カウエルは1941年生まれでハンコック、コリアと同世代にも拘わらず、初レコーディングがM・ブラウンの”WHY NOT”(ESP 1966年)とニュージャズ畑だったため、名の浸透に後れを取ったけれど、A・ベイツにその資質を認められリーダー作”BLUES FOR THE VIETCONG”、”BRILLIANT CIRCLES”を吹き込み、また、C・トリヴァーと組んだ「MUSIC INC」が人気を博し、漸く「次代を担う逸材」として認知される存在に。
しかし、自主レーベル「ストラタ・イースト」の運営について起きたごたごたに創作意欲を削がれたのか、ロリンズ、ペッパー、ゲッツ等々のサイドの道を選び、その後、あまりパッとしなくなった。
このアルバムは忘れかけそうになった頃、たまたま見つけたもので、1985年、生まれ故郷トレドでのソロ・ライブもの。FM放送?も前提としてレコード化されたもので、ロケーションを考慮してマチュアなプレイに終始している。「ESP」出身とは誰も想像出来ないだろう。
こちらは1975年に録音された”REGENERATION”。当時、トレンドでもあったアフリカの民族音楽にアプローチしたもので、スピリチュアル・ジャズとも言われるけど、よう分かりません。この作品を聴くと、そもそもカウエルは良い悪いは兎も角、メジャー志向が希薄だったのでは、と思える。
A・ペッパー・グループに在団中、”WINTER MOON”の翌日に録音された”ONE SEPTEMBER AFTERNOON”。メンバーは同じでストリングスを外したコンボ・スタイルの作品。ペッパーは好調さを維持していて、あまり表に出てこないアルバムですがなかなかの好盤。
その昔、些細なことがきっかけで評論家の間でペッパーの「前期 vs 後期」論争が勃発した。「復帰後」のペッパーを認めないと強硬主張する辛口評論家と日頃から快く思っていなかった復帰後の後期擁護家(派)が衝突したお家騒動(笑)ですね。両者の論点にずれがある為、不毛の論争に終わったが、失礼ながらなかなか面白かった。「ずれ」とは「(レコード上の)演奏クオリティ 対 人間味を重視したトータルの演奏内容」だったと記憶する。一人のミュージシャンを期間を分けるのは如何なものかと思いますが、後期派は前期も認めている点が前期派と異なる。
このレコードのB-2に入っているカウエルのオリジナル”Goodbye Again”を聴いてみよう。一つのヒントになるかも。
もし、過去に辛い別れ、そして深い傷を負っていたとしたら、込み上げる感情に果たして耐えられるだろうか。哀しみの度合いによっては慟哭するかもしれない。ペッパーのアルトはまるで人知れず心の奥底にずっと抑え込んでいたものを容赦なく抉り出すように響く。ヤクにより天才的な閃きは奪われたが、その代わり絶望を味わい地獄の淵から這い上がった者にだけ許される一種の魔力を以て、聴く人に「感動、感銘」を与えるミュージシャンになった。
恐らく、ペッパーは「この曲はオレを全面に演らせてくれ」とカウエルに願ったのだろう。こんなプレイをしてくれたらカウエルも作曲者冥利に尽きるというもの。
ちょうど10年前の2009年1月28日、名古屋の覚王山にある老舗ライブ・ハウス‘STAR EYES’にC・トリヴァーのビッグ・バンドがやって来た。総勢16名の中に”WHY NOT”とトリヴァーの”THE RINGER”のプレイにぞっこん惚れ込んだカウエルの姿が。
卓越した品格あるピアノさばきにかっての「逸材」の面影は些かも消えていなかった。
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