小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

日本語の諸問題(21) 学校教育の「国語」はなぜ「日本語」にならないのか

2011年04月30日 | Weblog

 現在、高校で学ぶ「日本史」は戦前「国史」と称されていた(旧字体「國」が使われていた)。しかるに「国語」はこれまでどおり「国語」である。なぜ「日本語」にならないのか。それにはそれなりの理由がある。

(1)戦前の「国史」とは
 現在の日本史教科書には、三世紀の倭の女王「卑弥呼」が必ず登場する。邪馬台国が九州か大和かはさて置いて、倭女王・卑弥呼が中国(魏)に朝貢して、「親魏倭王」の金印を授けられたことが書かれている。「親魏倭王」とは、魏の皇帝の臣下として冊封されていたことを意味する。「国史」教科書には全く触れられていない。
 日清戦争に勝ち、東アジアの盟主としての地位を確保しつつあった日本が、古代に中国の属国であったなどの事実は一般国民には知らせたくなかったのである。しかし、大学の研究者がこのことで論争することはわりと自由であった。この点では、現代でも平気で歴史を捏造する近隣国とは違っている。ただし、「記紀」が日本の正史であることは時の政府の基本方針であった。(紀元は二千六百年)
 卑弥呼に代わって「国史」に出ていたのが「記紀」の「神功皇后」である。神功皇后の三韓征伐は日本の朝鮮支配の理論的裏付けとなった。神功皇后が実在したのかどうか、古代に日本が朝鮮半島南部を支配していたのか(任那日本府問題)はさて置いて、古代より今日に至るまで、日本は天皇をいただく東アジアの強国であったことを子供たちに教えるのが「国史」の目的であった。
 あと一つは、天皇に対する絶対的忠誠心を植え付けること。その結果、楠正成や新田義貞は忠臣であり、足利尊氏は逆臣と教えられた。(今日では信じがたい話だが、栃木県足利市出身者は肩身の狭い思いをしたらしい)。 つまるところ、「国史」とは忠君愛国を教える教科であったのである。

(2)戦後の「日本史」と「国語」
 戦前の天皇制イデオロギーの呪縛から解放された日本は、新しい日本史像を構築した。歴史を文献史料をもとに、より公平にあるがままに記述するようになった。「国史」との決別である。卑弥呼が登場し、足利尊氏も復権した。
 しかるに、「国語」は「日本語」とならなかった。なぜか。それには「国語」の由来を知らなければならない。
 
 もともと、今の「国文法」の土台を作ったのは幕末の国学者である。「国学」とは外来思想である仏教や儒教を排し、日本古来の精神に日本人としての拠り所を求めようとする学問であった。当然、万葉集や古事記の研究が中心となり、幕末の尊皇攘夷運動の精神的支柱となった。つまり、日本は古来、万世一系の天皇を中心とした国であり、日本語も悠久の昔からこの列島に存在するものであるとの観点から、明治の国語学者がほぼ現在の形にまとめ上げたものである。つまり、「国語」とは「国学」の一形態なのである。
 「国語」「国文法」との用語は日本人が日本の心を知るためのものであり、言語としての日本語を学ぶ学問ではないのである。有名な国学者、本居宣長の歌

       敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花

「国語・国文法」とはまさに「大和心の発露」なのである。そこには言語の文法とはかけ離れた奇妙な論法が展開されている。私がこれまで述べてきた形容詞の活用がそうであり、極め付けは形容動詞である。「静かな」「平和な」がなぜ形容詞的意味を持つ動詞(形容動詞)で活用するのか、日本人も理解できないし、まして外国人にはなおさらである。「 平和  peace 」は万国共通の名詞であるのに。どの国語辞典にも「名」「形動」と二つある。

 言語としての日本語は「日本語」「日本語文法」と呼び、外国人のためにのみ使われる用語である。もし、日本の学校で学ぶ「国語」を「日本語」に統一した場合、当然、「国文法」は「日本語文法」との整合性が求められる。日本語文法には二種類の文法体系があるなどという詭弁は許されない。「静かな」を「形容動詞」とするか、それとも日本語文法のように「な形容詞」とするかがその一例である。
 
