっている。私の郷里の徳島でもよく見られるのであるが、なんとその神輿の前を「鉾(ほこ)」を持った神主が歩いている光景がしばしば見られる。日本では古来「ほこ(鉾)」は神霊が宿る神聖なものとされてきた。いまでも神社の神宝として本殿に祭られている所もある。

 この「鉾」はすでに九州北部の弥生時代の遺跡から大量に出土している。鉾は鏡や剣と同様に古代の倭人は、なにか神(霊力)が宿るものとして神聖視している。この「ほこ(鉾)」こそ「ほこら(祠)」の語源ではないか。「ほこ・ら」と読んで、「ら」は「たから(宝)」の「ら」と同じ。「たか」は「高、貴」なので、「ら」は「高さ」の「さ」と同じように接尾語のひとつであり、形のある物を意味する言葉を作ると考えられる。「ほこら(祠)」とは「ほこ(鉾)・ら」つまり、神のいます神聖な場所という言葉ではないのか。我々日本人は2000年前の弥生時代以来の精神文化を今に持続し、信仰している。この神社の「ほこら(祠)」もその一つなのではないのか。
 なお、動詞「誇る」も、「ほこ(鉾)」に動詞形成の接尾語「る」が付いたものと考えられる。昔の人は鉾をかざして、霊力が付いたと誇ったのではないか。なお、「誇り」はその名詞形(連用形)。

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