 しかし、これ(国語と日本語の統一)は絶対に無理である。なぜなら、「国文法」を正式の「日本語文法」として文科省が認定し、これを外国人に教える教師に国家資格を与えたとしても(フランスはそうである)、この国家資格日本語教師に教えられる外国人たちは、おそらく、全く理解できないと授業をボイコットするであろう。まして、外国の大学などの日本語教育機関に派遣された場合、その大学から「もういいから帰ってほしい」と通告されるのがオチであろう。「未然、連用、終止・・」など日本の生徒もチンプンカンプンなのに外国人に理解できるわけがない。
 そのことが分かっているから、日本の国語学者も「国文法」を正式の「日本語文法」とせよとは言わない。川端康成の「あいまいな日本」ではないが、「曖昧な国語・国文法」でいいのである。「国語・国文法」とは日本の心を知るための「国学」であり、言語(日本語)の文法ではないのであるから。これでは、日本の生徒が可哀想である。

 <追記>
 あるテレビ局がドイツの大学の日本学科を取材した番組で、日本語に堪能なドイツ人教授が 「日本人には文法の説明はしてもらわない」 とキッパリ言っていた。多分、その教授は自分なりに日本語の文法を会得しているのであろう。それはおそらく私(小松)の日本語文法理論と同じではないかと勝手に想像している。
 外国人にとって日本語のような膠着語とは、単語に様々な接尾辞  suffix  をくっ付けて文を作る言語であり、日本語の助詞も助動詞も、つまるところ  suffix  であり、「広い」「広く」「静かな」「静かに」の「い」「く」「な」「に」もすべてある意味を作る接尾辞と理解し、学生たちに教えていると思われる。これを国文法のように活用(語形変化)するとか、(外国人向け)日本語文法のように「広く」は形容詞「広い」の副詞的用法などと言うから、日本人に文法の説明は御免こうむりたいと言ったのだと思う。日本語は本当にやさしい言語なのである。
 日本語がアルタイ語的(膠着語)要素を持つ言語であることは従来から言われてきたことである。最後に今一度、国語(日本語)教育について触れたい。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語の諸問題 (20) 助動詞活用表のデタラメ

2011年04月15日 | Weblog

 中学国文法の教科書には動詞、形容詞、形容動詞、助動詞の活用一覧表なるものが出ている。無理やり「未然、連用、終止、連体、仮定、命令」に合わせようとしているが、矛盾だらけで、もはや言語の文法の説明とは言いがたいシロモノである。

(1)丁寧の助動詞「ます」の未然形として「ませ、ましょ」とある。これはまったく意味不明。おそらく、「おいでませ」とか「行きましょ」の場合、まだ来ていないことから未然形とされたのであろうが、では、「明日、行きます」の場合、まだ行っていないのでこの「ます」は未然形になる。さらに仮定形として「ますれ」とある。「行きますれば」などと言う表現が現代日本語にあるのだろうか。同じく「です」の未然形「でしょ」が出ている。これも意味不明。ただ、念を押しているだけである。

(2)否定の助動詞「ぬ(ん)」(知らぬ)の連用形として「ず」とある。「ぬ」と「ず」は同じ否定の意味を持っていても、まったく別の言葉であり、同じ活用表に入れるとは理解に苦しむ。「知らぬ(ん)ふりする」とか「減らず口を叩く」という表現をよく使うが、「ぬ」が「ず」に活用(語形変化)したと強弁することは犬と猫は同一種類だと言っているようなものである。呆れて物も言えない。
 「ず」はもともと文語である(革命いまだ成らず)。文語文法でも「ず」と「ぬ」を同じ活用表に入れている。正気の沙汰とは思えない。

(3)断定の助動詞「だ」(先生だ)の仮定形として「なら」が出ている。これは「君ならどうする」の「なら」を想定したものだと思うが、やはり、まったく違う二つの言葉を同じ活用表に入れている。もはや支離滅裂、国語(日本語)の文法は一体全体どうなっているのか。
 元々「なら」は動詞「なる」の未然形のはずである。この「なる」は動詞の意味(木に実がなる)と文語の助動詞(静かなるドン)の意味を持っている。 つまり、文語助動詞では「そうある、・・である」の意味であり、英語の  be 動詞と同じ用法である。動詞では五段活用動詞である。その未然形「なら」がなぜ仮定形となるのか。理由は単純で、文語(古語)では未然形で仮定を作ったからである。(例、「海ゆかば」、「東風吹かば」)。「私が君なら(ば)そうはしない」という日本語表現は文語が現代語にも生きている例の一つにすぎない。
 これまで私が何度も言ってきたように、文語表現も立派な現代日本語である。この「なら」も助動詞「だ」の仮定形などとせず、独立した文語表現と生徒には教えればよい。「だ」の仮定形などと説明すること自体、意味不明、理解不能である。

(4)過去・完了の助動詞「た」(起きた)の仮定形の「たら」も矛盾だらけである。「雨が降ったら行かない」の「たら」は仮定形でいいが、「朝起きたらもう8時だった」の「たら」は仮定とは言えず、むしろ完了の意味を持っている。国文法の法則に合わない表現は無視しているのである。これでは文法とは言えない。「たら」は「た」の仮定形などとせず、仮定や完了の意味を持つ助動詞とした方がいいのではないか。この「たら」も先の「なら」同様、文語の存続・完了助動詞「たる」(例、人間たるもの)の未然形から来ている。だからこそ、完了の意味も保持しているのである。
 文語文法では「堂々たる」は形容動詞である。では「人間たる」はどうか、名詞「人間」に助動詞「たる」(そうある、・・である)が付いたものである。この二つを区別する必要性があるのだろうか。私は形容動詞無用論である。

 結論として言えることは、助動詞の中には活用などしないものもあるということである。文語文法の完了の助動詞「り」(我、勝てリ)などは、これ自体で完結した言葉であり、活用表にある「ら、り、り、る、れ、れ」はまったく意味不明である。特に未然形の「ら」は理解不能である。「未然」とはまだそうなっていないことなのに、それが完了の「り」に有るとは、本当にそんな文があるのだろうか。
 連体形の「る」は動詞已然形(静止・完了)に連体形形成の接尾語「る」が付いたものであり、現代語の「捨てる人」「見る人」の「る」と同じ機能を持つ接尾語と見るべきであろう。
 「歌、詠める人」とは「今、歌を詠む人」、つまり英語の現在完了と同じ用法である。この「る」と完了の助動詞「り」とは全く別の接尾語である。
 この文語「詠める」「書ける」の已然形「詠め」「書け」が仮定形になって行く過程で、可能動詞「読める」「書ける」「行ける」が生まれてきたことは前に書いた。つまり、文語完了形「読めり」が「読めた」に変わった。
 

   <追記>
 なぜ国文法は矛盾だらけなのか。それは日本語がアルタイ語系文法(膠着語)であるという基本認識がないからである。様々な機能を持つ接尾語、それらをどういう名称で呼ぼうとそれは問題ではない。助動詞は動詞と同じように活用するという奇妙な思い込み。これは言語の分析ではなくむしろ宗教的信仰に近い。
 動詞と同じ機能を持つ助動詞「たる」(堂々たる人生)と「なる」(遥かなる宇宙)などはたしかに活用(語尾変化)する。しかし、完了の「き」(有りき)とか、「り」(勝てリ)などの一音節語はそれだけで完結した言葉(接尾語)である。それを無理やり活用させようとするからおかしくなってしまうのである。
 

 その一番良い例は「平和な国」である。「静かな朝」の「静か」は国文法では形容動詞とされている。ところが、漢語「平和」に「な」が付くと形容動詞である。事実、「国語辞典」では「名」と「形動」の二つが出ている。「平和な国」も「平和の象徴」の「の」同様、は助詞と考えた方がずっと分かりやすいのに、「平和な」「平和に」「平和だ」と活用する。(国文法助詞に「な」はない)。これが国文法の法則である。こんな文法を外国人に教えられるだろうか。つまり、「戦争になる」と「平和になる」の「に」は品詞が違うのである。「平和になる」の「に」は形容動詞の連用形と名詞「平和」につく助詞「に」と二つの用法があるのである。どちらが正しいのだろうか。一度、国語学の先生に聞いてみたい。

 「な」は文語「なる」の「る」が消失したものである(例、静かなるドン)。助詞「に」がある方向に向かう意味なら、「な」はある状態を示す助詞でいいのではないか。つまり、英語の  peace-ful  のように、名詞に「な」が付いて形容詞化する。そうすれば「静かな朝」「静かになる」も「平和な国」「平和になる」もスンナリ理解できる。「静か」は文法上、名詞機能を持った言葉である。日本語はきちんとした法則性を持つ言語である。それを複雑怪奇にしたのは他でもない国文法である。だからこそ、外国人には別の日本語文法が存在するのである。このような二つの文法体系を持つ言語が世界に有るのだろうか。私は寡聞にして知らない。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本ブログ村

にほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村